25:隠蔽された世界
『幼形成熟であった人類が真の成体となった姿を暫定的に【神に愛されし者】と呼称する。また、この現象自体は他生物においても起こり得る。
特殊な環境下、その存在を認識した場合、もしくは過度のストレスに晒された場合、その他諸々の要因により戦闘に適した形態の成体へ変貌するとされるが詳細は不明。満月の夜に発現する事から重力異常との因果関係も疑われるがこちらも詳細な関連は不明。
アマデウスの特徴として常時抗いがたい破壊衝動に苦しみ、満月の夜、最高潮に達した破壊衝動によって同じアマデウス同士で殺しあう為徘徊する。
さらにアマデウスは破壊衝動を開放する事でより戦闘的な形態へと移行する。キチン質とたんぱく質により構成される黒い外骨格で身体の一部を覆い、その面積はアマデウスとしての暴走深度に比例して拡大される。
因果関係は不明だが相手を死に至らしめる事で一時的に正気を取り戻す事が確認されている。
全てのアマデウスにおいて暴走深度が一定のラインを超える事で生命維持活動より破壊衝動の開放を優先するようになり、最終的には例外なく全ての個体が暴走し死に至る。
条件は不明だがアマデウス化が進んだ末期の個体において更なる特殊な形態を取る事例が観測されている。
イノシシ型:脚部、または牙が肥大、変形する。
イヌ型:脚部が肥大、変形する。
タカ型:嘴部、または翼部が肥大、変形する。
ベース生物によってまったく特性が異なるが、恐らくはその傾向からベースとなった生物の特徴、長所をより強く発現したものだと考えられる。
尚、ヒト型アマデウスの場合は少々特殊で他生物のアマデウスと違い血液を触媒として己の身体から何らかの道具を引き出す事が観測されており、それにより更なる暴走状態に陥る。そうなると意志の疎通は完全に不可能となり、破壊の限りを尽くす。
まるで人が人である為の意志や心を切り離したかのように見える為、暫定的にそれらの道具を具現化した心、【千貌の華】と呼称する。アニムスが身体に与える負担は大きく、それらを引き出したアマデウスの活動時間は限られる。そして身体の限界が来た時点で枯れ果て、自壊する。
ベースとなるヒトの性別によってアニムスの持つ性質は大きく異なる。女性型アマデウスの引き出すアニムスは大型の場合が多いが、男性型アマデウスの引き出すアニムスは小型で貧弱である。ただし女性型とは違い意識レベルの低下は小さく、自壊までの時間も長い。中には自我を保ったままそれを振るうものも観測される為、女性型より脅威度が高い場合もありうる。どちらにせよアニムスを引き出した個体は非常に強力なアマデウスである為、最大限の警戒が必要。便宜的に男性型のものを女性型のアニムスとは区別し【アニマ】と呼称する。
アニムスの特性はベースとなった素体の意志や願いに左右されている傾向があり、それらは時に物理法則すら捻じ曲げる異常な特性を秘める。だがそうして生み出されたアニムスは破壊を行う事でしかそれらの願いに応える事はない。つまり願いを叶えるといっても万能の願望器などではないと言う事である。一例として対象を排除する願いであればそれらの破壊に適したアニムスの生成が可能だが、怪我を治す等の願いを持ったとしてもアニムスの特性に反映されることはない。そればかりか「猿の手」のように歪曲した方法――この場合は対象者の殺害による苦痛からの解放――で願いを叶えようとする傾向がある』
黒木の自宅にあったPCには予想通りヴォイニッチ手稿を解読することにより姿を現した記録が眠っていた。
恐らくは雫によって【隠蔽された世界】と名付けられた膨大なデータファイルから有用そうなデータをチェックしていくと、マーキングされた『C計画』という項目を見つけた。
『かつて秘密結社【十二頭評議会】によるパーフェクトソルジャー計画の一環としてアマデウスの軍事利用が企てられ研究された。非人道的な実験が繰り返されたが、それによりいくつかの成果をあげている。
アマデウスの血液をヒトに経口投与する事で極短時間人為的に成体へ変貌させる【擬似アマデウス】。肉体の細胞を活性化し、ほぼアマデウスと同等の身体能力を得る。
更に血液の源である骨髄を経口投与する事で血液とは比べ物にならない程長期間の変貌が可能となる。だがその場合、成人のアマデウスほぼ一体分となる1000g前後の骨髄が必要な為、実質はダウングレードとなり実用性は皆無。
また人為的に作り出された疑似アマデウスはいずれも身体を騙す事でその能力を発揮しており、アマデウスの要であるRhNullは身体に宿されていない。つまりその血肉に他者をアマデウス化する能力は保持しておらず、一代限り使い捨ての存在である。
生体兵器としての量産が望まれたが疑似アマデウスの持つアニムスの特性が多種多様であり予測が不可能である事から拘束が出来ず、多くの脱走、死傷事故を引き起こした。結果的にコントロールの難しい疑似アマデウスの軍事利用は頓挫し、凍結。本計画の要である現存する最古のアマデウス【Carmilla】と共に無期限凍結とする。
更にアマデウスという存在の露見を防ぐために成体へと至る可能性のあるA型、B型、O型、AB型、それぞれのRhNullを持つ人間のうち、確認できた者は全て秘密裏に回収とする。今後突然変異によりそれらの血液型が出現した場合、出生段階で回収、ないし処分することを推奨する。ただし徹底させる為にはアマデウスの存在が漏洩する可能性があり方法は慎重に検討する必要性がある。アマデウスという存在を知る事はそれすなわちアマデウス化のトリガーを引く事になるからである』
『C計画』(プロジェクトカーミラ)、そこに書かれていたのは人造のアマデウスを兵器として運用するためにかつて行われた人体実験の数々と、アマデウスという存在への徹底的な封じ込め対策の記録だった。目を覆いたくなる程の惨状と実験の経過報告も散見された。だが俺は目をそらさず読み進めていく。今、この状況を変えるための可能性たりえるものはここにしか存在しないからだ。
その中で最も興味を引いたのはアマデウスの血液があれば短時間人為的にアマデウスへの変貌が可能だという事と、黒木の持っていたムカデのような剣、アニムスについての情報だった。
アマデウス化した人間のみが引き出すことの出来る破壊によって願いを叶える意志の具現化。それは恐らく繭に包まれる前に黒木が持っていた蒼黒い剣。
願いを叶える為に心と意志を力に変換するが、代わりに身体と心を切り離されたバーサーカーへと変貌し、命を吸い上げられ、枯れ果てる。
では黒木の願いとはなんだ。考えろ。大型アマデウスを倒す事か。……違う。
考えるまでも無かった。俺のことだ。これはうぬぼれでもなんでもなく、黒木と過ごしたこのたった二ヶ月弱の、それでも忘れられない思い出が、そう感じ取っていた。
黒木は俺を守る為、死なせない為にアニムスを引き出しあの大型アマデウスを屠ったのだ。その想いに胸が締め付けられる。
『アニムスを引き出し暴走したアマデウスは短時間でその命を燃やし尽くす。個体差が激しく数時間で死に至る個体から数週間生きた個体の記録まで確認されている。野放しにされ、多くの成体を喰らった個体ほど寿命が長く、更に若い個体ほどその寿命は長い。また、雌型より雄型アマデウスの方が長く生きる傾向がある。
暴走するアマデウスが自我を取り戻した記録は、現状一例も存在しない。
対処法:殺害のみ。ただし非常に困難。遠距離から大火力による不意打ちでの頭部破壊が最も効果的』
勿論都合良く黒木を救う方法が記載されているなどとは思わなかった。けれどそこに記載されていたのは紛れもない絶望、そのものだった。
だが、それでも俺は諦める訳にはいかない。俺にはその選択肢は存在しないのだから。
「どうやったら、お前を救える……!?」
アニムスを既に引き出し暴走してしまった黒木を救う方法は、存在しない。
だが、それでもそう口に出した。まるで神に奇跡を祈るかのように。自らを奮い立たせる為に。
一度情報を整理する。
黒木のPCに残されていたヴォイニッチ手稿によってこの世界に姿を現した【隠蔽された世界】の断片、その情報は常人なら気が狂わんばかりのものばかりだった。
本来は触れる事すら出来ない世界の秘密。だが、それでも今はこれらの情報だけが頼りだった。理解を超えた現実に抗う為に、俺は黒木を救う為に使えるものは何だって使う。
では、そもそも『黒木を救う』とは具体的にはどうすれば良いのだろうか。大前提としてアマデウス化した人間は絶対に元には戻れない。不可逆の存在だからだ。
黒木を人間に戻す事、それを可能にするのは時間を巻き戻すくらいしか手は無いだろう。いつか黒木が言ったように蝶がイモムシに戻る事は決してないのだから。
ならば現実的に黒木を救う事とは人間に戻す事ではない。
それは、アマデウス化の安定維持。
黒木を暴走状態から引き戻し、その身を侵食する破壊衝動さえどうにかできればアマデウスとして人間社会に溶け込み、生きていく事は十分に可能なはずだ。
黒木はアマデウスへと変貌する事でその身を内から食い破ろうとする破壊衝動に苛まれていた。音楽、暴力、アマデウス狩り……それらによってなんとかその理性を保ってきた。だが、それでも徐々に肥大化する破壊衝動を完全に抑えるには至らず今日を迎える事となった。
ここで一つのシンプルな疑問が浮かび上がる。
――人間の成体であるアマデウスはそもそもどうして破滅の運命を辿るのだろう。どうして破滅するだけの成体などというものが存在するのか。
例えば長い時間を地中で過ごし、地上に出て羽化し、繁殖の為に飛び回るセミ。彼らは確かに羽化することで死に向かう。けれどそれは繁殖の為に残された機能なのだ。
ではアマデウスはどうだろう。争う為だけに変貌し、そのまま消耗して死んで行くだけの存在だとでも言うのか。それは生物としておかしい。争う為の力、それはつまり勝ち残り生き残る為の物だからだ。アマデウスが成体になる意味。……もしくは逆にアマデウスとして生きていく為に必要な何かがあるのではないだろうか。
もしそうであるならば、それこそが俺の求めた黒木を救う手立てとなる。
黒木は音楽と暴力によってその破壊衝動を抑え付ける事で今日まで生きてきた。けれどそれでは限界を迎え、最終的に破壊衝動に飲まれてしまう。頬に当てた指に力を込め、PCの画面を凝視し考える。
「……破壊行為が、何らかの代償行為である可能性もあるのか?」
アマデウスは破壊衝動に突き動かされる。もし仮に、破壊衝動自体が何らかの原因で引き起こされているのだとしたら。
初めて目にした黒木の暴走を思い出す。一心不乱にイノシシ型アマデウスを破壊し、そして……。
「……喰らい付いていた……?」
先ほどの黒木も月色の繭に包まれる前に大型アマデウスに噛みつき咀嚼していた。
いかづちが落ちたかのように閃く。
『アマデウスは破壊衝動を抑える為に破壊行為を行う』
実際黒木は暴走し、それによってあの黒い外骨格、月色の髪の姿から元に戻った。それに加えて黒木本人もそう言っていた。だから俺は破壊衝動とは破壊行為によって解消されている物だとずっと思っていた。
だがそれがそもそもの間違いであって、対象の捕食行為こそが破壊衝動を抑えていたのだとしたら。
つまり破壊衝動とはそもそも飢餓感から発生していた自己の防衛機能であり、それを解消していたのが、他アマデウスの捕食行為、つまりアマデウスの血肉を経口接取する事だったのだとしたら。
『生身の相手への破壊行為じゃないと効果は薄かった』
ぞくりと悪寒が走る。
だがアマデウスが破壊衝動に飲まれ暴走してしまうのは、本来の食事をとる事が出来ず、それゆえに引き起こされているのだとしたらその食事さえ用意できれば黒木を救う事が出来るかもしれない。それはここに来てようやく手にした小さな光だった。俺は夢中で【隠蔽された世界】の記録と平行して雫自身が記録していた日記を読みあさった。
雫の日記は自らがアマデウスとして覚醒した事への苦悩、そして恐怖が淡々と綴られていた。今は全て読み解く時間は無い。ページを飛ばしながら有用そうな場所を夢中で探していく。そうして記録も終盤に差し掛かかった所から何度も【アンブロシア】という単語が頻出するようになった。それは神話に出てくる「神の食べ物」をさす単語らしい。――意味も合致する。雫も、もしかしてアマデウスに必要な食事の存在についてたどり着いていたのかもしれない。それさえ解れば黒木を救う事が出来る。黒木を救う為の答えがようやく見つかったのだと俺の気持ちは逸った。
……だが。
そこまで来て肝心な事に今更気が付く。確かに膨大なデータ量を誇るこの記述を黒木が全て把握しているとは思えない。けれど今読み進めているのは雫の日記の一部だ。黒木がそもそもこのデータを復元したのは雫失踪の謎、そして行方を捜すためだったはず。
で、あるならば当然この情報『アンブロシアがあればアマデウスは生きながらえる事が出来る可能性』は黒木も知っていたはずだ。失踪前の雫はアンブロシアという何かを求めて必死に生きようと記録を残していたのだから。
ならば、どうして俺に言わなかった。
自らを生きながらえさせるアンブロシアを共に探して欲しいと。
それがあれば共に生きていくことが出来るのだから。
……嫌な予感を感じつつも俺には記録を紐解く事しか出来ない。
そして、記録は最終盤、雫失踪直前に書かれた物にたどり着いた。それを読み進めていく事で俺の悪い予感が的中したことを理解した。心臓だけが壊れたように鼓動を打っているが俺の心は冷たく冷えていく。目頭を押さえて天を仰いだ。俺の世界は色彩を失いモノクロームに包まれていく。
「だからか……お前、最初から……知ってたんだ……」
今まで必死に涙をこらえてきたのはそれを押しとどめておかないと俺が絶望に染められてしまう気がしていたから。けれど、ついには俺の双眸から涙がこぼれ落ちた。
雫の残した最後の日記。
そこに記されていたのは雫が人を襲い、吸血行為により破壊衝動の解消を行っていた事。
そして……。
――失踪当日、雫が黒木を襲った事が記録されていた。




