プロローグ〜やわらかな光の中で〜
「まぁ、まるで『わらしべ聖女』のようなお話ね」
そう言って、筆頭聖女セラフィーナ様は鈴を転がすような声で笑った。
部屋には、やわらかな光が満ちている。
白を基調とした神殿の一室。背の高い窓から差し込む陽光は、薄絹のカーテンを透かして、穏やかな輝きを落としていた。
磨き上げられたテーブルの上には、繊細な意匠のティーセット。銀のポットから注がれる紅茶は、花を思わせる淡い香りをふわりと漂わせている。
その優雅な空間の中心で、セラフィーナ様はカップを傾けながら、やわらかく微笑んでいた。
「ご存じでしょう? わらしべ聖女様のお話」
思わず耳をすませたくなるような、美しく澄んだ音色。
穏やかな問いかけに、私は小さく頷く。
「ええ。孤児院の子どもでも知っている、有名な童話ですわ」
価値のないものが、交換を重ねることで、やがて大きな価値あるものへと変わっていく幸福物語。誰もが一度は耳にする、ずいぶん都合の良い童話。
「建国期に実在した、初代聖女様の逸話ですのよ。与えられたものを、惜しまず他の人へ譲り、定められた巡りのままに次へと繋いでいく。その信心と行いが、やがて相応の実を結ぶ——実に、美しき御業のお話です」
そう言ってセラフィーナ様は、うっとりと目を細めた。
「そう思いませんこと、シュトリア様?」
柔らかな声が、こちらに向けられる。
長い銀髪は光を受けて淡く輝き、指先のひとつひとつまで洗練された動き。まさしく、“聖女”と呼ばれるにふさわしい、完成された美しさを持つ人。
「ええ……そうですわね」
この場にふさわしい、整えられた言葉。
私は、ヴァルクレール公爵家の次女。
シュトリア・ヴァルクレール。
そう名乗る者として、この席に座っている。
窓の向こうに見えるのは、整えられた庭園。
やわらかな風に揺れている花々と、どこを切り取っても乱れのない穏やかさが、そこにはあった。
すべてが穏やかで、満ち足りていて。
――何もかもが、遠い世界のように感じられた。
ほんの一年前までの私の名前は、ノギ。
姓は、ない。孤児院出身の、ただのノギだった。
洗っても落ちない、爪に入り込んだ土。ゴワゴワの髪をひとまとめに括って働き、服のまま眠ってしまうような日々。
それが今では、公爵令嬢として、王都にある神殿で筆頭聖女様とのお茶会だ。
白いドレスの裾が、わずかに揺れる。
繊細な刺繍が光を受けて、淡くきらめいた。
まるで物語の中の出来事みたいだ。
「ふふ」
セラフィーナ様が、楽しげに笑う。
「貴女も、きっと――素敵な道を歩まれるのでしょうね」
祝福のようなその言葉に、私は微笑みを返した。
「……ありがとうございます」
背筋を伸ばして、カップを手に取る。
立ちのぼる香りは、どこまでも甘く、やわらかい。
その温かさが、指先からじんわりと伝わってくる。
夢のような時間だと思った。
静かで、優しくて。
すべてが整えられた、この場所。
この席に呼ばれた理由を、私は知らない。
ただ――
カップを持つ指先に、わずかな力が入る。
紅茶の香りが、ふわりと揺れる。
聖女様は微笑んでいて。
どこにもおかしなところなど、ないはずなのに。
ほんの少しだけ、落ち着かない。
それが、この場所のせいなのか。
それとも――




