食い逃げ妖精、雲のわたあめを食べて雨を降らせる。
空に近い山の上で、大きなわたあめが作られていた。
白くて、丸い。
小さな家ほどの大きさがある。
風に吹かれるたび、ふわりと形を変えた。
長い銀の棒に刺され、三本の縄で岩へつながれている。
その下には、雨の降らない村があった。
畑の土はひび割れていた。
井戸の水は底が見えるほど減り、庭の花はそろって首を垂れている。
村人たちは毎日、空を見上げた。
けれど、雲は一つも流れてこなかった。
そこで村は、山の上に住む雲菓子職人へ頼んだ。
「雨を一つ、作ってください」
雲菓子職人は、白い髭を風になびかせてうなずいた。
空から細い雲を集める。
朝露を一瓶。
月砂糖を三杯。
風の蜜を一匙。
それらを大きな銀の釜へ入れ、長い棒でぐるぐる回す。
雲は少しずつ膨らんだ。
柔らかくなった。
甘い匂いを漂わせた。
最後に、職人は青い粒を一つ、わたあめの中心へ押し込んだ。
雨の種だった。
「夕方になったら、縄を解く」
雲菓子職人は村人たちへ言った。
「わたあめは村の上まで流れ、雨になって溶けるだろう」
「それまで触れてはいけませんか」
「少しでも欠けると、風に乗らなくなる」
村人たちは大きくうなずいた。
誰も触れないよう、山道の入口へ看板を立てた。
『雨のわたあめ。食べるべからず。』
村人たちは夕方まで待つため、山を下りていった。
雲菓子職人も、空になった朝露の瓶を洗いに泉へ向かった。
山頂には、大きなわたあめだけが残った。
そこへ、リリィが飛んできた。
甘い匂いがしたからである。
タルムは山の中腹にいた。
急な坂道を一歩ずつ登っている。
甲羅の上の小さな家から顔を出したリリィは、山頂に浮かぶ白い塊を見つけた。
「お菓子だ」
「雲じゃないかねえ」
タルムが言った。
「甘い雲だよ」
リリィは家の屋根から飛び立った。
「先に行ってるね!」
「食べるとは言っていないねえ」
けれど、リリィはもう聞いていなかった。
山頂へ着くと、銀の棒の先にある白い塊を見上げた。
ふわふわしている。
表面には細かな砂糖の粒が光り、風が吹くたび、甘い糸がほどけて空へ流れていく。
リリィは看板を見た。
『雨のわたあめ。』
そこまで読んだ。
その下にも何か書いてあったが、風で草がかぶさっていた。
リリィは気にしなかった。
縄の一本へ降り、そこから白いわたあめへ飛び移った。
足が沈む。
ふわり。
雲のように軽い。
けれど、指でつまむと細い糸になって伸びた。
リリィは一房取った。
口へ入れる。
しゅわり。
すぐに消えた。
舌の上に、朝露の冷たさと月砂糖の甘さだけが残る。
「おいしー!」
金色の粉が、白いわたあめへぱらぱら落ちた。
粉は雲の糸へ絡まり、小さな光になった。
リリィはもう一房食べた。
しゅわり。
もう一房。
しゅわり。
食べても、ほとんどお腹にたまらない。
口へ入れた途端に消えてしまう。
「なくなるお菓子だ」
だから、いくらでも食べられる。
リリィは両手でわたあめを抱えた。
大きくかじる。
白い糸が髪や羽へ絡みつく。
顔の周りまで真っ白になった。
それでも食べた。
わたあめの端に、小さな穴が開く。
リリィはその穴へ頭を入れた。
中も全部、白い。
少し食べる。
穴が広がる。
もう少し食べる。
体まで入る。
やがてリリィは、雲のわたあめの中を進んでいた。
外からは姿が見えない。
食べた跡だけが細い洞窟のように続いている。
奥へ進むほど、わたあめは冷たくなった。
甘さも少しずつ濃くなる。
リリィの髪には砂糖の糸が巻きつき、真っ白な帽子のようになっていた。
「まだある」
リリィは食べ進めた。
そのとき。
白いわたあめの奥に、青いものが見えた。
豆ほどの大きさ。
透き通っている。
中では小さな雨粒が、くるくる回っていた。
リリィは青い粒を指でつついた。
冷たい。
表面を少しかじる。
かりっ。
中から冷たい蜜があふれた。
舌が少ししびれる。
甘くて、冷たくて、最後に空の匂いがした。
「おいしー!」
金色の粉が、青い粒へ降りかかった。
粒が光った。
一度、小さく震える。
次の瞬間。
わたあめ全体が、ぶるんと揺れた。
外を吹いていた風が止まる。
白かった雲の底が、少しだけ灰色になった。
岩へ結ばれていた縄が、ぎしりと鳴った。
リリィは青い粒をもう一口かじった。
冷たい蜜が、雲の中へ流れ出す。
白い糸が水を吸い、重くなった。
ふわふわだった足元が、しっとり沈む。
「食べにくくなった」
リリィが言った。
その頃、泉から戻ってきた雲菓子職人は、遠くからわたあめを見て足を止めた。
形が変わっている。
右側が大きくへこんでいる。
中心から、金色の光が漏れている。
「誰か食べている!」
雲菓子職人は銀の梯子を駆け上がった。
わたあめへ手を入れる。
中に細い穴が続いている。
「こら!」
声が雲の中へ響いた。
リリィは青い粒を抱えたまま、振り返った。
白い壁の向こうから、髭だらけの顔が近づいてくる。
「妖精!」
「リリィだよ!」
「何をしている!」
「食べてるよ!」
「それは見れば分かる!」
雲菓子職人は、リリィのいる場所まで穴を広げた。
青い粒を見る。
半分ほど食べられている。
職人の顔が青くなった。
「雨の種まで!」
「おいしいよ」
「食べるものではない!」
「甘かったよ」
「甘く作ったからだ!」
そのとき、三本ある縄の一本が切れた。
ぱんっ。
雲のわたあめが大きく傾く。
リリィと職人は、白い糸の中を転がった。
二本目の縄も切れる。
ぱんっ。
巨大なわたあめが岩から浮き上がった。
「つかまれ!」
職人は銀の棒を握った。
リリィは青い粒を握った。
最後の縄が、ぎりぎりと伸びる。
山の下から風が吹き上がった。
ぱんっ。
三本目も切れた。
わたあめは空へ飛び出した。
山頂を離れ、風に流される。
向かう先には、雨の降らない村があった。
「まだ夕方ではない!」
雲菓子職人が叫んだ。
「お昼だよ」
「時間の話ではない!」
わたあめは村の上空へ近づいていく。
水を吸った底は、ますます灰色になっていた。
リリィがかじった雨の種から、青い蜜が流れ続けている。
一滴。
雲の底から落ちた。
乾いた畑へ届く。
土の上に、小さな丸い跡ができた。
村人が空を見上げる。
二滴。
三滴。
雨粒が増えた。
「雨だ!」
村のあちこちから声が上がった。
人々が家から飛び出す。
桶を持つ者。
壺を持つ者。
口を開けたまま空を見上げる子ども。
けれど、雲菓子職人は首を振った。
「まだ足りない」
わたあめは大きいままだった。
雨の種は半分残っている。
このままでは、少し降っただけで村を通り過ぎてしまう。
職人はリリィを見た。
「その種を返しなさい」
リリィは青い粒を見た。
「まだ半分あるよ」
「だから返すんだ!」
リリィは一口かじった。
「食べるな!」
かりっ。
冷たい蜜があふれた。
リリィは最後まで口へ入れた。
雲菓子職人の髭が逆立った。
「おいしー!」
金色の粉が、わたあめの中心いっぱいに広がった。
金色の光が、白い糸を駆け抜ける。
雲の底が一気に黒くなった。
ごろごろ。
遠くで雷が鳴る。
わたあめが大きく膨らんだ。
そして、村の真上で崩れた。
ざあああああっ。
雨が降った。
乾いた屋根を叩く。
道の埃を洗う。
井戸へ流れ込む。
ひび割れた畑へ染みていく。
首を垂れていた花が、少しずつ起き上がった。
村人たちは雨の中で笑った。
子どもたちは裸足で水たまりを踏んだ。
降ってくる雨粒には、ほんの少しだけ砂糖の甘さがあった。
空では、わたあめがどんどん小さくなっていた。
足元が消える。
雲菓子職人は銀の棒へしがみついた。
リリィの羽には、濡れた砂糖の糸が絡みついている。
「飛べない」
「種を食べるからだ!」
職人はリリィの腕をつかもうとした。
リリィは濡れた雲の上を走る。
右へ。
左へ。
足元の雲が溶けていく。
「代金を払いなさい!」
「ないよ!」
「雨の種は高いんだぞ!」
「もうないよ!」
「おまえが食べたからだ!」
最後の雲が消えた。
リリィと雲菓子職人は、空中へ放り出された。
職人は銀の棒を開く。
棒の先から白い布が広がり、大きな傘になった。
ゆっくり降りていく。
リリィは落ちながら羽を動かした。
濡れた砂糖の糸が、雨に洗われる。
一枚。
二枚。
羽が開いた。
リリィは空中でくるりと回り、村の外へ飛んだ。
「ごちそうさま!」
「待ちなさい!」
雲菓子職人の声が、雨音に消えた。
夕方。
山を登ってきたタルムは、雨の中でリリィを見つけた。
リリィは甲羅の上の小さな家へ飛び込んだ。
髪も服も、びしょ濡れだった。
「雲はおいしかったかい」
タルムが聞いた。
「途中から水だったよ」
「雲だからねえ」
それから、雨の少ない年になると、村人たちは山の上で大きなわたあめを作った。
雲菓子職人は必ず、雨の種を二つ用意した。
一つは、わたあめの中心へ。
もう一つは、山頂の小さな皿へ。
皿の種は、いつも夕方までになくなった。
けれど、その年の雨は、必ず村へ降った。
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