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暫くそうして、血染めのタオル生成をしていてもどうも止まらずに困ってしまう。
まぁ通常の鼻血ではないだろうから、そんな事もあるのだろうが……。
「失血死とかしねぇだろうな……」
ぼそりと海が呟くのに、それはない、と軽く首を横に振って、
「自分の体重に80mlをかけたらそれで大体の含有血液量。で、その三分の一が失血すると拙い」
「お前の雑学も大概よな。てことはまだ余裕かぁ……」
何よりだ、とか言いながらぐったりと膝に両肘をついて顔を支えている。
しかして水分は着々と減っているので良くは無い。
早く止まってほしいものだ。
「失礼を承知で、外へ運んでも良いだろうか?横になって休まれた方が良いと思うのだが……」
ぐだぐだしていてならば、躊躇いがちに私達を見守っていた殿下が口を開いた。
「運んでも……って、俺等別に歩けるぜ?鼻血止まらんだけで」
うむ、ちょいとくらくらするけど歩けない程ではない。
同意を示すために頷けば、へなりと眉を下げた困り顔をして見せる殿下。
「しかし……体調が良いようには思えないのだが」
「あー、まーなぁ。でも子供じゃねぇんだし、大丈夫大丈夫」
そう言いながらどっこいせぇと、おっさんくさい掛け声と共に海が立ち上がったので、それに倣い私も同じくおっさんくさい掛け声を上げて立ち上がる。
互いにタオルで鼻を抑えたまま、とふ、と絨毯を踏み締める音をさせてへらり笑って見せる。
「ひでぇ絵面」
「ほんとにね」
戸惑う殿下に目線を向けたならば、手を貸そうかどうかと迷うようにその腕が半端な位置をうろついている。
が、何かしら結論が出たのかその腕を、こちらへ、と。促すように扉の外を示すのに使う。
絨毯踏み締め、扉まで歩けばフォルテさんと、コルドさんがそこにはいて、何か物凄い渋面を浮かべているではないか。その背後には知らない人達がひしめいているが、ノーカンでよろしいか。
「……迷子になったかと」
と、小さくフォルテさんが呟くのに、思わず笑う。
「いや、ちゃんと翌日には神殿に来てたんだけどねぇ」
何か深淵彷徨う羽目になりまして。なんて、どう説明するのが適切か。そもそも深淵ってなんだよ。どういう位置付けなのこの世界に置いて。
全てを飲み込む前に、と言う事はあれが広がるのは社長的にアウトなわけで。でもアレって規模縮小とかできんの?どうなの。
解らんな、と思いながらも扉をくくれば、不意にずしりと全身に掛かる違和感。
「――!?海!部屋出るな!」
咄嗟にその言葉を口にしたとほぼ同時に回れ右をして、部屋へ即リターンする。
その間数秒だろうに、違和感の主は容赦なく皮膚を突き破り、黒い枝葉を伸ばしてきたもので、
「ねーちゃん!?」
ほぼ倒れ込むように戻れば海が片腕で受け止めてくれたおかげで、絨毯と熱烈な抱擁をするのは免れた。
が、ぼたぼたと全身から血が溢れて、絨毯を汚す。
光の中に戻れば生えた枝は萎れて枯れて、跡形もなく消え失せた。
「……っセウト!」
搾り出すようにそう叫べば、
「アウトだよこのクソボケ!」
と鋭いツッコミが入る。
「ソラ!一体何が……っ」
「ごめんマジごめん、絨毯と床めっちゃ汚れた罪深い私を許して殿下……っ」
あとクッソ痛い。
「それは海くんがきっちり清掃するから!とりあえず殿下ごめんこいつ支えてくれ」
「承知した!」
ぽい、と。無造作に殿下に半ば投げるように預けられたと思ったならば、これ殿下の詰襟も汚れるやん?と思う。
そうしてインベントリから出したポーションをボトルのまま差し出して来る。
「飲めや」
「鼻血がだな……」
「んなもん一緒に飲め!我儘言うんじゃありません!」
ええー、マジかよお前……。
とは言え、至る所が痛い。脂汗が滲む程には痛い。ちょっと泣きそう。
小鬼に齧られた時の比ではない痛みに渋々ボトルを受け取り口にする。
血の味が混じったそれは頗る不味い。
「うぇぇ……地獄のハーモニー……」
「やかましい!今の何だってんだよ!」
「あー……部屋出た瞬間にねー……深淵が中から侵食してきた感じ?多分」
恐らく、間違いではないだろう。
加護に守られているとは言え、全身深淵に浸っていたのだ。じわじわと侵食されて何かしら植わっていたのだろう。
それを始末する為に、この部屋は聖域の状態を維持しているのだと、今になってわかる。
……だからな?そう言う大切な事はアナウンスしろ?
説明されなきゃ何もわかんねぇんだわ。
傷が癒されれば苛立ちが頭を擡げる。海が怪我してたらどうしてくれんだ。
「ちょっと言語化して説明するの難しいな……とりあえずこの部屋から今は出ない方がいいみたい」
「そこを言語化しろや」
「我儘かよぉ……」
うーんとだなぁ、と殿下にもたれたまま思考をこねくり回す。
部屋から出た瞬間感じたのは、モザイク龍の気配と言うか、社長の警告してくる痛みというか、そんなものだった。
モザイク龍は社長を侵食しているあの汚い鱗の主なのだと思う。
さらに言えば、恐らく社長は直通で自分のところに私達を呼ぼうとしたけどモザイク龍に邪魔された結果、深淵に放り出された……のだと、思う。
そもそも社長とモザイク龍が別個体でないならば、互いの行動そもそも筒抜けだもんね。そりゃ横槍も入れるよね。
で、深淵な。多分あれがモザイク龍の領域なんだわきっと。奴の加護が深淵なのでは?社長の加護と奴の加護のガチバトルで、今社長劣勢の様子。
そこをひっくり返す為に、なんとしても杯を満たしたい社長。それを阻止したいモザイク龍。
うむ、なんとなく構図が見えて来た……か?
……そもそも深淵が全てを飲み込むってことは、モザイク龍が社長を侵食完了するってことよな?
そうなった時にこの世界がどうなるかなんて解らないが、先程の感じだと少なくとも私達は深淵に喰い殺されるのでは?いい肥料になりそうな生え方してたもんな。
社長の聖域だと枯れると言う事は、社長が居ないと深淵に塗れてぐっさぐさになって死んでた可能性が高い。
……こっわ。何それえぐい。
でもそう言う危険度の高い状況なら尚更何か教えとけよ。痛い目見て学習してねとか、なにそのスパルタな教育方針。下手打てば死ぬわ。
「うーん、深淵の龍の侵食を、社長が今相殺してるところなので……この領域出ると侵食進んで死ぬ?感じ?」
とまぁ、色々考えたが口に出したのはこんなものだ。
なんせ、大体多分……がつくのだから。何となくそんな感じがした、と言うだけであくまで憶測だ。確定事項ではない。
曖昧な情報共有は悪手だと思う。
「この鼻血もあれじゃないかな。体内で喧嘩してるからその影響」
「つまり、今のはあのモザイク龍の仕業ってことかよ……」
「やだお前、視線だけで何か殺せそうになってんぞ」
「ったりめぇだろ!大体社長も部屋出んなって言っとけよ!」
「それは激しく同意」
そして鼻血止まったら喧嘩終了の合図でよろしいな?
いやぁ、この鼻血が母の魔力の影響でなくて何よりだ。愛情深いあの人に、こんな影響あったよー、なんて言ったら泣いちゃうよなきっと。
「てことで殿下、ごめん。やっぱ暫くここから離れられないわ」
「……それは、理解した。すまない……私が部屋を出る事を提案しなければこのような……」
「あー、いや。それは龍の連絡不良が原因だから殿下のせいじゃ無いよ。それに、もう治ったから大丈夫」
ボトルを海に返却したなら蓋を閉めてインベントリにしまってくれる。
そして、何だかんだで絨毯と、扉の外の床に散った血痕に向けてクリーンもしてくれた模様。罪悪感で私の心が折れる前に片付けてくれて本当にありがとう弟よ。
あとできれば後で殿下の服もクリーンさせて貰おう。
しかし今の皮膚を突き破った枝、服は突き破らんのな。身体だけ引き裂いて服は無事だ。
つまり、クリーンすれば使える。不幸中の幸いだ。
脳天を突き抜けるような痛みには辟易としたが、スキル習得時の地獄に比べればもんどりうつ程のものでも無かった。
いや、痛いのは痛いので腹は立つがな!
苦痛耐性のお陰か泣き叫ぶことは免れたので体面も保たれたことだろう。
何か扉の外でフォルテさんとコルドさん、あと知らん人達がなんとも言えない顔をしているが、私の咎ではないと思いたい。
いや、大丈夫死んでない。超健康。……いや、健康でもないな。今の出血で結構もっていかれた気がする。
血液的な話もそうだが、どちらかと言うとメンタル面でやられた感が強い。
森だろうが街だろうが、油断大敵だなおい。気を抜けば即座にワンキルしてこようとする仕様は変わらないのだな、と。
しかしいつまでも殿下に凭れ掛かっているわけにもいかないだろう、と身体に力を込めて立ちあがれば気遣わし気に背に手を添えられた。
「……大丈夫ではないだろう。傷が癒えたところで感じた痛みも出血も、無かったことにはならぬ」
それはそうだが、実際殿下は悪くないのでそんなにしょんぼりしないでほしい。
にしても、この聖域本当に殿下以外拒んでるんだな……部屋の境界あたりをフォルテさんの手がもにもにと動いているが、不可視の壁に押しやられているのが見える。
不意に目があったので、へらりわらって手を振っておけばぱちぱちと瞬きをしてからまた渋面になった。
「……どういうことです。危険は回避すると仰っていたように記憶しておりますが」
地を這うような低い声を掛けられて、どういうもこういうも……と思うが。
「回避しきれない事ってあるよねぇ……超常現象は流石にどうしようもないので許してほしい」
そもそも鱗付きには見つかっていないのだから、当初の目的はちゃんと完遂しているではないか。
ただ、ちょっとばかり色々想定外の出来事が起きただけで。
「それに、こういうわけ解んないことに巻き込まない為に二人で出たんだし、ある意味予定調和だと思う」
予定外なのは帰りを待っていてくれずにここに殿下達が居る事だ。子供ではないのだから、ちょっと四日程行方不明になっただけで心配しすぎではなかろうか。
そんなこともあるよね、と思って頂きたい。
どの道森まで地力で帰るには遠すぎるのだし。
それに、恐らくもし同行頂いていた場合、深淵に叩き込まれた時点で殿下以外は死んでいるだろう。加護を身に宿さないということは、社長の影響下から出てしまうということと同意だ。
となれば、きっと……深淵に喰い殺されていただろうと思うと、我儘を通して二人での行動をもぎ取ったのは正解だ。
そりゃまぁ、物凄く心配してくれているのはわかっている。
念願の龍の御遣いだものな。早々失うわけにもいかないだろう。
今は私達二人しか認知されていないが、実質四人しかいないのだ。一人欠ければ25%の喪失となれば痛い話だと、それは理解できる。
あとはなんか、単純にひもじい子供を保護した気でおられるのではないかと思うのでそこも加味してだな。大変過保護にしてくれている。
が、だ。
お互いいい年した大人なのだから、互いの業務に理解を示すべきではなかろうか。
私達は私達の業務を成すにあたり、それなりに規模の大きな話になって来ていて戦々恐々としているのだ。そして、割と人様を巻き込む大掛かりな出来事がガンガン起こり得ることももういい加減理解している。
であれば、周囲への被害をどれほど抑え込むかを考えるのは私達の義務であると、思う。
「心配かけてごめんなさい。でも、結果として今回はやっぱり二人で行動して正解だったと思ってる」
「そのようなお怪我をされても、ですか」
「そうだね。誰も死ななかったから、それが一番じゃないかな。それに、海も無事だし」
鼻血出してるけど。未だに私も鼻血止まらんけど。そろそろタオル替えるかな……。
「ちょっとずつ龍が何を成したいのかも見えて来た気もするから……情報が足りないのは変わらないけど、来てよかったとも思う」
同時に龍殴りたいゲージも着々と蓄積しているが。
「俺は正直やり口にムカついてるけどな」
「いやそれは間違いないわ。もっとこう、スマートな業務通知を行うべき」
それを言ったら最初からムカついてるわ。解決パートまで遠いんだって。マジで。
ヒントの出し方もえぐいんだって。常に死と隣り合わせとか誰得だよふざけんな。
普通さ、ゲームを始めるにあたって最初はノーマルかイージーモードから始めるじゃない?でもってチュートリアルとかあるじゃない?やるよねぇ。
そりゃ二回目からはチュートリアルとかマジだりぃとかなるけどさ。スキップしまくって本編入るけどさ。
でもな。生身でニューゲームなら当然イージーモード選びたいわけよ。
懇切丁寧に何をしたらいいのか、どうしたらいいのか、知り尽くしてから始めたいのは普通ではないだろうか。取説だって読み込みたいわ。なんなら攻略サイトも舐め回すように熟読したいし攻略本だって傍らにおいていたい。
だってのにこれだよ。
クソゲー、クソ会社、クソ社長。
そして謎の役職に謎の業務。
ストレスで発狂しそう。ちょっと酒浸りになりたい気分。
城下に酒屋あったなそういえば。一瓶買うか。
「今私凄いナイスアイデアが浮かんだ」
「あん?」
「帰り酒屋さん寄ろう。やけ酒しよう」
「お前の思考回路どうなってんの?今その考え浮かぶとか天才かよ」
そんな褒めんなよ。照れるわ。




