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10:船墓地の人魚

 一見して、港町はいつも通りのように見えた。まあ、ロガーノがここに来たのはこれが初めてではあったけれども。


 しかし、ウムム、やはり尋常ならざる気配を感じ取る。コルデッスの方を見やるが、彼女はさっぱり気づいていない様子。


 口にすることと言えば「疲れた」やら「宿を探せ」というものばかり。なんなんだコイツ。


 しかし暗闇で無闇にうろつきまわり、海辺の大公爵ことマーキュルを探すというのも、それはちょっと命知らずってなもん。


 ここはコルデッスの希望を叶えてやり、明日の日の出を待つことにしよう、そうと決まれば、ロガーノはサカナくさいアベニューを宿屋目がけて一目散に駆け出すのだった。


 潮風にザラついたベッドで目覚める朝、明らかなる奇異は窓辺の向こうに展開されていた。


「ありゃりゃりゃりゃ、あれは何だ?」


 目の上に手をかざす探求者のポーズでもって、ロガーノはその度肝を抜くような奇異に目を配る。


「まるで百の船が突然自我に目覚め、お互い同士ぶつかり合う海戦でもやったかのようだ」


 彼の説明をさっぱりコルデッスは理解しなかったので、そのみぞおちに蹴りを入れてから、自分自身の目でそれを確かめることとする。


「……うむ、間違いない」


 コルデッスは腹を押さえてうずくまるロガーノに聞かせるようでもなく、ひとりごつように、


「ここにマーキュルはいる」


 粉々の残骸と化した船が、海岸に山と積み上げられていたのである。


 局地的な台風でも通り過ぎたのか、怒れる嵐神がこの港町だけに天罰の竜巻を送り込むかしたのでない限り、絶対にお目にかかれはしないような光景だった。


 アルファ村にサカナ売りの行商人がご無沙汰だったワケは一目瞭然。いったいこの惨状で、どうやってサカナを取りに行けというのか。


 宿屋のおかみさんが、やたら質のよいローブをまとった少女と、みぞおちを押さえてうずくまる青年というこれまた奇異なる組み合わせのコンビにも臆せず、その辺りの事情を説明してくれた。


「ある日突然、大公爵だとか名乗る頭の狂った魔物が襲撃してきてねえ」


 迷惑千万を見事に表情で表現しつつ、彼女は二人に語って聞かせる。


「この港町を拠点にして、世界を征服するだとかのたまってやがんの。まったく……いつの間に魔王軍は分裂したのかねえ?」


「つい先日のこと……ぐむむ」


 ご丁寧にも真実を明らかにせんとするコルデッスの口を、すかさずロガーノの手が封殺する。


「サカナが取れないのもそれが原因なのですか」


「ああそうさ。海産物の一切の所有権はわたしにあるだとか、なんとか。これじゃあこの港町も終わりさね」


「我の呼吸も終わりそうだ」


 とでも言いたそうな顔をしていたので、ロガーノはようやっと手を放す。その指に魔王は噛み付く。だがもちろん痛い目を見たのは魔王のほうである。


 聖なる力がコルデッスの歯に浸透した結果、彼女はしばらく地獄のような歯痛に苦しめられることとなった。


「とにかく、何もかもそのマーキュルというやつが悪いんだな」


「その通り」


「じゃあそいつを誰かがぶっ倒したら、何もかも元通りになる?」


「そうだろうね」


「んじゃまあ、やるか」


 そういうロガーノは今海岸にいる。残骸の山の上には、見目麗しき人魚がたたずむ。その髪は夜へと移りゆく空の色。ほとんど黒と見分けがつかない濃紺。


「あのー」


 ロガーノはデカい声で山の頂点にいるその人魚に向かって叫んだ。


「……何、アンタ?」


 アンニュイな声が聞こえてくる。あっ、結構おれの好きな感じ。ちょっぴり嬉しくなるロガーノだったが、相手は狼藉を働く大公爵。


 よこしまな気持ちを振り払って挑まねば、こちらが飲まれてしまいかねない。


「ちょっとサインしてもらいたい書類があるんですけどおー」


 ロガーノはひらひらとあの薄汚い紙を示した。


「時間だいじょうぶですかあ」


「何、それ?」


 ご親切にも山を滑り降りてきてくれたマーキュルは、その紙のディティールを認めた瞬間、顔をしかめる。


「ゲッ、信任状じゃん……てことは、うちのボス来てんの?」


「そうだ!」


 という声を発したのはコルデッス。残骸の影に潜んでいたのだが、飛び出した瞬間にその木っ端に足を引っ掛け、ずでんとすっ転ぶ。


 見ているこちらが恥ずかしくなってくるようなワンシーンで、実際ロガーノとマーキュルは共に顔を赤らめた。


「なーんだ。生きてたんですか。死んでてよかったのに。ざーんねん」


「きっさま! それが魔王に対する態度か?」


「今は魔王じゃないでしょうが。こんな紙切れ持ってきて何するんだか知りませんが……」


「フン。鈍いやつだ。我が再び魔王の座に就くため、貴様にしるしを差し出させにきたに決まっておろうが」


「えーっ。無理ですよ。そんなの。だって……」


 殺気。


 それを感じ取ったのは、マーキュルが実際に事に及ぶその数コンマ手前でのこと。ロガーノは素早くコルデッスの背中を蹴っ飛ばし、先ほど見せた赤恥の三倍もみっともない格好で転倒させる。


 コルデッスにとっては今日の災難がまたひとつ増えたことになりはするが、それでも命を失うよりはマシだろうとの妥当な判断。


 既に対象はいなくなっている地点に向けて、地面からブスリと、大木の幹のように太い触手が突き出された。


「あー。くそっ。ダメだったか」


 暗殺に失敗したというより、ゴミ箱に向かってゴミを投げ入れることに失敗した程度のような軽さで、マーキュルはため息をついた。


「なんかヘンな人間を連れてるなあと思ってたら、そうでしたか。こちらが本体だったってことですね」


「何を言う!!」


 泥にのめり込んでいた顔を跳ね上げてコルデッスは激昂。


「本体はこの我……」


「でも、やっぱりサインはできません」


 マーキュルは信任状を丸めてポイ。コルデッスはそれを追い、慌てて犬のように飛び出していった。


「いーや、してもらいます」


 ロガーノはきっぱりと言った。


「色々面倒くさいので、説明は省きますけれども、あのガキを再び魔王にさせることは、わたしの目的にも適うことなのです。だから……」


「戦う? あ、そう。いいよ。やってみれば」


 次の瞬間、どこにそれほどの数が隠れていたのかと思われるほどの魔物が、海や残骸の隙間から、残忍な牙や爪を光らせながら現れた。


「無駄だろうけど」


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