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家に帰って寝る


【エピローグ】


「きっと、その人も異世界転生者だったんでしょうね」

「そうだな……今は、そう思う」


 進藤蓮と進藤志紀が生まれた家。

 武蔵小杉にそびえ立つ、学校ほどもあるだろう敷地を持つ屋敷。

 その玄関──言わば門の前で、兄妹は話していた。

 ライゼンは黙って二人に耳を傾ける。


「俺が知らないだけで、きっと、これまでも帰ってきた人はいたんだ。でも、がっかりしたり、居場所がなかったりして、声をあげられなかった」


 そうして失望した人は何処へ行くのか。

 師匠のように世を捨て、隠れて、ホームレスとして生きることを選んでしまうのだろうか。

 または、三森茜も所属する《反異世界転生町内会》に追われ、消されたのかもしれない。


 師匠が時折浮かべていた寂しげな横顔。

 あれは、帰る場所を失った者の表情だったのだろう。

 志紀も、ライゼンも、同じ横顔を持っていた。


 身支度をしたライゼンが首を傾げ、問いかけた。


「これからどうするの? 妹さんと一緒に暮らすとして」

「そうだな……」


 屋敷を見上げ、それから妹と目を合わせる。

 廃墟になった小学校からの帰り道でも、二人は少し話していた。

 これからも何かあったら、一緒にいろいろと話し合うことになるに違いない。

 兄妹で協力し合うのだ。


 進藤蓮にあった無敵に等しい攻撃力は、もうない。

 左腕も右腕も負傷甚だしいが、何よりも大きいのが右目の喪失だ。

 もう破砕点を突いて万物を粉砕することは叶わない。


 戦う必要が生じることは、これからあるのかわからない。

 それ以前に、しばらくは生きるだけでも助けがいるに違いない。

 進藤志紀にも手伝ってもらいたいことが、たくさん出てくるだろう。


「この家を、異世界転生から帰ってきた人たちの家にしよう。見た目が変わったり、年齢が変わったり、帰りづらかったりする人が、ちょっとでも安心できるところにしたい。『帰ってきた』って思える場所を作るんだ」


 巨大な家。長く進藤蓮ひとりで生活してきた建物。

 両親は異世界転生でバラバラになり、帰ってこない。

 妹だけは取り返すことができた。


 大きな家に、妹が加わった。

 身長二メートル、板チョコのような広背筋を持つ彼女が加われば、寒々しい広さだった家がずっと豊かになる。

 この家に、もっともっと人を呼べれば、いつかは師匠のような彷徨う帰還者もいなくなるかもしれない。


「そうね……素敵なことだと思うわ」


 魔王の宿命が終わり、戦いの義務のない志紀が目を細めて笑う。

 戦士としての運命も過ぎた志紀は、絶世の美貌と艶のある見事な黒髪をそっと持ち上げて払った。

 こうしていると、昨日と比べてずっと普通の“超美女”に見える。


 妹に後ろから抱きかかえられ、後頭部に彼女の胸が当たっている体勢のまま、兄は言う。


「お前も残れよ」


 蓮の提案を、長いポニーテールを揺らして、少女は断った。


「ひとまずは、あっちに行くよ。あたしにとっては、あそこの方がずっと長くいた故郷だし。魔王と姫戦士が消滅した世界も見てみたい」

「そうか……じゃあ、次に来る時までに観光場所を調べておく」


 本当は握手をしたかったが、うっかり利き手を出しかけて激痛に顔をしかめた。

 ライゼンが一瞬迷いを見せてから、覚悟を決める。


 兄が握手をする代わりに、少女は兄に両腕を回して抱きしめた。

 志紀の剛力を秘めてのソフトタッチ。覆いかぶさるように圧と包容力をゴリ押しするものとは違う。

 繊細に、丁寧に、相手に“プラスの気持ち”を伝える抱擁だった。

 親愛の証。


 少年の背中を軽く二度叩いて、ライゼンは離れた。


「楽しみにしているよ。いっぱい奢ってね」

「いつでもこっちに来て! 貴方ならいつでも大歓迎だから!」


 志紀も、兄ごとライゼンを抱きしめて笑った。

 進藤志紀はハグを何よりも気に入っているのだ──兄は確信した。

 英雄らしい威圧感も消え、優しさに満ちた、淑女だが暴力的な生命力による押しの強さが出てきている。


「ぬくぬく~~いいでしょう。二人より三人の方が楽しいわ」

「あはは、お兄ちゃんとの仲を邪魔しちゃ悪いって。これからずっと仲良くイチャイチャするでしょう」


 ライゼンに言われ、志紀が進藤蓮を見下ろした。

 じっと見下ろされる形で、兄はわけがわからず妹と至近距離で見つめ合う。


 ややあって、志紀の顔が真っ赤になり、兄を突き飛ばした。


「そ、そんなこと……ないわ」


 否定しようとした志紀が、もじもじしてあらぬ方を見上げる。

 こんなのどかな場面でも、兄にできた右目の傷痕を見るのは避けていた。

 一応は気にしないようにと何度も伝えていたし、納得もしたようだが、思い詰めた顔もしていた。

 乗っ取られていた間のことなのだからしょうがない──そう自分を本当に納得させるには、時間がかかるだろう。


 右目に残った傷痕によって少年の視界は半分になったが、後悔はない。

 志紀が生きてきた辛い境遇、喪った時間を、この傷が少しでも理解できる材料になれば、蓮には上々だ。


「──って思ってんだよ、こいつ」

「えぇ……」


 蓮の思考をそのまま解説したライゼンが指差して笑う。

 それを聞いて、志紀が眉を顰め、泣きそうな声を出した。


「ちょっ、お前……なんで!?」

「年の功ってやつさ」


 嗜好を見抜かれただけでなく、胸を張って呵々大笑までされた。

 けっこうな屈辱である。

 余計なことを言ったライゼンの肩を危うく手のひらで叩きそうになった。


「とりあえず、あっちからその眼を癒せるものを持ってくるよ。その時は、一週間か一ヶ月くらい泊まる予定だからよろしく。もっと観光したいしね」

「ああ。その時までに、いろいろ楽しそうなところを調べとく」


 夜も更け、日付が変わる頃合い。

 今日は修行をしていないから、少年のコンディションは右目を除けば極めて好調だ。


 レッド・スフィアを翳し、異界を繋ぐ門を作ったライゼンが、最後に少年へと歩み寄る。

 何だと反応する前に、少年の唇を、少女の柔らかい唇が奪った。


「せっかくだから、帰郷記念に“ふぁーすときす”も済ませとく」


 唇を離し、悪戯めいて囁かれた。

 動揺したような吐息。草原の香りが少年の鼻腔を撫でる。

 一瞬思考が停止したが、相手の匂いを認識して、ゆっくりと“何をされたか”の実感が湧いてきた。

 初めての接吻を奪われたのだ。突然に。


「なっ……ハッ!?」

「言っただろう。あたし達は人恋しくて惚れやすいんだよ。これから気をつけな」


 頬を紅潮させた少女が、硬直する兄妹に大きく手を振った。


「じゃあね、ふたりとも! いろいろありがとう!」


 騒がしく門へと飛び込んだライゼンを見送る。


 ようやく硬直が抜けた志紀が、肘で隣を小突いた。

 背丈の関係で肘が肩にぶつかり、少年に鈍痛が走る。


「照れてるじゃない」


 口を尖らせ、志紀が面白くなさそうに言う。

 馬鹿を言うなと、兄の威厳が反発した。

 ただ唇に唇が触れたくらいで、何もないだろう。

 ちょっと驚きはしたかもしれないが、なんてことのない出来事だ。


「せっかく一緒になるのに……初日から他のこと考えてるっていうか、そういうの……ちょっとイヤ……かも……。ああ、でも駄目ね。こんなに怪我をしてでも助けてもらったのだもの」


 なぜそんなに不機嫌なのかわからないが、とにかく蓮は取り繕うように言った。


「お前しか見えないから安心しろ」

「それは言い過ぎ!!」


 顔を両手で押さえ、志紀は兄の目から逃げた。

 こちらに板チョコめいた見事な広背筋の背中を見せ、戦士だった女が顔をマッサージして落ち着こうとしている。


 彼女の見えないところで、初めてのキス──まだ感触が残る唇に、少年は指を当てた。

 熱も、生々しい感触も、まだ残っていた──かもしれない。

 これまでにないイベント続きの一日を終えた実感が、ようやくやってくる。


「とりあえず、家に帰ろう。茜も呼べば来るかな」


 そう言って家に戻ろうとした蓮だったが、志紀が立ち止まっているのに気づく。

 親友であるライゼンの前では溌剌で楽しそうだったが、改めて時間を置くと気になってしまうのだろう。

 家の敷居の前で、もじもじとまごついてしまっている。


 志紀を迎えるために兄が払った代償、背負った傷。

 同じ家で暮らすからには、彼女はずっとそれを意識する。

 それを思うと心が挫けてしまうのか。


 巨大な体躯、ワンダーウーマンのようなマッスルボディを持つ彼女は、ちらちらと兄の喪失と負傷に視線を送る。


 長くて大きな身体を揺らし、志紀は儚げに佇んでいた。


「早く帰ろう」


 そのままでは消えてしまいそうに思い、急かす。


「でも…………やっぱり、ダメな気がするわ。兄をこんな体にしてしまったのに」

「お前が悪いわけじゃないだろ。バカバカしいことを言うな」


 玄関の敷居を越え、家の中から妹が来るのを待つ。

 姫戦士。結果として世界を本当の意味で救った、初めての英雄になった進藤志紀。

 後ろ手を組んでもじもじしながら、兄の失った眼と壊れた腕を見つめている。


 こちらが待てば来てくれるだろうか。

 下手なことを言うと、追い打ちになりかねない気がした。

 異世界転生はパンチでどうにかなったが、妹の心の揺らぎに対してはどうしたらいいかわからない。


 兄として、無言で蓮は待った。妹が来るのを。


 何度か視線が交差し、志紀は家、兄から逃げるように後退り――


「来いよ」


 じれったくなった進藤蓮はツカツカと足を動かし、逃げようとする妹へ歩み寄る。

 目を丸くして固まった妹の体に、ボロボロの腕を回して抱きしめた。

 兄から妹にハグをした。


 頭がおかしくなりそうな激痛の大合唱がしたが、表には出さない。


「お、お兄ちゃん……?」

「お前が帰ってきたら、力いっぱい抱きしめようとずっと思ってた。まあ、お前の剛力でハグされたせいで忘れてたけど」


 こちらからのハグも何度かしたが、それでも何の憂いもなく妹を抱くのは初めてだ。


「離れて。ほんの少しだけ、一人で考えたいの。家に本当に帰っていいのかって。それにハグなら何回かしたでしょう」

「まだ足りない。これから何万回もしないと、気が済まない。帰ってきたらお前が望むことを何でもしようと思ってた。一緒に遊びに行ったり、お喋りしたり」


 相手の言うことは無視して、少年は思っていることを全部言う。


「なのに、お前がいなかったら、やりたいことがなんにもできないじゃん」


 進藤志紀の瞳に涙が浮かび、自然と鼻声になってしまっていた兄の頭頂部に落ちた。


「本当に? 帰って来ていいの? そんな怪我をして」

「当たり前だろ」


 もう体のどこを怪我していないのかわからないが、妹に出て行かれたら何の意味もない。

 だから、体を引きちぎるような痛みはあえて無視する。


「ホントは……こんなんじゃなくて、ずっとワガママなんだよ、わたし? やりたいことを言ったら、お兄ちゃんが嫌になるかも」


 淑女としての顔も崩れ、弱音で潰れそうになっている。

 全身がボロボロな蓮でも軽く倒せそうなくらいに、志紀の心は悲嘆に沈み、ズタズタなのだ。


「嫌にならない。絶対なんない。だから帰ろう」


 腕を両目に当てた志紀が、蓮に引き寄せられる形で、徐々に歩み出す。

 一歩、二歩、三歩。

 途中で妹に逃げられるのではないかと危惧したが、大丈夫だった。


 兄は家の中にいて、妹が家の真ん前にいる。


 涙を拭って。口に入っていた鼻水を全部すすり、志紀は顔を上げた。

 褐色肌の姫戦士、チョコレートの広背筋を持つ長身の美女が、頬を染め、大きく深呼吸をし、意を決して縁石を跨ぐ。


 深呼吸して顔を上げると両目からは真珠のような涙がボロボロ零れる。

 褐色の肌、大粒の涙、満面の笑顔。

 声高らかに志紀は言った。


「ただいま!!」


 戦いで半壊した玄関でやるのは決まらないが、進藤蓮は気にしない。

 今、この瞬間に兄の人生は時を刻み、妹は姫戦士からただの人に戻った。


「……おかえり」


 笑顔で頷きかけ、志紀も泣きべそをかいた震える唇を無理に吊り上げようとし――やがて自然に、噴き出した。


「なんか……変なの!」


 そう言って兄妹は笑い合い、靴を脱いで玄関に上がっていく。


「これから何をする?」

「もう夜も遅いし。このまま寝ましょう」

「うーん、夜食を食べたいからな。出前を取るか。下駄箱の上にあったチラシから選ぼう。明日の朝食の分も頼もうか。二日分、好きなもの食べるぞ」

「出前って?」

「ご飯をお店から持ってきてもらえるんだ」


 日課の修行をしていないのは心残りがあるし、落ち着かなさもある。


「それで明日はどうするの?」

「まあ、明日決めたらいいだろ」


 廊下を歩き、志紀がチラシを手にして興味深そうに食事を見る。

 つらつらと変哲のない会話をしながら、兄妹は家に帰った。


 ──今日は、修行を休もう。

 ──初めての休養日だ。


 蓮はそう心に決めた。


【了】




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