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その1

 ――解せぬ。


 ……と、ジャスティンは思った。


「解せぬぅううう!!!」


 ……と、今度は両の拳を握りしめ、叫んだ。


 うるせーぞ!! と、窓の向こう――おそらくは階下か隣室――からそんな声が響く。時は日も変わろうという夜半だから、さもありなん。無論、ジャスティンの叫びを真向かいで受け止めたその人物も、ぐぐっと眉の間を寄せて、目を眇めた。耳にキーンと来たらしい。


「声が大きい。それに、何が解せないんだ」

「だってクリス、お前それ、おかしいだろう?!」


 びしりとジャスティンに指をさし、また叫ぶ。

 たっぷりと豊かに背をたゆたう、黄金に燃える金の豪奢な巻き毛。木の実の形に釣り上がる、切れ長で美しい蒼の瞳。風がそよげば揺れるほどに長いまつげ。鼻筋はすっと通り、真っ赤な唇はつややかに潤んで、蠱惑的なカーブを描く。

 身にまとうのは、葡萄酒色の刺繍がふんだんに施された、シルクタフタの緋色のドレスで、襟元は詰まって慎ましく、しかしオーバースカートは幾重にもひだを持ち、腰から下の生地はたっぷりとした淑女らしい形である。


 クリスと呼ばれたその人は、大変に素晴らしい美女だった。

 そう、ゴージャスで、極めて華やかな、美女、だ。


「何がおかしい」

「いや、だって、だって、お前……」


 おかしいのである。だが、ジャスティンは口ごもった。

 ジャスティンに向かい、腰に手を当て目を眇めてみせたクリスは、よくよく見ると、少々女性にしては背が高く、肩幅も広く、腰のくびれもイマイチである。しかし、胸元は不自然なほどに豊かであり、他を補ってなお余りあるどころか派手な美貌とあいまって、かえって不思議な迫力を作り出していた。

 ……はっきり言って、美女である。顔だけならば、舞台役者や歌姫が裸足で逃げ出すレベルの、だ。


「なんでお前、そんなに似合うんだよそれ……」

「はははは、どうだ、恐れ入ったか」

「恐れ入ったとか入ってないとかじゃなくて、おおおおお前……」


 ジャスティンの唇がわななく。目の前の大輪の華がにやりと笑うのを目にし、ジャスティンはついに叫んだ。


「お前、男だろうが!!」


 ずびし。音がしそうな勢いで、ジャスティンは人差し指を突きつける。美女はフフンと鼻を鳴らして、豊かな胸をぐいっと突き出した。


 そうなのだ。

 非常に、ひっじょうに残念なことに。このゴージャスな美女は、生まれ落ちたその時からいまこの瞬間まで、まごうことなく、男、なのであった。


 ――女装が板につきすぎているこの男。

 名を、クリストファー・アーネスト・ペンドラゴンという。

 こんななりだが、近衛騎士隊の若手一の剣技を誇る出世頭であり、れっきとした、公爵家のご子息で、日頃は城の女官たちに黄色い悲鳴を上げられる、すばらしい美青年なのだった。

 ……そりゃあ解せない。ジャスティンじゃなくたって、叫ぶ。


「そうか、そんなに女に見えるか。さすが私だな」

「女にしか見えねえよどうなってんだそれ……」

「生まれながらに貴婦人たちに囲まれていたからな。そのせいだろう」

「そういう問題か?」

「それにうちのばあやはもともと侍女で、屋敷では母の化粧や衣装を監督していたからな。玄人だぞ」

「問題はそこじゃなくないか?! どうなってんだよその乳!?」

「……身内のトップシークレットだ」

「まさかの皆様偽乳だったのか……!」


 暴露された公爵家の女性陣の実情に、ジャスティンは本題を忘れて頭を抱えるが、クリストファーはどこ吹く風。そればかりか華麗な扇をひらりと扇いで口元をおおい、ジャスティンを流し目で見て、ニンマリ笑った。無駄に滴る色気に、ジャスティンは「なんだよ」と頬をふくらませる。


「……いや、ジャスの女装は微妙だな、と思ってな」

「うるせえ、こんなの似合って堪るかよ!」

「なんだって似合った方がいいだろうが」


 しみじみと呟かれ、ジャスティンはこめかみに青筋を浮かべて拳を握った。

 そう、クリストファーと同じようにジャスティンもまた、背の中ほどまでの黒髪の鬘を背負い、淡い緑のドレスを纏って、淑女の身なりをしていたのである。


 ジャスティンが身につけているドレスは、控えめな胸元をごまかすように喉元が露出した、フリルの多い上半身と、幾重にも重なるレースがスカートを覆ってふわりと揺れる、可憐な一着である。翡翠色の絹地は近頃南方で流行りのプリントで、白と黄色のブーケがあしらわれ、その合間のところどころに白い小花が刺繍された、愛らしいものだ。窓からの爽やかな風に揺れる、袖や裾に施された白い繊細なレースと相まって、まるで社交界に出たての初々しい少女たちのような風情なのだ。

 ……ドレスだけは。


 ドレスがいかに可憐であっても、ジャスティンはどう見ても、『女装』だった。

 仕方がない。長年、騎士の制服ばかり着ていたし、休みの日であっても着るのは無論、トラウザーズにシャツ、ベストにジャケットだ。足元も当然、それに合わせたブーツか革靴であって、走れば折れそうなこんな華奢なヒールの靴など、履いた経験どころか触れた記憶さえない。


 となると当然、足さばきはトラウザーズの時と同様、がに股になる。すると、着慣れぬ衣装に足を取られてしまう。そんなわけでジャスティンは今、まともに身動きさえできなかった。プルプルと震え、砂浜の千鳥よろしくよろりとよろめき、ついにはがしりと同僚に腕を掴まれる始末だ。

 さらにいえばジャスティンは、女性にしては少々長身で、腕も足も胸も腹も、なんなら背中にまでしっかりと筋肉がついている。顔立ちは美しいが、それは女性らしいというよりは中性的で、日頃は当然ながら化粧っ気などはない。

 どうにも、『少年が罰ゲームでドレスを着せられている』という風情なのだった。



「女性は内股で歩くものだぞ。そうでないとスカートがさばけず、裾を踏むからな。それから、そう顔をしかめるものじゃない。老後にシワになるぞ」

「うるさいわ!!」

「うーん、ジャスは少し、その服装での身のこなしを訓練したほうが良さそうだな……王妃陛下と王女殿下に何かあった時、それでは女官以下の立ち回りしかできんだろう」

「ぐぬう……」

「おい、ステラ、少しこいつに稽古を付けてやってくれ。かかとの高い靴での歩き方と、ドレスの裾の捌き方くらいはできないと話にならん」

「……ですが、坊っちゃま、」


 たしなめるように答えたのは、ステラと呼ばれた中年女性である。少々恰幅の良い彼女はクリストファーの乳母で、今はこの兵舎にて公爵家特権によってクリストファー付きの侍女をしているが、いわゆる『ばあや』だ。クリストファーの身の回りの世話だけでなく、苦言を呈するのもその仕事である。


「任務開始まで日がないのだ、化粧をしてやって、せめて真っ直ぐ歩けるようにしてやってくれ」

「ですが坊ちゃま、ジャスティン様はお嫌なのではと……」

「なんだ? そりゃあ、男であれば当然女装など嫌だろうが、これは任務だ」

「いえ、その」

「ジャスは責任感も忠誠心もある、立派な騎士だぞ。この様な困難も、きっと成し遂げるだろう」

「……承りました」


 渋々の体で頷いたステラは、ちらりとジャスティンを横目で見つめ、ぶすくれているジャスティンに向かって口の動きだけでこう囁いた。


『うちの朴念仁な坊ちゃまが本当に申し訳ございません』


 むっつりしたまま頷いて、ジャスティンは、「しかしやはり化粧は気持ちが悪いな。落とし方を教えろ、ステラ!」といいつつ洗面室へ消えていったクリストファーの背をじっとりと睨む。


(…………解せぬぅうう)


 ギリッと歯を食いしばったジャスティンの肩を、ステラがぽん、と叩いて首を振った。


(解せぬううううっ……!!)


 ぎゅうーーー、ジャスティンの手のひらが、薄い胸元を握りしめた。そこに当たるのは、いつもの防護用のベストではなく、非常にささやかな隆起であって……。


(なんで! 奴の方が! ドレスが似合うんだあああああああ!!)


 ――そう、非常に。ひっじょうに残念なことながら。


 クリストファー・アーネスト・ペンドラゴンより女装の似合わぬ、凛々しい少年めいたジャスティン・ヘレン・ハリスは、実のところハリス伯爵令嬢……要するに、女性、なのであった。





ステラおばさん。


男装の麗人企画に出したかったけど日付の変わるギリギリの時間に体調崩すという悲劇が起こり叶わなかった悲しみの作品です。

ジャンルはコメディにしていますが、うっかり恋とかしちゃったら異世界恋愛に切り替えるかもしれません。

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