六章
五年前に話は戻る。あの事件の日だ。ブルーの言葉は今でも覚えている。
――俺と契約すれば妹は救える。幸いお前は若く強い意志も持つ、俺を背負うことで心を殺すことはあるまい。苦しみだけではないさ、巨大な力も手に入る。お前と同じような悲劇をお前の手で食い止められる。それも全て俺と契約すれば、だ。
ヤツはいけしゃあしゃあとそう言った。心を救いたい一心と今の現実を覆すチカラを無意識に欲し契約をした。傷だらけの心を放心した気持ちで抱きしめていると無数の人間が俺を囲んだ。そいつらが管理局の人間だった。
――ごめんね、管理局に属さないヨロイ持ちは処分しなきゃいけないんだ。それでも良かったらそのままでいてね、本当にごめんねごめんね。……でも、管理局に入ったらそれだけで全て解決だよ。
異形の悪魔と契約したら、新しい悪魔らしい悪魔との契約もすることになった。それが俺の目の前にいる犬飼浩二だ。
今、俺のいる場所は家路へ着く為に乗り込んだ管理局のトラックの荷台の中だ。荷台といっても、様々なコンピューター機器が積まれ、人が腰掛ける為のソファが一つに会議をするためのテーブルも用意している。
目の前のテーブルで湯気を上げるコーヒーを手に取り口にした。視線を横に向ければコーヒーを淹れてくれた句読と視線がぶつかる。味が心配なのだろうか、おどおどした表情を俺に向ける。問題ない、という意味で俺が頷けば句読もほっと一息ついたようだ。ゆるりと視線を前へ、テーブル越しに俺の前に座る犬飼も同じコーヒーをニタニタとした笑みを浮かべながら口にする。
「今夜もお疲れ様。見事な仕事ぶりだよ、我が組織のナンバー4……またの名を青の王ブルー」
犬飼は俺のヨロイの名前を口にする。管理局に在籍すると本名では呼ばれずにヨロイの名前で呼ばれる。犬飼の口にするその名前はいやらしさを感じさせた。
「問題ない。情報操作も頼むぞ」
「優しいねブルー君は。大坪をヒーローだと思い込んでる子供もいるみたいだし、そんな子達に悪い夢は見せたくないもんね。了解、ヒーローにはヒーローらしい物語を作っておくね」
その言葉には答えずに再びコーヒーを口にする。
優しさ、だと。そんなわけあるものか真実から目を背けて仕立て上げられた物語を耳にする。それは優しいのか。違う、違うはずだ。だが、俺にはそれ以上にできることは考えることができない。大坪への罪の意識かそれともヒーローを失う子供達への負い目なのか、分からない。俺は分からないままに生き、戦う。この胸の痞えと共に今は脱力感へと身を任せよう。早く、あの家へ帰りたい。どうか早く。
手に持つカップの温かみは、俺の支えなければいけない温かさに似ていた。大切なぬくもりを連想するそんな温度。
※
少女が走る。そして、木々の合間を駆け抜ける少女を追いかけるのは巨大な影だ。禍々しいその姿は、暗闇から這い出した死霊のようにも見える。
少女はショートカットに年齢は十五、六というところだった。汗でびっしょりと濡れるその体を包むのは灰色のコート。翻したコートの足には、いくつもの擦り傷が見られる。駆け抜ける場所は、まともに舗装もされてない獣道。手のひらからは多量の血、履いているスニーカーはところどころ穴だらけ、少女の息は短く。
「早く……助けて……早く……」
苦しげに漏らすその声は、助けを求める。
愛しい彼を、優しい笑顔の彼を。今の私は、彼にはどう映るのだろう。怖い、それでも会いに行かないと。
「凛渡お兄ちゃん……!」
涙を目にいっぱい溜めて、愛しい彼を呼ぶ。背中から迫る影が、距離を詰めるのが分かった。走る、迫る、走る、迫る。そして、影が少女に追いついた。影は、巨大な腕を振り上げると少女へ向けて容赦なく落とす。
「だめ……本当にだめなの……!」
少女は叫んだ。瞬間、閃光が弾けた。少女を中心に辺り一帯を光が包む。瞬く間に凄まじい勢いで光が影を飲み込んだ。