エピローグ
「剱野くん。剱野くんってば」
放課後の教室。帰り支度をしていると、いつものように井多良から声をかけられ、レクスはややうんざりした顔を向ける。
「だから……夏原さんとは、なんでもないって。ただの知り合い」
「もー、またそうやって誤魔化す! なんでもないのに、毎日放課後に二人で消えたりしないでしょ!? 今日こそ、本当のところ教えてもらうからね!」
足を肩幅に開いて立ち、井多良が眉を吊り上げる。このところ、彼女からは毎日のようにこの質問をされていた。何がそんなに気になるのかは知らないが。
(……まあ、いいか。本当のこと教えても)
ふと、誤魔化すのも面倒臭くなって、レクスはそう決めた。帰り支度の手を止め、井多良に向かい合って告げる。
「夏原さんとは、妖精仲間なんだよ」
「……よ、妖精……へ?」
完全に意表を突かれた顔で、井多良。レクスは真顔で続けた。秘密を打ち明けるように、小声で。
「これは内緒だけど、妖精さんは本当にいるんだよ。人間の世界に迷い込んできた妖精さんを守るのが、僕らの組織の仕事なんだ。夏原さんはその組織の仲間」
「……ふざけてる?」
「いや? 嘘だと思うなら、夏原さんに直接聞いてみなよ」
真実ではあるが、井多良の聞きたいような内容ではなかったのだろう。井多良は作り話だと思ったようだった。拍子抜けしたような顔で眉を下げ、ため息をつく。
「……そんなにすねちゃうなら、ちゃんと話聞いてあげればよかった」
「ん?」
思っていたのとは少し違う井多良の反応に、今度はレクスが意表を突かれた。単に呆れられるだけだろうと思っていたのだが。
井多良はレクスの前の空席の椅子に腰かけると、流し目でこちらを見る。
「昔、私に話してくれたでしょ、剱野くん。妖精の世界に行って勇者になった、って」
「……なんだ、覚えてたのか」
「あの時、私が大笑いしたから、すねてるんでしょ。ずっと。……ごめんなさい」
「………」
レクスがひねた性格になった理由の一因、という意味ではまあ、井多良の推測はおおむね間違ってはいないが。だが、レクスは首を横に振った。
「別に、未だに怒ってるわけじゃないよ。さっきのも、適当な言い方したのは悪かったけど、だいたい本当」
「そうなの? 夏原さんも、その……妖精を信じてるってこと?」
井多良は心底意外そうに言った。レクスはなるべく彼女が理解しやすいよう魔物との云々は端折り、噛み砕いて言う。
「うん。でもまあ別に、クラブ活動の延長みたいなことしかしてないよ。制服考えたりとか、単にふざけて騒いだりとか」
「ふぅん。部活動か。じゃあつまり、オカルト研究部みたいな感じ?」
「そうそう。同じ妖精仲間と集まって、お茶飲んで話したりしてるだけ」
「あ、二人っきりってわけじゃないんだ」
「? まあそうだけど」
「なーんだ、そっかそっか。じゃあ、頑張らなきゃねー、剱野くんっ」
なぜか急に機嫌良くしながら、井多良がにやにやとレクスの肩をたたく。彼女はふと、思い出したように話題を変えた。
「あ、妖精といえば剱野くん、例の地盤陥没事件、あるじゃない? 工場エリアの。あそこの跡地に妖精がいたって噂あるんだけど、知ってる?」
「……へー、知らなかったな。立入り禁止なんじゃないの、そういうとこって」
素知らぬ顔でレクスは相槌を打った。井多良は「そうなんだけど」とうなずいて続ける。
「お父さんが現場の作業員だったって子がいてね、作業中に、妖精が地下水の中で遊んでるのを見たんだって。こういう噂でも、妖精クラブで話のタネくらいにはなるでしょ?」
廃工場下の地底湖は、現在は『◇Door』が周辺の土地ごと押収して管理している。レクスが思った通り、妖精たちの一時的な住居になるそうだ。井多良の言う噂はその環境整備のための作業員から出たものだろう。
結局、『イート』が見つかることはなく、妖精たちを送り返すための次元の穴をつくる手立ても無くなった。東堂曰く、今のところは妖精たちにはこちらの世界にとどまってもらうしかない、とのことだった。当の妖精たちはどこ吹く風で、仲間と一緒ならどこであろうと楽しそうだったが。まあ、そういうものなのかもしれない。
「あとね、他にも工場地帯の爆発跡地で怪物が――」
「剱野ー、いるー?」
井多良の話の途中で、がらっと教室のドアが開き、杏華が姿を見せた。治りきっていない右手の火傷に巻いた包帯が痛々しいが、本人はけろっとした顔である。案外、一番タフなのは彼女なのかもしれない。
「あ、いた。さっさと来なさい、今日は祝勝会よ。幸に――じゃない、支部長が、すき焼きご馳走してくれるらしいわ」
「聞くところによると『すきやき』というのは牛らしいな。とても楽しみだ、早く行こうぞ大将」
彼女の後ろからひょこっとアムニアが顔を出し、いつもの半眼をらんらんと輝かせた。杏華も「ふふん♪」と得意げに笑って、レクスに告げる。
「支部長には、いっちばん高い肉買うように言っといたから、期待していいわよ。じゃ、先に行ってるからね」
「わかった。すぐ行く」
レクスが手を上げて了解の意を示すと、杏華とアムニアはよほど楽しみなのか(特にアムニアが、杏華をせっつくようにして)足早に廊下を歩いていった。
「ああ、血沸き肉躍るな。支部長と牛、果たしてどちらが生き残るのか。わくわくが抑えきれん」
「言っとくけど、生きてる牛をその場でシメて捌くわけじゃないからね?」
二人がそんな会話をしながら遠ざかっていくのを聞きつつ、レクスは荷物をまとめた。井多良はと言うと、夏原が入ってきた辺りから、金縛りにあったように硬直している。
「えーと、じゃあ井多良、また明日……井多良?」
レクスが挨拶しても、井多良は身じろぎせず、夏原がいた辺りを見ているだけだった。よほど信じられないものでも見たというように――
(ひょっとして)
ふとレクスが気がつきかけたその時、カバンの隙間から、青い妖精がぴょこっと飛び出してくる。
「ねえねえ、レクス!『すきやき』ってなに、何なに!? おいしい? それっておいしいの!?」
「あー、すき焼きって言うのは、えっと、牛肉と野菜とかを鉄鍋で煮る料理だよ。僕もむかーし家族で食べたことあるだけだけど」
「牛肉! 野菜! すでにもうそれだけでおいしそう! しんぷるいずべすと、だね!」
「これいっつも疑問なんだけど、お前ら普通に肉とか食うのな」
「食うよ!? なにいってるの! この世はつねに『じゃくにくきょーしょく』なんだよ!?」
「妖精ってそんな『強食』寄りの生き物なのか……?」
うっかり普通に受け答えしながら、レクスはふと、刺さる視線に気がついた。井多良が大きく目を見開き、震える指で、トリリアを指さしている。
「つ、るぎの、くん。そ、それ、その子って」
「え。あ」
「あ、やっちゃった」
トリリアが、忘れていたという顔でつぶやく。静かになったので周りに誰もいないと思ったらしい。
「ほ、本当、に……?」
驚愕に震える井多良に、レクスとトリリアは顔を見合わせる。カバンを肩にかけ直し、唇の前に指を一本立てて。レクスは、にやりと笑った。
「内緒だよ」
おわり




