七章
現在、午後二時。都市部からそれほど離れていないこともあり、徒歩で心と大型ショッピングモールに買い物に来たわけだが。
「お兄ちゃん、こっちだよ。早く」
そう言い手を引く心は上機嫌。何かを買ってあげるような約束があるわけでもなく、ましてや懸賞などが当たるようなラッキーがあったわけでもない。俺には、妹のテンションに困惑し、おう、と照れつつ返事をするのが精一杯だ。
「今日はどうしたんだ。やけに元気があるな」
中高生をターゲットとした雑貨屋に足を踏み込んだ心にそう声をかける。背中がぴょこんと跳ねれば、猫のような甘えた声を発する。
「秘密です」
「秘密か、なら仕方ない」
心が秘密というなら仕方ないだろう。あれほれ聞くのは無粋というものじゃないだろうか。なんにしても、心の嬉しそうに顔を見るだけでも俺も嬉しくなる。
ショーケースに並べられたアクセサリーを眺めるその顔は実に幸せそうだ。
先日のことになる、大坪……標的名『アリオク』との戦いの後、早朝に帰宅。直後に俺はため息をついた。心は、俺を送り出したそのままの状態でソファで寝息を立てて、朝一番のニュースとにらめっこ。待つな、と言っても聞かないのが頑固な妹の良いところかもしれないが、これは少々困ったもんだ。しかし、可愛い妹がわざわざ待っていてくれたのだ、お姫様抱っこで部屋に連れて行き、俺の睡眠および心の起床後に買い物に誘ってみれば快諾。そして、今に至る。
――子供たちを救う。
身震いをする。幸せを感じれば感じるほど、ああいう標的たちの声が俺を襲う。親を助けたい、いじめから抜け出したい、好きな人を守りたい……そんな素直な願いを幾度も切り裂いてきた。俺が生きるために。時折、この幸せに眩暈を感じる。本当に俺は、人を傷つけ続ける上で得た幸せを享受していいのかと。
「お兄ちゃん、また眉間にシワ寄ってるよ」
「うわ……」
心に眉間をトントンと突かれた。驚きの声を上げる俺に心はクスリと笑みを浮かべた。
「お兄ちゃんには、いつも迷惑かけてるから……私からのプレゼント」
そうやって差し出された手の上には、小さな青い包み。
「プ、プレゼント……俺に?」
間抜けな声を上げる俺に、照れたように視線を逸らしながら小さく声を出した。
「い、いつも、ありがとう……感謝の気持ち……いいから、早く空けて!」
顔を赤くする心に苦笑を浮かべて、半ば強引に包みを開封すれば四葉のクローバーを模したキーホルダー。
「ベタだけど、幸せのクローバーてやつ……お兄ちゃんには幸せになってほしい」
緑にキラキラと光るキーホルダーが俺に優しい温もりを与えた。
嬉しさが溢れ出した俺は、心の頭を撫でながら素直な言葉を漏らす。
「本当にありがとう。一生大切にするよ」
「へへへ……どういたしまして」
照れたように笑うその顔に幸福を感じているとすれ違う女性客二人の声が聞こえた。
――お似合いのカップルね。かわいい。
瞬間、心の顔が真っ赤に染まる。
「え、ちょ、そ、んな、ば……そうじゃないですよ、オニイチャン!」
真っ赤で五歩ほど後ろに後退。
「お、おい、急にそんな慌てたら……」
俺の声が耳に入っていない心は後ろに置かれた棚に体がぶつかる。盛大な音をたてながら、棚に置かれた小物類が散乱。
「なんでこんなことに!」
「やれやれ」
涙声で慌てて小物を片付ける心に駆け寄る。普段がちゃんとしているくせに妙なところでドジなんだな。さて、どうやって気が動転する心を落ち着けようか……なかなかに骨が折れそうだ。
――助けて、お兄ちゃん。
小さな熊のぬいぐるみのストラップを持ち上げた手を止めた。
今、どこかで声が聞こえた気がする。ドクンドクン、この低く響く心臓の高鳴りは今までにない得体の知れないものに思えた。
※
場所は凛渡たちが現在利用しているショッピングモールの裏手。
はぁはぁ、と荒い呼吸でクリーム色のコンクリート壁の前で腰を下ろす少女が一人。それは昨晩、森の中で影と相対したショートカットの少女だった。
「もういや、なにも傷つけたくない……お兄ちゃんに会いたいだけなのに」
私はあの人に会いたい。本当にそれだけ、どうして嫌だよ。五年前からずっと貴方を想い続けているのに。
少女は虚ろな目でその場に倒れ込んだ。激しい呼吸は次第に小さく、お兄ちゃんお兄ちゃん、とかすかな声で呟くだけ。飲まず食わずで一晩走り続けて、昨夜の怪物との接触で少女の持つチカラのほとんどは空っぽだった。
「おい、大丈夫か!」
そんな少女の声を温かい声とたくましい手が持ち上げた。そこには、少女が探し求め続けた一人の青年がいた。
「凛渡お兄ちゃん……」
その言葉に、青年は驚きの表情を浮かべた。
「なんで、俺の名前を知ってるんだ……」
それ以上、少女は口を開くことはなく、安心したように瞼を落とした。青年は、少女を抱きかかえたままで、何かはっきりとしない不安を感じていた。
「ラッキー、目標はっけーん」
凛渡はとっさに背後を振り返る。そこには、髪をオレンジに染めた少年が愉快な声を上げていた。