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2 聖なる剣は零れ落ち


「おっ、」

 朝の、

「は、」

 静寂はそんな、

「よ――――――――っ!!」

 彼女の大声で破られた。

「おはよーレクス!! 朝だよあさだよ起きてよ、ねぇねぇねぇってば!!」

「う、うう」

 早朝の、リビング。ソファに腰掛けた姿勢のまま寝てしまっていたレクスの周囲を、妖精の少女が高速で飛びまわり、騒ぎ立てる。まるで滝の間近に立った時のように、湿り気を帯びた涼やかな風が、彼女の周囲では吹いていた。

「やっぱり朝の空気って気持ちいいよねー魔力(マナ)が澄んでるもんね雄鶏は嫌いだけどこの辺だと聞こえないしあれでも精霊の声も聞こえないね? まあいっかそれより朝だよ朝ご飯食べようよなに食べるなに食べるー? わたしはねーやっぱりパンがいいかなこっちのパン食べてみたかったんだよー精霊大陸のよりしっとりしてるってレクス前に言ってたもんねあっそうだパンといえば村のゲーニーおばちゃんがこの間玄関先にパンくずを置いててそれが」

「うるせ――――――――っっっ!!!」

 がしっ。

「に゛ゃ――っ!?」

 レクスは思わず、顔の周りを飛び回るトリリアを片手で掴んでいた。トリリアが顔を赤くして悲鳴を上げる。

「にゃーっ、にゃぁーっ!? い、いきなりなにするのーレクスのえっち! へんたい! はなしてよーっ!」

「やかましい! 朝っぱらから人の耳の横でぴーぴー可愛い声でわめきやがって、そういうことする奴はな、こうだ!」

「にゃああっ!? や、やめてーっ、指でわきをふにふにってするのやめてーー!! にゃはは! くすぐったい! ひさしぶりだから超くすぐったい! にゃはははは! にゃーっにゃーっ! ごめんなさい静かにしますーっ!」

「どーだ参ったか! このっこの、……」

 指先に感じる柔らかさと、熱い体温。レクスはふと我に返った。

 右手にすっぽりとおさまった、小さな少女が、こちらを見上げている。アクアマリンの輝きを持つ瞳に、レクスの姿が映っている。

「……トリリ、ア」

「……レクス。ひさしぶり」

「本当に、君なのか。トリリア」

「本当にわたしだよ、レクス!」

 手からするりと抜け出して、トリリアが、レクスの目の前に浮かぶ。

「もう、大丈夫……なのか、トリリア」

「うん、もうぜんぜんへーきだよ! レクスが助けてくれたんだね。えへへ……ありがと!」

「……はは、あはは」

 ひゅんひゅんと、全快したことをアピールするようにレクスの周りを飛び回ってみせる、トリリア。

 無邪気で、明るく元気な、かつてと何も変わらない彼女。七年間、夢の中で焦がれ続けた光景に、レクスは自然と泣き笑いのような表情を浮かべていた。

「……レクス、泣いてるの?」

 トリリアが心配そうに首をかしげ、その小さな手で、レクスの頬に触れる。レクスは右手でそっと彼女の身体を支え、大丈夫だとうなずいてみせた。

「また会えたな、トリリア」

「うん。また会えた。会いたかった」

「僕もだ。……言ったろ、忘れなかったら会える、って」

「えへへ。うん、覚えてたよ。レクスのこと、ずっと」

 トリリアは照れたように笑って、レクスの頬に、その小さな頭をすりつけた。

「えへへ~……なんか、夢みたい。レクスとまた一緒にいられるの」

「うん」

「すごく大変だったんだよ。向こうからいきなりこっちの世界に来て、それから変な人たちに捕まって……」

 そこで、トリリアはハッとしたように言葉を止めた。

「レクス!!」

「うおっ。なんだよ、急に大声出して」

 真剣なまなざしで、トリリアが言う。

「お願い、レクス……聖域のみんなを、助けて!」


 トリリアの話によれば。

 ある日、妖精たちの暮らす聖域の泉の真ん中に、『扉』が開いたのだという。レクスが召還される時にも開いた、異なる次元を繋ぐ扉。だがレクスの時と違い、その『扉』は運命の精霊が作ったものではなかった。

「『扉』というよりも……あれは『穴』かな。突然、泉の真ん中に『次元の穴』が開いて……わたしと、一緒にいた妖精の子たちが。百人くらい吸い込まれたの」

 妖精たちは元居た場所から異世界、つまりこちらの世界へ、唐突に連れ去られた。そして目覚めると、彼女たちは全員、灰色の石造りの部屋に閉じ込められていたのだという。

「そこにあの、黒い石仮面の男がいたの」

 黒い石仮面の男。男は自らを魔法使いだと名乗り、妖精たちを魔法の網で捕まえ、恐ろしい実験を始めた。妖精の身体を通じ、自然界から魔力を無限に抽出するための実験なのだと、その男は語ったらしい。

「……わたしは、魔法の知識があったから、隙を見て逃げ出せたの。でも、みんなはまだ捕まってる。はやく助けないと……」

 よほどひどい目にあわされたのか、思い出して語るだけでトリリアの身体は震えていた。

「……大変だったな、トリリア。もう大丈夫だからな」

「うん……」

 ぽんぽん、と指先で彼女の頭を撫でつつ、レクスは内心、まだ見ぬその魔法使いへの敵意をたぎらせていた。事情はまだはっきりしないが、とりあえずその石仮面とやらは殺す。

「……しかし、場所がわからないんじゃ、どうしようもないよな」

 ぼやきながら、辺りを見回した。

 場所は、レクスの暮らしている街――歌潟(うたかた)市の駅前。そこそこ大きな駅だが、平日の午前中であるためそこまで人は多くはない。ちなみにレクスは今日、学校を休んだ。街に出てきたのは、トリリアと共に誘拐されたという妖精たち、その居場所の手がかりを探すためである。

「……ほんとにうちの街の近くなのか? その、妖精たちが囚われてる場所って。なんでよりによって僕の住んでる街なんだ。近場過ぎるだろ」

「というより、この街だからだよ。たぶん、レクスが通った次元の穴がまだ完全に塞がってなくて、それを見つけて利用したんだと思う。そうじゃなきゃ、精霊でもないただの魔法使いに、次元の穴なんて開けられるはずがないもの」

 レクスの頭上三十センチほどのところに浮かびながら、トリリアがきょろきょろと辺りをさぐる。だが何も見つからなかったようで、やがてしょぼんと羽を垂れながら降りてきた。

「だめだー。どこに行けばいいのかわかんない。前なら、手がかりなんてなくても、運命の精霊がどっちに行けばいいか教えてくれたのに。こっちに来てから、ぜんぜん精霊の声が聞こえないよー」

「てのはやっぱり、異世界だからか?」

「うん……こっちの世界にも、運命の精霊はいるんだよ。それはわかるの。でも、わたしの呼びかけに応えてくれない。どうしてだかわからないけど」

 弱り果てた様子で、トリリア。レクスはふうむ、と頭を掻きながら、駅前のベンチに腰掛けた。

「トリリア、休憩にしようぜ。朝なにも食べてないだろ。ちょっと遅いけど朝食にしよう」

 道中のパン屋で買ったサンドイッチを袋から取り出す。トリリアが降りてきて、目を輝かせた。

「わ、わ、美味しそう! 食べてもいいの?」

「もちろん。僕の分もあるから遠慮なく」

 トリリアは「トゥーカ♪」と嬉しそうに口ずさんでからパンに手を伸ばしたが、途中でふと気付いたように手を止めた。

「えへ、間違えちゃった。こっちでは、『いただきます』って言うんだよね?」

「ん? ああ、まあそうだけど。別に『トゥーカ』でいいよ」

「ううん、せっかくレクスの故郷に来たんだから、ここの作法で食べたいの。……『いただきます』」

 小さな手を合わせ、トリリアはちょこんとお辞儀をする。レクスは微笑ましく思いつつ、久しく「いただきます」を言っていなかった自分に気づいた。というより、誰かと食事をする機会がほとんどなかったため、知らず知らずのうちに忘れていたようだ。

「………」

「レクス? どうしたの?」

「いや、なんでもない」

 レクスは彼女と共に手を合わせ、「いただきます」と口にした。また彼女と共に食事を出来る喜びをかみしめながら。

『トゥーカ』はトリリアのいた世界――『精霊大陸』における、一般的な食前の作法である。本来は精霊に捧げる感謝の歌であり、正式なものはかなり長い。民間では歌の始まりの一節を唱えることが作法とされているが、それすらも簡略化されることが多く、最も短い形式では歌の題名でもある『トゥーカ(美味しそうな、鮮やかな)』という単語のみで済まされる。

「んー、おいひ~」

 ポテトサラダサンドをかじりながら、トリリアは満足げだ。レクスは自分もレタスハムサンドを食べつつ、横目で食事中のトリリアの様子を見ていた。小さな手でサンドイッチを抱え、小さな口いっぱいにほおばりながら、あきらかに自分よりも大きいサンドイッチを手品のようにぱくぱくと平らげていく。妖精は基本的に健啖家である。

 と、親子連れが、ベンチの前を通っていった。母親と手を繋いだ五歳ほどの男の子がレクスたちの方を物珍しげに見て、指差す。

「ねーママー。おにんぎょうー」

「あら、可愛いわね」

 そんな会話をしながら遠ざかっていく親子連れに、レクスは、ふと顔を上げた。サンドイッチを完食したトリリアが「にゃ?」と疑問符を浮かべる。

「どしたの?」

「……うーん。いや、今なんか違和感が」

 そんなやりとりをしているうちにも、スーツ姿の男が、ぎょっとした顔でこちらを二度見し、足早に歩き去っていく。女子高生二人が遠巻きに「ねー見てあれ」「マジやばくなーい?」と笑いながら、勝手に写真を撮っている(学校はどうしたのだろうか。まったく人のことは言えないが)。

 レクスはふと気付き、トリリアを見た。間近できょとんとこちらを見つめる妖精に向けて、問いかける。

「ひょっとして、トリリアの姿が見えてないか?」

「うにゃー?」

 トリリアは周囲を見回すと、自分に向けられている好奇の視線に気づいたようだった。

「………」

 しばしの無言。増え始めた野次馬を前に、トリリアはすっと立ち上がると、レクスの肩に乗った。周囲にざわめきが起こる。

 トリリアはそのまま、優雅な仕草で一礼した。身を屈めたまま、小声でレクスに向けて「手、挙げて」と言ってくる。言われるままレクスは左手を挙げた。周囲から感嘆の声と、まばらな拍手が起こる。

 すっと身を起こし、肩の上に座りなおして、トリリアがつぶやいた。

「よし。このまま、大道芸でしたみたいな雰囲気で立ち去ろう」

「お、オーケー……」

 ぎこちなく笑みを浮かべてギャラリーに手を振りながら、レクスは急ぎ足でその場を離れた。


「おかしいなー。レクス以外には見えてないはずなのに」

 駅前近くの、ボックス席のある喫茶店にレクスたちは避難していた。机の上で、自分の身体をぺたぺた触りながら疑問顔のトリリアに、レクスは問いかける。

「妖精の姿って、一部の人間にしか見えないはずだよな?」

「そのはずなんだけど……なんでだろ?」

 小首をかしげながら、トリリア。レクスは嘆息した

「さっきは肝が冷えたよ」

「えへへー、でも、注目されて拍手されるのちょっと気持ちよかったよね。……にゃー、やーめーてー、指でぐりぐりしないでー」

 お気楽に笑う妖精の頭を指先でかいぐりながら、レクスは半眼になった。

「ちょっとは危機感を持てよ。これで、飛んで探すってわけにもいかなくなっただろうが」

「にゃ? なんで?」

「さっきみたいな騒ぎになるからだよ! こっちには妖精なんていないんだから、もし存在が知れたら大変なことになるぞ」

「むー。そっかー。どうしよっかなー」

 腕を組んで考え込むトリリア。と、そこに店員が水を持ってきた。

「メニューはそちらになります。お決まりになりましたら――」

 ウェイトレスはそこで、トリリアを見た。足を投げ出して腕を組み、うーんうーんと考え込んでいるトリリアの姿に、彼女は含み笑いをしつつ「お、お決まりになりましたらお呼びください」と足早に退去した。

「……なんか今、人形と一緒に喫茶店にデートしに来た人、みたいな誤解を受けた気がするぞ」

「うにゃ? あ、お水だー」

 ぼやくレクスを気にも留めず、トリリアがお冷の水をこくこくと飲みはじめる。

「ぷはー。おいしー。ねえねえ、ここってお料理屋さんなの?」

「んーと。喫茶店。お酒の出ない酒場みたいなもん」

「『きっさてん』……『喫茶店』。なるほどなるほど」

 レクスの言葉少なな説明を聞いて、トリリアは単語を繰り返し、目を閉じてうなずく。

 未知の単語であっても、彼女たち妖精はその土地土地の精霊から、必要に応じて情報を得ることができる。もっとも普通の妖精は忘れっぽいため、一度知ったことでも次の日には忘れているらしいが。しかしトリリアは特別である。勇者を導く使命のために、彼女は先代の『トリリア』から連綿と受け継がれてきた記憶のデータベースを持っている。

 今もまた、新たな記憶がそこに刻まれたようだ。トリリアはぱっと目を見開き、言った。

「『個室喫茶デスリボルバー』! 連日営業、木曜日は会員ぽいんと二倍!」

「忘れろそんな情報」

 半眼で告げる。トリリアは続けて「あとねー、今は期間限定いちごフェア中だって!」と目を輝かせた。

「いちごパフェが当店のおすすめです、だって! ねえねえパフェって美味しい? 美味しい!?」

「あのな。精霊の力をくだらんことに使うんじゃない。もっと役に立つ声を聞けよ」

「んーだって、上手く聞き取れなくて、情報にノイズが混じってくるんだもんー。それにそもそも、こういう表層的な情報しか土地に蓄積されてないみたいなの。わたしの呼びかけが通じないというより、そもそも、この土地の精霊の意思が感じられないっていうか――」

 むくれていたトリリアは、不意に、ハッと顔を上げた。

「――レクス、今の、聞こえた?」

「? いや、何も」

「妖精の声がしたの! 助けてって言ってた……近くにいる!」

 急に焦り出したトリリアに急かされ、レクスはあわてて喫茶店を出た。

「こっち!」

 トリリアの案内に従い、街を駆ける。表通りを離れ、昼間でも薄暗い路地裏に入っていく。

 路地の行き止まりには、二つの影があった。一つは、薄桃色のウェーブがかった長い髪を持つ、トリリアと同じ妖精の少女である。のんびりとした顔立ちのその妖精は、今は恐怖に顔をひきつらせ、袋小路の壁に背中を付けている。

 もう一つの影は、白っぽい身体を持つ怪物だった――身の丈は一メートルほど。肥満した腹に、不釣り合いな細長い手足。生気のない肌の色も相まって、水膨れした死体を思わせる。手指は先端に行くにつれ黒く硬化し、鋭く尖って、凶悪な爪になっていた。

 怪物は桃色の妖精を追い詰めていたが、闖入者に気がつくと、甲高い、破裂音にも似た鳴き声を立てながら振り向いた。

 怪物は豚のような頭を持っていた。長く前に突き出した先の平らな鼻が、やや豚らしく見えるというだけの話ではあるが。耳は三角で、顔の横にだらりと垂れ下っている。眼窩はぽっかりと穴が開いたように落ちくぼんでいて、その奥に瞳があるのかどうかはたるんだ皮のせいでわからない。「プィ、ピキィ……」と背筋の寒くなるような嫌らしい声で鳴いて、怪物は威嚇の姿勢を見せた。

「『オラッカ』!? どうしてこんなところに!」

 ここに居るはずのない闇の魔物の姿に、トリリアが叫ぶ。

邪鬼兵(オラッカ)』。精霊大陸にすまう地底種族である。その性質は凶暴にして邪悪。知能が低く魔法で従わせることが容易なため、闇の軍勢の尖兵として使役される。見るだけで戦意を喪失してしまいそうな不気味な容姿だが、レクスにとっては見慣れた魔物である。トリリアの言う通り、なぜこちらの世界にオラッカがいるのかは気になったが。

「どうして、は今考えてもしかたない。戦うぞ、トリリア」

「う、うん!」

 豚面の怪物――オラッカが、爪を広げて襲いかかってくる。レクスはその場で地面を踏み切り、跳んだ。突進してくるオラッカの背中を蹴りつけ、跳び越して後ろに着地する。怪物はというと自らの突進の勢いを殺せず、袋小路を抜けて、道向かいの建物の壁へと激突した。レクスは追うように走り出し、オラッカが姿勢を立て直す前に脇をすり抜け、やや大きな通りへと逃げ込む。

「プキィィッ!」

 金切声が響き、オラッカがこちらを追ってくるのが気配でわかった。レクスは入り込んだ通路の広さがそれなりにあることを確認すると、右手を虚空に突き出す。そして、頭の後ろにいる相棒にいつものように――七年前のように、呼びかけた。

「行くぞ、トリリア!」

「まかせて、レクス!」

 頭の後ろにしがみついていたトリリアがすいっと前に出て、右手の甲にくちづけた。瞬間、見えない力が、右手を中心として目の前の空間に満ちるのを感じる。

「いでよ、聖剣――『グラスカラド』!」

 トリリアの詠唱が、虚空から、剣の柄を生み出した。純白の象牙の柄――次いで現れるのは、黄金の竜を模した(つば)だ。竜は長い尾を象牙の柄に絡ませ、荘厳な両翼は今にも羽ばたこうとしているように見えた。レクスは柄を握ると、虚空から一気に引き抜く。

 聖剣グラスカラド。その刀身は一言で表すなら『水の刃』だ。西洋剣の形状をした両刃は透明で、その表面は真夏の湖面のように光を受けてゆらめいている。刃の形を成す水。精霊の造り上げた聖剣。

 剣を手にした瞬間、レクスは全身の細胞が奮い立つのを感じた。七年前に意識が完全に引き戻される。聖剣を(たずさ)え、トリリアと共に並み居る魔物と対峙した『勇者』としての記憶。オラッカの一頭などものの数ではない! 剣を構え――

 パシャッ。

「……え?」

「……にゃ?」

 軽い水音を立てて。聖剣の刀身があっさりと飛散した。ぽたぽたと水を滴らせる剣の柄を見つめて、レクスとトリリアは呆然と立ち尽くす。

「……おい、どーなってんだこれ」

「あ、あれ? 変だね……い、いでよ聖剣『グラスカラド』!」

 トリリアの再度の詠唱に、再び水の刃が形成され……一瞬ともたずに流れ去る。

「あれ~……? い、いでよ『グラスカラド』! グラスカラド……グラスカラドー?」

「もうなんか、閉め忘れの蛇口みたいになってんぞ」

 鍔からちょろちょろ水が流れ落ちるだけになってしまった聖剣を見て、レクスはぼやいた。

「うー、魔力が足りてないみたい。やっぱり、わたしがこっちの精霊とうまく交感できてないせいかな……ぐらすからどー」

 聖剣(柄)をこんこんと叩きながら、トリリアが困り果てた様子でつぶやく。と、その時。

 曲がり角から、白い怪物がのそりと姿を見せる。レクスは舌打ちした。オラッカは鈍そうな見た目に反して戦闘時は素早い。素手で戦うのはさすがに危険だ。

「……トリリア。さっきの妖精は逃げたか?」

「えと……ううん、まださっきの所にいるみたい。たぶん、かなり弱ってる……」

「わかった。連れて逃げるぞ」

 オラッカは突進してはこない。手を前足のように地面に着き、じりじりと距離をつめてくる。先ほどのようにこちらが跳び上がれば、即座に捕えるつもりだろう。レクスは剣の柄を相手に向けて威嚇する。最悪の場合、柄の部分で殴って倒すしかないが。

「ピギィィイッッ!」

 オラッカが(いなな)いた。右腕を掲げ、その凶悪な爪を見せびらかすように大きく開き、残りの三肢でこちらへと駆け出す。レクスは柄を構え――

「――『赤く溶かすマデル! 打ち鳴らす鉄翅(てっし)()え口の(れつ)(じゅう)灼流(しゃくりゅう)の山脈にて憤慨(ふんがい)し・地を喰らう!』」

 突如として、『呪文』の言葉が路地裏に響いた。若い女の声。詠唱と共に、オラッカとレクスの間の地面が燃え上がり、炎の河が発生する。オラッカは炎に突っ込む寸前で悲鳴を上げて急停止し、後ずさりした。

「なっ……?」

 驚いたのはレクスも同じだ。煌々(こうこう)と燃える炎の河から距離を取ると、呪文の聞こえた方へ視線を向ける。

 そこにいたのは、赤い衣装を身にまとった金髪碧眼の少女だった。やや幼いが整った顔立ちの、町中ですれ違うだけでも目で追ってしまいそうな美少女。艶やかな金髪のツインテールが熱風になびき、勝ち気な瞳が炎を映したようにらんらんと輝いていた。

 格好はノースリーブのシャツにプリーツスカート、絢爛(けんらん)な装飾の施されたグローブとブーツ、その全てが真紅。手には黒い岩から削り出したような、柄と鍔と刃が一体化したロングソードを携えている。真ん中に赤い宝石の埋め込まれたその剣をオラッカに向けて突き出すと、彼女は不敵な笑みを浮かべた。

「『フェアリオン・ガーネット』、ただいま参上。覚悟しなさい、豚面(ぶたづら)!」

 言うが早いか、少女は黒い剣を持った手をひねる。瞬間、刃先が熱せられたようにオレンジ色に光り、オラッカめがけて矢のような炎がほとばしった。

「ブギィッ!?」

 炎に右腕を貫かれ、オラッカが叫んだ。身体をよろめかせながら、不格好にその場から逃げだそうとする。が。

「逃がすかぁっ!」

 少女が剣を振る度に、炎の矢がオラッカの身体に突き刺さる。オラッカは悲鳴を上げながらのたうっていたが、やがて真っ黒に炭化し、動かなくなった。

「ふん。ざっとこんなもんね」

 怪物にとどめをさしたことを確認し、少女は汗をぬぐう。表情は平然とした風をよそおっているが、顔には珠のような汗が浮かび、剣の高温にさらされたためか右半身の肌が真っ赤に焼けている。

「キョウカ……あの程度の魔物に、時間をかけ過ぎだ」

 赤い光の玉が、ふわりと少女の背後から現れ、そんな言葉を発した。キョウカと呼ばれた金髪の少女は「なによ、文句あるの?」と赤い光を睨む。

 光の中には、妖精がいた。トリリアと同じ透明な羽と、ワインレッドの長い髪を持ち、夕焼け色の振袖のような服を身にまとっている。ルビーのような瞳を眠たげに半分閉じたその妖精は、キョウカの眼前をふわふわ漂いながら寝ぼけたような声で、辛辣に告げる。

「呪文にしても、あれだけ詠唱しておいて威力が低いし、範囲もズレていた。もうちょっとであの子たちに当たっていたぞ」

「う、うるさいわね!」

「えーと……」

 キョウカと妖精が口論しているのを、状況についていけずぼんやりと眺めていたレクスだが、ふと、傍らのトリリアが赤い妖精を見つめ、目を丸くしていることに気がついた。

「アムニア?」

「うん?」

 トリリアの呼びかけに、赤い妖精がこちらを向く。彼女はトリリアの姿を認めると、半眼を少しだけ驚いたように開いた。

「おお、誰かと思えばトリリア。こんな所にいたのか。無事でよかった」

「やっぱりアムニアだ! ひさしぶりー!」

 トリリアは嬉しそうな声を上げた。ひゅいっとアムニアの元まで飛んで行ったかと思うと、二人で両手を合わせ、鼻歌を歌いながら、その場でくるくると回り出す。

「……で。あんたは何なの?」

 妖精式の再会のあいさつをしているらしい二人を尻目に、キョウカがレクスの方を向いて聞いてくる。

「オラッカに追われてたってことは、『妖精商会』の関係者じゃないのよね。じゃあ、なんで妖精と一緒にいたの?」

「あー、えーと。妖精商会ってのはわからないけど。何から説明すればいいのか……」

「はっきり言いなさいよ」

 じろり、と凄むような目つきをするキョウカに、なんと説明したものかと頬を掻いていると、トリリアが横から声を上げた。

「レクスはね、勇者なんだよ!」

 と、身内に有名人がいることを誇る子供のように、自慢げに胸を張って続ける。

「剱野レクス! わたしたちの世界、精霊大陸を救ってくれた、第十一代目の勇者なのです!」

「勇者……」

 オウム返しに言うキョウカ。彼女はやがて口に手を当て、堪え切れないように肩を震わせ始めた。

「……まあ、そうなるわな」

「なんでっ!? なんで笑うの―――!?」

 まあ普通はそんな反応だろう、といった感想のレクスに対して、トリリアは心底ショックを受けたようだった。その傍で、アムニアはレクスの方を感情の読めない半眼で見つめ、「ほう……こちらが例の」とつぶやく。

「なるほどな。この世界と『門』が繋がったのはそういうことか。……こらキョウカ、あまり笑うな。失礼だぞ」

 アムニアにたしなめられ、キョウカはひとしきり笑った後、「ごめ……だって、ゆ、勇者って……」と目元の涙をぬぐう。

「あー、なんか気が抜けちゃった。……剱野、って言ったわよね。もしかして、歌潟高校の剱野?」

「え、そうだけど。知ってんの?」

「名前くらいは知ってるわよ。『不良』の剱野くん。……あ、『勇者』の剱野くんって呼んだ方がいい?」

 くすくすと笑いながら言ってくるキョウカ。レクスは半眼で返した。

「不良じゃねーし、勇者は『元』だ。今はもう違う」

「『元』ってなに!? 勇者は勇者でしょ!」

 丸っこい目を吊り上げて、トリリアが怒る。金髪少女はそんなトリリアとレクスを交互に見て、面白がるように瞳を光らせた。

「あっそ。まあ何にしても、あんた、妖精にずいぶん好かれてるわね。『フェアリオン』の素質はあるみたいじゃない? まあ、ちょっと頼りがいはなさそうだけど」

 勝手なことを言いながら、彼女がこちらにすたすたと近寄ってくる。

「この私が――夏原(かはら)(きょう)()が直々にあんたを鍛えてあげるわ。これからよろしくね? 勇者くん」

(……これから……?)

 馴れ馴れしく右手を差し出してくる彼女に、レクスはなんとなく、面倒事に巻き込まれた気配を感じていた。




 薄闇の中に、甲高い悲鳴が響く。

 そこは実験室だった。狭く薄暗い部屋の中央、手術台の上に、緑髪の妖精の少女がくくりつけられている。

 少女は身をよじり、悲鳴を上げ続けていた。黒い粘着質の不定形の何かが、妖精の手足をからめ取っている。それは生き物のように彼女の手足を端から食らい、苦痛を与え続けていた。

「クックック……」

 その様を見下ろして、含み笑いをもらす影があった。影法師のように全身黒ずくめの男。頭には、黒の瑪瑙(めのう)石で出来た仮面を被っている。仮面は穴も繋ぎ目もなく頭全体を覆っていて、まるで石が頭そのものであるかのようだ。

「やはり苦痛の刺激が、最も大量の魔力を生み出すようですね。ああ、良いですよ、もっと苦しんでください。あなたの悲鳴が精霊を呼び覚まし、この世界に眠る無限の魔力を引き出すのです。逃げてしまったあなたの仲間の分も、たくさんの魔力を生み出してもらわなくてはなりませんからね――」

 男は手術台の妖精に優しげに語りかける。妖精は男のそんな言葉に反応する余裕すらなく、泣き叫んで身を跳ねさせる。

「しかし、商品としてはまだまだですね――我が妖精商会のさらなる発展のためにも、我が盟友の傷を癒すためにも。さらに効率よく扱いやすく、安定して多くの魔力を生み出す方法が必要です――」

 興奮しながら話す男の言葉を、聞いている者はいなかった。否――

 部屋の隅の暗がりに、彼の狂乱の一部始終を、じっとながめている者がいる。長い黒髪に白い服の妖精。無表情に、男をじっと見つめる妖精の瞳には、一切の光がなかった。穿たれた穴のような、光を吸い込む漆黒の瞳。

「ああ、足りない。もっともっと多くの魔力を。もっともっと多くの妖精を! ……あなたもそう思うでしょう、『イート』?」

 男の呼びかけに、黒髪の妖精は表情を変えぬまま、舌なめずりをした。


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