第二十九話 アッシュからの手紙
「元気だ。エリーゼ、帰ってこられるか?」
帝国暦2868年、エリーゼが13歳の晩夏。
乱れた文字でアッシュからの手紙が届いた。
たった一通だけの手紙。
思えば、十歳の夏から三年の時が過ぎていた。よくこれだけの時間、村の事を忘れなかったと思う。
毎月、毎週のように文通を続けて、エマやミラとはもう気の置けない友達だと思っているし、クルトやヴァルター達とも仲は悪くないはずだ。アッシュは……どうだろう。しょっちゅう、手紙は来るし、相談には乗っていると思う。だけど、アッシュの事になると、自分の気持ちが分からなくなることがよくあった。酷く嫌いだと思う事もあったし、切ないぐらい会いたくなった事もある。離れてから、いつも気になる存在であることは確間違いない。
そのアッシュからの不穏な手紙。エリーゼは一も二もなく、ヴィスター村に帰ることにした。
クラウスとディアナに許可を取り、わずかな供回りをつけて、エリーゼはデレリンから、馬車で丸一日かかる距離のヴィスター村に出発した。
◆◆◆
デレリンを朝早くに出発したのに、ヴィスター村に着いた時には、もう夏の日も暮れて、庭に蛍の光が見える時刻だった。
エリーゼはやっとの思いで自分の部屋に入ると、ベッドに身を投げ出して大きく深呼吸をした。馬車は貴族の姫の乗るもので、粗悪なデキではなかったが、やはり、一日中狭い所で座っているのは疲れるものである。
思わずベッドの上で大きく体を上下にして背伸びをしてみる。この三年間、貴族学院の優等生だったとは思えないだらしなさだ。一人でいる時は違うのだ。
「お嬢様! お友達の方がいらっしゃいました」
まさにそのとき、一緒についてきたメイドの一人が、部屋の外から声をかけてきた。人目を気にしてエリーゼは飛び上がる。
「ま、待って! 客間に通して、待って貰っていて!」
だらしない格好だったエリーゼは、慌てて、ドレスの裾をなおして、二階の自室から一階へと階段を駆け下りていった。
(誰だろう。こんな時間に。もしかして、ミラ? それともエマ?)
夜中に自分を訪問していい友達となると、エリーゼにとっては、当然のように同性の少女達の事しか思い浮かばなかった。特にミラは、現在では確実にクルトと純粋異性交遊をしているらしく、その相談とかのろけ話に来たのかもしれないと思った。
ところが。
エリーゼがメイドに通されて客間に入っていくと、そこには明らかに「異性」の少年が、村の子どもなら誰でも着るような厚手の衣装に青銅の剣を携えて待っていた。
「アッシュ!?」
銀髪に輝く蒼い双眸、日焼けした皮膚、逞しく育った方--。元から、健康的で活発で、覇気に富む少年だったが、その特徴をそのままに、三年間でしっかり成長したアスラン・カッツがそこにいた。
アッシュはエリーゼを見るとにやりと不敵に笑った。
「村の入り口の家がクルトの家だったこと忘れたか? あそこの母ちゃんが、お前のハルデンブルグ家の紋章の馬車を見たんだよ。それで俺の家にわざわざ来て、噂していったんだ。村の連絡網なんて、そんなもんだ。元気そうだな、エリーゼ」
「そ、それは……そうだけど……」
散々噂の種にされていた「変人お嬢様」だったエリーゼは、そういうことを一気に思い出して、真っ赤になってしまった。
そういう噂には悩まされたが、いいところもあるということか。いきなり、その日のうちに、アッシュに会えたのだ。
「そんなことより!」
噂の事はもういい。エリーゼは頭を振り上げた。そうはいっても、既に、アッシュの方が随分背が高い。
「アッシュ、どうしたの? あんな手紙……何かあったの? 私、手紙を読んで急いで来たのよ」
アッシュの方に詰め寄るエリーゼだった。
「ああ。あの手紙」
アッシュは、嬉しそうに笑い出す。
「何もない」
「何も……ない?」
「ああいうふうに書けば、お前、何があっても絶対、村に来るだろう? それで、わざと。人生に一回しか使えない荒技だけどな」
「アッシュ!!」
エリーゼは呆れた。
わざと気をもたらせるために、乱れた字で、彼は彼女の事をからかったのだ。
「私、本気で心配したんだから! みんなに何かあったんじゃないかって!!」
彼の頭を小突くふりをすれば、抜群の反射神経でかわされてしまう。
「引っかかった、エリーゼ。お前、頭は良くてもそういうところ、弱いよな」
やーい、と言い出しかねない13歳少年。
「からかわないで!」
「分かってるって。エリーゼ。明日はちょうど精霊祭だ。……間に合って良かった」
アッシュは、壁の時計とカレンダーを見ながらそう言った。
エリーゼもため息をついて、それ以上怒るのはやめた。
「そりゃそうよ。私、ヴィスター村の精霊祭をもう一度見たいって、お父様達に我が儘言って、無理言って来させてもらったんだから。それなのに、何にもなかったなんて……」
「伯爵には精霊祭は楽しかった、って言えばいいじゃないか。それに、俺も皆も無事。何か悪いか?」
子どもにとってはそういう言い訳や取り繕い方は随分大変なものである。
アッシュはそういうことがうまいので、気にしないが、真面目なエリーゼには一苦労だ。本当に驚いた。
「明日の精霊祭は、夕方から。エリーゼ、その前に、お前に見せたいものがあるんだけど」
「え? ……何?」
精霊祭は、日暮れからのことは分かっている。ザビーネ湖で灯り舟を飛ばして、中央広場に戻って飲めや歌えの大騒ぎをして……昔ながらの伝統が、今でも守られているが、アッシュ達により少しずつ改革は進んでいるそうだ。アッシュは、みんなが、仲間が楽しく過ごせるようにしたいと、いつも言っている。
「ヒミツ。エリーゼ、明日、俺につきあえよ」
「……いいけど」
ほんのりと頬をピンクに染めながら、エリーゼはそう答えた。
「本当か!」
アッシュがかなり大きな声を出したので、エリーゼは驚いて後ずさりをした。
「う、うん。アッシュ……何も予定はないし、精霊祭は出るんでしょう? それなら、昼間一緒にいるぐらい……いいけど」
「やった! それじゃ、明日の朝、迎えに来るから、前と同じ時間に待ってろよ。絶対、お前、びっくりするから」
アッシュはやはり元気に弾んだ声でそう言ったので、エリーゼも思わず微笑んでいた。
「なんだろう。ヒミツなんでしょ? 明日教えてくれるんだよね。楽しみ」
「ああ。期待してろよ……それじゃ、俺はもう帰るな」
アッシュは喜びの笑顔を見せて、エリーゼに朝の時間を忘れるなと念を押した後、客間を出て帰って行った。
何もかも昔通りで、エリーゼは嬉しかった。
だが、アッシュを見送る際に、メイドが慇懃に礼をしたのが、エリーゼには気になった。
メイドや侍者達が、なんでもかんでもクラウス達に報告するような事がないといいのだが。
◆◆◆
翌日の朝。
エリーゼは子どもの頃のように、動きやすいドレスを着て、バスケットにランチを詰めてアッシュを待っていた。
アッシュは約束の時刻に現れた。侍者が行き先を尋ねると、ザビーネ湖とアッシュは答えた。暑いので、侍者は日よけのついた馬車を用意したがったが、エリーゼが断って、アッシュと徒歩で昔のようにザビーネ湖に走る事に決めた。
眩しいぐらいに空も大地も輝いている、暑い日であった。そうは言っても、大雪原の中でも北の方であるから、酷暑と言うほどではない。
北国の夏。雪と寒さに閉じ込められていた生命力が、ぱっと全て弾けるような生命力と活力に溢れた夏。
輝くザビーネ湖の周りの小径を二人で追いかけっこのように走って、時には立ち止まって湖の風景を楽しみながら、エリーゼはアッシュと湖の奥の森に向かった。
それが、人生の初デートと言うものだとは気づかなかった。二人とも。
ただ、一緒に居て楽しい”イイヤツ”と過ごしているのだと思っていた。
昼前に、二人は、薄暗い洞窟の狭い入り口の前に着いた。
「入るぞ」
「え……大丈夫なの?」
「大丈夫だ。妖とかはいない」
(こんな場所あったっけ?)
エリーゼは三年前の記憶を探ったが、アッシュと、こんな村から離れた森の場所まで来た事はなかったはずだった。あの頃も、相当、こどもギャング団は村を荒らし……もとい、村とその近所で縦横無尽の大活躍をしていたはずだが。
そして、洞窟の中に入って道を進むと、いよいよ、その記憶が正しかった事がはっきりした。
洞窟を暫く進むと、暗闇の中で、アッシュが”明かり”の魔法を唱えた。カンテラぐらいの緩い明かりが、辺りを照らし出す。
エリーゼは息を飲んだ。
洞窟の中は、天井から、真っ白な石の氷柱がいくつも垂れ下がり、その尖端から地下水が滴り落ちていた。
何本もの石の氷柱は年月を経て、様々な形に変形しており、様々な芸術品のような形を取っていた。
「ここ……鍾乳洞!?」
「さすが! よく知ってるな」
アッシュは、エリーゼの知識に満足したようだった。
真っ白な鍾乳洞は様々な異形の氷柱(石柱)と剥き出しの石灰岩をアッシュの魔法の明かりの中に浮かび上がらせている。その奥は暗がりでよく見えない。それは、何万年もの時間を経た、時の暗闇のように見えた。
「こんなところ、あったんだ」
「ああ、春に、森を探検していて見つけたんだ。黙っていたんだけど、ここを教えたのはお前が最初」
「ど、どうして? 村のみんなには、知らせないの?」
エリーゼはびっくりしてそう言った。
「こんなに綺麗なのに……もったいない」
「……もう少し調べてみたい。俺だけで」
アッシュが何故そんなことを言うのか、エリーゼにはよく分からなかった。
アッシュの顔はカンテラのような淡い輝きのせいでよく見えなかった。
「それよりエリーゼ、お前に見て貰いたいのは他にもあるんだ」
「う、うん」
エリーゼは先に進むアッシュの後をついていった。
狭い入り口に対して、洞窟の中はかなりだだっ広かった。鍾乳洞の内部は真っ白で、暗闇の中に鍾乳石が突き刺さっているようにも見える。その幻想的な光景の中を進んでいくと、やがて道が左右に大きく開け、広場のような場所に出た。
「地底湖……!?」
透明度の高い水を湛えた小さな湖が、そこにあった。
「そう。エリーゼ。俺が見つけただけでも、ここには三つの地底湖がある。奥をもっと探せば、まだまだ出て来るかもしれない」
「地底湖が、他にもたくさん……?」
「ああ。あると思う。ここ、凄く広いんだ。……見るだろ、他の地底湖」
「うん!」
元気よくエリーゼは頷いた。
地底湖の水面には天井の鍾乳石が鏡のように映し出されていた。暗がりと水滴で、エリーゼが足を滑らせそうになるとアッシュが支えてくれた。
夢中になって鍾乳石について喋り続けながら歩くと、時刻は午後一時を回ってしまった。
二人は、地底湖の隣にエリーゼの持ってきた敷物を敷いて、弁当を食べることにした。
エリーゼが持ってきたのはサンドイッチとコーヒー。アッシュも同じものだったが、具が違う。
二人は分け合ってそれを食べる事にした。
「エリーゼ。この三年の間に、中学卒業したっていうけれど、お前どうしてた?」
アッシュに聞かれて、エリーゼは気まずそうに笑った。
「うん……学校でちょっと……浮いちゃったかも」
「浮いた?」
「あんまり話せることないよ」
エリーゼは学校の愚痴などは、アッシュの手紙には書いていなかった。そもそも、エマやミラに対しても、よっぽど煮詰まった時以外は、学校の事は書いていなかった。
「アッシュは? どうしてた?」
逆に、エリーゼは身を乗り出しながら、アッシュに対してそう尋ねた。
アッシュの手紙の中には、村をよくするための様々な企画や毎日の冒険のことが、たくさん書いてあったからだ。
「俺か? 俺はな……」
アッシュは、鼻をこすりながら話し始めた。手紙と重複する所もあったが、それは、村長である親のカールと対立したり叱られたりしながら、村で楽しいことを始めようとする少年の、大冒険と大活躍の物語だった。エリーゼは目を見張ってそれを聞いていた。それはのんびりしていて、とてもいい時間だった。他に誰も聞いていないということが、エリーゼをさらに饒舌にさせた。
「アッシュは将来、やっぱり、お父さんの後を継ぐの?」
「……分からない」
アッシュがそんなふうに答えたので、エリーゼはまたびっくりした。
「分からないって、どうして?」
「クルト達と話すのは楽しいし、みんなで何かやらかすのも楽しいし、やりがいがある。それは本当だけど、このまま、一生、村で過ごすのがいいことかどうかは分からないって、意味だ」
アッシュは、広々とした鍾乳洞の白い闇を見上げながらそう言った。
「時々、このままでいいのか? って凄く気になることがある。ヴィスター村をよくするのは、俺の役割だと思ってたけど……そうなんだろうけど、それでいいのか? ってな」
「アッシュ……」
ヴィスター村は、良い村だとエリーゼも知っている。大雪原のすみっこにある、小さな、のどかな、何もない村。ザビーネ湖の精霊祭だけが美しく映える、田舎の村。
そこの村長で改革者としてアッシュは一生を終えるというのは……なんだか、想像がつかないような気がする。
その時、他の誰にも聞かれていないのをいいことに、アッシュは本音を見せた。
「仲間と一緒に、”外”に出て見たい……」
外ってどこ? とエリーゼは聞かなかった。
エリーゼも、貴族学院には行った。だが、それが”外”なのかどうなのか、彼女にも分からなかった。
お互い、13歳の夏だった。




