最終話:城釣り
ロガーノは額から流れる血にも構わず、目を開けなければならなかった。さもなくば、ニド=ヘリオトロップが放った槍が、やすやすと彼の腹を貫通しただろうから。
「他の阿呆どもと一緒にしてもらっては困る」
戦いが始まる前、ニド=ヘリオトロップはそう言った。彼の言葉は本当だった。
自分の体を見下ろして、こんなにも自分の血を流させたことがかつてなかったので、ロガーノは非常におどろいた。
間違いなく死にかけだった。
おまけに、戦わなければならない相手は目の前の大公爵だけではなかった。
ただお前の力量に敬意を払ってそうしているのだ、とニド=ヘリオトロップは言ったが、お構いなしに次々と部下の魔物を投入するのは勘弁だった。
どこから湧き出てくるのか、もうろうとした意識でぐるりを見、それでも剣を振るう手を止めずにロガーノは戦った。
しかしそうしたことも、もう果てしなく続くかに思われる時間を隔てては、続けるのにずいぶんと支障をきたした。
はっきり言って、まずかった。
そんな弱音が脳裏をかすめた瞬間、熱が脇腹で炸裂した。ニド=ヘリオトロップの槍に、とうとう被弾したのだった。
冗談でしょなにこれ? と、冗談めかして言いたかったが、実際はとうていそんな余裕などなかった。
ほんの少しかすっただけでも、そこから体の中身が全部激しく流れ出ていくように思われた。
終わりかな、とぼんやりロガーノは思った。こういうときに言い残す言葉を何にしようか、昔はよく考えたものだったが、今となっては一文字も浮かんでこないのがふしぎだった。
とはいえ聞く者とていないのだから、あまり真剣になって思い出そうという気にもならなかったのではあるけれど。
あまりにも血を流しすぎたためか、幻が見えた。大きな手が、玉座の間の天窓を突き破り、って、おい、なんだ、これは、ほんとにまぼろし――?
「ええと……誰だっけ?」
「グラムモンドだ!!」
巨人の大公爵が右手を振ると、あっという間に玉座の間は屋根なしの間になった。
ロガーノは瀕死の体にむち打って、都合よく自分を避けてくれなどはしない破片をかわさなければならなかった。
「たった一話前に出たばかりだぞ!!」
巨人はひたすらそんなことをどなっていた。
相変わらずロガーノの傷は痛んでいたが、わけのわからない展開が、多少は鎮痛剤として作用した。なんとか立ち上がると、また意外な顔を発見した。
「きみは!! ……誰だっけ?」
「きゃー! やはり忘却の彼方!! 海馬の怠惰!!!」
森の大公爵、ミュピーラだった。
「こんな人をわざわざ助けにきたっての? いじけちゃうよマジで!」
その他ふたりの大公爵の姿もあり、やはりロガーノはその名前をさっぱり思い出せなかったが、それぞれマーキュルとアーミラだった。
いつの間にか、ロガーノはニド=ヘリオトロップの配下にではなく、彼がかつて打ち負かした大公爵とその軍団たちに囲まれていた。
「な、なに、リベンジに来たの? それならグッドタイミングだぜ。ほっといてもあと三分くらいで死にそうだもの」
「リベンジという部分は正しいがな、対象がちがう。もちろん、いつか貴様の血を吸い付くしてやるつもりではあるがな……そうだ! 我は必ずかの屈辱の雪辱を」
そのままアーミラの長口上が開始されたため、説明はマーキュルが引き継いだ。
「あのガキ……じゃない、コルデッス様が、わたしたちのところへ来たの」
「……コルデッスが?」
ロガーノは地面につくほど口を開けた。
コルデッスは四人の大公爵の元をひとりで巡り、最後の反逆者たる大公爵ニド=ヘリオトロップを共に打ち倒すよう要請したのだった。
「なんだかずいぶん真剣そうだったし……それに、あなたが一人で戦ってる、ってことも聞いたからね」
「わたしが?」
「そうそう。いろいろ種類はあるけれどね、なんだかんだ言って、魔族はみんな、強者に惹かれるものなんだよ」
いまや形成は逆転し、追い詰められているのはニド=ヘリオトロップのほうだった。
大公爵四人の手をもってしても、なかなか彼を仕留めることはできなかったが、時間の問題だった。
それにここにはもうひとり、その四人の大公爵を退けたものがいるのだった。
ロガーノは彼女たちが戦っているほうへ、ゆっくりと近づいていった。気配はまったくなかった。
もともとそういうのは得意だったし、今はほんとうに死にかけているということもあって、蝿一匹彼がそこにいるということには気づけなかったにちがいない。
だから、ニド=ヘリオトロップがもはや逃れ得ないほど近くにまで彼の接近を許したと気づいたときには、もうとっくに、ロガーノの剣が、彼の首元を捉えていたのだった。
「あんたの強さに敬意を払って」
ロガーノは笑いかけた。
「教科書みたいな騙し討ちでございます」
その時、どこかからかふわりと、小汚いものが飛んできた。よく見るとそれは、一枚の紙だった。
それはべたりとニド=ヘリオトロップの顔に張り付き、けっしてそこを離れまいとしているようだった。
「貴様で最後だぞ、ヘリオトロップよ」
ロガーノが聞いたその声は、かつてないほど魔王らしいものだった。
「コルデッス!」
少女の面影というか、もろ少女そのものではあるけれど、魔王の威厳をかすかにでも漂わせ始めた彼女が、目の前にいた。
「お前――」
「あ、ちょっといいか。申し訳ない」
上から申し訳無さそうなグラムモンドの声が聞こえた。
「下の階で残党と戦っていたのだが、なんか枝、というか柱みたいなものを折ってしまった。ひょっとすると……」
轟音を立てて城が崩れ始めた。
「だから巨人は出入り禁止だと言ったのに!」
斜めに傾いた玉座の間の床にへばりつき、コルデッスはどなった。
その脇を悲鳴を上げながらヘリオトロップが転がり落ちていった。
ロガーノは崩れ落ちた床の残骸にしがみつき、はるか眼下に地上を見下ろす中空にぶら下がっていた。
もしここで手を離せば、たちまちにして固体の人間から半固体の人間へとクラスチェンジできただろうが、あいにくその進化は彼にとってはありがたくなかった。
本人自身、少し忘れてかけていたことではあったが、彼は自分が、そういえばずいぶんヤバいダメージを負っていたということを思い出し、そのとたん、指から力が抜けた。
一瞬空をつかんだその手を、細く白い手がつかんだ。
コルデッスだった。
「お、お前」
ロガーノは息をのんだ。
「熱いんじゃないか?」
「もっとマシなことは言えんのか!! 我が貴様を救ってやろうというのだから、少しは素直に感謝するとか!!」
けれども彼女の手の焼けていく音は、ロガーノの耳にこびりついて離れなかった。
「コルデッス……」
「くっ、おいっ、このっ、貴様っ、我の手をこれほど煩わせたのだから、タダで済むと思うでないぞ……ロガーノよ!」
ぐい、と大きな力で、ふたりもろとも上へと引っ張り上げられた。
コルデッスの足をつかんだのは、ツシヌレとリソマーリのふたりだった。
「今度はあなたが死にかけてるの」
リソマーリはロガーノを見て目を丸くした。
「あ。これ? 大したことじゃないよ」
ロガーノは自分のえぐれた脇腹を見下ろして言った。この場にいた誰の目にも明らかなほど、典型的な強がりだった。
「急に襲撃がなくなったので……もしかしたらと思ったら」
大きくツシヌレはため息をついた。
「死んでないだけよしとしてくれよ」
ロガーノは拝んだ。
「よし」
「やったぜ」
「……なんてこと言うわけないでしょう」
「やっぱり? でも今は、コルデッスの手のほうをなんとかしてくれ」
魔王はロガーノに向き直った。彼女は手を後ろ手にして隠していたが、目が涙目な以上、ずいぶんと痛んでいるにちがいなかった。
「いつぞや、貴様に崖から引き上げられたことがあったな……」
彼女はいまいましげにそう言ったが、すぐに噴き出し、ロガーノに笑いかけた。
「借りは返したぞ」
ここまでお付き合い下さり誠にありがとうございます。
差し支えなければページ下部より評価していただけると幸いです。
作者が歓喜を爆発させ死にます。




