7(夏服、着たい)
立ち上がる正二に布団が云う。「嘘つき」
「そうかな」
踵を返し、部屋を出ようとする正二の背中に秋子が呟く。「明日から六月なの」
「うん?」
「夏服、着たい」
暗がりでも白いそれが付け鴨居に吊るされているのが分かった。
「初めての夏服なのに、」
溜め息交じりの言葉。何日も前から取り出し、幾度となくエチケットブラシをかけ、袖を通す日を楽しみにしていたに違いない。
「また明日、寄るから」
そっと襖を閉めて板張りの廊下を歩き、奥の座敷の曽祖母に襖越しに挨拶をし、伯母と祖母に見送られ、正二は本家を辞した。
※
翌日、秋子は朝の教室で蛇になった。
一年の教室がある階下から、太く重い音がしたかと思うと、覆い被さるように鋭いガラスの砕け散る音が一斉に振りまかれた。
何事かと正二がクラスメイトと共にベランダに出て下を見遣ると、白く輝くウロコに覆われた巨大な蛇が校庭を横切っていくところだった。
空を裂くような女の悲鳴を聞き、正二は教室を飛び出した。
※
例えば、竜の娘は長生きしない。
大抵は辰年生まれの娘が十代始めに竜となり、やがては三日三晩の雷雨の後、姿を消す。
神社は形式的なものであり、境内や社祠にその存在を感じるかどうかは、資質か集団幻覚か。そんなこと、分かりっこない。
巳年生まれの秋子は自身をハズレの子だと思っている。竜になれないでいるのはその証左だ。それでも、やがては三日三晩の後に姿を消すことがある。そんな記録が残っている。蔵の奥で見たことがある。
早ければ来年、遅くとも再来年。秋子は自分がそれに成ることを理解している。誰にも存在を知覚されなくなることを理解している。
正二はそんな秋子の儚さを愛おしく思っている。人に戻れず、竜にもなれず、やがて誰からも忘れられていく、そんな秋子のことを。
※
藤巻亜希子は一命を取り留めた。
あの朝、教室の中で突如変身した東南秋子の太い胴が亜希子を薙ぎ払った。亜希子の身体はいとも簡単に宙に浮き、背中でガラス窓を破り、校舎の外に投げ出された。
今は全身をプラスチックで硬く固定され、動くこともままならない。肋骨や鎖骨、腓骨や橈骨などを折り、打撲、捻挫、擦過傷。頬骨は沈み、左目は再び光りを捉えられるか分からない。
深夜に目覚めて、そこが病室であること、自分が酷い有様であること、痛み止めの効き目が切れていることを知らされた。
見ず知らずの小さな老婆がいた。黄色がかった銀髪で、深い皺に埋もれて表情は読み取り難かったが、言葉ははっきりしていた。