8 呪い呪われ行き着いて
廃墟街から少し南、工場エリアの端。沿岸近くに並ぶさまざまな企業の工場。そのうちの一つに、妖精商会の工房があった。
「地図と照らし合わせて調べてみたんだけど、廃工場みたいね。元は電子機器の部品を造ってたらしいわ」
杏華が携帯端末を見ながら言う。
時刻は深夜。レクスたち『フェアリオン』は寝静まった街を駆けていた――レクス、杏華、アムニア、そしてシルシファ。東堂はというと、本部に残り増援部隊からの連絡を待っていた。
「しかし、まさかこんな方法で、奴の居場所がわかるとはな……」
ふわり、ふわりと前方をゆく緑の光――東堂の作りだした魔法のシャボンを追いながら、レクスはぼやく。後ろを走る杏華が、つられたようにつぶやいた。
「幸兄ィがあんな輝いてるの初めて見たわ、私」
「さっきちょっと気になってたんだけど、夏原は普段、支部長のこと『幸兄ィ』って呼んでんの?」
「っ……そうだけど!? そうだけど何!? 従兄弟なんだから別にいーでしょ!」
赤面しながら杏華が叫ぶ。レクスは素直に答えた。
「いや、普通に羨ましいなと思って。僕んち親戚付き合い少ないから」
「ふんっ」
すねたようにそっぽを向く杏華。レクスは肩をすくめた。……しばらくして、アムニアがぽつり、と言ってくる。
「……お姉ちゃん」
「ん?」
「妖精には、血縁関係というのはないけれど。わたしにも、お姉ちゃんがいる」
「意外ね。てか、あんたお姉ちゃんとか呼ぶんだ」
杏華のからかうような呼びかけに、アムニアは「うん」といつになく素直な反応をした。
「トリリアは、お姉ちゃんなんだ、わたしの。『アムニア』になる前、まだ無名の妖精だった時に……聖域に迷い込んだ私を助けて、山に送り届けてくれた」
「………」
「その時から、トリリアはわたしにとって、お姉ちゃんみたいな存在になったんだ。その記憶だけは、忘れず持ち続けた。いつか『アムニア』になった時に……トリリアを助けたいと思った。わたしが、そうしてもらったみたいに」
アムニアは、杏華の後ろ髪にそっと触れた。うつむいて、彼女は相棒にささやく。
「杏華。さっきは、悪かった。八つ当たりだった。……トリリアお姉ちゃんを、助けてほしい。頼む」
「……わかった。……必ず」
言葉少なに約束をする杏華。彼女の瞳の中に、静かに火が灯ったようにレクスは感じていた。
杏華はその後は無言で、工場への道を走り続けた。アムニアも杏華に寄り添うように後に続く。
「トリリアは、わたしたち妖精にとっても、少し特別な存在なんですよぉ」
レクスの頭の後ろで、シルシファが静かに語る。
「彼女は、あなたが魔王を倒した後も、『トリリア』で居続けることを選択したんですぅ。普通の妖精なら、運命の導き手、なんて重い名を捨てて無名に戻りたがるはずなのにぃ。彼女は普通の妖精なんですけど、ちょっとだけわたしたちより変わってて、不思議なんですぅ。妖精にとっても不思議な妖精って、すごいですよねぇ」
「……なあ、シルシファ。どうして、トリリアは名を捨てなかったんだ?」
「……さぁ? どうしてでしょぉ」
シルシファはレクスの問いに、なぜかはぐらかすように答え、それからくすくすと笑った。
その問いは、自分で彼女に聞かなきゃ駄目ですよ――そんな風に諭された気がした。
廃工場の内部は、当たり前ではあるが照明など無く、真っ暗闇だった。東堂の魔法のぼんやりとした光量では心もとなかったため、アムニアの作り出す灯りを頼りに進むことになった。彼女の右手の先からオレンジの光がぼうっと放たれ、懐中電燈のように行く先を丸く照らし出す。
「なあシルシファ、この剣って、何か使い方とかあるのか?」
シルシファに出してもらった長剣を軽く振り、手になじませながらレクスは聞く。素手で戦う訳にはいかないため出してもらったのだが、今のところ工場内には魔物らしき影はなかった。
「使い方、ですかぁ? うぅんとぉ、……よくわからないですねぇ」
「……君が出したのにか?」
「はいぃ。それぇ、草原で行き倒れた旅人さんが持ってたんですよぉ。形がかわいかったからぁ、何となく持っておいたんですぅ。役に立つものですねぇ」
「つまりこれ、魔法とかない普通の剣かよ……いいけどさ……」
半眼で剣をながめる。シルエットは特徴のない両刃の鋼剣だが、表面の装飾は細かく、剣先に花のレリーフなど掘られている。これがシルシファの言うかわいいポイントなのだろうか。
ただの廃工場の風景が続くが、ある地点でシルシファが「ここですぅ」と指さす。そこには、動かなくなった機械の裏に隠されるように、地下への階段があった。
地下に降りると、元々の工場としての広い空間が、後から持ち込まれたものらしい岩壁で区切られ、さながら迷宮のような造りになっていた。ここに至ると、東堂の魔法による『案内』の必要もなく妖精たちはすでに何かを感じているようで、迷いなくレクスたちを先導していく。レクスはなんとなくシャボン玉に触れてみた。東堂の話によれば、設定条件を満たさない限り、このシャボン玉は決して割れないように作れるのだという。ぷよぷよした感触のシャボン玉を捕まえ、レクスはパーカーのポケットに入れてジッパーを閉じた。
ある部屋の前で、アムニアとシルシファは立ち止まった。妖精二人が顔を見合わせる。
「……ここだな」
「……そう、みたいですねぇ」
シルシファがこちらを見上げ、「聞こえますかぁ?」と問い掛けてくる。
「……? いや、何も聞こえないけど。夏原は?」
「わ、私も……何? なんかあるの?」
「なんか、っていうかぁ」
「……まあ、見ればわかるだろう。入るぞ。敵はいない」
中に入ると、そこは左右の壁一面に、一定の間隔で宝石の埋め込まれた部屋だった。音は何も聞こえない。が、『声』が満ちていた……助けを求める声なき声が。
左右の壁それぞれに百以上埋め込まれた、色とりどりの宝石。それら全てが、妖精を変化させて作った妖精石だった。それも、多くの石は変化が不完全で、手足の一部や頭だけ、あるいは身体だけが宝石に変えられている。試行錯誤の結果ということなのか。
「……生きてるの? これ……」
蒼ざめた顔で、杏華がつぶやく。アムニアが静かに答えた。
「この程度で妖精は死なん。この場合、それが幸せかはわからんがな」
「シルシファ……なんとかできないか?」
耐えかねて、レクスは尋ねた。シルシファは考え込むように眉を寄せる。
「解呪ですかぁ。全部はちょぉっと時間かかりますよぉ。かけられた魔法が、それぞれ別の魔法と言ってもいいほど構成が違っているのでぇ」
「わたしも手伝おう。完成形ではないこのくらいの複雑さの魔法なら、なんとかなる」
妖精二人がかりでの解呪が始まった。レクスは壁の妖精たちを素早く見て回ったが、トリリアの姿はみつからない。
「……剱野」
杏華が、部屋の奥を指差した。暗がりに、部屋に入った当初は見えていなかった扉が見えた。
「……奴はこの奥か」
「行くなら、私も一緒に行く」
「いや、ひとまず僕が様子を見てくる。夏原は二人を守ってやってくれ」
レクスは解呪に集中している妖精二人を示す。杏華はしばらく考え込んだが、「わかった」と小さくうなずいた。
「でも、様子を見るだけよ。一人で無茶はしないで」
「わかってる。任せた」
「……ふん。任されてあげるわ。かわいい後輩の頼みだものね」
いつものように強気に笑う杏華に、レクスも笑みを返す。それからレクスは、奥の扉へと手をかけた。
(様子を見るだけ――)
長い廊下を静かに、しかし速足で歩きながら、レクスは胸中で繰り返す。
だが、廊下の先に見えた部屋の扉、そこから悲鳴が聞こえた瞬間、自制のタガが外れた。
「――いやあっ! やめて! 痛い、痛いよぉ! 食べないで―――!!」
「トリリアっ!?」
彼女の叫び声に、レクスは全力で駆け出していた。扉を蹴破り、部屋の中に転がり込む。
そこは、実験室といった風情の部屋だった。部屋の中央には手術台があり、そこに二人の妖精の姿があった。
一人はトリリア。もう一人は黒髪の、見たこともない妖精。黒髪の妖精は、泣き叫ぶトリリアを押さえつけ――その透明な『羽』を食っていた。小さな口を開き、がぶりと羽に噛みついて食いちぎり、ゆっくりと咀嚼する。そこに躊躇や憐れみなどなく、あたかもそれが当然の営みであるかのように、悠々と。
「て―――」
もはや、怒りや焦りですらない――それ以前の原始的な、ただただ頭の中を白く染め上げるような激情が、レクスの内側で弾けた。
「てめえぇえええええっ!!」
右手の剣を逆手に構えると、左手で黒髪の妖精に手を伸ばす。妖精は手が触れる直前にすいっと後ろに下がると、闇に溶けるように姿を消した。
追いかけようとした自分を、もう一人の自分――理性、とは言い難いが、少なくとも優先順位を考えられる自分――が引きとめる。レクスは黒髪の妖精を追うことを、いったん忘れた。大事なのはそちらではない。
「トリリアっ!! 大丈夫か!」
「レクス……レクス! レクスっ……」
呼びかけに、彼女はかすれた声で返事をした。彼女の様子を確認して、レクスは絶句する。
無残にも、トリリアの羽は、付け根の数ミリを残してほとんど喰われてしまっていた。羽以外の外傷はないようだったが、彼女の顔には、精神を深く傷つけられた者の憔悴しきった表情が浮かんでいた。
「レクス、わ、わたし、羽、たべられちゃった……妖精の力、ぜんぶなくしちゃった」
「トリリア……」
「どうしよう、わたしこれじゃ、レクスのこと導いてあげられない。勇者を導くのが、わたしの使命なのに。ごめんね、レクス、わたし、わたし」
焦点の合わない瞳で、ぼろぼろと涙をこぼしながら、トリリアはごめんね、ごめんねと謝罪を繰り返す。レクスは胸を締め付けられるような思いで、震える小さな身体を、そっと抱き上げた。
「……そんなこと、気にしなくていい。謝らなくていいんだよ、トリリア。君がそばにいてくれるなら、僕はそれでいい。……僕の方こそ、遅くなってごめん」
手に乗せたトリリアを、そっと頬に寄せて、レクスは彼女の存在を確かめた。トリリアも手を広げてレクスの頬を抱きしめる。二人で、声を上げて泣いた。肩を震わせながら――
――泣いている最中でも、身体は迅速に動いた。
背後からの殺気に、レクスはトリリアを抱えたまま、手術台を乗り越えるようにして宙を舞う。台の反対側に降り立つと同時、振り向きながら剣を構える。
「……当たらないものですね。やはり、剣は性に合いません」
ブラックオニキスが、細身の剣を右手に提げて、ついさっきまでレクスがいた場所に立っていた。肩の火傷はもう癒えている。魔法で治したのだろう。
レクスは涙を片方づつぬぐいながら、トリリアを、いつものように後ろ頭にとまらせる。
「そこにいてくれ」
「レクス、でもわたし、もう聖剣が出せないよ。それに、いつもみたいに運命の流れが見えない。きっと、なんの役にも立たないよ」
「言ったろ。君がそばにいてくれるなら、それでいいって」
不安そうな声で言う彼女に、レクスは笑いかける。
「そこにいてくれ、トリリア。それだけで、僕が戦うには充分すぎる」
剣を握り直し、オニキスを見据えた。
「はてさて、どうやってこの場所をつきとめたのやら。是非とも聞きたいものですが……素直に答えていただけそうにはありませんね」
と、石仮面の怪人は肩をすくめる。
「しかし、その思い上がりはそろそろ、正して差し上げるべきでしょう――『イート』!」
背後の暗闇に向かって呼びかけるオニキス。先ほどの黒髪の妖精――イートが、呼びかけに応えて、オニキスの前に現れる。
オニキスは手袋を外し、素手の指先をイートに見せた。イートは犬猫のように鼻を鳴らして指のにおいを嗅ぐと、小さな口を開き、指先の肉を食いちぎる。オニキスの指先から、赤い血がぽたぽたと垂れた。
「クックッ――『妖精騎乗』、と言うのでしたか? 妖精との契約を通じて、精霊の力を我がものとする術。私にも、同じことくらいはできるのですよ……」
妖精との契約。イートから放たれる漆黒の魔力がブラックオニキスの身体に流れ込み、彼の掲げる銀の剣が、生き物のように脈打つ。鍔の真ん中にはめ込まれた赤い宝石が、怪しく輝きを増す。
「ハハハ、どうです! 妖精の魔力を宿した我が魔剣は! さあ、検証の開始です――力を失った妖精しか持たない勇者と、今の私、果たしてどちらが強いのか! 確かめてみようではありませんか!」
「何もわかってないんだな、お前」
もはや憐れみすら覚えて、レクスはつぶやいた。
「ゲロ吐かされるだけで済んでるうちに、降伏しとけばよかったんだよ。二度もトリリアに手を出しやがって。ああ、僕が馬鹿だったさ」
剣を突き付け、告げる。静かに、冷たく。
「――お前は殺しておくべきだった。見逃してやったのは、間違いだったな」
「それが、思い上がりだというのです!」
叫びながら、オニキスが宙を舞った。銀剣が閃く。
真上から振り下ろされるその一撃を、レクスは剣で受けた――が、その一撃の重さにたたらを踏む。思った以上に鋭い斬撃だ。
オニキスは続けざまに剣戟を繰り出す。速さも力強さも、レクスのそれを凌駕していた。筋力と反射神経を魔力で強化しているらしい。
「ククッ! 先ほどの威勢はどうしたのです! さあ、受けるばかりでなく反撃しては如何ですか!? さあ、さあさあさあっ!!」
嵐のような猛攻に、レクスは後じさりした。少しづつ壁に追い詰められていく。
「レクス! ど、どうしよう、どうしようっ……!」
トリリアの焦りに満ちたつぶやきが聞こえる。レクスはタイミングを合わせてオニキスの剣を弾き、その場を逃れた。逸れた斬撃が、レクスの背後にあった薬品棚を切り裂く。――瞬間、木製の棚が、凍りつくように白く変化する。氷? 否、あれは――
「『石化斬撃』。惜しいですねぇ。剣先がほんの少し、かするだけで良いのですが」
クックッ、と笑いながら、オニキス。魔剣で斬りつけられた木製の薬品棚は、形をそのままに、大理石のような白い鉱物に変化していた。
「かつて異世界に召還された勇者。肉体的にはただの人間だとしても、実に興味深い……あなたは殺さず、標本にして差し上げましょう」
「うっわマジで心底嫌」
つぶやきながら、レクスは剣を構える。
(まあでも、そろそろ見えてきた――かな)
オニキスが再度、斬りかかってくる――速度は確かに大したものだが、さすがにこう何度も斬り結んでいると、型が見えてくる。相手の動きを読み、先回りして攻撃を潰す。
「くっ!?」
オニキスがうめきを上げ、一歩後退した。筋力では魔法で増強したオニキスのほうが上だが、攻撃の出がかりを潰されれば力を発揮することはできない。レクスの振るう剣が、オニキスの魔剣を右へ左へ受け流し、弾く。
攻撃を捌きながら、レクスが気にしていたのは『イート』だった。波状攻撃を警戒していたが、黒髪の妖精は契約者の危機にも動く様子はない。部屋の隅、空間の一点に縫いつけられたようにぴたりと浮き、虚無の瞳でじっとこちらを見つめている。何かを待っているようだ、とレクスは不気味に思った。ハイエナ、あるいはハゲタカ。瀕死の獲物が力尽きるのをじっと待つ、腐肉漁りの獣。そんな雰囲気だ。
「な、なぜだ、私の方が強いはず――」
追い詰められ、薬品棚に背中を打ちつけながら、オニキスが驚愕を叫ぶ。レクスは仕上げとばかりに大きく魔剣を弾き、オニキスのガラ空きの胸に、剣を突き立てた。
「……なっ!?」
だが、次の瞬間、今度はレクスのほうが驚きに声を上げる。右胸を深々と貫かれたオニキスが、その刃を左手でしっかりと掴んでいた。
「強化されたこの肉体を、ただの剣で殺めようなどとは――なめられたものですね!」
オニキスが叫ぶ。その力は凄まじく、剣がピクリとも動かない。彼は剣を掴み、レクスの動きを封じると、仮面の内側で口早に何かをつぶやき――
「レクス逃げて! 魔法を使おうとしてる!!」
トリリアの叫びで、レクスはハッと我に返った。一瞬の判断で剣を捨て、オニキスから距離を取る。
「『蛇姫の嘆きよ!』」
オニキスが唱えると同時、彼の周囲を、緑色の霧がドーム状に包む。霧が晴れると、オニキスの背後の薬品棚が、魔剣で切りつけられた時と同じように石化しているのが見えた。
胸に刺さった剣をオニキスが片手で引き抜く。傷口は見る間に塞がった。
剣に変化は見られない。鉄製のものは石に変化させられないようだ。
「……『有機物を鉱物に変える魔法』。さっき使おうとしてたのは、これか」
大通りでの攻防を思い出しながらレクスがつぶやくと、オニキスがレクスの剣を投げ捨てながら「御明察」と肩をすくめる。
「こちらが私の本来の魔法です。宝石化ほど複雑ではありませんが、即効性が高く、戦闘にも使用できる。もっとも、これほどの効果を発揮するまでに引き上げることができたのは、ひとえに我が盟友の力ですが、ね」
「盟友ね。妖精のほうは、そう思ってないだろうがな」
レクスが吐き捨てると、オニキスは、失笑した。
(ん……?)
レクスは何となく違和感を覚える。オニキスが今、こちらの言葉が的外れであることを嘲笑ったように思えたのだ。
(盟友、ってのは、妖精のことじゃないのか? やはり、他の協力者がいる――?)
「おしゃべりはここまでです。そろそろ終わらせましょうか、勇者よ」
オニキスがゆっくりと歩み寄る。レクスは、小声でトリリアに話しかけた。
「トリリア。さっきみたいに、あいつの魔法が発動するタイミング、教えてくれるか」
「う、うん。それくらいなら、今のわたしでも感知できる……とおもう」
緊張した様子のトリリアの声が返ってくる。
オニキスが動いた。魔剣の乱舞を、レクスはすべてかわしながら、投げ捨てられた自分の剣の元へ向かう。
転がるようにしながらただの剣を拾い上げたレクスを、オニキスは馬鹿にした様子で見下ろしていた。剣を手にした所で、ただの鋼の剣では今のオニキスに致命傷を与えることはできない。トリリアにも今や妖精の力はなく、レクスにはもう、なす術がない――
(……と、思ってやがんだろ)
全身から余裕をにじませるオニキスに、レクスは今度はこちらから、剣で討ちかかった。オニキスがそれを魔剣で受けながら、再び呪文を詠唱しはじめる。
「くるよ!」
トリリアの警句に、レクスはバッと飛び退く。オニキスの魔法の霧が、先ほどと同じように彼の周囲を覆った。その隙に、レクスはポケットに隠しておいた『それ』をそっと放つ。
「クックッ……」
オニキスが忍び笑いをしながら、自ら生み出した魔法の霧をかき分けて、歩み出てくる。
「いつまで逃げ隠れするつもりです? そんなことでは私は倒せませんよ――」
そう語るオニキスの胸元に、緑の光を内包する『魔法のシャボン玉』がふわりと触れた――瞬間、設定条件を満たし、シャボン玉がぱちんと弾ける。
「――――ぐ、がぁっ!?」
とたん、胸を押さえてオニキスが苦しみ出す。シャボン玉を放した姿勢のまま、レクスはつぶやいた。
「どうやってここをつきとめたのか、聞きたいんだったよな。教えてやる。その魔法を追って来たのさ」
オニキスの胸元を指さしながら、レクスは告げた。オニキスは、あわてた様子で自らの胸元をはだける――シャボン玉の弾けたあたりの胸元が、きらきらと輝くエメラルドに変化していた。変化は留まらない――宝石化の魔法が、オニキスの全身に広がっていく。
「こ、これは私の魔法――そんな、まさか――『呪い返し』だとぉ!? ば、馬鹿なっ――」
信じられない、という風にオニキスは首を振る。レクスはにやりと笑った。
「解かれた呪いは、持ち主の元に還る。我らが東堂支部長謹製の『呪い返し』入りシャボン玉さ。お前の大好きな自分の魔法だ、遠慮せずたっぷりと味わえよ」
オニキスが魔法を使った瞬間、つまりオニキスを守る魔力が最も少なくなった瞬間を狙い、隠し持っていたシャボン玉を放したのである。初めから狙ってはいたが、トリリアのおかげで容易に事が運んだ。
「こ、こんな、こんな馬鹿なことがっ! 私の至高の魔法が! そんなに簡単に、解呪されるはずがない――ぐ、があああっ!?」
胸元を押さえて、オニキスが絶叫する。宝石化に伴う苦痛は、どうやら相当のものであるようだった。まったく同情する気にはならなかったが。
「な、なぜ……なぜです、妖精の勇者よ!」
自らの呪いに、徐々に体をむしばまれながら、オニキスがレクスに向けて声を上げる。
「なぜ、わからないのです! 私のしていることが、どれだけ重要なことか! いったい、どれほどの救いをこの世界にもたらすのか! 妖精の力を知っているはずのあなたが、なぜわからない! 妖精を――」
と、レクスの後ろ頭に隠れるトリリアを指さしながら。
「妖精の力を! その力を有効に使えば、すべての魔法使いはさらなる高みへと昇っていける! この世界の真実を、真理を知りたいとは思わないのですか!」
「世界の真理なら、間にあってる」
かぶりを振って、レクスは告げた。
「トリリアを傷つけた奴は、僕がぶん殴る。それが真理ってやつだ。胸に刻んで死ね」
「ぐ、あ、がっ……し、真理が……私の『妖精商会』が……こんなところで、終わっ」
そんな言葉を最後に、オニキスの全身は、緑のエメラルド塊と化した。イートはオニキスを助けようともせず、レクスが気付いた時には姿を消していた。
「なかなか帰ってこないと思ったら……何してるのよ、剱野」
騒ぎを聞きつけてか、杏華がひょこりと部屋に入ってくる。アムニアとシルシファも一緒だ。杏華は全身エメラルドと化したオニキスを見つけると、びっくりしたようにレクスを振り向いた。
「……これって。まさか、倒したの? 一人で?」
「一人でっていうかまあ、支部長の『呪い返し』が上手くはまったんだけどな」
エメラルド像をこんこんと叩きながら、レクスは杏華に答える。
「トリリア、無事だったか!」
「アムニア!」
アムニアが、レクスの後ろ頭のトリリアの元に飛んでくる。アムニアはトリリアの姿を一目見るなり、羽の惨状に気付いて青ざめた。彼女はトリリアを強く抱きしめ、声を震わせる。
「ああ、トリリア……お前の羽を奪ったやつらを、わたしの炎で、魂ごと灰にしてやるっ……」
「アムニア、だいじょうぶ。わ、わたしは、だいじょうぶだから。こんなの、ぜんぜんっ、」
強がりながら、トリリアの言葉に涙声が混じる。しゃくりあげながら、トリリアはぎゅっと親友を抱き返す。
「わたし、……わたしの、はねっ……ひっ、ぅ、うあああぁっ……あむにあ、あむにあぁ……」
「……うん。我慢しなくていい、今は泣け。わたしがいる。お前の勇者様もそこにいる。安心して泣け」
「いたかったよ、つらいよ、こわいよ……羽がないと、何もわかんない。運命の流れが見えない。何が正しいか、ぜんぜんわからないの。こわい、こわいよ……」
アムニアの腕の中で泣き続けるトリリアの声に、胸を刃物で裂かれるような思いを抱きつつ、レクスは何も言葉をかけられずにいた。妖精にとって羽がどれほどのものなのか、妖精ではない彼には、本当の意味での理解はできない。彼女の喪失感を分かち合えないのが、この上なく、歯がゆかった。
「……勇者さまぁ」
シルシファが、レクスの耳元で、優しい声でささやく。
「宝石になっていた妖精たち、わたくしとアムニアで、半数以上を解呪しましたぁ。今はその子たちに、他の子の解呪を手伝ってもらっていますぅ。みんなを助けられるのは、勇者さまのおかげですぅ」
「……元勇者だ。それに、僕のおかげじゃない」
口から出てきたのは、謙遜ではなかった。首元まで地に沈み込むような自己嫌悪と無力感を抱えて、レクスはうめく。
「君たちの力だ。トリリアや、アムニアや、君がいなかったら、僕らはここにたどり着けなかった」
「でもぉ……」
「それに、僕だけだったら、あんな風にトリリアを抱きしめてあげることすらできなかったんだ。……僕には、何もできないよ」
抱き合って泣くアムニアとトリリアを見ながら、レクスは噛み締めるように言った。
「……あなたがそうおっしゃるのでしたらぁ。今は、そういうことにしておきますぅ」
シルシファの声は、あくまで優しかった。
「はい、そういうわけで。ええ、剱野が上手くやりました。見事に宝石化してます。残党は雑魚オラッカのみ、捕えられていた妖精たちもまもなく解呪完了します」
携帯端末を片手に、杏華が東堂と連絡を取っている。
「では、妖精たちを連れて帰還しますので。……え、オニキスですか? ……本気? たぶん滅茶苦茶重いですよ、これ。適当に分割しちゃ駄目? ……はい。そのまま持ち帰ります。めんどくさ……いえ、なにも。はい、では後ほど」
電話を切り、杏華が息を吐く。
「ブラックオニキス――もうグリーンオニキスでいっか――そのまま持ち帰れってさ。分割も駄目だって。本部で尋問したいから、復元可能状態じゃないと困るって」
うんざりした顔の杏華に、レクスはエメラルド像を剣先でコンコンと突きながら言った。
「生きてればいいってことだろ? この部分とか、別にいらなくないか?」
「あー、そうね。ちょっとは軽くなるわね。あとこことか」
「ここもな。運んでる途中に、うっかりぶつけて折れたってのはどうだ」
「不可抗力ね。それでいきましょう」
「わぁあぁ、勇者さま方の会話が超ブラックですぅ。人間さんってこわぁいぃぃ」
シルシファがふよふよ漂いながら、間延びした悲鳴を上げる。
「だめだよ、レクス、そんなことしちゃ」
アムニアに抱えられて浮きながら、トリリアが言ってくる。涙の跡は残っていたが、声はもういつも通りの彼女だった。思い切り泣いたことで、精神的にはだいぶ持ち直したらしい。
「ほらぁ、トリリアもこう言ってますよぉ」
我が意を得たりとばかりにシルシファが言う。トリリアは指を一本立てて、レクスを諭すように言葉を続けた。
「いつも言ってるじゃない、半端な傷なら負わせない方がいいって。遺恨は残しちゃだめ、やるならスパッと元から断たないと」
「そうだったな、ごめんトリリア。落とすなら首だよな」
「こわぁいいぃ! この空間、こわい人しかいなぁいですぅぅぅ!」
トリリアとレクスの会話に、シルシファが耳をふさいでイヤイヤをしながら飛びまわる。
その時、地鳴りがした。地の底で蠢く何かに、工場全体が揺さぶられている。
唐突に、実験室の床が裂け――緑がかった水で出来たような触手が数本、大蛇の様にうねりながら飛び出してくる。
瞬間、レクスは状況を判断する前に、トリリアに向かって手を伸ばしていた。トリリアも同じように手を伸ばし、レクスの右手に捕まる。
「な、何これっ!? 気持ち悪っ!」
杏華が怯えたように叫んだ。触手は、エメラルド化したオニキスに巻き付き、一瞬で地の底に引き込む。新たな触手が穴から姿を見せ、こちらに狙いを定めた。
「逃げるぞ!」
トリリアを胸に抱きながら、その場の全員にレクスは告げた。杏華がシルシファに手を差しのべながら、アムニアに呼びかけ、アムニアが素早く彼女の頭に乗る。杏華たちが部屋を出る間、レクスは触手を見ていた。水で出来た触手のうちの一本が、先端を鋭く尖らせている。
触手が、瞬時に身を細らせ、圧縮した体積で槍のように突いてくる――レクスはとっさに剣先で触手の先端を逸らした。触手は部屋の壁に直撃、火薬が爆ぜるような音とともに壁を砕く。
杏華たちが部屋を出たのを確認し、レクスは廊下に躍り出た。そのまま全速力で廊下を駆け抜ける。だが、触手の群れが扉を破壊し廊下へ溢れ出た。轟音が響き、石造りの廊下が触手によって破壊されていく。
平衡感覚が失われる。次の瞬間。レクスとトリリアは、地の底へと落ちていった。




