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嫁が亡くなった。
嫁は仕事をバリバリしていて、健康には人一倍気を遣っていた。晩酌の時でさえ「レモンサワーが一番! ビタミンCパワーよ!」なんて言っていたのだ。
そんな嫁と二十五歳で結婚して、二十五年が経った。
二人の子ども、長男の湊は仕事を始めたばかり、長女の陽菜は大学生で都心で一人暮らしをしていた。
そんな俺の日常に前触れもなく変化が訪れる。
「なんか胸にしこりがあるのよね~」
「うん? そうなのか?」
「病院に行ったらね、念のためで精密検査しましょう、って」
それから一週間も経たないうちに嫁から告げられる。
「私ね、乳がんらしいのよ。でもすぐに手術でがんを摘出するわけではないんだって。点滴治療をしばらく受けるらしいの」
点滴治療を受けるため一泊二日の入院手術を受けた嫁は、左腕に埋め込まれた医療器具を見せて八重歯を覗かせ笑顔になる。
「なんだかロボットになった気分よ」
「なんか俺より強くなりそうだ」
「なるかもしれないわね。あ、それで治療が始まると、飲めなくなっちゃうから、最後のレモンサワー!」
本当にそんな治療が始まると思えないぐらい、嫁は明るく笑顔が絶えない。
何より本人は病を克服するという気概が強い。
「涼ちゃん、私、がんばるわ。孫の顔をみたいから、負けないわよ」
さらに嫁は娘の薦めでこんなことまで始めている。
「点滴の時間を楽しめるように、スマホでラノベを読み始めたの。今ね、ヨーロッパみたいな世界の恋愛話が人気なんだって! 陽菜が勧めてくれて、読んでみたら……。面白いの! まさかこの歳になってこんな異世界恋愛ものにハマるなんて思わなかったわ!」
嫁はそんなことを言って、点滴による治療、手術、再びの点滴による治療を続け、そして――。
「わー、終わった! これで髪も生えてくれるらしいわよ!」
最後まで治療を駆け抜けたのに――。
「涼ちゃん……ごめん。私……ちょっと疲れちゃった。先にね、休ませてもらう。陽菜と湊のこと、お願いしてもいい?」
再発して二カ月で嫁は息を引き取った。
俺は嫁に「大丈夫だ。二人のことは俺に任せろ。お前は病気を治すことに専念すればいい」と答えている。この約束を守らなければならない。そのために生きてきた。
息子の湊は三年前に結婚し、そして陽菜もついに嫁ぐことになった。嫁さんが使っていたスマホはもう電話をかけることもネットにつながることもない。だが電源を入れれば起動はするし、写真も動画も撮影できる。
そこで俺は陽菜のウェディングドレス姿を嫁のスマホで撮影する。
「綾香、陽菜もついに結婚する。綺麗だろう? お前に似て陽菜は美人に育った」
このスマホには嫁が亡くなって以降、子どもたちの成長が記録されている。このスマホを嫁が見ることはないだろうが、何となくこうすることで、嫁とまだ繋がっている――そんな気持ちに俺はなっていたのだ。
「それでは新郎新婦によるお見送りとなります」
拍手と軽やかな音楽に合わせ、俺は席から立つ。
「綾香、約束、ちゃんと守ったよ」
どこかで張り詰めていた気持ちが一気に緩んだようだ。披露宴の後、陽菜が用意してくれたホテルの部屋に戻った俺は……。急に後頭部に猛烈な痛みを感じ、吐き気に襲われる。助けを呼ぶ余裕なんてなく、嫁のスマホを握りしめたまま倒れ込み――。
◇
カチャ、カチャと食器の音が聞こえる。
瞼に柔らかい陽射しを感じ、目を開けると――。
これは……天蓋付きのベッド……?
陽菜が用意してくれた部屋はスーペリアルームでビジネスホテルとはランクが違っていた。部屋は広々、ベッドはクイーンサイズ、ソファもあり、バスルームも大きかった。大型のテレビやコーヒーマシーンなどもあったが、さすがに天蓋付きのベッドではなかったと思う。
「坊ちゃま、おはようございます。ミルクたっぷりの紅茶、新聞、ご用意できています」
声が聞こえ、ビックリ仰天で起き上がった。するとこちらへと歩いてくる青年が見えるが……。黒のテールコートを着たダークブラウンの髪に、琥珀色の瞳のなかなかのイケメンくんだ。二十代後半ぐらいで、湊と同い年ぐらいだろうか。どう見ても外国人。
ルームサービスがついていたのか……?
だがルームサービスはこちらが電話で注文するイメージがある。目覚めたら執事のようなスタッフが部屋にいて、紅茶と新聞を差し出すなんて……聞いたことがない。
というか、俺のことを「坊ちゃま」と言わなかったか? しかも日本語ではなかった……けれど理解できていた。
何が起きている……?
そう思ったら青年が銀の盆を差し出す。そこには淹れ立てのミルクティー、新聞、陶器の砂糖壺らしきものがあり――。
よく磨き込まれた盆は鏡面のようだった。そこには執事のように見える青年、そして金髪に碧眼の結構ハンサムな青年が映り込んでいるが……。
部屋にもう一人、人間がいるのか!?
そこで首をキョロキョロさせると、執事のような青年が改めて尋ねる。
「坊ちゃま、どうされましたか?」
「坊ちゃま……と言われるような若輩者ではなく、もう還暦に近い年齢です」
「!? 坊ちゃま、急に何を……。それにカンレキとは?」
『還暦』という言葉が通じないようだ。
「もう六十歳近いおじいさんです、自分は」
「御冗談を坊ちゃま。朝食に向かう準備もあります。紅茶を飲み終わったら、顔を洗ってください」
「いや、冗談ではなく……。それとこの部屋にもう一人、誰かいるのですか?」
「……? 坊ちゃまと私しかおりませんが」
「……ではこれは誰なんです?」
銀製の盆に映る金髪碧眼の青年を示す。
すると彼は困惑気味の顔で答える。
「……坊ちゃまですよね?」
お読みいただきありがとうございます!
全10話程度のお話です~(*´꒳`*)
本日は3話公開します!
ぜひ最後まで、物語をお楽しみくださいませ☆彡
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