44.猫は待ったなし
「どうしてなんだ?」
回想に耽る俺に、国包が返事を催促した。
俺が帰った直後の松太郎は、尻尾をピンと立てているから、上機嫌……と言うか、「超絶嬉しい」のだろうことはわかる。
「……嬉しいんだと思う」
「嬉しい?」
犬飼いの国包は首を傾げ、元猫飼いの和坂さんは、笑顔で頷いてくれた。
猫成分入りの魔法生物である黒江さんは、会話に加わることなく、相変わらずドアを凝視している。
「俺が家に帰ったのが嬉し過ぎて、だっこしてもらうことしか考えられなくなって、待ってって言っても、待てないんだと思う」
「え? 何? 犬で言うところの嬉ションみたいなもん?」
「……『うれしょん』って何?」
「え? 子犬とか、嬉し過ぎてお漏らしすることがあるんだよ」
「え? あ……あぁッ?」
恐怖ではなく、歓喜でお漏らしって、犬と猫じゃそんなに違うものだったのか。初めて知る事実に、俺は言葉が出て来なくなった。
和坂さんも、驚いた目で国包を見ている。
松太郎はいつも、俺が玄関を開けた瞬間、超笑顔で駆け寄ってくる。
「う~ん……あれは、寂しかったことの裏返しなんじゃないかなぁ?」
「そう……なのか?」
国包はそっと黒江さんの様子を窺った。
今もやっぱり、ドアが開くのを一日千秋の思いで見詰めている。
「うちの猫、構ってちゃんなんだよな。だから、留守の間、寂しくてたまんないんだと思う」
「そうそう。だから、大好きな人が帰った途端、自分の要求を全力で押し通すの」
元猫飼いの和坂さんが、熱を込めた声で言い切った。
「ごはんやトイレと同レベルの死活問題なのよ。本人にとっては!」
「猫は『待て』ができないんだっけ……?」
犬飼いの国包が、自信なさそうに猫派二人に聞いて、そっと黒江さんに目を向けた。ドアに穴が開くんじゃないかと思うくらい、強い視線を注いでいる。
巴准教授に「研究室で電話番してね」と命令された為、研究室から出られないのだ。
使い魔は、彫像のように動かない。
「うん。あいつらに『待て』は通用しない。自分の要求が叶えられるまでひたすらニャーニャーだ」
「それは、三田が根負けして折れるから、折れるまで頑張ってるだけじゃないのか?」
国包に痛いところを突かれたが、俺は平静を装って、話を続けた。
「猫は待ち伏せ型のハンターだから、ターゲットが来るまではじっと待ってられるけど、目の前に居たら、我慢なんてできないんだよ」
「じゃあ……」
国包が、俺たちを目で誘導する。
視線の先には、ドアが開くのを今か今かと待つ、黒江さんの姿があった。
既に一時間経っている。険しい顔でドアを睨んでいるが、「電話番」の命令がある為、電話機前の椅子から腰を浮かせることはない。
ただただ、巴准教授の帰りを待っていた。




