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一章 星食 Occultation

 息こそ白くならないものの真夏の野辺山高原の夜温は18°Cまで下がり、軽やかな南西1mの風が通り抜けている。天を仰ぎ見ると雲間に夏の大三角形が天の川を従えて輝き、五日前に極大日だったみずがめ座δ流星群の残滓が時折天を光の筋を引っ掻きながら落ちてくる。今にも襖を爪で切り裂く音が聞こえてきそうだ。

 標高も高く空気の澄んだ野辺山高原は天体観測に持って来いで、二階建ての我が家の屋上は天体観測し易いように平らにしてある。

 真四角の箱庭から天を仰ぐと、燦然と散りばめられた天の川を背景にして夏の大三角を形作る彦星と織姫星の七夕の夜の一年に一度のランデブーを想像する。天の川を渡し舟に乗ってゆらゆらと待ち合わせ場に赴く心持ちか、どんな気分なのだろうか。

 邂逅が一年に一回だなんてなんと切ない事か。いや人間の時間軸で考えたらいけない。宇宙の時間では一年など束の間の瞬きに過ぎぬことだろう。


 机に向かっていた僕の部屋にいきなり満面の笑みを浮かべた父は入って来なり「気分転換もよかろう」と五百円玉を僕の手にねじ込み、「望遠鏡任したわ」と缶ビール片手にテレビの有る応接間に引っ込んでしまった。

「大切な時期なんだから邪魔しないでよ」

一生が決まる僕の受験より、天体観測の方が父には大事らしい。中学三年の夏休みで来春の高校受験に備え部活動も引退して朝から部屋に篭ってテキストと睨めっこで、物理の基礎力学の問題に息詰まってた僕はまあ渡りに船と引き出しから取り出したヘッドライトを頭に装着して部屋から抜け出すか。


 ブラインドの隙間から外の景色を見渡せば、雲は幾らか掛かるものの空気は澄み隙間から見える星は普段より一層輝き天体観測には申し分の無い夜だ。自転車で十分程の所の電波天文台の大きなパラボラアンテナ群がうっすらと浮かび上がって視認できる。

 天空に向けたお椀が日夜空から降ってくる星からのメッセージの解読に努めているのだ。この地球に向けて何か送り届けようとしている奇策を働く奇特な星が果たして居るのだろうか。

 

 外気はじっとしていては上衣を羽織らないと寒さすら感じられる程だが、観測機材を置いた一階のガレージと屋上の間を三脚や望遠鏡の筒を抱えて何回か階段を足早に往復すると身体からは湯気が立ち昇り、高原の屋上を渡るそよ風が実に心地よい。

 小さい頃から父の天体観測の趣味に付き合わされていたから、望遠鏡の設置作業も慣れたもの。幼い頃は両手でやっと抱え上げないと持ち上がらなかった鋳造の赤道儀も、上背で父を追い抜いた今となっては片手で軽々と持ち上げられる。

 真っ暗な中でヘッドライトを点灯しての設営作業は老眼の父には体力的にも視覚的にも段々と辛くなって来ていると父は毎度言い訳するが、五百円の臨時収入は僕にも有難い。

 三脚を広げて重量感の有る赤道儀をしっかりとボルト留めし、望遠鏡の筒をバランス取って赤道儀の上に更に固定する。手慣れた作業なので十分と掛からない。


 僕が生まれるずっと昔の1977年に米国NASAのボイジャーと言う惑星探査衛星が二機が打ち上げられ、搭載された金のレコードには人類の画像と共に55種類の言語で世界中の挨拶が収められていると言う。いつか辿り着くかもしれない他の星の生命に宛てたメッセージという途方もないプロジェクトを父は折に触れ目を輝かして話し聞かせてくれたものだ。

 しかし銀河系には二千億も星が有って、そのうちどれだけに知的生命体が存在しているというのだろうか。年末ジャンボ宝くじですら一等に当たる確率は一ユニット一千万本に一本だから、太陽系に似た一等勝の星は二万くらいは有るのかな。いずれにせよボイジャーのレコードが知的生命体の居る星に辿り着く確率は宝くじの当選の方が遥かに高いだろう。

 仮にどこかの星に辿り着いたとしても生命は既に絶滅しているかもしれないし、又は恐竜が支配する爬虫類の世界に舞い降りる事だってある。運良く知的生命体がレコードを拾ったとしても、インドには700の言語が有ると言うから果たしてレコードの55の言葉を理解してくれるのだろうか。

 それにしても人類史上最遠に飛ばしたボイジャーですら未だにようやく太陽系の辺縁に辿り着いたレベルというから、宇宙の大きさのスケールは想像を超えている。


 果たして本当に他の星に人類の存在を届けるプロジェクトは賭けるに値するものなのだろうか。


 夏の夜に満天の星が集まって見えるのは銀河系の中心部を天の川として見上げているからで、僕から二万八千光年離れた銀河系の中心のいて座A*(赤経17h45m40.045s・赤緯-29°0’27.9”)に鎮座している。さそり座の毒針の辺りがいて座A*なのだが、それは太陽の四百万個の重さのブラックホールで二千億の星を従えて二億八千万年周期で円盤は回転してる。円盤の中で太陽は秒速二百二十キロで公転し、地球は秒速三十キロで太陽を公転し、僕は秒速380メートルで地球の上をぐるぐる回っている。

 そんなシーンを想像すると、モビール・コスモを見て目が回った時のように、星空は複雑に回転する歯車のようで、まるで地震酔いのように足元が揺れて感じられる。さそり座の毒でふらふらと、そして巨大な黒い塊に飲み込まれていくのだ。


 流星が時々音もなく天を切り裂くが、宇宙から地球に落ちてくる塵は一日に25トンにもなるらしい。地球最大の動物シロナガスクジラが150トンだから、毎週列を成してシロナガスクジラが次々と降臨する姿を想像して地球がクジラで溢れてしまうのではと心配になる。

 僕たち生命を形作る有機物は太古の地球の海のアミノ酸原始スープで出来たのか、はたまた天から降る塵に含まれる生命の種がもたらした物なのか。いつの日か誰かがそんな生命Lifeの源を解明して欲しいものだ。


 父の天体観測の目的は星食の観測。星食とは太陽を周回する小惑星が遠くの星を隠す事。つまり隠される星に照らされる地球に落ちた小惑星の影を観測するのだ。直径十キロの天体が遠くの星の前を横切って隠すと、地上にいる僕らの目には一秒間後ろの星が消える。小が大を飲み込むのである。すぐに吐き出しちゃうけどね。


 田舎の祖父母の家は新東京国際空港への着陸の進入の空路になっていて、空を見上げると向こうに停まっているマイクロバス位の大きさで上空をしょっちゅう航空機が横切って行く。高度にしたら500メートルといった所か。その空路がたまたま太陽と重なり航空機が太陽を隠す事がある。ほんの一瞬だが地上を移動する航空機の影に僕が入るのだ。

 星食とはそんな現象を宇宙スケールに広げたもの。何光年も離れた星と太陽系の片鱗にある小惑星と地上の僕が一瞬だが一直線に重なるなんてロマンチックに思えてくる。


 5120個もの太陽を周回する小惑星の軌道はネットでも公開され、小惑星の軌道と遠くの星が重なる時をみはからって、全国のアマチュア天文家が一斉に対象の星を望遠鏡で観測するのだ。観測地点と消えた時間を正確に計って、その点を辿ると小惑星の外周の弧の形が浮かび上がるという訳だ。


 都会でエンジニアをしていた父は銀河鉄道999や宮沢賢治の作品に憧れ、星に一番近い野辺山高原に移り住み、昼間はSL園で園長をしながら蒸気機関車を走らせ子供たちに夢を与えている。もし真夜中に機関車に乗って空を眺めたらメーテルや星野鉄郎と宇宙を旅する気分が味わえるに違いない。しかし999号の行先のアンドロメダでメーテルに裏切られて鉄郎は部品にされそうになるのではなかったか。他の星からすると地球の生命なんて価値を見出すことは出来ないというのか。


 父が子供の頃に買ったというビクセンの口径十センチの反射望遠鏡には、赤道儀に最新のモータードライブとSONYハンディカムがマウントされてるが、筒の外側はガムテープの跡や塗装も剥がれボロだが、星食の観測には全く問題が無い。隠される星が消えた時刻と再び現れる時刻を正確に計れば良いから、望遠鏡自体の性能は余り関係ない。


 今夜の星食は小惑星アレトゥーサ(森の精)12.6等星が、ワシ座の11.3等星TYC 5707-00841-1を食べちゃうって事。星食予定時間は22時過ぎで、岡山から千葉に掛けてその星食が見られるようだ。

 悪さをしたワシの子供が森の妖精にお仕置きされる光景を想像してみた。


 望遠鏡を北に向けて、赤道儀にねじ込まれた極軸望遠鏡で北極星を捉えて極軸を合わせる。目標の空の座標を打ち込むとモータードライブで星を自動追尾してくれるのだ。小さい頃から屋上で父の趣味の小惑星観測に付き合わされている。だから望遠鏡のセッティングや自動追尾だって僕にはお手の物で、毎度十分もしないで観測体制を整えますよ。


 NHKニュースウォッチ9をビール片手に見てるであろう父を何もしないでずっと待ってるのも暇だったので、ビデオ機器の動作確認も兼ねて、地球から一番近い星雲として650光年先のみずがめ座にあるらせん星雲NGC7293(赤経22h29m38.35s・赤緯-20°50’13.2”)に合わせてみた。


 この星雲の何が好きかって言うと、巨星となった太陽の様な星が約6500年前に最期に新星爆発をした跡なのだ。エジプトのピラミッド建築の少し前だ。

 かの地にもし生命が居たとしたなら新星爆発と共にその時に文明も滅亡したと言うのか。この地の太陽も五十億年後には僕らの残した地上の文明の痕跡すら全て焼き尽くしてしまうだろう。その時のずっと先子孫達は一体何の行動を起こすのだろうか。


 らせん星雲は差し渡り満月の半分位の指輪のような星雲だ。ハッブル宇宙望遠鏡の映像みたいにはっきりとはみえないが、おぼろげな星雲が見て取れた。試しに一分程ビデオ録画を回すとらせん星雲も映像にしっかりと映っていてカメラの動作もバッチリだ。


 父が戻る前に赤道儀に繋がったモータードライブに座標を打ち込み、わし座の11.3等星TYC 5707-00847-1(赤経19h06m29.505s・赤緯-07°40’58.00”)に照準を合わせる。


 22時になるとNHKニュースが終わったのか「照準はドンピシャか?」とケテケテ笑いながらベランダにのこのこと父が現れた。

「ターゲットは外す訳無いじゃない。雲も切れて来たし絶好だよ」

「よくぞ我が息子よ。しっかり結果を出すな」とビールの臭いを蒔き散らしながら喚き声が高原中に大声が響き渡る。

「結果は観測するまでわからないよ」

 父の足元をヘッドライトで照らしてファインダーにいざなった。


 2011年8月3日22時08分、予定通りに6秒半望遠鏡のスコープの中で星の瞬きが消えた。同時に回してるハンディカムのフィルムには一秒に30駒撮影するから、わし座の星が森の妖精に195駒の映像から食べられて消えているのだろう。


 観測はつまりたったの十秒もしないで終わり。しっかりと予定通りに星が消えて観測結果に父は大満足し「いつもみたいにビデオを添付して送っておいてくれよ」と言い残すとそそくさと階下に降りていってしまった。


 撮影地点と共にビデオ映像はファイルにして、鹿児島県薩摩川内市のせんだい宇宙館に送ると、各地からの観測結果を取りまとめてくれ、小惑星の形と供にホームページに観測者の名前入りで公表してくれる。 日本全国の天文家と協同して遠くの小惑星を補足するのが何より楽しいようだ。


 望遠鏡を片付けながらふと夜空を見上げたが、それにしてもいつも何だか不思議な気分になるのだ。遠く離れた十キロもの小惑星が地上に影を落とすなんで。遥か離れた動きが僕らに影響を及ぼすなど想像もつかない。


 手早く観測機器を片付ける。ビデオ映像をパソコンにデジタル変換して取り込んで、せんだい宇宙館に観測結果を添付して送るところまで500円でから僕は父から安請け合いしてるのかもしれない。


さてさっさとファイルを添付して、人生のかかった受験勉強に戻らなくては。画面のファイル再生ボタンをクリックすると、先ほど撮影した望遠鏡で捉えた星空が流れてきた。


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