45.猫とだっこ
巴准教授の帰りを心待ちにする渋い執事を見ていると、ものすごく基本的な疑問にぶつかった。
疑問点を頭の中で整理して、質問の言葉を慎重に選ぶ。
「あの、黒江さん、質問、いいですか?」
「どうぞ」
そわそわと落ち着かない目で、ドアと俺と壁の時計を見ながらも、応じてくれた。
「黒江さんの体重って、今の形だと何キロくらいですか?」
「先月の測定では、九十五キロでございました」
「九十五キロ……」
俺以外の二人が絶句する。
猫好きのカリスマプロレスラーとほぼ同じ重量だ。そう言えば彼も、黒い衣装が多い。
体格的にも、この燻し銀的な風格のある執事と、カリスマレスラーは同じくらい。
まぁ、妥当な重量だろう。
「じゃあ、猫形態の時の体重は、何キロですか?」
「先月の測定では、四キロと三百ニグラムでした」
うちの松太郎より軽い。
食べたちくわの行方も不明だが、この変身前後の質量の行方もわからない。
本当の姿の体重を量ろうと思ったら、象とか大型動物用の体重計を動物園で借りなきゃいけないから、量ってなさそうだ。
聞いたところで謎が増えるだけなので、それは聞かないことにした。
「三田君、黒江さんの体重を聞いて、どうするの?」
「特に何も。今の黒江さんはゴツい体格で、足音が重いから、体重はそれなりっぽいだろ?」
和坂さんは、こくりと頷いた。
「でも、巴先生は、猫形態のクロだったら、普通にひょいってだっこしてるだろ。腕、あんな細いのに」
「あぁ……そう言えば、気になるね。質量保存の法則とか」
「そう……だな。じゃあ、あの変身は、肉眼で簡単に観測できる化学変化じゃなくって、何か別のもっと細かい……素粒子とか、そう言うレベルの話ってことだよな」
国包も会話に加わる。
俺たちは、核物理や素粒子論などは専門外なので、ふわっとした認識しかない。
改めて、自分たちが学んでいる「魔道」の異質さに気付かされた。
「うん。体重だけじゃなくって、体積とか他にも色々、一瞬で変わるんだから、魔術ってやっぱり、科学技術とは全然別の技術体系なんだなぁ……」
「それを解明できたら、研究者として一流になれるんだろうけど……」
和坂さんの声に、三人揃って肩を落とす。
「どっから手を付ければいいのか、見当もつかないんじゃなぁ……」
「だっこ可能なサイズに体積を圧縮するのも、重量を一瞬で軽くするのも、普通に考えたら無理だもんねぇ」
「ご主人様のだっこ……」
黒江さんが溜め息交じりに呟き、泣きそうな目でドアを見詰める。
外見は変わっても、性格や能力は元の姿のままだ、と教科書には書いてあった。
巴准教授が、表現の仕方を変えるように躾けたから、人間の形の時はなるべく人間らしく、猫の形の時は猫らしく振る舞うようにしているだけだ。
「黒江さん、黒江さんはホントにだっこが好きなんですね?」
執事形態相手にこんな質問をするのは、正直言って心理的な抵抗が半端ない。だが、猫形態の時は人語を喋ることは禁止されているので、仕方がない。
「黒江さんは、巴先生が『クロ、おいで、だっこしよう』って呼んだらいつも、超嬉しそうな顔してますけど、あれは、本心なんですか? それとも、先生が命令したからなんですか?」
どこまでがこの魔法生物の素の感情で、どこからが巴准教授の命令の影響なのか、興味が湧いた。
執事形態の使い魔は、不思議なものを見る目で俺を見た。
「その場合、ご主人様のご命令は『おいで』でございます。『だっこしよう』は、ご主人様から私への提案であり、また同時に許可でもあるのです」
言葉の意味だけを直訳すれば、確かにそうなのだろう。
だが、猫派の人間だけでなく、普通の人間も、「巴先生がだっこしたいから、猫形態の使い魔を呼んでいる」と解釈する。
少なくとも俺は、松太郎に「まっつぁん、おいで、だっこしよう」と声を掛ける時、そんなつもりで呼んでいる。
松太郎は、「だっこされてもいい」と思えば来るし、気分が乗らない時は、尻尾の先だけパタパタして「あぁ、はいはい。聞こえてますよー」と返事をする。
人間と魔法生物の間で、こんなに言葉の解釈に違いがあるとは思わなかった。




