第二話 月族の少女
「完全変態……?」
少女は信じられないものを見るような目で迅を見ていた。
迅は眉をひそめる。
何を言われたのか分からない。
変態?
「あー確かに公然わいせつ罪で捕まるな」
生まれたばかりだから否めないのだ。
それはさておき、
確かに今の状況は変だ。
死んだはずなのに生きている。
気が付けば巨大な樹の下にいる。
だが、わざわざ初対面の相手に言われるほどだろうか。
だって、繰り返すが生まれたばかりなのだ。
とりあえず自分の羞恥心は棚上げにし、
こういう時は、焦った方の負けである。
「いきなり失礼な奴だな」
迅は腕を組んだ。
少女が固まる。
数秒後。
「そっちの意味じゃないわよ!」
顔を真っ赤にして叫んだ。
森に声が響く。
迅も少し驚いた。
「えっ?違うの?」
見た目は冷静そうだったのに意外と感情豊からしい。
「ならどういう意味だ?」
少女は何度か口を開き、
そして閉じた。
どう説明するべきか迷っているようだった。
やがて恐る恐る尋ねる。
「あなた……自分が何者か分かっているの?」
「分からん。裸だが変態じゃない」
迅は即答だった。
「分からないの?」
少女の顔が曇ったかと思えば、表情がコロコロと移り変わる。
「そろそろ隠してよ」
少女は慌てて視線を逸らした。
「違う違う、そういうことじゃなくて!」
少女は何かを振り払うかのように被りを振った。
「分からん」
迅は格好は不真面目だが、真剣に答えた。
「本当の本当?」
「しつこいな本当だ」
少女は頭を抱えた。
迅自身も混乱している。
目覚めてからまだ数分だ。
分かることの方が少ない。
「じゃあ聞くけど」
少女は慎重に言葉を選ぶ。
「あなた、自分の種族は?」
「知らん。気づいたらここにいた」
「じゃあ名前は?」
「桐生 迅」
「迅……」
「それだけは覚えている」
「名前以外、本当に何も知らないの?」
「ああ」
少女はしばらく迅を見つめていた。
嘘を吐いているようには見えない。
いや、
そもそもこんな嘘を吐く理由がない。
やがて少女は小さく息を吐いた。
「……甲虫族」
「ん?」
「あなたは甲虫族よ」
迅は首を傾げる。
聞いたこともない種族だった。
「甲虫……俺は虫なのか?」
「人間の手と足があるが?」
「その反応を見る限り、本当に知らないのね」
「あなたは、虫人種 甲虫族よ。この大陸では人種の中の一つ」
「知らんな」
「絶滅したはずなのに……」
少女は小さく呟いた。
それを迅は聞き逃さなかった。
「絶滅?」
少女はしまったという顔をする。
しかしもう遅い。
「待て」
迅の目が鋭くなる。
元警官の目だった。
「今、絶滅って言ったな?」
少女が息を呑む。
「……ええ」
「つまり俺は」
迅は周囲を見渡した。
巨大な樹。
見知らぬ森。
砕けた殻。
そして自分。
光の世界に出てきても、お先真っ暗だ。
「最後の一匹ってことか?」
少女は首を横に振った。
「一匹じゃない」
そして静かに言った。
「最後の一人よ」
その言葉は、
妙に胸に刺さった。
「最後」
その響きだけで、
なぜか寒気がした。
まるで生まれる前から、
ずっと一人だったような気がしたからだ。
いや、生まれる前から文字通り一人なのだ。
その時だった。
少女の銀紫の瞳が揺れる。
驚き。
戸惑い。
そして、
深い孤独。
それはまるで、
自分が体験したかのように鮮明だった。
少女は思わず目を見開く。
敵意ではない。
恐怖でもない。
ただ、
ひたすら長く続く孤独。
暗闇が深すぎて、
どれほどの時間だったのか分からない。
だが。
その孤独だけは伝わってくる。
終わりの見えない闇。
誰もいない世界。
その断片だけで胸が苦しくなる。
そんな世界。
そんな世界で、
暗い暗いトンネルの中、
出口を探さず、
状況を受け入れている。
それは、生きていると言えない。
「あなた……」
少女は思わず呟く。
迅は首を傾げた。
「なんだ?」
「いえ……」
何も言えなかった。
孤独の辛さを知る者として、
何か言いたかったのに。
その孤独は、少女の想像を遥かに超えていた。
その時だった。
グゥゥゥゥゥ。
森に大きな音が響く。
迅の腹の虫が目覚めた。
「……」
「……」
二人の沈黙。
そして。
「ぷっ」
少女が吹き出した。
迅は顔をしかめる。
「笑うな」
「ご、ごめんなさい」
「二十年ぶりなんだ」
「何が?」
「飯が」
「えっ?真顔で冗談言わないでよ」
少女はとうとう笑い出した。
その笑顔を見て、
迅は少しだけ思う。
悪くないな、と。
二十年間、
誰とも話さなかった。
だが今、
目の前には誰かがいる。
それだけで、
世界は少し違って見えた。
「私はリュネ」
少女は名乗った。
「月族よ」
迅も頷く。
「桐生 迅だ」
そして少し考えてから付け加えた。
「たぶん最後の甲虫族らしい」
その言葉に、
リュネは少しだけ寂しそうな顔をした。




