第三十三話 恐怖は幻覚である
「威勢がいいのは結構……後悔するのはお前だ」
エリーゼを縛る鎖から手を離さずにカイルはそう言った。
確かに先ほどまで、子ども達は赤ん坊のようにあやされていたのだろう。今はカイルは口調からして違う。表情が違う。その美しい顔にあるオッドアイの威圧感に、縛られたエリーゼは背筋を震わせる。カイルの怒りに、物理的な寒気すら感じたのだった。
その銀朱に輝く右の瞳には、冷酷な計算と侮蔑の意志だけが見えた。鈍く輝く赤はやはり血の色を思わせる。
「ヴィスター村はゴミじゃないわ」
エリーゼはそういうのが精一杯だった。自分もデレリンの貴族だが、村をそういうふうに言われるのは我慢出来ない。
「お嬢様が何の肩入れだ? こんな殺風景の薄汚いくさいだけの村に何があると……」
カイルが鬱陶しそうに眼帯を手首に縛りながらそう言いかけた。
「てめえ、殺すぞ!!」
全てを言い終わらせる前にアッシュが怒鳴った。
「そうだ。俺達の村はゴミじゃない! ここは北方でも一番綺麗な土地だ!」
「ここは俺達の村だ。勝手に入ってきて、ゴミとか言ってるんじゃねぇー!!」
クルトとヴァルターが口々に怒鳴り散らした。
「二度と俺達の村で勝手な事言ってみろ……絶対後悔させてからぶっ殺してやる!」
アッシュがショートソードを握り直して自分に気合いを入れるように言い切る。
「やれやれ……餓鬼はどこまでも餓鬼という事か。話にならんね」
カイルは肩を竦めてそう言った。
「餓鬼だと甘く見てるんじゃねえよ」
アッシュが一歩、前に進み出る。ショートソードを構えたまま。
「なるほど、郷土愛とか……思い入れとか……結局、愛ってやつか? それで頭に血が上って周りが見えなくなっている。レベル差は確実なのにそれに気づきもしないで突っかかって、後悔する事になるのはお前らだ。せっかくだから教えてやろう。我々魔族にとって、このちっぽけなくだらない村がゴミなんじゃない。ゴミなのは……」
そう言いながら、カイルは指で一回は銀朱の右目を覆っていた。銀灰の左目だけで子ども達を見下していたようだが、突如、指と指の隙間を開き、鈍く輝く朱色の瞳で子ども達を睨み付けた。
「お前ら人類全てだ」
「!」
血の赤。
突如、世界の色が塗り替えられる。
全てが血の赤と、漆黒の鎖の幻影に。
ヴィスター村の燃え立つ緑の木々も、色鮮やかな夏の花も、煌めく青空も、全てが消え果てる。そこにあるのは真っ赤な血の色の風景。
どこまでも、どこまでも。
どこまでも、どこまでも。
血の色。血の臭い。響き渡る絶叫。誰かが、鎖に屠られる幻影。片っ端から、次々と、味方が……家族が、仲間が、友達が、人類が、カイルの鎖に縛り上げられ、喉笛を潰されていく。
真っ赤な空。真っ赤な大地の上を、人々は逃げ惑う。恐怖の絶叫を迸らせながら。
そして必ず、確実に、呪いの鎖に捕まって、腕をちぎられ、足をちぎられ、首をちぎられ……。
血の赤を血の赤が塗りつぶす。鈍く輝く血の色。血なまぐさい匂いが肺いっぱいに満ちていく。
一気に脳に襲いかかるそういった情報に、子ども達が悲鳴を上げる。
それが、鎖影のカイルの操る幻術--。
「銀朱の真景。……秘術だけど、ま、仕方ないな」
カイルは薄笑いを浮かべながらそう言った。
脳に送り込む幻影のイメージは鮮烈で残酷、子どもの柔らかい心を踏みにじるには十分だった。
まさに幻術による一網打尽。
子どもギャング団達は悲鳴を上げてその場にうずくまり、あるいは地べたの上に転がり、体を細かく痙攣させながら動けなくなってしまった。
「アッシュ!」
エリーゼはそう叫びたかったが、悲鳴は喉で凍り付いた。
恐怖の幻覚はエリーゼにも例外なく襲いかかってきていた。
心の中は血の色で埋め尽くされ、目の前さえも認識出来ないほどだ。
現実で呪いの鎖に縛られているためだけではなく、手足が動かない。体がびくともしない。ただ呼吸する事さえも辛い、圧倒的な恐怖。
幻覚と分かっていても、鎖が鳴り、見知らぬ人の体を引きちぎるたびに、心が悲鳴を上げる。
真っ赤な世界。血塗られた銀朱の世界。
恐怖の余り体は動かず、声も出ない。エリーゼもまた、地面の上に倒れ伏して、身動き一つ出来なくなった。
「こんな子どもだましに引っかかるなんて、本当に子どもだよな」
カイルはそう呟き、エリーゼの体に手をかけた。
アッシュは本気だった。本当に怒っていたし、勇気を持ってカイルと戦おうとしていた。そのアッシュが、幻覚の一撃でやられてしまう。魔族とは、大人とは、そういう実力の差を言うのだろうか。
(いや……触らないで)
エリーゼは必死に心の中で叫んだが、体は動かず声も出ない。
そういう圧倒的な幻覚だった。子どもだましとは思えない。
「……やれやれ、間に合いましたか?」
そのとき、空き地の出入り口に一人の男が現れた。
「誰だ!?」
一見ひとさらいに見える事をしてのけている最中のカイルは、鋭く、相手を振り返った。
「誰、と言われても……そういうあなたは、こういってはなんですが、魔族の不届き者に見えますね」
エリーゼは視線だけ動かし、涙目になりながら相手を確認した。
濃い灰色の僧侶の服をきちんと着こなした、二十代後半の青年が両手棍スタッフを構えてこちらを見ていた。
ミトラ寺院の白か黒の僧侶の服しか見た事がなかったエリーゼは驚いた。
(灰色の僧服……もしかして、ミトラ寺院の灰衣隊!?)
よく見ると、同じ灰色の僧服を着た、彼の部下らしい男達が7~8人周りを取り囲んでいる。エリーゼは灰衣隊の登場を確信した。
正しく同じ内容を、灰色の僧服の男が発言した。
「私はミトラ寺院典蔵局実行部隊、通称”灰衣隊”のリオネル・グレイヴ。この場は引いて貰えませんか? 荒事は嫌いなんですよ」
「灰衣隊……もしかして、貴様が”灰のリオ”か?」
不届き者と言われても、笑って何も答えなかったカイルだったが、リオネルが名乗ると不意にそんな反応をした。
どうやら、一部では有名人であるらしい。
「おや? ……私の名前を知っているのならば、なおさら、引いていただけませんかね。面倒ごとや時間がかかることは苦手でね」
「そうはいかない。お前もこの有様を見れば、俺の目的は分かるだろう」
リオは口元を曲げて笑った。だが、目は笑っていなかった。
「なるほど、そちらも”器”を狙いますか……魔族!」
(器? さっきから器って何。私とアッシュが、なんだっていうの……)
エリーゼは息を飲み、情報を探ろうとただひたすらに耳を澄まして大人達のやりとりを聞いた。
「お前は面倒ごとを嫌いならしいが、俺も邪魔立てされる事やイヤガラセは嫌いでね。さっさと終わらせて貰うぞ。教会の駄犬!」
そう吐き捨てると、カイルは自分の目元に指を置いた。どうやらそれが、幻術を使う時の癖らしい。
リオを含め、灰衣隊達にカイルの”銀朱の真景”が襲いかかる。子ども達がただの一撃、ほんの数秒で全員地面に沈んだ幻覚だ。
リオは無言だった。無表情のまま、その場に立ち尽くしてカイルの方を見ている。
「声も出ないか? こちらから行くぞ。口だけだな」
せせら笑いながらカイルは呪いの鎖を振り回しリオネルの方に走り寄るとその首に鎖をかけようとした。
途端に、リオのスタッフが動いた。
光の宝珠をはめたそのスタッフはミトラ寺院の典礼にも稀に使われる特級異物で、その名を”星灰の洗礼”。
星の輝きさえも打ち砕き灰に変えたという伝説級の代物である。
その攻撃力の高いスタッフを、リオは走り込んできたカイルの胸元に叩き込んだのだった。
「ぐ……がっ……」
無様な声を立ててその場に跪きそうになるカイル。
「幻術……。慌てん坊の子どもには効くかもしれませんが、日夜、教会の修行と仕事をしている私には効きません。教会の仕事は寝ぼけていては出来ない、日夜、”目覚めている”、起きている間は脳を完全に覚醒させておく必要があるんでね」
カイルは知らなかった。
修行を積んだミトラ寺院の僧侶達の多くには、中途半端な幻術は効かないのだということを。
独特の呼吸法と自分の心を観察し、平常心を保つ訓練--マインドフルネス。それにより、幻術は完全に跳ね返せるのだ。
「くそっ」
カイルはそれでも呪いの鎖を引きずって立ち上がると、リオの方に攻撃を加えようとし始めた。
リオは、突撃してくる鎖の罠をことごとく、スタッフで打ち返す。
凄まじい攻防が行われた。
一撃をもらっているとはいえ、流石に魔族のカイルは体力が違い、怒りの形相でリオを倒そうと猛烈な攻撃を繰り出してくる。
それに対して、リオは息さえ乱さずに、スタッフでいなしているが、防御をしている間は攻撃の一閃を加える事が出来ないようだった。
そんなふうに、アッシュは、ちょうどカイルの足下で判断した。
アッシュも、途中までは意識がなかった。真景の血塗られた恐怖に完全にはまり、荒い息を吐きながら地面に倒れているしか出来なかった。だが、そこに、リオの声が聞こえた。
その僅かな刺激を手がかりに、アッシュは自分の意識を現実に向けていった。心の中の幻の恐怖ではなく、残酷な現実を追いかけた。
リオとカイルの話し声を聞いているうちに、体は動かないが、視界は開け、何が起こっているか分かるようになってきた。
リオは余裕を装っているが、カイルの怒りに押されているように見える。周りの灰衣隊は何をやっているんだ。理由があって見守っているのならいいが……。
「え……りー、ぜ……」
知らずにアッシュは呻いていた。
勝ちたい。
勝って、エリーゼを取り戻したい。
アッシュは、右手の拳を握りしめた。動いた。--指先が動き、自分の拳を固める事が出来た。
吐き気がするほどの恐怖を、アッシュは、全身全霊の力を振り絞ってねじ伏せた。
(勝ちたい。俺は、負けない。泣かない。謝らない!!)
風精人ウィンディの子どもは、元々持っていた反射神経とバネで飛び上がると、カイルの背後から、物凄い勢いでタックルをぶつけていった。
全然意識していなかった「格下」「子ども」からの想定外の反撃に、カイルの意識が乱れる。
意識が乱れれば呪いの鎖を操る手も鈍る。
コントロールを失った呪いの鎖の動きを見切るなど、リオには容易い事であった。
その一瞬の隙を見逃さず、リオは秘技を使いこなす。
横薙ぎに星灰の洗礼を打ち払う一閃で、リオはカイルの体を吹っ飛ばした。
同時に、ちょうど3分が経過。
カイルの幻術は完全に雲散霧消した。
幻術が晴れて、完全な視界と意識を取り戻したアッシュは、周りの子ども達を確認した。クルトやヴィルヘルム達も、苦しそうな表情ながら、やっとの思いで起き上がり、ふらつく頭を押さえている。
エリーゼは手足を鎖に縛られながらも上半身を起こして、アッシュの方を見ていた。
「アッシュ。大丈夫なの?」
「エリーゼ、みんな……」
周りが幻術が解除された事を確認すると、アッシュは倒れているカイルの方に走っていった。
「魔族。エリーゼを離せ。エリーゼの鎖を解いて、返せ!!」
「クソガキ……」
「俺はクソガキでもゴミでもねぇ! 俺はアッシュだ。言いたい事があるならこの俺に言ってみやがれ!」
「……」
カイルはそれでもクールな仕草で立ちあがると、眼帯を左目にかけた。そしてエリーゼの呪いの鎖を解いた。
「現場仕事は計算通りにいかないもんだな。”灰のリオ”、覚えておくよ。……次に会った時は魔族のリアルをご馳走しよう」
そう言い捨てて、カイルは地面に煙玉をぶつけた。
炸裂した玉は煙幕を次々と張っていき、カイルの逃走経路をくらましてしまう。実際に、煙が晴れた時には、カイルは完全に撤退していた。カイルの捨て台詞を聞いても、リオは顔色一つ変えず、追撃も行わなかった。
「オッサン! 魔族を追いかけなくていいのかよ!」
パウルがそう怒鳴った。パウルにしてみれば、エリーゼを拉致しようとした本当の犯罪者で日常の敵なのである。魔族は。
「それは私の役割ではありません。勘違いしているようですが、私は帝国軍ではなくミトラ寺院典蔵局の人間です。今回の戦争においても、魔族を片っ端から叩いて首級をあげる一般の兵士とは違うんですよ」
やっとのことで鎖を解かれたエリーゼの体に、怪我がないかどうか、確認しながらリオネルはそう答えた。
「へ? 何? テンゾウ……??」
「せんそう?」
パウルと彼の相棒のルーカスは目を白黒させている。
そこで、灰のリオ……ミトラ寺院のリオネル・グレイヴがこう言った。
「悲しい事ですが、魔大戦が開始されました」




