石野湊VSポタリーズ
昼休み。図書室に入ると、ダヴェンポートさんとダニエルさんが日本史の本を広げ、額を寄せ合って話し込んでいた。
「こんにちは」
声をかけると、ダヴェンポートさんは無言で小さく頷き、ダニエルさんが「やあ、石野君」と穏やかな笑みを返してくれた。
ダニエルさんは、先日見かけた時より幾分地味な制服姿だった。カラフルな刺繍のベストも、耳元や首元でキラキラ光っていた金のアクセサリーも見当たらない。——服装指導でも喰らったのだろうか。
「不躾だが、石野君。少し聞いてもいいかな」
ダニエルさんが本から目を上げる。
「日本に『ペキン』や『ボンベイ』という街は存在するのだろうか?」
「えっ……ペキン——北京は中国の都市ですし、ボンベイは今のムンバイで、インドの都市ですよ」
俺が答えた途端、ふたりの顔が同時に曇った。英語で「メイソンもミントンも、思い違いをしていたのだな……」とボソボソ話し始める。
「何か、そういうお皿があるんですか?」
思わず割り込むと、ふたりは目を丸くした。
「英語がわかるのか。それに陶磁器メーカーのことまで……ああ、ティールームのバイトで知ったのか」
ダヴェンポートさんが腑に落ちた顔で頷く。ダニエルさんは懐かしむように目を細めた。
「昔の話だがね。東洋趣味が流行した折、ペキンジャパン、ボンベイジャパンという名の皿が盛んに作られたのだよ」
「へえ、そうなんですか!」
「メイソンの窯を買い取った際、私のところでも——」
その時、ダヴェンポートさんがフランス語で低く何かを囁いた。ダニエルさんの口がぴたりと閉じる。
「……いや、何でもない。こちらの話だ」
会話はそこでぷっつりと途切れた。フランス語の意味はわからない。けれど、言葉の温度だけは伝わってきた。——いま、止められた。
ピピピ……!
ふたりのポケットから、端末の電子音が同時に鳴り響いた。素早く画面を確認し、フランス語で二言三言だけ短く交わすと、次の瞬間には弾かれたように図書室を飛び出していった。
まただ。この前と同じだ。しかも今回は、明らかに俺を警戒して口を閉ざした。
気づけば、俺は後を追っていた。廊下に飛び出したところで、運悪く担任と鉢合わせる。
「おい、石野! もうすぐ昼休み終わるぞ、どこ行く!」
「急にお腹が痛くなったんで、トイレ行きます!」
「わかった、だが廊下を走るな!」
先生の声を背中で聞き流し、階段を駆け上がる。踊り場を曲がった先に、屋上へ向かうふたりの背中がちらりと見えた。遅れまいと必死に追いかけ、屋上の重い鉄扉を肩で押し開ける。
……いない。
「どこだ……!?」
見渡す限り、静まり返った屋上には人影ひとつなかった。念のため柵から身を乗り出して下を覗いてみたが、中庭にも誰もいない。まさか飛び降りたわけでもあるまいし——。確かにここへ上がってきたはずなのに、どこで見失ったのだろう。
狐につままれた気分のまま、俺は教室へ引き返した。
*
教室に戻った時には、すでに5時間目の国語が始まっていた。
「石野、遅刻。腹痛は治ったのか?」
教室のあちこちから忍び笑いが漏れる。俺は小さくなって席に着き、教科書を開いて頬杖をついた。
——あの一瞬で、どこへ消えたんだ。
退屈な40分間は、ほとんど頭に入らないまま過ぎていった。チャイムが鳴るやいなや、俺は廊下に飛び出す。すると、階段をゆっくり上がってくるふたりの姿が目に入り、思わず目を見張った。
ダヴェンポートさんは額にびっしょりと汗を浮かべ、今にも倒れそうなほど疲れ果てた顔をしている。対照的に、ダニエルさんは涼しい顔で、水筒の水をゴクゴクと飲んでいた。
「あのー……お二人とも、どこ行ってたんですか?」
一瞬、気まずい沈黙が落ちる。
「……保健室だ」
ダヴェンポートさんが、表情ひとつ変えずに答えた。
「君は……私たちのプライベートがそんなに気になるのかな?」
ダニエルさんがダヴェンポートさんの肩にそっと手を置き、ふっと意味深に微笑む。
「えっ! いえっ!! 違います!!」
耳の先まで一気に熱くなった。俺は勢いよく踵を返し、逃げるように自分の席へ戻る。机に突っ伏しても、まだ頬の火照りが引かない。——保健室。そういえば、ダヴェンポートさんのあの汗は。いや、これ以上は考えるな!
――――同じ日の昼休み(ダニエル・ダヴェンポート視点)
ピピピ……!
ふたりの端末が、不穏な警告音を鳴らした。向かいの席では、石野湊が不思議そうにこちらを見つめている。ダヴェンポートは画面を一瞥すると、石野に悟られぬよう、フランス語でダニエルに低く告げた。
「敵が出現したのは一階の保健室だ。直接向かえば石野に怪しまれる。まず屋上で変身し、外壁を伝って一階へ飛ぶ。いいな?」
「ああ。それがいい」
ふたりは図書室を飛び出し、階段を駆け上がった。踊り場を曲がりながらちらりと振り返ると、石野が慌てて追ってくるのが見える。
「まずいな、勘の鋭い少年だ。急ぐぞ」
屋上の重い扉を開け、階段室の裏へ身を滑り込ませる。直後、扉が勢いよく開く音と、石野の困惑した足音が屋上に響いた。その隙に、ふたりは変身を遂げる。ダニエルの耳元と首元に、封じていた金の装飾が一斉にきらびやかに戻った。
「ようやく戻れたか。実に、制服は窮屈で退屈な代物だ」
「我慢しろ。人間の学校で金ピカの装飾を着けて、何が目立たずだ」
小声で言い合いながら、ふたりは屋上の縁を蹴った。
*
保健室。ベッドで丸くなって眠る男子生徒の上に、禍々しいメンドーダが覆い被さっていた。
「またあの醜悪な怪物か」
ダニエルが不快そうに眉を寄せる。その両手には、すでに溢れんばかりの霊光が集まっていた。
「マザランブルーミスト!!」
ダニエルの手から放たれた、深く艶やかな海の底のような青い霧が、怪物を包み込む。怪物は苦しげに呻き、ベッドからずるずると滑り落ちた。
「いいぞ、畳みかける! ロンドングレーフォグ!!」
ダヴェンポートの手から湧き出た重厚な灰色の霧が、怪物を取り囲む。動きがみるみる鈍くなり、静止しかけた——その瞬間。
ギャアアッ! と怪物が裂けるような叫びを上げ、なんと二体に分裂した。
「何!?」
伸びた無数の触手が宙を走り、ふたりの手足をがっちりと縛り上げる。もう一体が口を開き、激しい弾丸を放った。
「うぐっ……!」「ぐああっ……!」
身動きを封じられ、じわじわと締め上げられていく。喉が詰まり、ダヴェンポートの声が掠れた。
「くそっ、あいつらはまだ来ないのか……!」
「これでどうだ……! レイズドゴールド!!」
ダニエルの両手から、眩い金彩の光線が放たれた。光を浴びた触手は、盛り上げて焼き付けた金のように立体的な黄金の蔦模様へと姿を変え——パリーンッ! と澄んだ音を立てて砕け散る。
拘束から解放されたダヴェンポートは、激しく咳き込みながら膝をついた。
「……っつ、助かった」
「いけるか、ダヴェンポート?」
「当たり前だ! 合わせ技で行くぞ!」
ふたりは力強く視線を交わし、声を重ねた。
「「ウィローパターン!!」」
保健室の空間が変容する。青と白の東洋風情が周囲を塗り替え、アーチ型の橋が架かり、二羽の鳥が舞い、描かれた柳の葉が無数の鋭利な刃となって二体の怪物に降り注いだ。怪物は断末魔の悲鳴を上げ、光の粒子となって消滅する。
*
荒い息を整えながら、ダニエルはベッドの生徒に近づいた。生徒がゆっくりと目を開ける。
「あれ……俺……?」
「体の具合はどうだね?」
ダニエルが優しく声をかける。
「なんか、腹が減って……。いつも朝ごはん抜いてるんですけど、今日は授業中に気持ち悪くなっちゃって……」
ダニエルは呆れたように目を丸くした。
「なぜ朝食を食べないのだ?」
「昨日の夜中まで動画見てたら、朝起きられなくて……食べる時間がなくて……」
「……俺たちは、そんな自己管理のなっていない奴のために、こんな苦労をさせられたのか!?」
ダヴェンポートが腹立たしげに吐き捨てる。
「昔は食べたくても満足に食べられず、栄養失調に苦しむ人々がたくさんいたんだぞ! お前は恵まれた時代に生きているんだ、その恩恵をちゃんと享受しろ!」
「ふふ、まあ落ち着つけ、ダヴェンポート」
ダニエルがふっと微笑み、手をかざした。
「フルーツアンドフラワーズ!」
その手の上に、華やかな花と果実が描かれたアンティークの皿が現れる。絵柄からみずみずしい本物の果実と花がふわりと浮かび上がり、皿の上に美味しそうに並んでいった。
「さあ、食べなさい」
「……! ありがとうございます……!」
「その皿は持ち帰って毎日使え。そして二度と朝食を抜くな!」
ダヴェンポートが念を押した、その時だった。
ガチャリ、と保健室のドアが開く。振り返ると、汗だくの体操着姿のコールポートとコールドンが立っていた。
「「ええっ!?」」
「あ……事件解決後……でしたか。すみません、体育中でスマホから離れていて……」
コールドンが申し訳なさそうに身を縮める。
「サッカーしてたらさ、コールドンが盛大に転んで膝を擦りむいちゃってさ〜」
コールポートが悪びれずに弁明した。
「やれやれ。どうせタスカンとシェリーも、同じような理由だろうね」
ダニエルが苦笑する。
「スマホは——」
ダヴェンポートの額に、くっきりと青筋が浮かび上がった。
「肌身離さず身に着けておけ、このたわけ共が!!!!」
雷のような怒声が、保健室いっぱいにこだまする。その向こうで、5時間目の終わりを告げるチャイムが、のどかに鳴り響いていた。




