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せっかく決意したというのに、彼は婚約を破棄することなく旅立っていった。
ゲームではありえなかった展開に呆然とする。
(なんで婚約破棄しなかったの?)
今さら彼に好かれているとは思えない。
聖女が召喚されてから、彼はずっと彼女に付きっ切りだった。社交の場でバッタリと会ったとしても忙しそうな彼と碌に会話もしていないし、手紙が来ることもなかった。
それどころか出立の日すら彼の口から伝えられてもない。
(魔王を討伐する命がけの旅なのに)
ゲームでは選択を間違えれば全滅ルートだってあったのだ。
(大丈夫だと思いたいけど……)
不安で仕方ない。
キースが旅に出てからずっと教会に通い詰めるようになった。
生きていてほしい。
そのことだけを願って祈る。
わたしのせいで仲が悪くなったとしても、キースのことは好きだ。その気持ちは変わらない。
彼が旅立ってから三ヶ月。季節は秋から冬へと移ろいだ。
ゲーム通りの展開なら一年の旅路になる。彼が帰ってくるのはまだ先だ。
(なにをしているのかな?)
文字通り命がけの過酷な旅路だ。
ひどい怪我はしていないだろうか?
ちゃんとご飯を食べているだろうか?
きちんと眠れているだろうか?
そんなことばかり考える。
(無事に帰ってきたら会えるのかしら……?)
あと半年以上先のことを考えてしまう自分に苦笑する。
自分の存在がキースにとって重荷なだけだと理解しているくせに、会いたいと願うなんて我ながら図々しい。
それでもせめて遠目からでも彼の無事をこの目に焼き付けておきたい。
ーーキースが生きているのかちゃんと実感したかった。
***
もうすぐ凱旋パレードが行われると知ったのは三か月後のことだ。
王が正式に公布し、じきに聖女らも王都に帰ってくると宣言したのだ。
国中が活気づく。教会までの道でも町に行き交う人の声が明るくなっていることは馬車に乗りながらでも伝わってきた。
(まだ旅に出てから半年しか経っていないのに)
ゲームよりも半分の時間で魔王を討伐したのだということに驚く。
明らかにゲームの展開と違っている。
いや、それを言うのならキースが旅立つ前に婚約を破棄しなかったのもおかしい。
彼の心境の変化になにがあったのか気になる。
だけど、それ以上にキース達が無事だったことに喜びを感じていた。
(良かった。生きていてくれて……)
その事実だけで涙が出そうだ。
ああ、本当に良かった。
馬車から降りて、教会の中に入る。
付き添いの人には悪いが、今日は時間を掛けてゆっくりと感謝の祈りを捧げたい。外で待っているようにお願いした。
(神様、ありがとうございます)
心の底からそう思う。
キースが生きている。それだけで世界が色付いて見える。
ここ最近重かった足取りも今日はずいぶんと軽い。分かりやすい自分に苦笑しながら扉を開けると、珍しく先客がいたようだ。
この教会は我が家が多額の寄付金を収めているので、わたしが訪問する時間は教会側が気を利かせて人払いされていることが多かった。
(……誰だろう?)
逆光のせいで誰か見えないが、体格からして男性だということは遠巻きからでも分かった。
祈りを捧げていたその男性はわたしが入ってきた音に気が付いたのかこちらを振り返る。
「カレン」
「…………え」
こんなところにいるはずのない声が聞こえて、呆然と立ちすくむ。
わたしが棒立ちになっていると、ゆったりとした足取りでこちらにやってくる。
「久しぶりですね」
ほとんど向けられたことのない甘い微笑み。目を細めて笑う彼の表情が穏やかなことに驚く。
「あ……」
急なできごとに言葉が出てこない。
生きていて良かったと伝えたかったのに、言葉を忘れたかのように唇を戦慄かせる。
ーー会いたかった彼が目の前にいる。そのことが信じられなかった。
(なにこれ、夢?)
色々な感情がごちゃ混ぜになって混乱したままのわたしを彼が抱き締める。
「カレン。ずっとあなたに会いたかった」
旅立つ前と百八十度態度が違う彼にそっと手を伸ばす。
あまりの違いに幻覚を見ているのではないかとさえ思えてくる。だらりと下がっていた腕を持ち上げて、彼の頬にペタペタと触れた。
「ほんもの?」
わたしの行動のなにが面白かったのか彼がクツクツと笑い始める。
「ええ、本物です。もっと触って確かめますか?」
「い、いえ。ごめんなさい。結構ですから」
後ずさろうとすれば、抱き締められる腕の力が増した。
ドキドキと鼓動が速くなる。
彼の匂いや体温が伝わって、緊張から固まる。
「遠慮しないでください」
耳打ちする彼の声は蜂蜜のように甘い。
「お願いですから離して」
このままじゃ本当に心臓がもたない。
必死に彼の胸を押してもびくともしない筋力差が悔やまれる。
「駄目ですよ。ようやく会えたんですからあなたを堪能させてください」
なんでグイグイ来るのか。意味が分からなくて、対応に困る。
「キース様」
「ああ、良いですね。もっと呼んでくれませんか?」
顔を覗き込まれると、必然的にキースの顔が視界に入る。
相変わらずの麗しい美貌。世が世なら彼を求めて国が傾くのではないか。そんなことすら思えてくる。
「ほら、呼んで?」
「キース様」
「はい」
嬉しそうに彼が微笑む。
そして顔が近付いたかと思うと、唇が合わさった。




