【7話】ソード・リッチの挑戦
あなたはかつて剣士であり、死してなお剣を捨てられなかった。
骨の体となっても、人間だった頃の剣を振るい続けている。
挑むべき相手はただ一人、魔法道具店ラウンレイフィの店主。
何度敗れても扉を探し、再び挑戦する。
敗北は終わりではなく、次の修行への始まりに過ぎない。
---
客の来ない午後だった。
魔法道具店ラウンレイフィは、今日も柔らかな光が満ちている。
外では、風がゆっくりと草を揺らし、遠くの海は変わらない角度の光を返している。
店内では、ラウンレイフィ――レイが、カウンターの上にいくつかの素材を並べていた。
:ドラゴン回、思ったより怖かった
:ステーキの夢が壊れた
:ドラゴン肉、食材じゃなくて劇物だった
:でも置物案はありじゃない?
:ドラゴンの置物、まだ作る可能性ある?
「どうでしょうか」
レイは、小さな結晶の欠片を光に透かしながら答えた。
「ドラゴンを模した場合、理由ははっきりしませんが『精霊』を引き寄せてしまうことがあります。紙に書くくらいなら大丈夫ですが、模型とか、芸術家が描いたドラゴンは怪しいです。精霊が寄り付くと、急に爆発や発火、水が溢れたりすることもあるので、ドラゴン自体が一般に好まれないですね」
:形だけで影響あるの?
:ドラゴン、概念として強すぎ
:爆発するのはちょっと怖い
:一般受けしないのも分かる
:じゃあ、かわいいドラゴンの置物にしよう
:丸いやつ
「可愛らしければ安全、というわけではありませんが」
レイは少し考えた。
「飾って楽しいもの、部屋に置いて落ち着くもの……そういう方向なら、良いかもしれませんね」
:ドラゴン型加湿器
:ドラゴン型ランプ
:ドラゴン型お香立て
:火を吐くやつ
:火を吐いたら危ないだろ
:じゃあ煙だけ吐く
「火を吐かせると、置物としては危険ですね」
レイがそう言った時だった。
からん、と。
扉の鈴が鳴った。
空気が変わる。
柔らかな光の満ちる店内に、冷たい気配が差し込んだ。
レイの視界から、コメント欄が消える。
「いらっしゃいませ。魔法道具店ラウンレイフィへようこそ」
レイはいつものように言った。
扉の向こうに立っていたのは、鎧をまとった骸骨だった。
黒く古びた鎧。
ところどころ欠けた肩当て。
擦り切れた外套。
骨だけの手が、腰に下げた長剣の柄へ添えられている。
その骨の体から漂う魔力は、低級のアンデッドとは比べものにならないほど濃い。
店内に入っただけで、空気が冷える。
「久しいな、ラウンレイフィよ」
声は低く、頭蓋に響いて渋さを引き立てていた。
「お久しぶりです、グラディウス」
その声に驚きはない。
ただ、長い間隔を置いて訪れた常連を迎えるような穏やかさがあった。
配信画面には、来店者を示すテロップが浮かび上がる。
---
グラディウス
種族:ソード・リッチ
年齢:不明
職業:ダンジョンボス/剣士
現在抱えている問題:
ラウンレイフィに何度も戦いを挑み、いずれ勝ちたいと願って修行している。
リッチであるのに、魔法が得意ではないが、それは剣に生涯を捧げた末の未練である。
来店理由:
かつてより繰り返している、ラウンレイフィへの再挑戦。
---
テロップを見た視聴者たちは、クリスタルの向こうで一斉にざわついた。
:ボス来た?
:ダンジョンボスって出てる
:ソード・リッチ?
:名前かっこいい
:いや完全に敵じゃん
:店主さん逃げて
:逃げるの店主さんの方なのか?
:普通に知り合いっぽい
:お久しぶりですって言った?
:常連ボス?
店内では、ただ骸骨の剣士と店主が向かい合っていた。
「何度見ても、姿が変わらぬな」
レイは静かにほほ笑みを浮かべるだけ。
グラディウスは店内を見渡して、前回との差異を探る。
棚。
魔法具。
それから、カウンターの上に置かれた細かな素材。
何か分からぬ宙に浮いたクリスタルを見つけ、睨んで探ろうとしていた。
視線は鋭いが、手はいつでも剣を抜けるように添えている。
「先に言っておく」
「はい」
「棚には触れん。カウンターを割る気もない」
「学習されていますね」
「前回、それで戦う暇すらなく追いだされたからな」
グラディウスの声は重々しかった。
偉そうな口調だったが、その中に、妙な実感が滲んでいた。
「体を組み直すのに、1年はかかったぞ」
「それは大変でしたね」
:何それ
:前回何があったの
:店内で暴れて叩き出された経験者
:学習するボス
:規則を守るアンデッド
グラディウスは一歩、店内へ進んだ。
その足音は、鎧の重さに反して静かだった。
「儂は戻った」
「はい」
「今度こそ、貴様に一太刀浴びせるためにな」
「向上心があるのは、良い事です」
「無論」
グラディウスは、青白い眼火を細めるように揺らした。
「ラウンレイフィ。儂はこの日のために、長き時を修行に費やした」
「少々お待ちを。準備します」
「うむ」
レイはカウンターから出た。
その動きは、普段の接客と変わらない。
急ぐでもなく、構えるでもなく、ただ店の中央へ進む。
そして、指先を軽く振った。
――床に淡い線が走る。
円を描くように広がった光が、店内の空間をゆっくりと押し広げていく。
棚が遠ざかる。
壁が遠ざかる。
天井が高くなる。
柔らかな光の満ちる店内に、石畳の訓練場のような空間が現れた。
商品棚は見えている。
カウンターも見えている。
だが、そこには届かない。
店内であって、店内ではない。
魔法道具店ラウンレイフィの中に作られた、仮初めの戦闘場だった。
:ステージ生成した
:ボス戦フィールドだ
:店の中どうなってるの
:配信映えすごい
:カメラ位置完璧じゃない?
:これ、店主さんが作ったの?
:普通に空間拡張してるんだけど
レイはコメントを見ていない。
それでも、今回は少しだけ、見やすい位置で戦うつもりではあった。
配信というものが始まってから、レイは時々、見られていることを思い出す。
それは商売として必要だからではない。
見ている者がいるのなら、何も分からないまま終わるより、少しでも見やすい方がよいだろうと思ったのだ。
「今日は、特別です。剣でお相手します」
レイが言うと、グラディウスの表情がより好戦的に笑みを浮かべる。
「ほう。貴様が剣を抜くか。以前までは魔法ばかりだったはずだが」
「得意というほどではありませんね」
「圧は感じないが、それもまた不気味よな」
グラディウスは腰の長剣を抜いた。
古びた剣だった。
刃は欠けている。
装飾もない。
だが、そこに宿る魔力は濃く、剣そのものが長い時を過ごしたような重みを持っている。
レイは訓練場の端にある剣立てへ手を伸ばした。
そこには、一振りの剣が立てられていた。
飾り気のない片手剣。
魔剣ではない。
ただし、よく整えられた癖のない剣だった。
「いざ」
グラディウスは剣を構えた。
骨だけの体。古い鎧。青白い炎。
だが、その構えは美しかった。
剣先は揺れず、足の位置に無駄はなく、肩は力まず、腰は低い。
生前、どれほど剣を振り続けたのか。
どれほど戦い、どれほど勝ち、どれほど斬ってきたのか。
それだけで想像が膨らむほど、格好いい。
――対するレイは、片手剣を下げたまま立っている。
構えと呼ぶには自然体すぎる。隙があるようにも見える。
だが、グラディウスは動かなかった。
「来ないのですか」
グラディウスは低く言った。
「昔の儂ならば、今の隙に斬りかかっておった」
「今は違うのですね」
「貴様相手に、見える隙ほど信用ならぬものはない」
グラディウスの足が、石畳を踏んだ。
瞬間、姿が消えた。
いや、消えたように見えた。
黒い鎧が、低く滑る。
剣が横薙ぎに走る。
アンデッドとは思えない踏み込み。
ダンジョンボスと呼ばれるだけの速度と重みが、その一撃にはあった。
「努力は認めましょう」
レイは半歩下がり、剣の腹で受け流した。
金属音が響く。
続けて、骨の手首が、不自然なほど滑らかに剣を操る。
突き、払い、緩急をつけて繰り出される斬撃を、レイはすべてを受け、逸らし、かわした。
大きく動くことはない。
:速い
:骸骨なのに動きが剣豪
:普通にボス戦だ
:店主さん、全部流してる
:得意じゃない剣とは?
:得意じゃないの意味が違う
「変わっていませんね」
剣を受け流しながら、レイが言った。
「……誉め言葉では無いのだろう?」
「はい」
「くっ……舐められたものよ!」
グラディウスの剣が重くなる。
鎧が軋み、青白い炎が強く燃える。
剣士としての怒り。
敗北を重ねてきた者の執念。
それらが、骨の体を前へ進ませる。
レイは、その剣を受けながら続けた。
「剣筋は見事です。生前に積み重ねたものなのでしょう」
「当然よ!」
「ですが、体の使い方が人間のままです」
グラディウスの剣が止まった。
一瞬だけ。
その一瞬を、レイは逃さない。
片手剣の柄尻が、骸骨の胸甲を軽く叩いた。
重い音。
グラディウスの体が一歩下がる。
「ぬ……」
「なぜ、死んでなお人間と同じ体の動きをするのでしょう」
レイは静かに言った。
「貴方には、もう肉がありません。呼吸も、血流も、疲労もない」
「何が言いたいっ!」
「動きが、分かりやすい」
グラディウスの眼火が揺れた。
「肩を動かし、腰を回し、足で踏み込む。全てに人間らしさが消せてない」
レイはグラディウスの突きを、剣先だけで横へ逸らした。
「それは、今の貴方にとって、本当に合理的ですか」
「儂の剣を否定するか」
「いいえ」
レイは一歩踏み込み、グラディウスの剣を弾いた。
「体を変えたのなら、術理も変えるべきだと言っています」
グラディウスは後ろへ跳んだ。
骨の足が石畳を滑る。
その動きも、やはり人間の剣士が行う後退だった。
重心を移し、足で床を蹴り、距離を取る。
美しい。
正しい。
だが、死した骨の体で行うには、あまりにも生前の名残が強かった。
「儂は剣士だ。肉を失おうと、血を失おうと、骨になろうと、儂は剣士であることを捨てぬ!」
「捨てる必要はありません。その技を遺したい気持ち、伝わりますよ」
「ならば、何を変えろと言う!」
首元を薙ぐレイの斬撃を、余裕を持って避けるグラディウス。
刃筋が通っただけの斬撃を、骨の剣士は上手に捌いては、反撃に繋げている。
「剣士であることと、人間の真似を続けることは同じではありません」
「さっきから、そればかりでないか……」
その言葉に、グラディウスの眼火が強く燃えた。
怒りか。
衝撃か。
あるいは、長い間見ようとしてこなかったものを突きつけられたからか。
:説教始まった
:ボス戦じゃなくて稽古?
:レイ先生
:死んでも人間の動きをしてるってこと?
:確かに骸骨なら筋肉ないもんな
:アンデッド剣術講座
:高度すぎて分からんけどかっこいい
「貴様に、儂の何が分かる!」
グラディウスが低く唸った。
「儂は剣だけでここまで来た。高度な魔法など使えぬ。リッチになろうと、儂にあるのはこの剣だけよ」
「魔法を使えと言っているわけではありません」
「そればっかり……うざいぞ」
「貴方は、もう人間ではありません」
レイは剣を下げた。
「その体は、骨と魔力で動いています。ならば、その体に合った合理があるはずです」
「……」
「そもそも、首の肉を守る動きをする意味は? まだ半歩踏み込めるではないですか。動く直前に握りを強く、骨を軋ませて……読まれて機先を失う事に、何の道理があるのです?」
レイは剣を構え直した。
「貴方が遺したいと願ったのは、己の闘志ではなく、貴方が人間の頃に培った『流派』だけなのでしょう?」
「——」
ラウンレイフィは、はっきりと剣士の構えを取る。
視聴者にも分かるほど、姿勢が変わる。
足を置き、腰を落とし、肩を整え、剣先を向ける。
まるで、グラディウスが戦う時のような構え。
「……道を示してあげましょう。来なさい」
「言われずとも!」
グラディウスが踏み込む。
剣が走る。
金属音が連続する。
斬撃と斬撃がぶつかり、火花が散る。
今度のレイは、先ほどよりも達人らしく動いていた。
それでも十分に速い。
十分に強い。
グラディウスの剣を真正面から受け、弾き、打ち返す。
剣士同士の戦いとしては、見ごたえがあった。
:急に剣戟が分かりやすくなった
:これ、見せてくれてる?
:さっきより配信向けになってない?
:剣道とか時代劇っぽい
:いや速すぎてよく分からん
:でもかっこいい
:グラディウスさん普通に強いな
:レイさんが相手じゃなければ勝ってるだろこれ
グラディウスの剣が、レイの首元を狙う。
レイは剣を立てて受ける。
そのまま押し返す。
グラディウスは半歩引き、斬り上げる。
レイはかわし、横から打つ。
鎧に当たる寸前で、剣を止める。
「今のは、良い踏み込みです」
「貴様……」
グラディウスの声に、わずかに苛立ちが混じる。
鏡のように、技が盗まれた。
空想に浮かべる、己の最盛期に似た動き。
しかし同様は僅か。一応、剣は乱れない。怒りを覚えても、剣筋は崩さない。
「生前の剣としては、完成に近いのでしょう」
「……儂に並ぶ者など、いなかった!」
「だからこそ、惜しいですね……やはり死ぬと成長しないのでしょうか」
レイの剣が、グラディウスの手首を軽く叩いた。
骨の指がわずかに緩む。
長剣が一瞬浮く。
「今の手首の動きも、人間のものです」
「骨の手首であろうと、剣を握るには――」
「必要ですか?」
レイは片手剣を下げる。
「指だけを先に動かしてもいい。肘から先だけを加速してもいい。肩を使わず、剣だけを魔力で押してもいい。関節の可動域も、生前ほど狭くはないはずです」
「それでは『儂の剣』ではない」
レイは、少しだけ首を傾げた。
「貴方にとっての『剣』とは、人間だった時に納めた技術ですか? それとも、相手に勝つために磨いたものですか?」
グラディウスは答えなかった。
答えを持っていなかった。
持っていたはずの答えが、骨の体の中で音もなく揺らいだ。
:今の台詞いいな
:剣士とは何か
:人間の体の動きを守る者か、剣で勝つ理を追う者か
:グラディウスさん刺さってそう
:死後の方が修行してるってこういうことか
:レイさん、敵を育ててない?
グラディウスが剣を構え直した。
「ならば、どうすれば良いのだ!」
静かに怒りを顕にして睨む。
「では、少しだけ、見せましょう」
レイは剣を下げた。
構えが消える。
剣士の視点から見れば、隙だらけだった。
腰も落ちていない。
肩にも力がない。
剣先は下がり、視線は穏やか。
攻撃の気配は、どこにもなかった。
グラディウスは今までと違う雰囲気から、様子見を選択する。
「たとえば――」
次の瞬間、レイの体は操り人形が如く、剣を無理やり動かした。
踏み込みはない。
起こりもない。
腰の回転もない。
ただ、剣だけが空間を滑るように走った。
グラディウスの頭蓋の横を、刃が通り過ぎる。
遅れて、青白い炎が揺れた。
「な……」
首の骨を捉えて、グラディウスが吹き飛ばされる。
「骨、硬いじゃないですか」
今まで、人間の冒険者と戦う際、グラディウスは己が剣の技で圧倒してきた。
ラウンレイフィへ挑戦するようになった後も、ダンジョンに潜る人間が己に並ぶ事はなく、最強であり続けたいと常に願ってきた。
「むぅ」
「こうやって、動けばいいじゃないですか」
レイは静かに言った。
「……今のは、魔法であろう」
「魔力操作です」
「同じではないか」
「いい加減、未練者の『できない』に付き合うのは、嫌になりますね」
もう幾度の挑戦か分からない。
魔法だけで戦った初期の頃、レイはそれでは足元にも及べないグラディウスが、それでも折れずにいるから、倒さずにダンジョンへ返し続けた。
生きていれば(アンデットが生きてのか?)、いずれ成長が見られるだろうと、わずかに期待を込めた。
店には『出入り禁止』に設定する機能がある。
それを使わないのは、グラディウスのする修行が、己の実力を上げたいと願うものであったなら、きっと工夫が見られると『期待』していたのに。
「——魔力と親和性が高い体を得て、普段は魔力操作で体を動かしてる存在が、自分がどう動いてるかすら分からないのですか? 剣士はまず、己の身体の動かし方から学ぶというのに?」
レイは人差し指で、グラディウスの体を示して、口の端を上げて呟いた。
「雑魚」
グラディウスは沈黙した。
反論したい。
だが、できない。
感情が怒りに振り切れて、でも心当たりがあって冷却される、その繰り返し。
「もう一つ」
レイは、片手剣を左手へ持ち替えた。
「さっきから言い続けておりますが……」
レイの手首が、不自然な角度で動いた。
人間の剣士ならば、力が入らない角度。
肩も腰も使えない角度。
だが、剣は横へ走った。
グラディウスは咄嗟に受けた。
重い。
ありえない角度からの一撃なのに、剣に乗った力は本物だった。
骨の体が後ろへ押される。
「ぬうっ」
「今の体なら、人間の限界を真似る必要はありません」
それを聞いた瞬間、では目の前に居るのは『何』なんだと、グラディウスは思った。
「……貴様は、本当に人間か?」
「もちろん」
レイの声は淡々としていた。
責めているわけではない。
ただ、事実を述べている。
「死してなお剣を振るう。リッチとなってなお、魔法使いでなく剣士である。それを選んだのなら、人間であった頃の形に縛られる必要はないでしょう」
「……」
「己に満足する者に、ここまで言いません。ただ、貴方がこちらに来て、負け続けても挑むのであれば、工夫をこそするべきです。違います?」
「……」
「貴方のできる事は、その体を使いこなしてこそ、違いますか?」
グラディウスは、剣を握り直した。
骨の指が、かすかに軋む。
「儂は……」
声が低くなる。
「儂は、生前の剣を捨てられない。肉が落ち、骨になり、魔力で動く体となっても、剣だけは昔のまま残したかった。そのせいで負け続けておると?」
「挑戦者を相手に、自らの流派が到達点であると示し続ける事が、悪いとは言いません。それは帰ってからも、続ければいい」
ラウンレイフィは一呼吸置いて、言葉で相手の急所を突く。
「でも、勝ちたくて私の元に来てるのに、工夫足りてないんじゃないですか? いい加減、雑魚の相手はしたくないので。出禁にしますよ?」
「……」
グラディウスは、かすかに笑ったようだった。
骸骨なので表情は分からない。
だが、眼窩の炎が揺れた。
「よかろう」
彼は剣を構え直した。
ただし、先ほどとは少し違っていた。
足の位置は同じ。
剣先も同じ。
しかし、肩の力が消えている。
腰の沈みも、ほんのわずか浅い。
「もう少し、時間がかかると思いましたが」
「試すだけよ」
「良いことです」
グラディウスが動いた。
先ほどより遅い。
いや、違う。
起こりが少ない。
踏み込みは小さい。
それなのに、剣が先に来る。
完全ではない。
ぎこちない。
長く続けてきた人間の剣技と、今の体に合わせた魔力駆動が噛み合っていない。
だが、一瞬だけ、グラディウスの剣は先ほどより読みにくくなった。
「今の方が良いです」
レイの剣が、それを受けた。
金属音。
「ぬ……!」
「ですが、まだ迷っていますね」
レイは二撃目を受け、三撃目を弾く。
「人間の剣を捨てるのではありません。骨の体に合わせて、組み直してください」
「簡単に言いおる」
「簡単ではありませんよね」
「……貴様の顔が、腹立たしい」
「顔?」
「できて当然と、言いたいのであろう」
グラディウスの斬撃が乱れる。
怒りではない。
迷いでもない。
新しい動きを試そうとするがゆえの乱れ。
レイは、それを一つずつ受け流す。
時に弾き。
時に避け。
時に剣の腹で軌道を直すように叩く。
戦いというより、稽古だった。
しかし、その稽古は、並の冒険者が踏み込めば一瞬で命を落とす密度を持っている。
:グラディウスさん、動き変わった?
:さっきより不気味になった
:骨の剣術、怖い
:レイさん完全に先生じゃん
:これ負けイベント常連なのでは
:敵を育成する店主
:年単位の習い事っぽい
:アンデッド剣術教室
やがて、レイが一歩下がった。
「今日は、ここまでにしましょう」
「まだだ! あと一歩、儂は進める!」
グラディウスの眼火が燃える。
「まだ儂は、貴様に一太刀も浴びせておらん」
「次回の課題ができたでしょう」
「勝手に終わらせるでない!」
「この魔法の維持にも、魔力を使いますので」
「貴様がその程度を惜しむか」
「店の営業中です」
「客は儂しかおらんであろう」
「お客様ではなく、挑戦者でしょう」
「ぐ……」
グラディウスは言葉に詰まった。
レイは剣を剣立てへ戻した。
その動きに、隙がある。
今なら斬れる。
長年の直感が、この時を狙えと叫んでくる。
「魔法は使いませんよ?」
だが、グラディウスは動かなかった。
いや、動けなかった。
レイは剣を手放した。
完全な無手。
鎧もない。
構えもない。
だが、魔法があるからと警戒していた。
グラディウスから見れば、先ほどまでと打って変わり、レイが武術を知らない者の立ち方にすら見えた。
足は自然に置かれ、膝も深く曲げていない。
腰は落ちていない。
肩もゆるい。
どこから蹴るのか。
どこへ力を乗せるのか。
何も見えない。
「最後に、助言を」
レイが言った。
「剣士であっても、体を使う以上、剣以外の合理も知っておいた方がいいでしょう」
レイは軽く足を上げた。
蹴りと呼ぶには、あまりにも雑な動きだった。
腰は入っていない。
踏み込みもない。
体重も乗っていない。
武術を知る者が見れば、素人の足上げにしか見えないだろう。
グラディウスの眼火が揺れる。
理解できない。
だが、危険だけは分かる。
「時間切れです。お帰りいただきましょう」
「貴様……!」
レイの足先が、グラディウスの胸甲に触れた。
ただそれだけに見えた。
軽く。
本当に軽く。
まるで、棚の埃を払うような動きだった。
次の瞬間。
足先に集まった魔力が、重さではなく、圧としてグラディウスの体へ伝わる。
ただ、魔力が一点に集まり、骨と鎧の体を押し出した。
グラディウスの体が、砲弾のように吹き飛んだ。
「ぬおおおおおおっ!?」
骸骨の叫びが戦闘場に響く。
石畳を越え、拡張空間の端へ。
その先に、いつの間にか扉が開いていた。
向こうには、薄暗いダンジョンの広間が見える。
玉座のようなもの。
積み上がった骨。
古い剣。
青白い炎が灯る、ソード・リッチの領域。
グラディウスは、その扉の向こうへ一直線に叩き返された。
「またのお越しをお待ちしております」
レイは、いつもの店主の声で言った。
吹き飛びながら、グラディウスの眼火が燃える。
「ラウンレイフィィィィ!」
その声が、扉の向こうへ消えていく。
そして、最後に低い笑い声が残った。
「く、くく……また負けたか」
ダンジョンの向こうで、骨の体が玉座へ激突する音がした。
「次こそは……貴様に一太刀、浴びせてくれる……!」
扉は静かに閉じた。
戦闘場が消えていく。
広がっていた壁が戻る。
天井が下がる。
石畳はいつもの床へ変わり、商品棚が元の距離へ戻ってくる。
何事もなかったように、魔法道具店ラウンレイフィの店内には柔らかな光が満ちていた。
カウンターの上の素材も、小瓶も、棚の魔法具も、すべて無傷である。
レイは軽く服の裾を整え、カウンターへ戻った。
そして、コメント欄が視界に戻る。
:何を見せられたんだ
:ボス戦だった?
:稽古だった?
:退店処理だった?
:最後の蹴り何?
:腰入ってないのに吹っ飛んだんだけど
:ソード・リッチさん、普通に強かったよね?
:店主さんが比較対象だから分からない
:得意じゃない剣とは
:得意じゃないの基準がおかしい
:レイさん、今のダンジョンボスだよね?
:それを常連みたいに叩き返したよね?
「はい。昔から、時折挑みに来られる方です」
:時折?
:何年単位?
:昔からってどのくらい?
:ダンジョンボスが挑みに来る店
:店主さん、出禁にしないの?
「今のところは、まだ出禁にしません。今日も、最初は紳士的でしたし」
:規則守るボス
:偉い
:棚に触らないって言ってたもんな
:前回やらかしたっぽいけど
:成長してる?
「グラディウスは、以前より落ち着きました」
:落ち着いたアンデッド
:落ち着いて挑戦状を叩きつけるボス
:前はもっと暴れてたのか
「店内で商品を壊しかけたので、少し」
:少し?
:絶対少しじゃない
:リッチが学習するレベル
レイは、カウンターの上に置いた剣を片付けながら、淡々と答えた。
「あの方は、剣の道に生きた方です。死後も、そのまま剣を振り続けています」
:魔法使えないのにリッチってテロップ出てたよね
:ソード・リッチってそういうこと?
:剣だけでリッチまで進化したの?
:執念がすごい
:死んだ後の方が修行してそう
「そうですね」
レイは少し考えた。
「私のせいで、死後の方が勤勉になったかもしれません」
:どういうこと?
:負け続けてるから?
:レイさんがライバル枠なの?
:いや師匠枠では?
:ダンジョンボスを育てるな
「育てているつもりはありません」
:でも指導してた
:完全に指導だった
:起こりが分かりやすすぎるって言ってた
:骨の体なら骨の合理を使えって話、好き
:アンデッド剣術の基礎理論
レイは剣を、布で拭って特殊な薬剤を塗り広げる。
刃筋を確認して、修正箇所が無いことを確認し、棚に戻す。
「人間であった頃の技術は大切です。ただ、体に合わない動きを続けているように見えたので。今の体に合う形へ変えることも必要でしょう」
:普通に深い
:死後の身体操作講座
:でも最後の蹴りは何?
:あれ素人みたいな動きだったけど
:威力が意味分からなかった
「筋肉で蹴ったわけではありませんから」
:出た
:魔力で蹴った?
:蹴りとは
:もうそれ魔法では?
「魔力操作です。全くの魔法の素人が、体外で行えるようになるのは三十年くらい必要かもしれませんね」
:違いが分からない
:たぶん現地民にも分からない
:三十年?
:レイさん何歳なの?
:レイさん基準だと違うんだろうな
「体を動かす時にも、魔力を使うことはあります。グラディウスの場合は、骨の体を魔力で動かしていますから、もっと応用できるはずなんですが」
:本人が次来た時、強くなってそう
:これ次回パワーアップイベントじゃん
:また来るの?
「来ると思います」
:来るんだ
:常連ボス
:ボス専用ポイントカード作ろう
コメント欄が笑いに傾く。
先ほどまでの戦闘の緊張が、少しずつほどけていく。
:でも、あの人ダンジョンボスなんだよな
:普段は冒険者を待ち構えてる側?
:そんな人が店に来て稽古して帰るの面白い
:他のボスも来るの?
:ドラゴンも来る?
:ボスラッシュ回ある?
「来店される方は、扉を見つけられるか次第です」
レイはいつものように答えた。
「冒険者の方もいれば、商人の方もいます。時には、ダンジョンの奥にいる方が来ることもあります」
:ダンジョンの奥にいる方
:言い方が上品
:ボスって言わないんだ
:お客様扱いなんだな
「規則を守る方であれば、当店ではお客様です。人間でも魔物でも、来る者は基本拒みませんよ」
:規則を守るダンジョンボス
:規則守ってなかったのでは?
:棚に触らないボス
:店内で暴れないボス
:偉い
:でも挑みに来る
「挑戦される方ですね」
:同じでは?
:違うんだ
レイは、拡張空間を作った床のあたりへ視線を落とした。
もうそこには、石畳も戦闘場もない。
いつもの店の床があるだけだ。
「それに、あの方も生きてるなら、時間を持て余すでしょう」
:どういうこと?
「寿命に縛られてない存在が、次に何を修行するか決まるだけです」
:かっこいい
:負けイベント常連の鑑
:グラディウスさん、また強くなって帰ってくるのか
:そしてまた負けるのか
:でも楽しそう
「楽しんでいるかどうかは分かりませんが」
レイは少しだけ目を細めた。
「あの方は、剣を振ることをやめられないのでしょう」
その言葉だけは、少し静かだった。
死してなお、剣を捨てられない者。
骨となっても、魔力で体を動かし、敗北を糧にする者。
それを愚かと呼ぶのか、執念と呼ぶのか、鍛錬と呼ぶのか。
レイは決めない。
ただ、挑みに来るなら相手をする。
店の規則を守る限り、来店を待つ。
:なんか良い関係だな
:敵でも客でもライバルでも師弟でもある感じ
:長命同士の距離感ってこうなのかな
:人間の寿命だと分からない関係
:次回来た時、骨の合理を覚えてたら熱い
「そうですね」
レイは空になった棚を見た。
ポリアが買っていった一点物の棚。
次に作るべきものを考えていたはずの場所だ。
だが、今日は予定外の挑戦者が来た。
それもまた、魔法道具店ラウンレイフィの日常だった。
「次は、骨の体に合う剣の補助具でも考えてみましょうか」
:作るの!?
:敵に装備渡す気?
:ダンジョンボス強化しちゃ駄目では?
:世界の均衡が崩れるやつでは?
「暴れず、商品を買いに来るだけなら、お客様として扱いますよ」
:そういう問題?
:でも作るんだ
:レイさん、楽しんでない?
「退屈ではありませんでした」
:楽しんでる
:退屈しのぎだった
:ダンジョンボス襲来が退屈しのぎ扱い
:この店こわい
レイは小さく笑った。
ほんのわずかに。
「では、店の掃除をしたら配信切りましょうか」
:散らかってない
:全部無傷
:ボス戦後とは思えない店内
:店内戦闘禁止、強い
窓の外では、夜の来ない島に、いつもと同じ光が降っている。
風が草を撫で、海が静かに光を返す。
何事もなかったように。
しかし、どこか遠くのダンジョンの奥では、玉座に叩き返されたソード・リッチが、骨の指で剣の柄を握り直していた。
肩を動かす必要はない。
腰を回す必要もない。
足で踏み込む必要すら、もしかするとない。
骨を動かすのは、筋肉ではなく魔力。
ならば。
「……骨の合理、か」
グラディウスは低く呟いた。
空洞の眼窩に、青白い炎が灯る。
「よかろう、ラウンレイフィ」
彼は剣を持ち上げた。
人間だった頃の構え。
それを、少しだけ崩す。
長く染みついた形を変えることは、死者であっても容易ではない。
むしろ、死者は成長せず、未練にしがみつくだけの気質が強いが、更なる高みを目指すことをグラディウスはやめなかった。
だが、敗北は終わりではない
次の修行内容が決まった。
「次こそは、一太刀」
ダンジョンの奥で、骨の剣士はまた剣を振り始めた。
とあるダンジョンでは、敗北してなお、生還する者が増えた。
アンデットのダンジョンであるのに、武芸を目指す者が通うようになる『聖地』と呼ばれるようになるのは、いつか未来の話である。
---
セッション7:ソード・リッチの挑戦
依頼:なし。挑戦。
結果:ラウンレイフィの勝利。
獲得:ソード・リッチ・グラディウスの再来店、拡張戦闘空間の初公開、レイの剣技と魔力操作の一端。
喪失:グラディウスの生前の人間的な剣技への過信。
変化:グラディウスは、骨と魔力で動く体にふさわしい剣の合理を考え始める。
次回以降、グラディウスはまた長い修行の果てに、ラウンレイフィへ挑みに来る。
グラディウスは、ダンジョンの最奥に辿り着く『見込みある挑戦者』を、敗北させても生きて生還させるようになった。




