表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
意識のはじまり  作者: 安田孫康
32/58

16 自由意志

16 自由意志


  自由思考(概略)

  自由意志(概略)

  自由意志(自由思考)の印象の理由




  ................




  《 自由思考 (概略) 》


意識にそなわる思考作用は、根本的には、生体の広域的な物理的秩序の形成(または、維持・更新)をめざすものとして、その生体を構成する物質群にそなわる基本演算――物質作用の一つ――から、自然に、自動的に、かつ、動的に、形成される、と思われます。


そして、この形成は、生体内でのエントゥロピ生成速度の減少による物理的秩序形成効果による、と推測されます。つまり、意識や思考作用は、高度な物理的秩序です。


なので、意識という不思議なものが自分の意思で自分の思考作用を(任意に、自由に)変更することは、単純に不可能と思われます。


手短に言えば、こういうことのため、厳密な意味での自由思考は存在しない、と思われます。また、自由思考は、論理的にも可能でないと、思われます。(もっとも、体や脳の可塑性による間接的な自由意志はある、と思われます)。


以下のことが大まかな理由です。


1) 私たちは、自分の思考を変化させる能動的な操作は、いっさい果たしていない。私たちは、自分のうちに生じる思考(の感覚)をただ感じるだけである。思考にかんし、私たちは何も操作はしていない。そもそも、意識や思考作用が形成される枠組におき、そのような方法は存在しない。私たちがその方法を知らないのは、勿論である。


2) 思考作用は、基盤である物質群の現在の状態や状況と物理性質にもとづき、物質群全体(生体)にわたる、つぎの瞬間の、広域的な物理的秩序を形成(または、維持・更新)する建設的かつ生産的な方向で、自然に形成される。(このため、思考作用が、みずから自分を形成(または変更)することは、不可能である。(根本的に、意識には、みずからの思考作用を変更できる作用は具わりていない))。


3) それぞれの個人において、思考のパタァンは、ほぼ形成済である。


(思考パタァンが時間の流れとともに変化することは可能と思われるが、意識や思考作用が直接に変化させるわけでない。このことは、また、思考の内容(動き)が、原則、固定されていることを、意味する。つまり、各個人がいつも大よそ同じように考えるのは、思考パタァンがほぼ固定されているからである)。


4) 思考には思考の種(初期入力)が不可欠だが、思考作用が自分でその種を任意に用意することは不可能である。(思考には、将棋倒しのような一面があり、初期入力により引金を引かれることなく、自発的に働きはじめることは、できない。または、なんらかの作用がどこかに用意されているとして、それは、なんらかの動作の種が入力されて、初めて、活性化される)。思考作用は、思考をするための作用でありて、そのような作用までは具わりてはいない。(根本的に、意識には、思考の種をじぶんで用意できる作用は具わりてはいない)。思考の種は、根本的に、外因的である。また、思考の種を任意に用意することは、論理的にも不可能である。なぜなら悪循環に陥るからである。


なので、自由意志の問いの先頭の1/3――自由思考は可能?――は、否定されます。その結果、自由意志はここで否定されます。


それでも、それぞれの個人の脳に形成されている思考パタァンが、個人の人格の中核と、思われます。


思考パタァンは、様ざまな影響をうけ、時間をかけて変化しえる、と思われますが、簡単ではありません。それより、思考パタァンの動きは、体の状態や健康状態を始めとする、あらゆる外因的で物質的な影響をうけます。さらに、思考パタァンへの初期入力となる思考の種も、時々刻々、おおきく変化します。その結果、活性化される思考パタァンや、その動作内容は、いちじるしく変動します。


げんそく固定の思考パタァンと、あらゆる外因的な影響の組みあわせが、自由思考かも、知れません。


そして、しかし、問いの最後の1/3――(自動的に果たされる)思考にもとづき体の物質が動くことは可能?――は、可能と思われます。生物でのあらゆる能動的な動きは、(現在の物理学の既知の物理法則に違反しながら)、意識で果たされる微視的な思考にもとづき発生している、と推測されます。




  《 自由意志 (概略) 》


自由意志の問いは、以下のように、三つの部分に細分される、と思われます。


1) 自由思考は可能なのか?

2) 思考はどこで果たされるのか? 脳とよばれる物質と意識のどちらで思考が遂行されるのか?

3) 思考にもとづき体の物質が動くことは可能なのか?


1)は否定されました。


2)について。もしも思考が脳で果たされるなら、思考作用は物質的(巨視的)なものになります。または、意識で果たされるなら、微視的になります。


そして、思考が脳という物質で物質的に果たされることは、考えられません。なぜなら、いかに高度に組織化されていようとも、脳は、無数の、三人称の客体である物質の集合体でしかなく、1個の量子ではないからです。そして、1個の量子ではないゆえ、広域的で包括的であることが必要な思考を遂行できる(微視的な)統合性を有していないからです。


このため、かりに思考が脳で果たされているとするなら、脳は、プロウグラミン済の、予測のできる、1個の量子のような統合性を有さない、やわらかなエミュレイタァ(機械)に、成りさがりてしまいます。ある意味、ドミノウ倒しのようなものです。


(マシーンは、かならず、知性がありて、かつ、自発的・主体的・能動的に動作のできる他者――一人称の主体――によりて設計されて製造される必要があります。この宇宙はエントゥロピは増大するという熱力学第二法則(・ニュートンの運動の法則・基本相互作用・エナァジ保存の法則)に支配されており、オートポイエシス――自己制作・じぶん自身の高度な物理的秩序の自発的・主体的・能動的な生産――のできるマシーンは、これらの法則を物ともしない何らかの根拠(メカニズム・原動力)がないことには、自力では発生しえないのです。なぜなら、1個の量子ではないマシーンに、包括的な思考は果たすことできないからです)。


なので、思考は意識で果たされる、というのが、ほぼ確実です。


さらに、意識が思考を感じているということも、その根拠です。かりに脳の物質的な動きを意識が感じるにしても、それは、なんらかの身体感覚(五感)としてしか感じられないはずです。物質の動きにすぎないものに思考という観念が感じられるなど、ありえません。それは、機械式計算機の動きや、各種の電気回路・CPU・DSP・FPGAのなかでの電子の動きや、ドミノウ倒しや、木の葉のよそぎなどの、物質的な動きに過ぎないものに、きわめて不思議なものである思考を感じるようなものです。


3)につき。(器官の動きを除外して)、人間(や動物)のほぼ全ての動作は、筋肉運動により構成されます。そして、主観的かつ経験的な事実として、話す・書くなどの精神性を帯びし動作をふくめ、人間のほぼ全ての動作は、思考にもとづき、始動され、かつ、制御される、と判断されます。その際、からだの物質は、脳の物質的で巨視的な動きにより、物質的かつ予測のできるかたちで制御されるのでなく、意識で果たされる微視的で不確実で予測のできない思考にもとづき自ら動く、というのが、有望と、思われます。(詳細は別記してあります)。


そして、この動きは、おそらく、現在、知られている物理法則では説明できなかろうと思われます。なぜなら、そこには、思考作用(と意識)の微視性ゆえに、物質的――巨視的・外的――な因果関係はない、と推測されるからです。現在のところ、思考作用と物質のあいだは切れており、そこにはどのような物理的因果関係も生じえないのです。


(正確なことを言えば、意識にとりての入力側――身体感覚・五感――には因果関係は存在します。しかし、出力側――筋肉運動・器官の働き――にはまだないのです)。


脳は、電気回路・コムピュータァ・FPGAなどのようなエミュレイタァでは決してありません。


(脳は、脳の物質的な状況にしたがい、意識や思考作用を動的かつ継続的に発生させるという、きわめて重要な役割を担いています。そして、反対に、物質の動きは、被造物である意識で果たされる微視的で包括的で不確実で予測のできない思考に基づきているのです。脳の働きは、脳という物質と意識の協働なのです)。


(生体の動きはオートポイエシスに該当しますが、オートポイエシスは、無数の物質群の集合体である生体と、その生体の全体に発生している1個の包括的な意識の、協働によらないことには、決して実現されないのです)。


脳が、エミュレイタァとして、直接、筋肉運動を物質的に制御するわけではありません。判断と制御は、意識での包括的な思考により、予測のできないかたちで果たされます。物質群は、その微視的な思考結果を参照しながら、じぶんで動くのです。


(物質群は、ここでは、脳細胞群を形成する物質群をさします。その動きの結果が、運動神経を経由して、体の各種の筋肉運動を制御するのです。もちろん、体のあらゆる細胞の動きが、物質と意識の協働です)。


(予想と結果が逆になりました。自由思考が可能でないらしく、現在の物理学への違反が可能らしいためです)。




  《 自由意志(自由思考)の印象の理由 》


次のことが、私たちの意識に自由さの感じられる理由、と思われます。ただ、自由さが感じられるにしても、私たちの意識が実際に自由であるとは必ずしも限りません。


a) 脳の状態は決して同じでない。脳の状態が同じになることは決してない。脳が置かれている物質的な状態は、あらゆる外的な影響をうけ、時間の経過とともに必ず変化する。このため、脳の物質群の状況と物理性質にしたがい、自然に、自動的に、かつ動的に形成される思考作用――または、思考パタァン――も、微妙に変化する。


b) さらに、原則的には五感を経由して外部からもたらされる思考の種(初期入力)も、変化する。実際のところ、様ざまなレヴェルでの外界からの影響は、圧倒的に変化する。その結果、瞬間瞬間に、自然に自動的に動的に形成される思考(思考感覚)も多様に変化する、と意識には感じられる。


c) そのうえ、更に、プロウグラム済の機械エミュレイタァとは異なり、意識にどのような思考作用が形成されるかは、決して予測がつかない。


d) これらのことのため、自由思考の印象は、あらゆる外的かつ物質的な偶然の結果、と思われる。形成される思考作用の予測不可能性・不確実性・不定性――なので、ある意味、思考作用は、つねに新しい、微妙に新しい――が、いちばん大きな要因かも知れない。もしかすると、形成される思考作用の予測不可能性と微妙な新しさが、自由さの印象の根源かも知れない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ