10
「なんで駄目なんです?」
心の底から分からないという顔をしないでほしい。
「だって恥ずかしいですし」
「恥ずかしいのなら慣れていけば問題ないのでは?」
問題大有りだ。
きゅうっと下唇を噛みしめれば、彼は困ったように眉尻を下げた。
困っているのはわたしの方なのに、なぜかわたしが悪いことをしているような気分になってくる。
「カレンは私に触れられるのは嫌ですか?」
嫌じゃないから困っている。
返答に困ってリンゴを咀嚼することで答えを避けようとした。しかし、そのはずみで彼の指にわたしの唇が少しくっついてしまった。
「あ……」
触れたのはほんの一瞬。気まずい沈黙が部屋を包み込む。
(……えっ。なに? 黙られる方が怖いんだけど)
そろりとキースを盗み見る。彼はじっとリンゴを持った自分の手を瞬きもしないで凝視している。
「すみません。なにか拭くものを……」
そんなに触れたことが嫌だったのだろうか。ベッドサイドのテーブルに置いてある使用人を呼ぶベルを鳴らそうとすれば、キースが早口で止めた。
「構いません」
「でも……」
「婚約者の唇が少し指に当たっただけです。拭くほどではないでしょう」
「だけどもしかしたらわたしの風邪が移るかもしれません」
「これくらいで移るほど、やわじゃありませんから」
なんのために鍛えていると思っているんですか、と言われたけれど、少なくともこのためではない。
ふっ、と表情を緩めた彼がリンゴを皿に置いて、自分の指先にキスをする。
「な……っ」
なにしているんですか、と叫びたいのに驚き過ぎて、目を見開く。
彼のしたことが信じられない。
「……カレン。顔が赤いですけど大丈夫ですか?」
それは間違いなくキースのせいだ。
彼だって分かっているくせにそうやって聞いてくるのだからタチが悪い。
じとっと睨み付ければ、彼は楽しそうに口の端を吊り上げた。
めったに見ない満面の笑み。その顔を見れただけでも許したくなる。
我ながらなんてチョロい女なんだろう。
(だってキース様の顔が良過ぎるから)
ふいっと顔を背けると、彼の手で顎をすくい上げられる。
「キース様?」
徐々に近付く彼の顔。
目が離せなくて固まっていると、額と額が合わさる。
「……うん。顔が赤いわりにそこまで熱くないですね」
すぐに離れられたが、バクバクと心臓が苦しいほどに高鳴る。
「かっ、からかわないでください!」
「からかってなどいません。熱が高いのなら医師に診てもらおうかと。だってそれくらいにカレンの顔が……」
赤かったのか。
指摘された恥ずかしさをぎゅっと手のひらを握り締めて誤魔化す。
「そういえばキース様はどうして今日訪ねてきたんです?」
話題を変えようと質問した。
しかし、少し直球過ぎたかもしれない。先程の動揺が尾を引いて、冷たい声になってしまった。
(一応さっき「会う予定だったから」って言われたけど)
以前の彼ならこれ幸いに来なかったはずだ。
「……迷惑でしたか?」
ずるい。そこでしゅんとならないでほしい。
簡単に折れてしまいそうになる。
「嬉しいですけど」
ああ、ほら。やっぱり。
つい思ったことが口からこぼれ出てしまった。
馬鹿。わたしの馬鹿。そう思っても一度口から出た言葉は戻らない。
「へぇ。そうなんですか」
案の定、ニヤニヤとされた。
先程落ち込んだ顔を見せたのはやはり演技のようだ。
(分かっていたけど……)
この切り替えの早さといったら。
ふてくされた気分で横になる。
「……最近のキース様は意地悪です」
「すみません。でも私もカレンに会えて嬉しいですよ。あなたの体調が悪いと聞いた時、心配でいても立ってもいられなかったんですから」
そろりと髪を撫でられた。
最近キースからの接触があからさまに増えた。それに彼がこんな風に話しかけてくることもなかったはずなのに。
「ああ、カレン。あなたの風邪を代わってあげたい」
「だ、大丈夫ですから」
キースが風邪を引いたら大変だ。
「本当に移しては悪いので……」
「大丈夫と言ったでしょう。それにあなたと熱が共有できるのなら悪くはない」
本当に最近のキースはなんでこんなに甘いんだろう。
どうしたら良いか分からなくなる。
「熱いのなら、冷たいタオルを持ってきてもらいましょうか?」
「いえ、大丈夫です」
彼の手がわたしの額に触れる。
その体温が冷たくて気持ち良かった。
ほうっと息を吐くと、彼はそのまま額に手を置いた。
静かになるととろとろと眠気がやってくる。
ああ、駄目だ。せっかく彼が来てくれているのに寝てしまってはもったいない。
そう思っても、瞼が重かった。
「キース様」
「……なんですか?」
「好きです。あなたが大好き」
ふっと彼の空気が緩んだ気がした。
「カレン。私はあなたを……」
抗い切れない眠気のせいで彼の言葉を最後まで聞けなかった。
ただなにか聞かれたような気がして、小さくうなずく。
「……約束ですよ」
ふいに聞こえた声は嬉しそうだ。
わたしはそれに答えられないまま寝てしまった。




