木漏れ日(4)
旦那様、と呼ばれ、扉の方へ首を向けた。
「…ッ!」
「……遅かったので、きました」
マリアがドアの隣で足をそろえ、背筋を伸ばして立っていた。驚きと同時に理解する。
(してやられた。リチャード、見えていたな)
俺の後ろが見えていた従兄弟なら、マリアが姿を現すことくらい分かるはずなのだ。見えていて、あえて彼は会話を続けていた。
それに、図書室は事前に人払いをしてあった。というのに、皇帝がいる図書室へマリアが一人、入れるというのも不自然だった。
従兄弟はザルな警備を許す性質ではない。だいたい氷公として近衛兵の統率を行っていた時、自分が使えない兵を育てた覚えはない。
(全部が全部、計算というわけでもないだろうが……本の返却は俺の意志によるものだし、恐らく偶然の要素もある…)
しかし、どこかにはリチャードの思惑があった。見事その罠にはまった、というわけだろう。
従兄弟にそのテの手腕を鍛えたのは自分だった。その教えた張本人が無駄に牽制し、会話をしていたのだ。
滑稽、滑稽。氷公時代ならば、決してこんな油断はしていない。
「……鈍ったか…」
「落ちこむな、アーサー。年をとったから丸くなったんだろ。見事にハマってくれて、大変、感謝、感激、涙がちょちょぎれて顔面崩壊しそうに嬉しいぞ」
「できればそのまま存在ごと一時崩壊してくれないか…」
「ははは、面白い冗談も言えるようになったじゃあないか!」
リチャードの笑い声が広い図書室に響く。ゾッとする、と評判の大笑だが、今現在の状況ほど恐ろしいものはない。
リチャードと並んでいる時点で、もう、マリアには言い訳できそうにはなかった。
(この帝国の皇帝に叩頭もせず、近い距離で立つのが許される身分………そんなものはない)
マリアは唇を硬く引き、扉のそばに立ち続けている。まるで我慢強い、兵士のよう。
「マリア」
「はい……」
「聞きたいことはあると思う……その、すまない。望むなら、説明する……するから」
「なんだ、本当に何も言わなかったのか」
愉快そうに足を組み、従兄弟は茶々を入れる。空気というものをまるっきり読まないから、ステファニーに毛嫌いされるのだが、ちっとも変わっていないらしい。
「俺なら言うがな。従兄弟の元婚約者と知っていて、社交界で出会っていたことくらい、ばれるのに決まってる」
悪びれる様子なく、偉そうに踏ん反り返られた。事実偉いし、マリアと長いこと交流をしていたのは、従兄弟の方だった。
「グズグズ先延ばしなんぞ、氷公らしくもない。呆れたことだ」
「リチャード!」
「そう怒りっぽくなるのも、らしくないから俺がわざわざ出向いてみた。まさかここまで隠していたとは、予想外だがな。つまりそう言うことだよ、元婚約者殿」
わざとらしく椅子に腰掛け、リチャードは俺を見る。作られた子供っぽさは、従兄弟になにか気に入らないことがある証拠だ。
(しかし、リチャードにしては、余計なお喋りばかりだな)
もとより、要らないことに多弁になる彼ではない。
ふと理解する。
(……ああ。リチャードは、まだ、マリアのことを好ましく思っているのか……)
好いている相手に婚約破棄を告げたのも彼だけれど、リチャードは確かにマリアを好いていた。その事実は、どことなく察してはいた。
しかし初めて目の当たりにして、実感する。
(やっぱり、似合いなのは…この、二人の方だな…)
マリアは扉から動かない。それ以上近づく許可が出るまで、ずっと、その場所に立っていそうだった。
この場での説明と言い訳など、必要ないのではと思う。それよりもリチャードと話をさせた方が、いいのではないのだろうか。
確執があるにしても、リチャードとマリアは間違いなく長い間に渡って、交流してきたことを俺は知っている。くる季節の折々にマリアが手紙をやり取りして、たまの時間に会い、関係を築いてきたのは俺ではない。リチャードの方なのだった。
「……マリア、リチャードと会うのは、久しぶりだろう。もし、マリアがよければ、リチャードと話していかないかい」
リチャードの指がピク、と動く。
対してマリアははい、とも、いいえとも言わない。もちろんのように、動かない。
「何を話します」
「な、なにって、マリアがリチャードに聞きたいこととか、昔のこととか…。何年も婚約していたんだから……俺よりも、きっと積もることがあるはずだから……」
そうなのだ。たくさん、たくさんあって当然だった。マリアは元は、リチャードの妻となるはずだったのだから、俺よりも……
ーーコツ
コツ、コツと、靴音が聞こえる。目を上げなくても、この数ヶ月で聞き慣れた靴音だったので、誰のものが分かった。
マリアは、俺の眼前でピタリと靴を止めた。
リチャードではなく、俺のまえで。
「……その前に、私に、説明すると言っていたのではないですか」
ハッと、マリアの表情を改めて目に映す。薄紅の唇を震わせ、従兄弟の元婚約者で俺の奥方は、パチ、と瞬いた。
「……馬鹿、アーサー!」
ゴンッ、と鈍い衝撃が頬を貫く。
マリアは、ぐい、と俺の服の襟を掴んだ。
「まずは、私はアーサーと話したいのです! 元婚約者がなんです。私は、あなたの、妻でしょう。隠し事? よくあることです! でも言い訳も、説明も、旦那様の口から聞きたいのに、従兄弟に言われっぱなしなんて情けないですわ!」
全く、と息巻き、マリアは腰に手を当てた。
「氷公だか、皇帝の従兄弟だかの前に、私の旦那様である自覚を持ってくださいませ!」
燦々と輝く光を反射する、碧の瞳が真っ直ぐに俺を見つめる。
まるで木漏れ日を閉じ込めたような美しさ。なにものも溶かしてしまいそうなマリアの言葉に、俺もリチャードもただ、圧倒されてしまう。
マリア首を傾げる。
「お分かり?」
「……うん」
そうして、俺は、ゆっくりと頷いた。




