Scene 2 濁流なんか、こわくない
Scene 2
経緯を回想してみる。
まず、バーナヒル領主婚礼の儀の警備依頼。
そして婚儀。
その後、だな。
キーナ姫お付の侍従に相談を持ちかけられたのは。
側にいたのは俺の他、ミーフィア・ハイドライトとシフォン・アンバーベイ。それぞれ順騎士と騎士見習いだ。それと犬姿のセトが部屋の外に。
彼女は声を潜めて……これからする話の隠匿性を醸していた。
年配の侍従は、悲しげに言った。
「キーナさまはまだ六つ。婚礼などには早すぎます。
それで……、あなた方を真の騎士と見込んで、ご相談が」
ミーフィアとシフォンが顔を見合わす。
「?」
どうやら、まったく見当がつかなかったのは俺だけらしい。
「聞かなかったことにするよ」
ミーフィアが肩をすくめて、その場を去る。
「僕も……」
渋い顔をして、シフォンが後じさる。
やはりまだ内容に思い至らないのは俺だけらしい。
ふたりがすっかり部屋を出て行ってしまってから、侍従はしっかりと俺の手を握る。
「ああ……、あなた様こそ真の……」
「前置きはいい。話せ」
「では、申し上げましょう」
内容は、こうだ。
キーナ・オルバドを連れて三つ隣の領、湖国レンフォスまで行ってくれ、と。
「しかしそれは……」
ためらう俺に、侍従は苦い顔で頷いた。
「存じております。バーナヒルの領主、グラムさまを裏切る行いであることは」
なら、話が早い。
「断る」
「……」「……」「……」
俺に話していた年配のひとりと、後ろで心配そうにしていたもう少し若めのふたりの侍従。
彼女らは額を付き合わせて相談を始める。
「……で、ね――」「――よ。こうなれば」「すわね。……ましょう」
面倒くさい。
俺が踵を返すと、入り口にふたりの兵が立ちふさがった。
邪魔だ。
たぶん俺が通り過ぎた後には、煙を吐いたふたりの兵士が倒れていたことだろう。
ふいに、後ろで悲鳴が上がる。
俺は思わず振り返っていた。
「きゃぁああ!」
「騎士がキーナさまを連れて逃げたわ!」
「大変! 奥方さまにお報せしなくては!」
「はやく!」
戻りかけた俺に、いつの間に来ていたのか、となりから、先ほどの年配の侍従が、何かを手渡す。ふにゃりとした――よく見れば子どもの手だ。
「?」
「はい。頼みましたわ。上手く逃げてくださいな」
彼女はさらに、貝貨の触れ合う涼やかな音のする革袋を、俺に渡そうとする。
「要らん」
「ですが、道中何かと物入りでございます」
「……」
しわを刻んだ目元が、満面ともいえる笑みを刻む。
羽目られた。
いや、そんなことはもう数”砂”前には判っていたのだが。(一砂とは、一粒の砂が、十牛歩の高さを落ちるのにかかる時間)
「――っくそ」
キーナさまとやらの手を引いて走る。口がないみたいに大人しくついてきた。
浅黄色の髪を、一部だけ結っていて、服は、ごく粗末だが動きやすそうなもの。齢は、俺の――三分の一くらいか。
後ろから、先ほどの侍従の声。
「あっち! あちらに逃げました!」
おそらく、正反対の方角を、これでもかと指差してくれているだろう。
――どこかの間抜けな騎士のために。
その頃にはすでにセトという名の白犬は、俺の脇をついてきていた。
「はぁーーーー」
おそらく、こんなに大きくため息をついたのは久しぶりだ。
麦酒色の目が俺を覗き込んでいる。表情はどこかぼうっとしていて、俺の顔というよりは、もっと遠くを見つめているようだった。
俺は馬豆花の木の下に寝転んでいた。――小ぶりの丸い葉が、規則正しく並ぶ先に、花びらの合わさった、白い花が、房のようになって垂れ下がっている。特有の甘ったるい香りが、辺りを漂っていた。
「……」
このまま置いていっちまうか。
よぎるどころか、その考えはさきほどから俺の頭の真ん中に陣取っている。
そもそも、だ。
この子どもを押し付けられたのは成り行きで、そんな運の悪いがための行いで、ユークライドの家名に傷が付くなんてことは避けたい。
――いや、すでに遅いのか。
「……あれ?」
考えてみれば、逃げたのが俺とは、もしかすれば知られていない。
ミーフィアやシフォンが俺の不在に気付いたとしても、キーナはここに居る。
『見つけた』といって、連れて戻ればよいのだ。
そうすれば丸く収まる――はず。
俺は首を振ってその考えを払った。
「行くぞ」
キーナの手を取る。
はっきりとはしないが、何かがそれをさせない。したくない。
*
「見つけたぞ!」
――ちっ、また来やがった。
大々的に周囲の村にまで通知したのか、金目当ての傭われ兵や、農民がキーナ(と俺)を探してうろうろしていた。
こう諸中見つかっていては ますます、こちらがここにいると報せているようなものだ。いっそ地にでも潜れればいいんだが、そういうわけにもいくまい。
適当な位置に雷を現象化させる。農民相手だ、おどしだけで十分。
一瞬辺りが真っ白になり、木の裂ける音がばりばりとうるさく響く。
相手の状況を終いまで確かめず、俺たちはまた、走り出した。
セトが俺をあおぐ。
「どうして手を抜くのです」
こいつの価値観ではそうなんだろうな。人間なんて、紙くずと一緒なのに違いない。
それとも、こいつらの間では、同族相手でも手加減をしないという礼儀でもあるのだろうか。――魔物だし。
「倒しすぎるとこちらの立場が悪くなる」
「そういうものですか」
返答にはどこか不満のニュアンスがあった。
◇ ◆ ◇
殺さないくらいの手加減はできるはずだ。
走りながら、雷術の始点をばら撒く。
こうして追っ手に遭うのも、幾度目かだが、どんどん、数が増えてきた気がしてならない。
「セト! キーナを頼む。俺に何かあっても、ちゃんと届けろ!」
歩を踏み込む際、別方向へも力を加える。
「乗って!」
セトの声が聞こえた。キーナに向けたものだろう。
俺は反転する。
――。
俺には慣れた音だが、雷弧が空中を飛ぶ時の、裂音が弾けた。
「ぐあっ」「げ」
カエルみたいな声を出して、追っ手の数が減る。
再び踵を返すと、俺は走るのに意識を戻した。
少し速度を緩めて隣に並んだセトが、言う。全力で走っているはずなのに、息の上がっている様子は微塵もない。
「さきほどの命は聞けません」
「――そうか」
目を閉じる。
そうだろうな、セトは。
俺はまた、立ち止まり、雷術を道の片側へ放つ。
始点を順に延ばし、遠方までの連鎖。悲鳴、雷光、樹木の焦臭。いい加減、単純作業になってきた。
前――道の先に、白い光が見えてきた。森の出口だ。
見えてきた白光の中には、複数人の人影が浮かんでいる。
念入りなことだ。子どもひとり、こいつにどれだけの価値があるというんだ。
ふと俺はキーナを見る。必死で、セトという犬の長い毛をつかんでいる。少しでも風の抵抗を減らそうという配慮なのか、背の上で平たくなっていた。
出口近く、俺は振り向いて、再び術を放つ。
「雷叉扇羽ッ」
――あ、いかん。叫んでた。
雷術が俺の足元から、八方へ伸びる。今度は手加減をしていないから、どこか遠くへ召される奴がいるかもしれないな。
後ろから聞こえた阿鼻叫喚に、ふとそんなことを思う。
森を出た。
白い光の中には、鎧で固めた騎士どもが居た。―― 一体、何十人いるんだ。肝が冷えたのは一瞬だけで、すぐにそれも忘れる。何人いようが知ったことか。
先に曲がったセトを追って、俺も続く。先には、峡谷を渡る橋がかけられていた。
「逃がすな!」
ひとりが指をさし、残る数人がばらばらと駆け出す。
どぼん
泥水が、俺とセトとキーナを飲み込んだ。
状況? 追っ手に前後を塞がれたから、最も安全な逃げ道を取っただけだ。橋の上には、それぞれ右と左からやってきた騎士が、なすすべなく、橋の真ん中辺りで、うろたえるのが見えた。
濁流が、流れていく。
方向の区別もつかない。だが、手で探れば、セトの犬の体に触れる。
こっちの柔らかいのはキーナだろう。縛縄――本来は被疑者の捕縛のために持ち歩いているものだが、を懐から引き出し、適当に結ぶ。適当――要するに、三人(と敢えて呼ぼう)合わせて結び、逆に、合わせたために、簀巻き状になる。何かにぶつかれば誰かが被害に遭うかもしれないな。
この状態では、セトに何かの指示を出すこともできない。セトが気を利かせてくれればよいが、そんなことをする魔物ではないことは重々承知している。
キーナが無事であることを祈る他なかった。






