〇七
山で熊とはち合わせたときは、視線を逸らさずにそのままゆっくり後退すればいい。何かの本でそう読んだことがある。本当だろうか。ホントにそんなことで助かるのか。私はほとんど息も止めた状態で、向かい合う二機のロボットから少しずつ距離を取ろうと試みた。
もちろん、そんなことをしてもムダだ。
相手は最新のAIを備えた自律思考型ロボットなのだ。
しかもこっちは丸腰で、相手は大口径ライフルを二挺、両肩に据えている。その銃口が、微かなモーター音をさせてこちらを向いた。
う……万事休す。
私はここで死ぬのか。
自衛官になってから今日までのことが、走馬灯のように頭をよぎった。
航空音楽隊に迎えられ晴れやかに行進した入隊式。
大あくびを連発して制裁を食らった導入期点検。
ピアノの伴奏が妙にムカつく自衛隊体操。
寝ぼけて同僚の尻を蹴飛ばした露営訓練。
任命式ではじめて制服の襟につけた階級章。
満点をたたき出して教官を唸らせた実弾射撃訓練。
筑波宇宙センターからシャトルで飛び発った日の朝焼け。
色々楽しみにしてたのにほとんど麻酔ガスで眠らされてた宇宙飛行。
そして火星基地へ降り立ったときの騙されたーっという絶望感。
私の人生って……。
最後に、茨城で暮らしている両親の顔が浮かんだ
前略、父上母上――今日あなたたちの娘はお国のために殉職します。
そっと目を閉じた。
誘蛾灯が虫を焼くようなチリっという音がした。
つづいて目の前にいるであろう二機の童夢零式が順番に倒れる音がする。
目をあけてみた。開放されたハッチの向こうに、カジオとヤマザキが立っていた。テレビ局の中継カメラみたい奇妙な形をした兵器をかついでいる。あれが噂に聞く超高強度負ミュオンビーム砲というやつか。実物を見るのは初めてかもしれない。てかそんなことより――。
「カジオさん、ヤマザキさん……」
今まで、このロクデナシの先輩二人を、こんなにも頼もしく思えたことがあっただろうか。
涙がブワッとあふれた。
「てっきり自分は死んだかと思いましたよォ」
「なにやってんだおまえ?」
二人がゆっくりと近づいてくる。
「敵の注意を引きつけろとは言ったが、なにも真ん前に立つことはないだろう。すげえ度胸してんな、おまえ」
「こっちにだって、行きがかり上の都合というものがあったんです」
「へえ、これが中国ご自慢の軍事用ロボットってやつか……」
破壊された童夢零式のわきに、ヤマザキがかがみ込んだ。
「あんがい緻密に造られてるもんだなあ」
カジオも上から覗き込む。
「動力は電気か。たしかメタノール燃料電池を搭載してるとかいってたな」
「こいつらが火星を跋扈するようになれば、また各国で資源の奪い合いが始まるんだろうな」
「いずれ俺たち兵士も、みんなこいつらみたいなのに置き換わっちまうさ。けっ、忌々しい」
「せっかくだから鹵獲していこうか、これ」
スピーカーからモテギの声がした。
「ダメだ。米軍が回収するからそのままにしておけと部隊長から命令がきている」
「へいへい、当然そうなるわな」
ハッチの奥を透かし見ながら二人に尋ねた。
「中の様子はどうです。施設で働いていた人たちは無事でしたか?」
難しい表情で顔を見合わせる二人を見て、だいたいの事情を察した。
「ダメだったんですね……」
「まあ、自分の目で確かめたほうが早いな。危害を加えられる要素はもうないから行ってこい」
「あんまり気が進まないけど、じゃあちょっと見てきます」
私はハッチをくぐり、エアロックの外扉を開いて中へ入った。すぐに注気による加圧と紫外線の殺菌がはじまる。やがてインジケーターパネルが緑色に点灯し、内扉がひらいた。
「いらっしゃいませ。当研究施設へようこそ。まずはこちらでお名前とご用件をうかがいます」
受付嬢ロボットがにこやかに挨拶するのを無視して、奥へと進んだ。
「うわ……何これ?」
少し広くなった居住スペースへ足を踏み入れたとたん、私は息を飲んだ。
そこには普段と変わらぬであろう生活の一コマがあった。鏡に向かい機械にヒゲを剃らせている男。AIのサポートを受けながら屈伸運動をつづける女。液晶パネルに映るニュースを観ながら食事を口に運ばせている男。
すべて死体だ。
顔は青黒く膨れ、髪は抜け落ち、眼球はあらぬ方向を見ている。
ドレッサーから伸びるアームは、男のヒゲどころか顔面の肉をこそげ落とし、今や骨まで削っていた。
トレーニングマシーンは、ガスで膨張した女の体を無理やりねじ曲げ、肛門から腸を飛び出させている。
ニュースを観る男の口には延々ビーフステーキがねじ込まれ、食道が膨らんでガマガエルのようになっていた。
私はあやうく吐きそうになるのを、すんでのところで堪えた。
「どういうことですか、これ?」
私が尋ねると、カジオは自嘲ぎみな笑いを漏らしたあとに言った。
「な、すげえだろ? あるじが死んだことに気付かず、生命維持装置のAIが延々と世話をつづけてるんだ。バカバカしいっていうか、狂ってるというか、なんかもうホント悲しくなるぜ」
「彼らの死因は何です?」
「空調管理プログラムのログを調べたら、どうやら致死性の神経ガスが漏れ出したらしい。兵器に搭載しようとしてたのか知らんが、かなり強力なやつだ。おそらくそこにいた全員が、それと認識する間もなく死んだのだろう」
「一番手前の居住区にいるんですけど、他の部屋も全部こんな感じですか?」
「ああ、全員の死亡を確認している」
すぐに踵を返した。これ以上こんなものを見せられても気が滅入るだけだ。
「ねえカジオ曹長、童夢零式はなぜ私たちを攻撃してきたんでしょう。あれって開発用のテスト機ですよね?」
「さあな。たぶんこの施設のAIが俺たちを脅威とみなしたんだろう。およそネットワークに接続されたハードウェアってのは、AIによるアクセスを完全に拒むことはできないからな」
「なんだか怖い話ですね」
施設から出るためにエアロックのパネルを操作していたら、後ろから声がした。
「ありがとうございました。またのご来訪をお待ちしております」