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僕たちにも訪れます

「まあ、ご覧になって。ぶどうがいつもより艶めいて、輝いているわ」

「でも、なぜ串に刺さっているのかしら?」


 どうやらレスペットは、貴族社会ではりんごではなく、ぶどうを定着させる気らしい。奴は毎度お馴染み、茶会という名の見合い席で、ぶどう飴を登場させた。

 シェリーは真っ先に、ぶどう飴を食す。


「うーん、これも美味しいです。でも……」


 ぶどう飴は、氷の上に置かれた皿の上に並んでいた。

 ぶどう飴はりんご飴と違い、冷やしていないと水分で飴が溶け、すぐに食べないと、あのパリッ。とした食感が得られないそうだ。


「すぐに食べなくてはならないから、持ち歩くのに向きませんね。こういう場では良いでしょうが、屋台には不向きです。氷を用意するのも季節によっては大変ですし」

「いや、こういう場でも溶けた飴がドレスに付いたりすれば大変だ。りんごはぶどうより水分が少ないから、良いんだろうな」


 現にあちらこちらで、急いで食べろという会話が聞こえてくる。

 ……ドレスが汚れたら、こちらの不手際ということで、クリーニング代を出すか。

 そんな中、三男がレスペットになにか耳打ちする。

 それまで三粒が一本の串に刺さっていたぶどう飴が、今度は一粒ずつ串に刺さっていない状態で運ばれて来た。

 ……なんだ?


 見ていると、なんと兄は一粒ずつ、また行列を作っている令嬢の口の中にぶどう飴を放ってあげている。

 スプーンで一粒すくい、一人一人になにか囁きながら与えているその光景は……。


 あれだ、鳥への餌やりだ。


「あらあ、ごきげんよう、シェリー様」


 やあ、アルテ。今日はなにを言うつもりかい?

 僕も慣れたもので、最近ではまたいつものことかと、逆に絡まれないとスッキリしなくなっている。


「このぶどう飴も、貴女が厨房にお立ちになって考えられたお品なのかしら?」

「いえ、レスペットさんです」

「あら、そうなの」


 意外だと言わんばかりの反応を見せる、アルテ。


「てっきり私、市井で流行っているりんご飴を真似て、貴女がお考えになられたとばかり……」


 そう、レスペットの弟妹が屋台で販売したりんご飴は、高評価を得て、最近は様々な祭で売り出されている。

 この調子ならこの国でも定着しそうだと、レスペット一家は喜んでいる。

 なにしろこのりんご飴を売る権利を持っているのは、レスペット一家だけ。早々に国内での独占権を獲得し……。というか、屋台で売り出す前から申請し、この国でりんご飴を売れるのはレスペット家だけにしていた。

 とはいえ、他国からの文化を取り入れたものなので、その権利は二年と短いが。

 もともとレスペットの実家は、大衆向けの飲食店経営をしており、新しい商売の成功に万歳をあげている。


「でもシェリー様のことですから、りんご飴、お食べになられたのでしょう? あーんな大口を開けなければ無理なもの、よく食べられましたことねえ? いくら甘酸っぱくて美味しいからと、恥ずかしくないのかしら? おーほっほっほっほっほっ」


 確かに食したことがあるシェリーはなにも言い返さず、食べている魚のムニエルを、もちもちもちもち。高速で食べ始めた。これは不機嫌になったり、不快になったりした時の現れだ。

 僕はその気持ちを払ってあげるため、笑顔でアルテに問いかける。


「大口を開けなければ無理? 甘酸っぱくて美味しい? アルテ嬢、まるで食べたことがあるような物言いだね?」


 口に右手の甲を当て、左手を腰に当てて高笑いしていたアルテが止まる。

 彼女の背後で、にやにやと笑っていた取り巻きたちも、笑みを引っ込めると、まさかっ。と一斉にアルテへ視線を向ける。


 静かになった場でアルテは両手を下ろすとスカートの裾を持ち、黙って優雅にお辞儀をする。それは見事なカーテシーだった。

 ゆっくり顔を上げると背を向け……。逃げるように走り出した。


「お待ちになって、アルテ様!」

「あのパリッ。とした飴の食感、いいですものね⁉」

「つい食べたくなるお気持ち、分かりますわ!」


 猛ダッシュで駆けるアルテを追いかける、取り巻きたち。

 ……あいつら、絶対りんご飴を食べたことがあるな。


 この頃にはシェリーの皿はすっかり空になっていたので、またなにか新しい料理を取りに行こうかと、二人で席を立つ。

 その時、ぶどう行列が騒がしくなった。


「なに⁉ もう、ぶどうが無い⁉」


 まだまだ並んでいる令嬢は何人といる。というか、もう一度並び直している令嬢の姿もある。

 それを聞いた、まだ一度も兄からふどうを貰えていない令嬢たちが、並び直した令嬢たちに詰め寄る。


「貴女たちが欲張って何度も並ぶから! 私たち、まだ殿下から一度も頂いていないのに!」

「こういうのは早い者勝ちですわ! 出遅れるのが悪いのよ!」


 一触即発の勢いに、そっと僕たちは離れるよう向きを変える。

 おい、元凶。この状況をどうにかしろ。

 見れば一応、三男は令嬢たちを宥めようとしているが、一人の令嬢が泣き出し、それを合図にせきを切ったよう、言い争いがヒートアップを始めた。


「大体、貴女はいつも! 少しは遠慮というものを覚えられたらどうなの⁉」

「うじうじして行動を起こさない貴女が悪いのでしょう⁉」


 シェリーを守ろうと肩に手をやり、乱闘側を歩いていた彼女と立ち位置を変える。

 そうして肩越しに振り向いた時、突き飛ばされた一人の令嬢が僕にぶつかってきた。


「うわ⁉」


 拍子に頭が前を向き、僕を見上げていたシェリーと目が合った。

 そのままぶつかってきた令嬢は倒れ、巻きこまれた僕たちも倒れ……。

 転んだその後、シェリーは空を見上げ、僕は彼女に視線を向け、二人の唇は偶然重なった。



 しん……。



 先ほどまでの乱闘はどうしたことか、ひどく静かだ。それに大勢の視線を感じる。

 唇が重なったまま、僕とシェリーは視線を互いから逸らせないでいた。


「び、ビルゴ王子……! あの、本当に、あの……」


 僕にぶつかってきた令嬢が、なにか震えた声で話しかけてくるが、頭に入らない。

 一体どのくらいの間、唇は重なっていたのか……。

 我に返ると急いで唇を離し、起き上がる。シェリーの顔は真っ赤に染まっており、きっと僕も同じように赤く染まっていることは、顔の熱で分かった。


 い、今のは……。き、ききき、キッス⁉ まさかの、ファーストキッス⁉


 うろたえた僕は、考えなしに口を開く。


「ご、ごめん、シェリー! 今のは事故で……。そう! つまり、ノーカウントで……。そう! これは事故なんだ!」


 ぴくり。寝転がったままのシェリーの眉が動き、むくりと起き上がるなり、ぱあん! と僕の顔を平手打ちした。

 突然の痛みに驚きながらも、頬に手を当てシェリーを見れば、彼女は僕を睨んでいた。

 その顔を見て、ようやく僕は自分の失言に気がついた。


「ち、違うんだ! シェリー! 今のは」


 聞く耳を持ってくれないシェリーは、一言も発することなく帰ってしまった。


「いやー……。今のは、お前が悪いぞ?」


 全ての元凶である三男が残された僕の肩に手を置き、面白がっている顔で言ってくる。


「全部、お前のせいだろう⁉」

「ぐふぅっ」


 僕は拳を握ると、兄の腹に全力でそれを打ち込んだ。


 結局この日の茶会は散々なもので、後に『悪夢の茶会』と呼ばれるまでとなった。


◇◇◇◇◇


「これはこれは。人前で私の大切な娘の純潔を散らし、我が愛する娘の心を傷つけた、ビルゴ殿下ではありませんか」


 翌日、誤解を解くためにシェリーの家へ向かうと、こめかみに青筋を立てたヴェルムズ侯爵が迎えてくれた。

 純潔を散らすとは、また重たい響きの誤解ある言葉を使うな。

 人前で唇を奪ったのだから、破廉恥と言われればそうだが、あれは事故だ。望んで唇を奪った訳ではない。


「ヴェルムズ侯爵、これを……」


 取り出したのは、近々父のもとを訪れる画家、エストゥアの訪問日程表だ。


「むっ⁉」


 日程表にゆっくり伸びる手が、震えている。彼は今、父性愛と己の欲望で葛藤しているのだろう。

 結局奪うように日程表を手にし、食い入るように目を走らせる侯爵の背後から、夫人が姿を見せる。


「殿下、説明して下さいますか? 娘が帰宅してから、ほとんど料理を食べないのです。あのシェリーがですよ?」

「昨日、茶会で……。倒れてきた者に巻きこまれた僕たちも倒れ、その時に……」


 柔らかいシェリーの唇を思い出し、つい顔が赤くなる。


「それでその……。思いがけないことで動揺し、つい誤解を与えることを言ってしまい……」

「そういうことでしたか」


 ヴェルムズ侯爵より落ちついている夫人だが、僕の母のように、背後から黒いなにかが見える気がする。


「誤解を解きたいので、シェリーに会わせていただけないでしょうか」

「それを決めるのは私たちではありません。娘です」


 そう言うと、日程表をくまなく読んでいる夫を残し、夫人はシェリーの部屋の前まで案内してくれた。


「シェリー、ビルゴ殿下がいらっしゃったわよ。どうする? お会いする?」


 返事がない。

 つまり僕と会いたくないということなのか……。

 肩を落とすと、カチャリ。鍵の開く音が聞こえ、ゆっくりドアが開いた。


「……用件は?」


 ドアの隙間から不機嫌そうな顔を半分だけ見せ、シェリーが尋ねてくる。


「昨日の僕の発言について、説明させてほしいんだ。どうか話を聞いてくれ」


 夫人が視線でどうする? と娘に問いかけている。

 口をへの字に曲げつつ、シェリーは話をすると答えてくれた。


「すみません、夫人。デリケートな話なので、できれば二人きりで……」

「いくら婚約しているとはいえ、それは見過ごせません。ドアを少し開けておいて下さいませ」

「……人に聞かれたくないんだが」

「ドアを開いておく。それが母親として、娘と会わせる絶対条件です。それが呑めないのなら、帰って下さいまし。シェリー、なにかあったら、すぐに叫びなさいね。お母様は、階段を上がった所で話が終わるまで待っていますから」


 ……どうやら僕は、夫人に信用されていないようだ。

 それも当然か。訳の分からない理由で協定を結びたいと言えば、次に婚約を結びたいと言い出し、今日のように餌で夫や息子を操るのだから。


 とりあえず部屋の前から夫人が立ち去ると、言われた通り、少しドアを開けたまま僕たちは部屋の中で会話を始める。


「シェリー、昨日のことだけど……。あれは違うんだ。その、そういう意味の発言ではなかったんだ」

「じゃあ、どういう意味なんですか! 事故だ、ノーカウントだって言ったじゃないですか!」

「シェリー、君だって知っているだろう? 僕が乙女小説を好きだと」


 だからなんだと言わんばかりに、無言で睨んでくる。


「僕は乙女小説のような結婚に憧れを抱いていると、前に言っただろう? それは今も変わらない。だけどその憧れは、結婚だけじゃないんだ! 初デート、結婚式、結婚生活、ありとあらゆる面でだ! そう、恋愛に関することは全て乙女小説のように、ときめきやロマンスが必至というのが、僕の憧れであり願いなんだ!」

「は、はあ……」


 なぜか若干引き気味になったシェリーに、ずいっ。と詰め寄る。


「つまり……」


 壁際まで詰め寄っていき、シェリーが壁に背を当てると、その両側に僕は手を当て、逃がさないようにする。


「それには、昨日の出来事も含まれている!」


 キスと言うには恥ずかしく、ついそんな言い回しをするが、僕の言わんことが分かったのか、顔を赤くしたシェリーがこくこくと頷く。


「だから君とは、ああいう形ではなく、もっと思い出に残るような……。そう、乙女小説のような、ロマンある状況でやりたかったんだ!」


 恥ずかしくて顔を赤くしながらも、正直に叫ぶ。


「つまり、その……。わ、私との、あ、あれが、い、嫌だった、から、じゃなく、て……?」


 たどたどしい彼女の言葉に、今度は僕がこくこくと頷く。


「私、あの……。りんご飴を食べた時に、大口開けたから……。それを見て、愛想を尽かされたと思って、嫌がられたかと……」


 ぽろり。シェリーの目から涙が零れ、ぎょっとする。


「ち、違うよ! え⁉ なんでそんな考えに⁉」

「だ、だって。年頃の少女なら、人前で大口開けるのに、抵抗があるって……。嫌われたくない行為だって……」


 言った、確かに言った。

 でもそれは一般論であって……。


「いや、食に執着している君にそんなことで、今さら幻滅することはないよ。そりゃあまあ、アルテやクラシアが大口開けて食べている所を見たら、引くけれど……。だけど美味しそうに食べる君が、好きだと言ったじゃないか」

「言われていません!」


 あれ⁉ 言ったと思っていたけれど⁉

 慌てて記憶を探っていく。



「いつ見ても君の食べっぷりは素晴らしいね。幸せそうに食べる姿に、惚れたよ」




「……君は本当に、よく食べるね。それに君が食べているところを見ていると、とても美味しそうに見えて、僕も食べたくなるよ」




 ………………。


 本当だ! 婚約してから言っていない! しかも最初の惚れたよと言ったのは、協定を持ちかけた頃だから、それこそノーカウントだ!


「……すまない、言っていなかった」

「………………」


 素直に謝ると、拗ねたような嬉しそうな、複雑な表情を作るシェリー。そんな彼女を見ていると、なんだが頭がぼうっ、としてくる。

 思えばこんな至近距離で、部屋に二人きりで……。



「シェリー」



 名前を呼ぶと、涙を零したばかりのシェリーが、潤んだ目を向けてくる。

 自然に体が動き、彼女の頬に両手を当てる。


「僕は本当に、君が美味しそうに食べている姿を見るのが好きだ。だから僕の前では、大口を開けたって構わない。それが君なのだから」

「ほ、本当に?」

「ああ」


 それから僕は、くすりと笑う。


「それこそ今さらだろう? 少し前までは、口周りをよく汚していたし」

「い、言わないで下さい! ビルゴ王子、酷いです!」


 今度は恥ずかしくなったのか、またも顔を赤くするシェリーを見ていたら、胸の奥からなにかが湧きあがってきた。

 彼女を大切にしたい思いや愛しい気持ちで、溢れたなにかは、自然と言葉を紡ぐ。


「敬称は要らない。ビルゴと呼んでくれ」


 耳元で囁くように言うと、シェリーがもごもごと『でも……』と恥ずかしそうに言う。

 その姿がさらに愛しく、僕は自分の顔を少し傾け、近づけていく。

 シェリーもそっと目を閉じ、受け入れようとしてくれる。


 そうか、ロマンスは作るものではない。愛しい気持ちが込みあげ、二人の気持ちが通じ合い、甘いときめきの中、生まれ……。



「私の館で、婚前の破廉恥な真似は許しませんぞ‼」



 どたどたと足音が近づいてきたと思うと、ヴェルムズ侯爵が部屋に飛びこむなり叫んだ。

 足音のおかげで顔を離していた僕たちは並んで立ち、先ほどまでの空気を消すよう、お互いを見ていないが……。


「な、な……」


 しかし完全に空気は消せなかったらしい。

 残った甘い空気を敏感に感じ取ったヴェルムズ侯爵は、ぱくぱくと口を動かし、ほんのり頬を染め、もじもじと両手の指を動かしながら嬉しげな娘を見て、真っ白になった。

 口から魂が抜けているようにも見えるが、日程表をしっかり抱えたままなのは、流石としか言えない。


「誤解は解けましたか?」


 動きを止めた侯爵の後ろから、また夫人が顔を覗かせると、僕らの様子を一目見て、いろいろ察したらしい。


「殿下。主人も言っておりましたが、シェリーは婚前の娘なのです。健全なお付き合いをされるよう、くれぐれも節度をお守り下さいましね」


 どうやら母親という生き物は、どこの家も怒らせると一番怖いようだ。

 王妃とそん色ない真っ黒い空気を出す夫人に向かって、僕たちはこくこくと何度も頷いた。


 夫人、本当に誤解ですから。今回は未遂ですから。


 声にならない言葉は、果たして夫人に通じたのか。それは分からない。

お読み下さり、ありがとうございます。


ゆっくりとですが、ビルゴとシェリーはこのように、愛を育んでいます。

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