カントリー・ハウス(1)
どこから話そうか。
アーサーがそう言ったのは、新年も開けた頃のことで、二人の暮らす古いレンガ造りの下宿の外では白雪が高く積もっていた。ようやく吹雪こそやんだけれど、窓の向こうの銀世界はしばらく溶けはしないに違いない。
マリアは例のように紅茶を淹れた。湯気が立ち上ると、ほわん、と心が緩んでいく。
「どこからでも、旦那様の話したいところからでいいです。……と、言うと困った顔をするんでしょう!」
アーサーは耳を垂らしてしょげてしまった犬のように、しょぼん、とする。マリアは腰に手を当てた。
「昨日も同じやり取りしませんでした?」
「したよ。昨日と言わず、その前の日も、さらに前、なんなら毎日してるかな。あの、マリア、もしかして、僕のことに興味をお持ちでないのかな……ってそんなことはない?」
「…なんですって」
マリアがアーサーにどこから話せ、と言わないのは、単純にどこから聞いていいのか分からないからだ。帝国皇帝まで噛んでいるなら慎重になるのは当然だろう。
(てっきりアーサーは分かってるものだと思っていたけれど、私の興味って、そんな心配をしていたの。……時々、ヘンな思考回路をしているわよね)
マリアのことを、マリアが思う以上に気にしているのだ。紅茶のカップを机に二つ並べると、アーサーはしょぼしょぼしながら飴色の棚から紙袋を取り出した。中から皿に移しているのは、アーサーの妹であるステファニーからもらったクッキーだ。
ナッツの生地がサクサクとして香ばしい、皇帝陛下の御用達と有名な店のジャムクッキー、とマリアも耳に挟んだことはある。食べるのは初になる。
(今さらだけれど、リチャード様がこれを食べているのよね。ステファニー姉様、山ほど買ってらしたけど、リチャード様は嫌いでもクッキーはお好きなのかしら)
クッキーに罪はないと言うことだろうか。謎。謎な兄妹だ。兄の方はクッキーに器用にクリームを添えると、ちょん、と机に置いた。そしてその間も肩は落としたままだ。
やっぱりヘンな人…!
ぱく、と口に入れればサクサクの生地がほろほろと崩れた。ジャムからは濃厚な苺の香りが漂う。
「…おいしい」
「…あ、本当だ」
アーサーと目を合わせ、同じようなタイミングで紅茶のカップを持つ。わざと渋めに淹れておいてよかった。
ほぅ、と一息つく。ぱちり、と薪の火花は爆ぜる音が耳に届く。多分、アーサーも自分と同じ心地でいる。
微睡んだ後、アーサーがかちりと音がしそうな、切れ長の二重で瞬いた。
「……リチャードは、舌は肥えてたけど、貧しい時は食べ物の選り好みはしなかった。遡れば皇帝の血筋の生まれだったのに、そんな感じを感じさせない従兄弟で……でも、骨の髄は、やっぱり、大貴族だと思うことがあったよ」
覚えている、と問われる。
「『紛争で没落したあと後に南の一角に流され、名ばかりではありますが南の辺境を治めています。
現在でも古き血、の生き残りと表現されている。ですので、完全な間違いではないかと』
マリアが大学にきてくれて、言っていたことだね。ダメな僕の講義に、助け船を出してくれた」
一言一句違わずに、さらりとアーサーは暗唱して、そのくせ弱気そうに微笑んだ。マリアは身震いをしそうになる。
(アーサーには、これくらいなんでもないんだわ…)
人一人の器をはるかに越す能を持つと言われた氷公。初めて、その底知れなさの一片を覗いたようだった。
「古き血は、リチャードだ。マリアも知っているだろうけれど、滅んでしまった王国の末裔で、その名の通り古く長い歴史を持った…カセキみたいな血筋だ。息をしているのが不思議なくらいに、古い」
「旦那様も?」
アーサーは少し目を見張ってから、首を横に振る。
「僕とステファニーは従兄弟だから、本筋から外れた者は、直系とは扱いが格段に違う。
まぁ、ただ、迫害じみた圧力をかけられていたリチャードを、屋敷に迎え入れてからは、同じように散々な目にはあったかな」
「屋敷……リチャード様が昔案内して下さったのは、帝都のマナー・ハウスでしたが、多分、それではありませんね」
今思えば、リチャードは極力マリアを彼の親類から遠ざけていた。婚約者がそうであるのだから、他の人にはもっと厳重だった。
血筋ゆえの秘密主義。それはアーサーも同じ。
「…どこに、旦那様は、住んでました?」
どんな風に、今のアーサーになったのか。ステファニーやリチャードの、どんな兄だったのか。
マリアの質問に、アーサーは一拍沈黙して、カップを下ろした。
「…見に、行きたい?」
「ええ」
「いつ?」
「今からでも」
間髪入れずの返事に、困ったように笑って、アーサーは、うん、と頷いた。
「……外は寒いから、ちゃんと一番暖かいコートを着て行こう」
距離はね、ちょっと遠いかな。汽車で行くんだ。前にさ、マリアも一緒に乗っていたあの、行き先だよ。と、言って、アーサーは、くしゃりと自分の髪をかき混ぜた。
カーブした癖毛が、綿毛のように広がる。
「……こっそり、片付けでもしようと思ったものがあったけど…でも、やっぱりマリアが、見てくれたら嬉しいよ。……お願いだから呆れないでね」
マリアは狼狽えた。
(その言い方は、ずるいわ!)




