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飯が美味すぎて、気づけば世界を支配していた。 ~無限魔力の料理人、物流と教育で最強国家を作る~  作者: 慈架太子


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1:空腹

海風は冷たかった。


灰色の空の下、港町アルフェイドの裏通りには、魚の腐臭と湿った石畳の匂いが淀んでいる。朝だというのに活気は薄い。活気があるのは表通りだけだ。


冒険者ギルドの裏口付近には、今日も仕事にありつけなかった連中が座り込んでいた。


その中に、クルザードもいる。


二十二歳。黒髪。長身。痩せてはいるが、骨格はしっかりしている。目つきは穏やかだが、その奥は妙に冷静だった。


腰には古びた剣。背には巨大な荷袋。そして、空腹。


彼の周囲には、どんよりとした停滞感が漂っていた。しかし、クルザード自身の佇まいには、悲壮感や陰気さは微塵もない。むしろ、その場に馴染むような明るさと陽気さ、そして誰に対しても壁を作らない気さくな雰囲気を漂わせている。それでも、ただの楽天家ではないことは、その場を観察する瞳の鋭さが物語っていた。


「おい、クル。荷物持ち行くぞ」


声をかけてきたのは、三人組の冒険者だった。手入れの行き届いていない革鎧に、刃の欠けた粗悪な短剣。そして、他人を見下す目を隠そうともしない、この街によくいる底辺の連中だ。


クルザードはゆっくりと、しかし軽快な動作で立ち上がった。相手の不遜な態度に対しても、嫌な顔一つせず、気さくな笑みを浮かべる。


「いいぜ。声をかけてくれて助かる。それで、報酬は?」


「パン一個」


「なるほど、そいつは少ないな」


「荷物持ちに何期待してんだ?」


下品な笑いが起きる。三人組はクルザードを小馬鹿にして鼻で笑った。


だが、クルザードは怒らなかった。不快に思うことすらしない。

怒る意味がないからだ。今は金も立場もない。必要なのは感情の発散ではなく、生存という実利だ。ここで揉めて仕事を失う方が、よほど不効率である。


「分かった。行こう」


短く、ハキハキと答える。無駄なお世辞や軽口は叩かない。ただ、目の前の事実を受け入れ、次への一歩とする。

それでいい。生き残れば、この不効率を覆す次がある。


ギルド前は騒がしかった。ダンジョン帰りの冒険者達が、血のついた素材を売り、安い酒を飲み、些細なことで怒鳴り合っている。


港町アルフェイド。海とダンジョンで成り立つ都市国家。北には魔の森、南には大海、中央には巨大ダンジョン《灰喰らい》。この町は、集まる人間の命と欲を喰って栄えていた。


「お前、後ろから来い。絶対前に出るなよ」


「了解。お前さんたちの背中を信じて、後ろの管理は任せてもらうよ」


三人組の一人が鼻を鳴らした。


「返事だけはいいんだよな」


クルザードは何も言わない。無駄な言い返しは時間の無駄だ。その代わり、視線を街のあちこちへ向ける。


人が多い。物流も多い。魚、塩、木材、鉄、酒。動いている資源の量自体は膨大だ。にもかかわらず、街全体に行き渡っていない。


問題は明確だった。


(腐敗率が高い)


市場に並ぶ魚の三割以上がすでに傷んでいる。流通速度が遅く、熱を奪う氷がない。保存技術が低く、使われている塩も不純物だらけの粗悪品。道路の舗装が悪いため、運ぶだけで食材が痛む。


彼がそう思考した瞬間、脳内に宿る「鑑定」の能力が、本人の意志に関係なく、勝手に情報を流し込んでくる。


『魚類:腐敗進行二十八%』

『塩分濃度不足』

『水質悪化』

『栄養欠損』

『雑菌繁殖』

『排水構造欠陥』


「……っ」


激しい頭痛が走り、視界が揺れた。あまりの情報量に脳が焼き切れそうになる。


「おい?」


「大丈夫か?」


「……問題ない。ちょっと石畳の並びが綺麗で見惚れていただけさ。さあ、進もう」


陽気に笑って誤魔化したが、内情は深刻だった。

問題だらけだ。この街の構造も、そして自分のこの能力も。


クルザードの鑑定は異常だった。見れば分かり、触れればさらに深く理解できる。しかし、情報の洪水が制御不能のまま流れ込んでくるため、普段は役に立たないどころか、体力を削るだけの足枷だった。だから誰も彼の能力を評価しないし、彼自身も隠している。


一行は薄暗いダンジョン《灰喰らい》第一層へと足を踏み入れた。


湿った石壁。薄暗い通路。カビと生物の死臭が混ざった腐臭。海水が地下へ流れ込んでいるせいで、足元は常にぬかるみ、空気が鉛のように重い。


「来るぞ!」


前衛の男が叫ぶ。

通路の奥から現れたのは、ゴブリン三体。錆びた短剣を握り、緑色の肌を震わせ、飢えた目でこちらを睨んでいる。


三人組が気勢を上げて突っ込んだ。剣がぶつかり、鈍い火花が散る。怒号が狭い通路に反響する。いつも通りの、ありふれた低ランクの戦闘。誰もがそう思っていた。


しかし。


「ぎゃっ!?」


一人がまともな防衛もできずに吹き飛んだ。


「は!?」


ゴブリンの動きが妙に速い。筋力も通常の個体を遥かに凌駕している。

違う。ただのゴブリンではない。クルザードの瞳の奥で、鑑定の文字が明滅した。


『個体変異』

『筋力上昇』

『飢餓状態』

『攻撃性増大』


「右から来る! 盾を回せ!」


クルザードが鋭い声で叫んだ。その声に軽さはなく、戦況を的確に見極めた「判断」が籠もっていた。

しかし、混乱した三人組にその指示を聞き入れる余裕はない。


「は?」


直後、横穴から別個体のゴブリンが飛び出した。


「なっ!?」


前衛の脇腹へ短剣が突き刺さる。血が吹き飛び、悲鳴が上がった。

一瞬にして連携が崩壊し、パニックが広がる。


クルザードは小さく舌打ちした。


(遅い)


全員の動きが、判断が、あまりにも遅い。無駄が多すぎる。立ち位置の振り分けも、敵の誘導も、全てが雑だ。これでは全滅する。


ゴブリンが負傷者へ向けてさらに飛びかかる。


クルザードは腰の古びた剣を抜いた。


速い。

一閃。無駄な軌道を一切排除した鋭い一撃が、ゴブリンの腕を綺麗に切り飛ばした。


「は……?」


三人組の動きが止まった。クルザード自身も、その場にわずかに視線を落とす。剣筋が鋭すぎた。自分でも完全に制御しきれていない肉体のスペック。身体が最適な効率を求めて勝手に動いた結果だ。


ゴブリンが怒り狂って咆哮する。別個体が四方から一斉に飛びかかってきた。

クルザードは反射的に左手を出した。剣で一体ずつ斬るよりも、この場の水分を利用する方が制圧効率が高いと判断したからだ。


周囲の水分が集まる。空気中の湿気、壁面の滴、足元の地下水。それら全てが、異常な速度で集束していく。


「……っ」


魔力量が多すぎる。集まりすぎる。細かい加減ができない。

膨張した巨大な水球が、飛びかかってきたゴブリンたちの頭部を完全に覆った。

水の中で暴れ、苦しむゴブリンたち。数秒の激しい悶絶の後、それらは完全に動かなくなった。


沈黙が通路を満たす。


「お、お前……」


三人組が恐怖に顔を強張らせ、じりじりと後退りする。

クルザードは集めた水を地面に散らし、困ったように笑いながら眉を寄せた。


「いやあ、使いにくくて参るよ。魔力量が多すぎてね、加減ができないんだ。だから普段は使わない。危険だからね」


「化け物め……!」


「帰るぞ!」


三人組は逃げるように言った。負傷した仲間を抱え、剥ぎ取るべき素材の回収すら忘れて、来た道を猛スピードで引き返していく。


クルザードは一人、静かになったダンジョンに取り残された。


「やれやれ。報酬のパンは無し、か。まあいい」


彼は足元に転がるゴブリンを見下ろした。鑑定の文字が再び浮かび上がる。


『食用可能』

『筋肉量低』

『脂肪少』

『骨利用可能』


「食えるな」


そう呟いて、彼は手をかざした。「アイテムボックス」を起動する。

非生物、あるいは完全に絶命したものであれば、質量を無視して大量に収納できる空間。逆に生きた生物を入れれば、時間を凍結して保護状態にする。整合性の取れない能力だが、今の彼にとっては極めて便利な道具だった。


ゴブリンの死骸が虚空へと消えていく。


「よし、今日の収穫はこれで十分だ。戻ろう」


彼は軽やかな足取りでダンジョンを後にした。


ダンジョンを出た頃には夕方だった。

港町の外れ、潮風がまともに吹き付ける崖の上に、誰も使っていない廃屋がある。そこがクルザードの現在の寝床だ。


彼は手際よく火を起こした。アイテムボックスから乾いた薪を取り出し、鍋をかける。海水を精製した自前の塩、ダンジョンで採ったキノコ、乾燥させた薬草。そして、先ほど手に入れたゴブリンの肉。


じゅう、と小気味よい音が鳴り響く。

肉汁が弾け、香ばしい匂いが廃屋の中に広がっていく。クルザードは淡々と、しかし極めて効率的に処理を進めていった。


包丁を細かく動かして硬い筋を正確に切る。薬草の汁に浸して独特の臭みを完全に抜く。火加減を細かく調整しながら、じっくりと旨味を引き出していく。

スープの中にキノコと潰した薬草を投入すると、食欲をそそる濃厚な湯気が立ち上った。


「……いいな。これなら美味しく食える」


その時だった。

廃屋の入り口で、立て付けの悪い扉がガタリと音を立てた。

誰かいる。冷たい海風と共に、微かな気配が入り込んできた。


クルザードは陽気な笑みを崩さないまま、視線だけを入り口に向けた。


そこにいたのは、一人の女だった。

金髪。泥と潮風で汚れた薄外套。酷く痩せ細った身体。しかし、その汚れの下にある顔立ちは驚くほど整っている。年齢は二十歳前後といったところか。


互いに見つめ合う中、静寂を破って、ぐう、と大きなお腹の音が鳴り響いた。


女は一瞬にして顔を真っ赤にし、恥ずかしそうに俯いた。

クルザードはからかうような真似はせず、鍋の中のスープを見つめ、それから彼女に気さくに声をかけた。


「食うか?」


「……え?」


女は信じられないというように目を見開いた。


「量は十分に余っている。一人で食べるには少し多すぎるくらいさ」


女の瞳に強い警戒の色が浮かぶ。この弱肉強食の港町において、無償の親切などあり得ない。誰もがそれを知っている。


「金はない」


「いらないよ」


「……なんで? どうしてそんなことをするの?」


「捨てる方が損だからだ。無駄にするくらいなら、君の胃袋に収まった方が遥かに効率がいい」


無駄な感情論ではなく、純粋な合理性としての言葉。そこに下卑た下心が一切含まれていないことを察したのか、女はしばらく固まっていたが、やがて寒さと空腹に負けたように、小さく頷いて暖炉の傍に座った。


クルザードは木椀に熱々のスープを注ぎ、彼女に手渡した。

湯気が二人の間を温める。


女は恐る恐るスープを口へ運んだ。そして、劇的に目を見開いて動きを止めた。


「……おいしい」


その声は震えていた。ゴブリンの肉とは思えないほどの深いコクと、薬草による絶妙な味付け。冷え切った身体に、温かい栄養が染み渡っていく。


クルザードは黙って、アイテムボックスから黒パンを取り出した。そのまま渡すのではなく、火の傍で少し炙ってある。


「これもどうぞ。少し火を通すだけで、香ばしくて柔らかくなる」


温かいパンを受け取った瞬間、女の目から大粒の涙が溢れ出た。


「なんで……こんなの……どうしてここまでしてくれるの……」


「腹が減っている時は、冷たい理屈よりも温かい飯の方が体にいい。それだけさ」


クルザードは静かに言った。それ以上は何も語らず、自身の椀を口に運ぶ。


外では冷たい海風が吹き荒れている。遠くからは、いつも通りの酔っ払いたちの怒鳴り声や、治安の悪い喧嘩の音が響いてくる。港町アルフェイドは今日も荒れ、停滞していた。


だが、この廃屋だけは違った。

暖炉の火が静かに爆ぜ、鍋が煮える。温かい湯気が立ち上る中、女は夢中でスープを啜り、パンを噛み締めている。


クルザードは揺れる火の粉を見つめながら、己の思考を巡らせていた。


この世界は、根本的におかしい。

これだけの資源があり、これだけの人間がいるのに、なぜ皆が飢え、困窮しているのか。

海があるのに保存技術がないせいで大半を腐らせる。

ダンジョンに食材があるのに、知識がないせいで誰も見向きもしない。

人が溢れているのに、適切な役割の「振り分け」ができないせいで、物流も社会も全く回っていない。


無駄が多すぎる。流れが致命的に悪い。


なら、変えればいい。


自分が適切な「判断」を下し、状況の流れを決める。

美味いものを食わせれば、自然と人は集まる。

保存技術を確立すれば、過酷な冬を越せる。

治療の効率を上げれば、無駄な死は防げる。

集まった人間に、それぞれの才能に応じた最適な役割を「振り分け」て動かせば、社会という巨大な歯車は爆発的な勢いで回り始める。


まだ自分の影響力は小さい。今は空腹を満たしたばかりの、ただの荷物持ちだ。


だが、クルザードは確信していた。

この世界は、もっと効率良く、もっと美しく回せる。


「まずは、この街の物流の澱みを消すことから始めるか」


暗闇の中、クルザードは陽気に、そして不敵に微笑んだ。






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