3 扉の向こうに道はなく
キョウカ――夏原杏華。それこそ、レクスでも名前くらいは知っていた。同学年でクラス違いの有名人。というより、あの美貌でおまけに金髪碧眼とくれば、有名にならない方が難しいだろう。
(って言っても、評判くらいで、実際にまじまじと顔を見たことはなかったな)
だから昨日、出会った時点では気付かなかったのだが。
あの後、杏華はアムニアと共に、弱っていた妖精を連れて去っていった。
「この子は私たちが預かるから。……明日、いろいろ話を聞かせてもらうわ。『フェアリオン』の本部でね」
そう言い残して。フェアリオンというのが何なのか杏華は詳しく説明しなかったが、どうやら彼女たちはあちらの世界からやってきた妖精を、魔物から保護している立場らしかった。
「ふぇありおん? はよくわかんないけど、アムニアがついてるなら大丈夫だよ」とは、トリリアの談だったが。
「アムニアは、嫌いな相手には絶対なつかないから。信用できると思う」
「ふーん」
布製のペンケースの中からこっそり顔を出して言ってくるトリリアに、レクスは小声で相槌を打った。
現在は数学の授業中である。レクスはトリリアをこっそり予備の筆箱に入れ、学校に連れて来ていた。妖精が魔物に狙われているなら、家に一人で置いておくのはいささか不安だったからだ。
トリリアはケースから顔だけ出して、授業の様子を物珍しそうにきょろきょろと見ている。誰にも見えないはずの妖精だが、昨日の事があるためレクスは気が気ではなかった。とはいえ、ずっとカバンの中にいろというのも酷な話ではあるが。
結局、放課後まで誰にも気付かれることはなく、レクスは安堵のため息をついた。と、思ったのだが。
「……ねえ、なんで今日はずっと筆箱に話しかけてたの?」
「い、井多良?」
安心していたところに声をかけられ、レクスは飛び上がった。同級生の井多良が訝しげに、こちらの手元を覗き込んでいる。
「授業中も、なんだかずーっとにやにやしちゃって。変なの。何、筆箱と付き合ってるの?」
「べ、別に、なんでもないよ」
「ふぅん?」
こちらを見上げながら、井多良の手がすっと筆箱までのびる。レクスはそっと彼女の手から筆箱を遠ざけ、カバンにしまおうとした。が、井多良の手がこちらの腕ごとそれを止める。
「な・ん・で・避けるの?」
「いや、その……」
困惑してレクスはうめく。もし万が一、井多良にも妖精の姿が見えるならまずい。いや、今も空気を読んでじっとしているトリリアなら、見つかっても人形のふりでやり過ごしてくれるかもしれないが。それはそれで、「授業中に女の子のフィギュアを持ち込んで愛でていた男」という評判がつくことになる。
「あー、えーとだな……」
レクスが言い訳をしようとした。その時。
教室の扉が勢いよく開く。まだ教室内に残っていた同級生が、一斉にざわめいた。
「剱野、いる? このクラスだって聞いたけど」
(夏原!?)
教室入り口に立つ金髪碧眼の少女に、レクスはぎょっとした。昨日遭遇したばかりの、『フェアリオン』の少女。当たり前だが今は制服を着て、なぜかやたら偉そうな態度で、教室内を見回している。と、レクスと目が合った。
「あ、いた。剱野、さっさと来なさい。直行するわよ」
「……もうちょっと、目立たないようにできないかな……」
「何が?」
「………いや、何でもない」
注目を集めていることがまるでわかっていない様子できょとんとする杏華に、レクスは説明する気も失せて肩を落とす。
「? 何か知らないけど、早く来なさいよ。門のところで待ってるからね」
要件だけを言って、杏華は教室を出ていった。取り残されたレクスに、教室中の視線が集まる。
「つ、剱野くん、夏原さんと知り合いなの……?」
「あー。えーと。まあ、ちょっと」
井多良に問われ、曖昧な返事をしながらレクスは手早く荷物をまとめた(一応筆箱がつぶれないよう気をつけたつもりだが、カバンを閉める際に「にゃー……」という不満げな声が聞こえてきた)。
「じゃあ僕、帰るから」
「えっ、ちょっと待って! 詳しく聞かせてよ剱野くん! 夏原さんとどういう関係なの!? ねえってば!?」
呼びとめようとする井多良に気付かないふりをして、レクスは教室を飛び出した。
レクスの住む歌潟市には、大きく分けて四つのエリアがある。住宅地エリア、繁華街エリア、工場エリア、緑地帯エリア。学校等の施設や駅などのインフラはおおむね住宅地と繁華街の間に集中している。そんな繁華街の、駅からも学校からもほど近い一角に、そのビルはあった。
「ここよ」
雑居ビル二階の扉の前で杏華は立ち止まり、扉を開けるようレクスに促した。扉には、金文字でこう記されている――『◇Door』。
(いや、見ればわかるって)
内心で突っ込みを入れながら、レクスは扉を開けた。
扉の内部は、いかにもこうしたビルに構えられた事務所といった風景だった。入ってすぐの場所に大きな応接机、向かい合うように置かれた二組のソファがあり、正面の奥には仕事机が置かれている。部屋の向かって左側がスクリーンで仕切られているが、ビルの外観からしてそこまで広いスペースはないだろうと思われた。
そして、正面の仕事机には、この部屋の主らしき人物が掛けていた――三十代ほどの、痩せ気味な丸眼鏡の男。机に両肘をついたその男は、温和そうな笑みを浮かべ、レクスに話しかけてきた。
「やあ、君が剱野くんか。夏原くんから聞いているよ。私はこの事務所の代表を務めさせてもらっている、東堂だ」
東堂と名乗ったその男は、レクスと目を合わせると、意味深な笑みを浮かべた。
「ふふ、そうか。どうやら……君が我々にとっての鍵となるようだね。これもまた運命、か」
「帰ります」
「へ?」
あっけにとられる東堂を尻目に、レクスは踵を返した。扉から出ようとして、後から入ってきた杏華に止められる。
「ちょちょっと、なに帰ろうとしてんのよ。話くらい聞いていきなさいよ」
「え、いや、無理」
「なんで」
疑問符を浮かべる杏華に、レクスは背後の東堂を親指で示して、小声でささやく。
「あいつ、君の上司だろ?」
「……まあ、上司だけど。それがどうかしたの?」
「無理。あの手の男マジで無理、話し方が生理的に無理。一切会話したくない」
「それは……正直、ちょっとだけわからなくもないけど!! 我慢しなさいよ、それくらいは!」
「お~い、君たち~……?」
事務所の入り口に固まったままひそひそと話す二人に、東堂がやや不安そうに声をかけてくるが。レクスは内心舌打ちしたい気分だった。
(生理的嫌悪はこの際、まあ置いとくとしても。ああいう男って、だいたいなんか厄介事の種なんだよな……。ややこしくなりそうだから、あまり関わり合いになりたくないんだが)
七年前、勇者として関わった、精霊大陸のさまざまな人間のことを思い出し、苦い顔になる。ああいう修飾過多なキザ男には、あまりにもいい思い出がない。というか大体は最終的に裏切って敵になる。
とはいえ、今さらになって本当に帰るというわけにもいかないのはわかっていた。咳払いして、レクスは再び東堂と向き合う。
「ええと……失礼しました。剱野レクスと言います。それから、こっちは妖精のトリリア……トリリア?」
カバンの中のペンケースを覗いてみると、トリリアはケースの中でうとうと舟をこいでいた。移動の間に眠くなってしまったらしい。
「トリリア、起きろ。昨日のフェアリオンの人たちと話し合いだ」
「にゃ~……。ねむぃぃ……」
「いちおう最初だけでも起きとけって。話が途中でどぉぉ~~……っっしようもなくつまんなくなってきたら、遠慮なく寝ていいから。僕が許す」
「ぅにぃ~……わかった……」
目をこすりながら、トリリアはふらふらとケースを出て、レクスの目の前に浮かんだ。東堂の方を向いて、くるりと前に一回転する。『転礼』と呼ばれる妖精式の会釈である。
「……おはようごあいまふ。『始泉のトリリア』れふ。ふぁ~……」
「よ、よろしく。剱野くん、トリリアくん」
あくびまじりに挨拶する妖精にやや気圧されたように、東堂が応える。
「まあ、立ち話もなんだからソファに掛けたまえ。夏原くんも入って。……それでは、あらためて自己紹介をしよう。私は東堂幸人。『◇Door』の歌潟支部長であり、夏原くんの上司にあたる」
東堂が自分を示しつつ言う。
杏華はレクスの向かいのソファに腰掛け、足を組みながら自信に満ちた笑みを浮かべた。
「私は夏原杏華。この『◇Door』支部の主戦力にして、炎の魔法使い。そして『フェアリオン』よ」
意味もなく自慢げな彼女に、レクスは半眼を送った。
「『フェアリオン』とやらについては後で聞くけど、お前、人の『勇者』を笑っといて自分は『魔法使い』かよ」
「な、何よっ!? あんたみたいなパンピーにはわかんないでしょうけど、魔法使いっていうのは由緒正しい職業であり、生きざまなんだからね!?『◇Door』だって、その組織の起源は、神話の時代にまで遡るんだから――」
杏華がぎゃあぎゃあと抗議してくるが、レクスはそれより、彼女の発言の中で別の所が気にかかった。先ほどから何度か出た単語だが。
「ん? ドアーって……ああ、入口のアレ、組織名なんですか」
扉に書かれていたのは、『◇Door』という組織名だったらしい。確認すると、東堂はうなずいた。
「そう。『◇Door』……それは、神秘の扉を守る者たち。悠久より世界に息づく『魔』を時に討ち、時に保護するのが我らの使命。真実の求道者――『魔法使い』たる我らが求める『扉』。その最果てを見るために――」
「そういう話し方しかできないんですか?」
「えっ?」
語りに水をさされ、東堂はきょとんとしたようだった。レクスはじっと、彼の瞳を見つめて、繰り返す。
「そういう、話し方しか、できないんですか?」
「き、聞き間違いじゃなかった、だと……? え、ええと……何か気に障ったかな、剱野くん」
「はい。説明するなら、そんなもってまわった言い方じゃなくて、もっと簡単に言って下さい」
「う、ううむ」
東堂はあごに手を当てて考え込み、それから言い直した。
「えーつまり、我々は、『◇Door』という名前の、魔法使いの互助組織です」
「だいたいわかりました」
「そんな説明でいいの!? てか、あんたもそんな素直に言い直すの!? 支部長がそんなことでいいわけ!?」
杏華が東堂に向けて叫ぶが(彼女の言い草もたいがいだと思うが)、ともかくレクスは無視して話を続けた。
「魔法使いって、こっちの世界にもそういうのあったんですね。知りませんでした」
「そうだろうね。基本的に、私たちは魔法の力を隠して生きている。大気と共にこの世界を満たす『魔力』――その力を操作し、物理に反した現象を引き起こすことのできる人間、それが魔法使いだ。もっとも、これまでの私たちの力など、大したものではなかった。たとえば魔法で火を起こすより、ライターを使った方が安全で効率がいい。大半の魔法使いが持っているのは、せいぜいそんな次元の力だったのさ。だが……」
東堂はそこでトリリアを見た。
「一部の魔法使いが、それを変えてしまった。『妖精商会』と名乗る者たちさ」
「『妖精商会』……」
レクスは砂を噛まされたような心地で、その組織名を繰り返す。昨日、杏華の口からも聞かされた組織名。その熟語の意味するところはあまりにも明白だった。
東堂はうなずいて続ける。
「その名の通り、彼らは異世界の妖精を捕え、商品として扱っている。この街のどこかにある拠点から、世界中の魔法使いの元に流通させているんだ。大量の魔力を生み出すための道具としてね」
「……じゃあ、わたしと一緒に捕まった子たちも、みんなもう売られちゃったの……?」
不安そうに聞くトリリア。東堂は首を横に振った。
「全員ではないだろう。まだ彼らの技術は発展途上で、商品とした妖精に逃げられることも多い。我々は彼女たちを数人保護し、話を聞いたが、相当数の妖精がまだ捕えられているようだ」
「……絶対、許せない」
杏華がぽつりとつぶやく。レクスはうなずいた。東堂も、目を閉じて静かに首肯する。
「心情的に許せないのは無論のこと、彼らの行いは、とてつもなく危険な行為でもある。妖精は精霊の実子だからね。妖精をかどわかすような真似をすれば、最悪、この世界の法則を司る精霊すべてを呼び覚まし、敵に回しかねない。魔法使いと人間、その全体の利益を追求する我々『◇Door』としても、見逃すわけにはいかないというわけだ」
だが、と東堂は目を開いた。
「妖精によって大量の魔力を得た魔法使いの蛮行を止めるのは、組織力をもってしても非常に困難だ。ゆえに、我々もまた、妖精の力をもって対抗することにした。ただし、彼らのように搾取するのではなく――妖精と対話し、その力を借りるという形でだ。それが『フェアリオン』さ」
「そこからは、わたしが説明する……」
どこか寝ぼけたような、少女の声が響く。杏華のカバンから、赤髪の妖精――アムニアがひゅいっと飛び出してきた。瞬間、部屋の温度が2℃は上昇したように感じる――彼女の周囲には、火口から山肌へと吹き降ろすかのような熱い風が常に渦を巻いていた。彼女はそのルビーのような瞳を半分だけ覗かせながら、レクスに向けてくるりと転礼し、自己紹介をする。
「あらためて名乗ろう。わたしは『灼脈のアムニア』。精霊大陸における火の精霊・マデルに仕えている妖精だ。こちらの世界には、妖精失踪の異変を解決するためにやって来た」
寝ぼけたような表情と口調だが、どうやらこれが彼女の素らしい。アムニアの衣装は振袖に見えたが、改めてみると袖口の広さからそう見えただけでさほど似ていない。夕焼けのような橙色と、広い袖があること以外は、トリリアの妖精服とよく似ていた。赤い瞳が、レクスを映して輝いている。
「お前のことは、精霊大陸にいたころに、トリリアから聞いてよく知っている。十一代目勇者『剱野レクス』。こうしてお会いできて光栄だ」
「あ、ああ。元だけどな」
レクスの答えに、横からトリリアが「もーとーじゃーなーいーでーしょー!」と不満を述べる。
「あれ、でも、火の精霊のとこのアムニアって、そういえば前に会ったよな? 違う妖精だけど」
頬をつねってくるトリリアをいなしながら問いかけると、逆さまになったトリリアが(つねる手と一緒に回転してたらしい)「にゃ?」と首をかしげる。
「違うけど、アムニアはアムニアだよ?」
「?」
「火の精霊に仕える妖精たちのまとめ役を『アムニア』って呼ぶんだけど、その役割は一年周期で交代するの。年に一度のお祭りの時に、名無しの妖精がアムニアになって、一年たったら名無しに戻るんだよ」
「ああ、そっか、『トリリア』と同じで代替わりするのか。じゃあ、今のアムニアが君なんだな」
「そういうことだ。よろしく頼む、勇者の大将」
「元だって……いやまて、大将はどっから来た。人を小料理屋の主人みたいに呼ぶな」
「はっはっは。細かいことは気にするな、勇者の大将」
アムニアは表情を変えずに笑い声を上げると、しれっと話を戻した。
「さきほど言った通り、わたしはマデルに命じられ、妖精の失踪事件を解決するためにこの世界に来た。聖域に開いた例の『穴』を通ってな。もっとも、わたしが出た場所は聖域の妖精たちが囚われている施設ではなく、この街のとある広場だった。まあ、次元移動にそれくらいの誤差はつきものだが」
火の妖精はそこで、つと目付きを鋭くした。
「当初は、偶発的に開いた次元の穴による、事故だと思っていたのだが。まさか、妖精をさらって利用しようなどという阿呆がいるとはな」
「でも、アムニア。そもそも、わたしたちの存在を感知できるのって、限られた人間だけじゃなかった?」
「それがだな」
トリリアの疑問に、アムニアが指を一本立てて答える。
「こっちの世界の人間には、妖精の見える人間がかなりの割合でいるようなんだ。どうもこっちでは、そんなに珍しい才能ではないらしい」
「へー、そうなんだ。――ど、どうしたのレクス!? 急に崩れ落ちるみたいにうつむいて! おなか痛いの!?」
「い、いや、なんでもない」
がっくりとうなだれながら、レクスはかろうじて返事をした。『勇者の資格』が、こちらの世界ではさほど特別なものではなかったという七年越しの真実に、自分でも予想外なほど凹む。
「は、話を続けよう。それで、なんだって?」
「うむ――顔色が悪いぞ、大丈夫か大将?――話の続きだが、トリリア。お前、『イート』について聞いたことはあるか?」
「うにゃ? 何それ」
トリリアが首をかしげる。
「うむ。わたしが、調査中に得た情報の中にな。黒い髪に闇の瞳を持つ妖精の話が、多く混じっていたんだ。なんでも、黒髪の妖精が他の妖精の住処に現れると、妖精の数が減っている、とか。黒髪の妖精が、魔物の屍骸を喰っているのを見た、とかな」
「えー、何それ……そんな妖精、聞いたことないよ? どこの精霊に属してるの?」
「それがわからん。属する精霊も、生まれ故郷も一切不明――わかっているのは、『共食い(イート)』という通り名だけ。誰かが名付けたのか、自ら名乗ったのか、それすらも不明だが」
「『共食い』……」
ぞっとした様子で、トリリアがつぶやく。アムニアも無表情ながら同意するように羽を震わせた。
「名は存在の在り方を示す。妖精にとっては特に、名付けの意味は大きい……奴と遭った妖精がどうなったのか、想像はつくが考えたくはないな。そして、ここからが重要なんだが。我々妖精からしても脅威の存在である、その『イート』が――聖域に穴が開いた時にも、目撃されてるんだ」
「……それって、まさかその子が、聖域に穴を開けたってこと……?」
「はっきりとはわからん。だが、こちらの世界の人間が、容易に妖精と繋がれるということ。謎の妖精が、魔物や同族を食べてまで、己の魔力を増していたこと。この二つを繋げると、その可能性は低くないように見える。何者かが黒髪の妖精と、偶然にか狙ってかコンタクトを取り、操って次元の穴を開けさせた……とな」
そこでアムニアはいったん言葉を切り、今度はレクスに向かって再度口を開いた。
「もし敵が、妖精を使役する人間であるなら、わたし一人では対処しきれん。だから、フェアリオンという方法を取る必要があった」
「なるほど。あらましは了解した」
レクスはうなずいてみせた。
「フェアリオンってのはつまり、妖精の魔力を借りて戦う人間のことなんだな?」
「ああ。勇者がそうであるように、妖精と契約した人間は、自然精霊から力を借り受けることができるからな」
アムニアが首肯した。東堂が彼女のあとを継いで、片目をつむって言う。
「契約の魔法は、アムニアくんと私の共同で構築した。妖精と共に戦う、妖精の騎士。それがフェアリオンさ」
レクスは、ふと気になって彼に聞いてみた。
「フェアリオンは、今、何人くらい居るんですか?」
「うむ、当事務所には、夏原くんを含めて十二名の所員がいる。全員が魔法使いであり、その内の四名が、妖精と契約したフェアリオンだ」
「……ここには、夏原以外いないみたいなんですけど。他の方々はどこにいるんですか?」
「う、うむ……先日の『妖精商会』構成員との大規模な抗争で、十一名が重傷を負い戦闘不能……現在、戦力となるのは夏原くん一名だ」
「なるほど」
レクスはうなずいた。この歌潟支部とやらが、どういう状況に置かれているのかは、だいたいわかった。トリリアを抱え、ソファから立ち上がる。
「がんばってください。では。帰ります」
「待ってえええ!!」
すたすたと扉へ歩いていくレクスに、東堂が駆け寄って来てすがる。それまでの余裕をかなぐり捨て、レクスの足に掴まって引きとめながら、東堂が叫ぶ。
「帰らんといて! 人員がいないんだってば! 君がフェアリオンになってくれないと困るんだ、わかるだろ!?」
「わかるから帰るんだよ! 離せ!! 沈みかけた船になんざ誰が乗るか!」
東堂に叫び返す。東堂はそれまでの気取った風なキャラもどこへやら、泣きながら訴えかけてきた。
「お給金もちゃんと出すから! あと数日で本部からも増援が来るから! 口調もなるべく直すからああぁ!」
「あと数日なら別にいいだろが!」
「この街を守るためにも、君みたいな妖精に好かれてる人材が必要なんだ! それに先の戦闘で、敵にも相当の打撃を与えたはずなんだよ! あとは本拠地をつきとめて残党を倒して、妖精たちを救い出すだけなんだ!」
「それのどこが『だけ』だっ! どーせ残党っつったって、一番強いのが残ってるパターンだろ!? 七年前に嫌ほど経験したわ!」
勇者だった頃に舐めさせられた苦渋を思い返しながら、レクスはわめく。だが。
「レクス」
胸に抱えたトリリアのあげる静かな声に、レクスはぴたりと口をつぐむ。それはほとんど条件反射のようなものだった。彼女がこういう声を出す時、その指示は常に的確で間違えない。いかなる時も最優先で聞くに値する。
「レクス……わたし、『フェアリオン』やりたい。レクスと、一緒に」
「………」
レクスは静かに、トリリアを見つめ、それから周囲を見た。涙すら浮かべながらレクスの足にしがみついている東堂、状況を面白がるように瞳を光らせているアムニア、東堂の必死な様子にどん引きしている杏華。順々に見回して、トリリアに視線を戻す。上目づかいでおずおずと、彼女が言う。
「だめ?」
「……わかったよ」
レクスはため息をついて、了承する。結局、面倒事からは逃げられない。七年前に、それこそ嫌と言うほど味わったその苦みが、彼の運命だった。