木漏れ日(3)
珍しいことは立て続けに起こるものだ。
「今日はあと、教養授業で、ダンスをするようですね」
午後の休み、マリアが時間割を確認しつつ、二人でベークルを頬張る。東からきた珍しい漬物が挟まっているらしく、異常な酸っぱさが口内を支配している。
「この前のダンスパーティーで、予想外に下手な生徒が多くて、緊急授業が必要だ、ってなったんだよ。解説しながらダンスをするだけなら楽だけど、あの元気がありあまっている生徒たちに指導するからね」
「暇はしなさそうですわ」
「まさにその通り。……あの、マリア、この漬け物だけど、一つのベーグルに五個も必要?」
「体にいいそうです」
「ハイ」
大人しく漬け物をお腹の中に収める。
「あ、そうだ。授業前に借りていた図書を返さないと。今日が返却期限なんだよ」
「では、ここで待っています」
マリアは頷いた。
その彼は、自身の身分には場違いすぎる大学の図書室で、本を読んでいた。多分彼は計算してそこにいたけれど、事情を知らなかった俺は随分とびっくりさせられた。
(……ははぁ、今日はおふざけの気分か)
でなければ、彼が生徒の扮装をしている理由に説明がつかない。ふむふむ、と興味深そうに汽車の仕組みを熟読し、俺の視線に気づくとパタンと本を閉じた。
氷の美貌。
滅多に気づかれはしないものの、本当のところ、彼と俺の顔の造作は酷似しているらしい、とは、俺の妹の評価になる。正真正銘、血の繋がった従兄弟だから不思議ではない。
(しかし、そんなに似てるかなぁ……多分、ステファニーの欲目な気がする…)
巨大迷路のように図書室には、人っ子ひとりいない。思えば奇妙だった。
従兄弟の仕業に違いなかった。
「久しぶり、リチャード」
声をかけると、従兄弟は口の端をつり上げるようにして、笑った。
「……アーサー、直接言うのが遅れたな。独り身卒業、おめでとう」
「それをお前が言うか…」
「ははっ、いいじゃないか。つまらんことにはこだわるな!」
浮かべる笑顔は暖かみより、凄味がある。太陽皇とは似合わない二つ名だと、見るたび思う。
太陽皇。つまりは彼こそがこの帝国の皇帝、その人になる。若き帝国の覇者など、いくらでも飾る言葉は後を絶たない。古き帝国の、麗しき王冠、と容姿を称えられることも多い。
そして皇帝になる前は、もう一つの顔を持っていた。
マリア・ノルデンの正式な一人目の婚約者は、誰でもない、彼だった。俺の従兄弟のリチャードが、今のマリア・ストウナーと結婚する予定だったのだ。
従兄弟から破棄したわけだけれど。
(………ああ、でも)
美しい従兄弟を眺めながら思う。
(この隣にマリアがいるのは、普通に似合いだったな…確実に、俺よりも)
***
リチャードは軽やかな足運びで、そっと近くまで寄ってきた。俺を見上げ、眉間にシワを作る。
「アーサー、また背が伸びてないか」
「気のせいだよ。お望みなら屈むけど、どうする?」
「要らん。手、出せ」
まさか、と言いながら手を後ろに組む。
「手の甲へのキスは俺からするべきだ。拒否させてもらう。というか、リチャードがしてしまったら大問題だろう」
「古い慣習など、馬鹿馬鹿しくないか?嫌がるのは凡人がすることで、利用するのが賢人の判断だとお前は言ってただろ。つべこべ言わずに、手!」
「……まったく、俺は犬かな…」
言うことを聞きそうにもない従兄弟の気性は、確実に妹のステファニーと似ている。嫌がるのは絶対なので妹には言わないが、彼は間違いなく自分たちの血縁だった。
(ステファニーみたいに扱えば、意外と上手くいかないかな。……相手が帝国皇帝っていうのが、かなりの難点だけど)
素早く従兄弟の右手首を取る。
「おいッ!」
「ハイハイ、リチャード、俺も不敬罪で捕まりたくはないからね」
振り払おうとする従兄弟に腰を折り、拝礼する。忠誠を意味する手の甲へのキスをさっと済ませてしまうと、案の定、恐ろしい形相で俺を睨みつける。
「……つまらん!」
「相手の立場も考えておくれよ。その無茶ぶり、臣下にはしてるんだろう」
「手の甲に接吻はしないけどな。したら議会が喜びそうだ。ククク、廃帝だと騒ぎたてるぞ」
リチャードは愉快そうに喉の奥で笑う。慣れていなければ、整いすぎる顔と相まって、ちょっとした恐怖だろう。
「もうすぐ建帝国記念日なのに、よく、時間を作れたね。それにその衣装……」
「悪くないだろ?」
「ああ、違和感がないのがむしろ、面白い。そろそろ三十はいきそうなのに、分からないものだな」
「気に入ったよ。記念日に際して、城下を見るのにも役立つ。動きやすい。
今年は議会が難癖つけたからな。物価の調整に手間取ったが、懐柔と脅しはこちらの十八番だと、披露するいい機会だった。アイツらがそれで懲りるとも思わんが……どうだ?」
「皇帝の政治を、俺が評価しろと言っている?」
フン、と従兄弟様は鼻を鳴らした。
「それ以外に何がある。アーサーは俺の師だった」
「過去の遺物は黙らせてもらうよ」
「話せ。でないと、元婚約者様に、俺が口を滑らせてやる」
「……リチャード」
マリアには聞かせたことのない、低い声を出す。そして、す、と自分の目を細めた。多分だけれど、ごくごく無意識に、おそらくは怒気が出ていたのだろう。
くつくつと従兄弟は興味深げに、そんな俺と相対する。
「……面白い。アーサー、昔の…『氷公』時代みたいな顔、してるぞ」
氷公とは、久しぶりに聞いた、自分の二つ名だった。氷の公爵、から氷公。太陽皇の右腕として冷酷に手腕をふるいながらも、本当の名や顔が見えないことで、知られている。
リチャードは嬉しそうだった。
「氷公こそ、俺が太陽皇と呼ばれる所以だからな。いくら恐ろしくとも、氷公の所業よりは暖かみがあるから、太陽だと」
「……」
真実だから、嫌なのだ。相変わらず人の痛いところを突くのが、大変うまい従兄弟様である。




