完結:後編
取調室のドアを叩いたのは、検死官のウィル・フライスだった。
やせた初老のフライスは、黒ぶちめがねに量の多い短い銀髪をあちこち逆立てていて独特の雰囲気をかもし出している。
レニーたちとの付き合いはかなり長いが、フライス本人が取調室までやってくるのは珍しかった。
たいていはパソコンでファイルを送るだけ、よほどのことがない限り誰かがじかに届けにくるということはない。
ガラス越しにフライスが黄色の表紙の報告書を振って見せた。その顔には皮肉げな笑み表情が浮かんでいる。
フライスがあの顔をするときは、とても面倒な案件か逆にどうでもいい案件のどちらかだ。
ドアに近いレニーが身軽く立ちあがった。サミーに聞こえないように廊下へ出て丁寧にドアを閉める。
「わざわざ、先生自身が報告に来てくれるとはね。珍しいこともあるもんだ」
ふふん、とフライスが鼻で笑った。
「クリスマスのサービスだ」
そういうとフライスは、レニーの手に黄色の表紙の報告書を押しこんだ。
「やれやれだな、クラウン」
報告書を開こうとしたレニーの眉があがった。
「骨折り損のくたびれ儲けだぞ。奴は病死だ」
「病死?!」
意外な答えだった。慌ててフライスがくれた報告書に目を通す。
「腹部動脈瘤でだな、んー、早く言えば体内で大出血を起こしたわけだな。病の原因ははっきりは言えん。たぶん、高血圧だったのだろうと推測はできるな。動脈瘤は自覚症状がないまま、突然破裂することがあるんだ。そのうえ、年齢の割に血管がかなりもろくなっていた。ずっと体調がよかったとは思えないが、どうだろう。医者にかかっていたようには見えなかったな。だが、あれだけの出血なら、死の直前、苦しんだのはほんの一瞬だろうと思うぞ」
「つまり外的要因はいっさいない、ということでいいのかな? 殴られたとか、突き飛ばされて頭を打ってそれで、とか」
レニーの言葉をフライスはきっぱりと否定した。
「頭の傷自体はたいしたもんじゃない、というより、倒れたときには既に心臓が止まりかけていた可能性の方が高い」
ふーっ、とレニーが深い息をついた。
「まぁ、気を落すな。殺人事件じゃない分、楽じゃないか。死は誰にでも訪れる。死ぬ理由が殺人ではないほうが誰にとってもずっと気楽さ。そうだろう? 殺人課とジョフリー某への神様からのクリスマスプレゼントってやつだよ」
フライスが楽しげに笑って自分より頭半分ほど高いレニーの肩をぽんとひとつ叩くと、鼻歌を歌いながら廊下を去っていく。
「ええ、先生のおっしゃる通りです」
その後姿を見ながら、レニーは誰にも聞こえないような低い声でつぶやいた。
それから気を取り直すように頭を振った。
「そういえば、サミーが言ってたな。”現金をたくさん持ってたいいカモ”って奴のこと」
レニーは勢いよく取調室のドアを開けた。
席に戻ると、ブリントン刑事ことBBが首をかしげて見せた。
レニーはうなずくと、笑みを浮かべてBBに短い言葉を耳打ちした。BBの眉がはねあがるが、何も言わない。
意味ありげにレニーの顔を見る。それからおもむろに右手の掌を上にしてさっとレニーの方へ差し出し、役目を譲るようなポーズをとった。
レニーの口元に微かに笑みが浮かぶ。
サミーは、どこか不安そうな顔でふたりのその様子を見ていた。
レニーが涼しい笑顔でサミーに話しかけるが、その目は笑っていない。
またサミーの目の前に財布をぶらさげる。
「さて、サミー。この財布だけど、お前は持ち主を知ってるよな? 」
サミーは無言でかぶりを振った。
「じゃあ、話を変えようか。お前、さっき今日の現金持ちのカモの話をしていたよな? そいつについてもう一度聞かせてもらおうか。そいつは、お前の目玉が飛び出るくらい持ってたんだろ? いくら持っていたんだ?」
サミーは顔を横に向けた。
「いくらだ、サミー。100ドル札が30枚か?」
サミーはまた否定の印にかぶりを振った。
「いや、そういやお前、100ドル札を持っていたよな? 5枚?」
最後はBBに向かっての質問だった。
BBがうなずく。
「一日のあがりにしちゃ多いよな? しかも100ドル札ってのは珍しいだろう、サミー」
「……そんくらいたまにはあるよ。運が良けりゃもっと多いことだってある」
ふてくされたサミーが答えた。
レニーが、にっと笑ってぽんと手を叩いた。サミーの目の前でひとさし指を振ってみせる。
「そうか、そいつの札かどうか指紋を調べりゃいいんだな? 財布の指紋と『お前が持っていたほうの札』についていた指紋が一致するかどうか調べりゃいいわけだ」
サミーの顔色が変わった。
「どっちにも同じ指紋がついているなら、同じ奴の持っていた100ドル札だってことだ、そうだろ? サミー」
サミーが唇をかみ締めた。
「ところで、サミー」
レニーの口調が柔らかいものに変わった。
「良く聞けよ、サミー。お前の王様は病死だそうだ。誰もジョフリーを殺していない」
サミーの顔が弾かれたようにあがった。
「う、そだ」
「嘘じゃない」
レニーが真顔になった。
「嘘じゃない。ジョフリーは動脈瘤破裂で死んだ。病死だ。だから誰も悪くない。しいていうなら、健康管理を怠ってたジョフリー自身の責任だろうよ」
聞こえるぎりぎりの声でサミーがつぶやく。
「だって、あの財布……」
レニーは首を傾げたまま無言で待つ。
「だって……クリスマスだから……クリスマスだったから」
「クリスマス? クリスマスだからどうしたんだ?」
いつになく優しい声でBBが尋ねる。
「あいつ、田舎から出てきて、財布にあんなに金入れてて、すんげー分厚い財布でさ。あれは、たぶんあいつの全財産だと思ったんだ。だから」
サミーが言いよどむが、辛抱強くレニーもBBも口を挟まない。サミーの声が消え入りそうに小さくなった。
「……だから、半分だけにしといたんだ」
「は? 何を?」
サミーが悔しそうな顔で下を向いた。
「半分だけ盗って、もう一度あいつのポケットに財布を戻した」
レニーとBBが思わず顔を見合わせた。
信じられない、といった声でBBがつぶやく。
「戻した? 金を?」
サミーの顔が真っ赤に染まった。
「ど、どうせ、俺だってジョフリーにとられるだけだろう。半分だっていつものあがりよりかなり多いんだ。俺、金半分盗って、それからもう一度そいつのポケットに財布を戻しといたんだ。そんで、ええと、みんなにちっとずつ配った。つまりピックポケットの仲間に……」
サミーは、レニーとBBの顔を忙しく見比べながら言い訳を始めた。
「だって、だってさ、ほら、クリスマスだろ?」
クリスマスだから、カモと仲間にサミーなりの慈悲を施した、とそういうことか。
さっきと言ってることが違ってるじゃないか、サミュエル・フォード。
それをピックポケットのプロとしては恥と考えたわけだな、サミー。
一生懸命に話すサミーに、レニーはこっそりと笑いをかみ殺した。
サミーはまだ赤い顔で言い訳を続けている。
「ほんとに2分もかかってない。52丁目から53丁目の信号を渡る分だけしか……。あいつは一回財布がなくなってまた戻ったことに気がついてなかった。戻すのは難しいんだぜ。誰でも出来るわけじゃないんだ」
それからサミーは、ちょっと得意そうな顔をした。
「こう見えても俺、腕はいいんだ」
53丁目? レニーは目を細めた。何かを思いついたときの癖だ。
レニーはとんとんと机を指で叩いた。
「そいつは、53丁目の信号を渡った? グリナーズダイナーのところか? で、どっちに行った?」
「そう、ええと、あいつはそのまま信号を渡ってグリナーズの前を東に歩いてった」
「グリナーズの前を東って・・・・・・・そっちは確か・・・・・・」
かすかに眉間にしわを寄せたレニーがつぶやくのを、BBは聞き逃さなかった。その方向にはジョフリーのアパートがある。
「おい、レニー」
BBが席を立ちレニーを見ると、廊下の方に頭を振って見せた。レニーも心得たように身軽く立ち上がると、ドアへと向かった。
戸口で振り返り、
「ちょっと待っててくれよ、サミー」
と声をかけた。
「どういうことだ? 病死なんだろう? ジョフリーのアパートになぜそいつが」
取調室のドアを閉めるやいなや、待ちかねたようにBBが訊ねてきた。
レニーは肩をすくめた。
「さてね。俺にもはっきりとはわからないけどさ。とりあえず、サミーはそのおのぼりさんの財布から金を半分盗って戻し、クリスマスの慈悲を施した、ってとこまではわかった」
BBが胡散臭いものを見るようなまなざしをレニーに向けた。
レニーは心外だと言わんばかりに、ありもしない服のほこりを払う真似をした。
「で?」
「で、って言われても困るけどさ。たぶん、そいつは単なるおのぼりさんじゃなくて薬の売人なんじゃないの? 最近ジョフリーはそっちの方に精を出してたみたいだし。そいつは現金を持って、ジョフリーのところへまとまった薬を買いに行ったんじゃないのかな、と思う」
確かにジョフリーの部屋の中に白い粉の痕跡はあったが、物自体は見つかっていなかった。
粉はまるで高いところから振りまかれたように、薄く床に残っていた。
「で?」
もう一度、BBが同じ口調でうながし、レニーは苦笑した。
「俺の予測でいいのかよ? あくまでも想像だぜ? 財布の金で買えるだけの薬を買おうとしたら、財布の中身が半分になってた。”田舎もんでイケテない”男は中身が減ってることに気がついてなかった。そこで、もめたんじゃないのかな? ジョフリーと」
BBの眉が上がる。
「病死だろ?」
「ああ、でも原因はそいつかも。フライス医師は、高血圧が原因かもしれないと言ってた。もめて急激に血圧が上がった可能性はないとはいえない。それに、もめたからこそ、ジョフリーは相手の財布を握っていたんだろうさ」
うーん、とBBはうなった。
「そいつはまたやっかいな話だな。そんなんじゃ事件にはできないだろう? 少なくとも殺人課の仕事じゃねぇよな」
「そりゃぁもう、麻薬課のお仕事、でしょ」
あっさりとレニーが言い放ち、麻薬課の方向を親指で指した。
「じゃあ、あの半分坊やはどうする?」
BBが取調室のサミーのほうへ顎をしゃくった。
サミーは取調室の椅子にかしこまって座わり、何か面白い物語でも書いてあるかのようにじっと机の上に目を落としたまま動かない。
「半分坊やね」
レニーが笑った。
BBが太い腕を組んで空をにらんだ。
「俺としてはだな、ここはひとつ、奴の望みをかなえてやりたいんだがな」
レニーが小首をかしげた。
「奴の望み? ああ、あれか、犬のいる更正施設に入りたいってやつか?」
そう、とBBがうなずく。
「うちの州にもあったよな、そんな施設。せめてそれくらいはだな」
レニーの口元がきゅっと上にあがり本物の笑みの形を作ると、BBの後を続けた。
「クリスマスだから、な」
**..**..**..**..**..**..
麻薬課の刑事が、サミーにモンタージュを作るために男の人相を尋ねる。
「教会によくいるあの人に似てるんだ」
サミーがいう。
「よくいるあの人って、牧師とか神父のことか?」
サミーはかぶりを振る。
「違うよ。十字架の上に、ほら。イエスだっけ? クリスマスが誕生日なんだろ? やせて頬がこけててヒゲがあって・・・・・・」
「・・・・・・。えっ?! おいおい」
麻薬課の刑事が苦笑するが、サミーは真剣だ。
確かにサミーの証言からできあがったモンタージュは、『彼』のイメージに近い。
ジョフリーのアパートのそばで何人かが男を見かけた、と証言をする。
通りのそこら中にある監視カメラにも、それらしい男が映っているのが確認できた。
しかし、どのカメラにも顔ははっきり映っていない。通りのカメラ映像を順に追ってみたが、途中でついに見失ってしまった。
結局、これだけはっきりしたモンタージュや映像や指紋があったにもかかわらず、男はついにみつからない。
そして、簡易裁判の結果、サミュエル・フォード――とその仲間たち――は希望通り、犬のいる更生施設へ送致された。
**..**..**..**..**..**..
「麻薬課がぼやいてたぜ」
BBが別の事件の報告書を読んでいるレニーに、真面目な顔で教えてくれた。
「サミーの件?」
「例の財布の男が全然見つからないとさ。監視カメラがわんさかあるのに、役に立たなかったようだし」
レニーが眉をあげてにやっと笑い、再度報告書に視線を落とした。
「しょうがないんじゃないの? Jesus Christじゃね」
「何? なんだって?」
BBが聞き返す。
「財布のイニシアルがそうだったじゃないか。JCってね」
涼しい顔で答えるレニーに、BBは目玉をぐるっとまわした。
「……なるほど、そういやそうだったな。おお、神よ」
と、つぶやいた。
END




