9:船上の大殺戮
「どうやらあんちゃんの出番のようだけれども」
船頭はロガーノのほうを振り向いて、
「……ちょっと荷が重すぎるかもしれんね」
川を挟む森の中から、水の中から、また空から、無数の魔物たちが彼ら目がけて襲来する。
水面は魔物のウロコでギラギラと輝き、人間の頭蓋など一握りで潰せてしまいそうな巨腕が、木々を強引に引きちぎるブチブチという音が辺り一面に響く。
「あー……」
コルデッスの顔はまるで昇天間近の病人のよう。臨死体験に半歩踏み込んだ声で、己の置かれた状況を瀕死の息にて奏上する。
「どうやら我を追ってきたらしいな。うん。わはははははは」
そして笑ったまま船室へと閉じこもった。続けざまに聞こえた「ガチャリ」などという音声は、まさしく扉のカギを閉ざす音。船頭とロガーノは顔を見合わす。
「遺書でも書きましょうかね」
そんな軽口を叩く船頭の顔は半泣き半笑いのヤケクソフェイス。
人間の表情のパターンの豊かさは、ありとあらゆる状況を的確に再現してみせるだけの柔軟性を秘めているのだと、改めて感心するロガーノ。
「それよりもっといいことを教えましょう」
ロガーノもニッコリとほほえみ返して言う。
「伏せな」
「え」
疑問符すら付せぬ刹那の後に、とっさの判断で船頭が頭を落っことすようにして伏せた瞬間に、ロガーノは抜き放った剣の一撃を、ぐるりを囲んだ魔物たちにプレゼント(強制)。
少々過剰演出? いやしかしこれが現実なのだからしかたない。そんな声が聞こえてきそうなほどの風圧、閃光。斬られた魔物とて、自分の死因を把握していなかったにちがいない。
音すらもバグったのか、一瞬降りる沈黙。太陽のストロボで固定されたかのよう。絵画の如き一コマ。驚愕に見開かれた目をした船頭のあんちゃんも、あんぐりと口を開けたままフリーズしてる。
ばらばら。ばらばら。ばらばら。なんて音ではヌルイほど、剣閃に断たれた無数の命の残骸が、川へと豪雨のように降り注いだ。
「ヒエエェェェェ! おたくやるねえ!」
悲鳴とも歓声とも聞き分けのつかぬ声だが、その顔を見る限り、どうやら悲鳴に該当する可能性のほうが高そうだ。そんな顔の船頭に、ロガーノはジェスチャーで↓を指差す。
まだ戦いは続いているのだ。
船室でコルデッスは震えながら、雷に撃たれて地獄へ召された父親の名を幾度も唱え、どうか子の身に降りかかりし災いを除去したまえと祈っていたが、唱える名前がいつの間にかエルサタンからロガーノへと変わっていたことに、果たして彼女は気づいていたのだろうか?
まあそんなことはつゆ知らず知るよしもあらずのロガーノ。さして大きくはない船の上を縦横無尽に飛び回り、八面六臂の活躍を見せる。
比較対象と言えば、相変わらず甲板で頭を伏せ、悲鳴混じりの歓声を叫ぶ船頭と、船室で震える元魔王の立てこもり犯くらいしかなかったわけだけれども。
「こんなにやってもかかってくんの!? わたし、体を動かすのはあんまり好きじゃないのですが、熱烈なラブ・コールに応えないほど薄情ってわけでもありませんの」
剣を湿す血を一振りで水鏡に散らし、
「さあさあさあさあさあさあさあさあさあさあさあ!!!」
「うーん、どっちが魔物だか見分けがつかん」
いい加減、一方的討伐ショーにも耐性を得たように見える船頭、ふとそのような感想を漏らす。
魔物の血を頭から引っ被り、口からは引き裂かれた獲物の肉を飛び出させているロガーノの姿。うん、こりゃ確かに、勇者ってか魔王のよう。
だがもちろん彼は勇者であり、本当の魔王は今船室で絶賛幼児退行中のコルデッス様であらせられるのだ。かくも摩訶不思議なるはまさしくこの現実よ!
「……んん!?!」
バサッと二段ベッドの下の方から飛び起きたコルデッス、当然のごとく頭を強打。
おー、イテテ、くっ、この天井よ、魔王たる我の額に傷を負わせるなど、いい度胸をしておるようだな、だなんて帝王のロールプレイをしている場合じゃないってこと、ここまで時を経てようやっと認識。
「あいつらは!?」
「ぶ」
ぶち開けた船室の戸がロガーノにクリーンヒット。冗談抜きで、この日彼が負ったダメージのうち最も大きかったのはソレだった。
勇者にかような苦痛を味わわせるとは、さすがのロガーノも彼女こそがやはり魔王なのだと認めざるを得なかったにちがいなく……
「あんちゃんが全部追っ払ってくれたよ」
すっかり元の陽気を取り戻した船頭が、暮れなずむ日を舳先で追いながら教えた。
「いやはや、こんなブッ飛んだお客さんは始めてだ! いったいどれほどの経験を積めば、あんな戦い方ができるようになるのか?」
「7~800万ってところでしょう」
ロガーノは適当ぶっこいた。
「作品にもよるけれど」
「いったい何の話だ?」
危機が去ったと見えた途端、再び元の尊大な態度を取り戻したコルデッス。
しかしこれはこれで、また平穏無事が帰ってきたのだという証明の一つのようにも思えたので、ロガーノにとっては微笑ましいのだった。
「あなたの見立ては正しかったようで」
ロガーノは前方に向かって指をさす。まるで空に穴を開けるかのよう。船頭はおうと言って胸を叩く。
「夕暮れ前になんとか到着ーく。ほーんと、戦闘ってのは骨が折れる。……いやまあ、べつに折りはしなかったけれども……」
港町(名前は忘れた)も空を見て、次第に灯を灯し始める頃だった。