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食い逃げ妖精、指名手配中

食い逃げ妖精、雲のわたあめを食べて雨を降らせる。

作者: 堀吉 蔵人
掲載日:2026/07/23


空に近い山の上で、大きなわたあめが作られていた。


白くて、丸い。


小さな家ほどの大きさがある。


風に吹かれるたび、ふわりと形を変えた。


長い銀の棒に刺され、三本の縄で岩へつながれている。


その下には、雨の降らない村があった。


畑の土はひび割れていた。


井戸の水は底が見えるほど減り、庭の花はそろって首を垂れている。


村人たちは毎日、空を見上げた。


けれど、雲は一つも流れてこなかった。


そこで村は、山の上に住む雲菓子職人へ頼んだ。


「雨を一つ、作ってください」


雲菓子職人は、白い髭を風になびかせてうなずいた。


空から細い雲を集める。


朝露を一瓶。


月砂糖を三杯。


風の蜜を一匙。


それらを大きな銀の釜へ入れ、長い棒でぐるぐる回す。


雲は少しずつ膨らんだ。


柔らかくなった。


甘い匂いを漂わせた。


最後に、職人は青い粒を一つ、わたあめの中心へ押し込んだ。


雨の種だった。


「夕方になったら、縄を解く」


雲菓子職人は村人たちへ言った。


「わたあめは村の上まで流れ、雨になって溶けるだろう」


「それまで触れてはいけませんか」


「少しでも欠けると、風に乗らなくなる」


村人たちは大きくうなずいた。


誰も触れないよう、山道の入口へ看板を立てた。


『雨のわたあめ。食べるべからず。』


村人たちは夕方まで待つため、山を下りていった。


雲菓子職人も、空になった朝露の瓶を洗いに泉へ向かった。


山頂には、大きなわたあめだけが残った。


そこへ、リリィが飛んできた。


甘い匂いがしたからである。


タルムは山の中腹にいた。


急な坂道を一歩ずつ登っている。


甲羅の上の小さな家から顔を出したリリィは、山頂に浮かぶ白い塊を見つけた。


「お菓子だ」


「雲じゃないかねえ」


タルムが言った。


「甘い雲だよ」


リリィは家の屋根から飛び立った。


「先に行ってるね!」


「食べるとは言っていないねえ」


けれど、リリィはもう聞いていなかった。


山頂へ着くと、銀の棒の先にある白い塊を見上げた。


ふわふわしている。


表面には細かな砂糖の粒が光り、風が吹くたび、甘い糸がほどけて空へ流れていく。


リリィは看板を見た。


『雨のわたあめ。』


そこまで読んだ。


その下にも何か書いてあったが、風で草がかぶさっていた。


リリィは気にしなかった。


縄の一本へ降り、そこから白いわたあめへ飛び移った。


足が沈む。


ふわり。


雲のように軽い。


けれど、指でつまむと細い糸になって伸びた。


リリィは一房取った。


口へ入れる。


しゅわり。


すぐに消えた。


舌の上に、朝露の冷たさと月砂糖の甘さだけが残る。


「おいしー!」


金色の粉が、白いわたあめへぱらぱら落ちた。


粉は雲の糸へ絡まり、小さな光になった。


リリィはもう一房食べた。


しゅわり。


もう一房。


しゅわり。


食べても、ほとんどお腹にたまらない。


口へ入れた途端に消えてしまう。


「なくなるお菓子だ」


だから、いくらでも食べられる。


リリィは両手でわたあめを抱えた。


大きくかじる。


白い糸が髪や羽へ絡みつく。


顔の周りまで真っ白になった。


それでも食べた。


わたあめの端に、小さな穴が開く。


リリィはその穴へ頭を入れた。


中も全部、白い。


少し食べる。


穴が広がる。


もう少し食べる。


体まで入る。


やがてリリィは、雲のわたあめの中を進んでいた。


外からは姿が見えない。


食べた跡だけが細い洞窟のように続いている。


奥へ進むほど、わたあめは冷たくなった。


甘さも少しずつ濃くなる。


リリィの髪には砂糖の糸が巻きつき、真っ白な帽子のようになっていた。


「まだある」


リリィは食べ進めた。


そのとき。


白いわたあめの奥に、青いものが見えた。


豆ほどの大きさ。


透き通っている。


中では小さな雨粒が、くるくる回っていた。


リリィは青い粒を指でつついた。


冷たい。


表面を少しかじる。


かりっ。


中から冷たい蜜があふれた。


舌が少ししびれる。


甘くて、冷たくて、最後に空の匂いがした。


「おいしー!」


金色の粉が、青い粒へ降りかかった。


粒が光った。


一度、小さく震える。


次の瞬間。


わたあめ全体が、ぶるんと揺れた。


外を吹いていた風が止まる。


白かった雲の底が、少しだけ灰色になった。


岩へ結ばれていた縄が、ぎしりと鳴った。


リリィは青い粒をもう一口かじった。


冷たい蜜が、雲の中へ流れ出す。


白い糸が水を吸い、重くなった。


ふわふわだった足元が、しっとり沈む。


「食べにくくなった」


リリィが言った。


その頃、泉から戻ってきた雲菓子職人は、遠くからわたあめを見て足を止めた。


形が変わっている。


右側が大きくへこんでいる。


中心から、金色の光が漏れている。


「誰か食べている!」


雲菓子職人は銀の梯子を駆け上がった。


わたあめへ手を入れる。


中に細い穴が続いている。


「こら!」


声が雲の中へ響いた。


リリィは青い粒を抱えたまま、振り返った。


白い壁の向こうから、髭だらけの顔が近づいてくる。


「妖精!」


「リリィだよ!」


「何をしている!」


「食べてるよ!」


「それは見れば分かる!」


雲菓子職人は、リリィのいる場所まで穴を広げた。


青い粒を見る。


半分ほど食べられている。


職人の顔が青くなった。


「雨の種まで!」


「おいしいよ」


「食べるものではない!」


「甘かったよ」


「甘く作ったからだ!」


そのとき、三本ある縄の一本が切れた。


ぱんっ。


雲のわたあめが大きく傾く。


リリィと職人は、白い糸の中を転がった。


二本目の縄も切れる。


ぱんっ。


巨大なわたあめが岩から浮き上がった。


「つかまれ!」


職人は銀の棒を握った。


リリィは青い粒を握った。


最後の縄が、ぎりぎりと伸びる。


山の下から風が吹き上がった。


ぱんっ。


三本目も切れた。


わたあめは空へ飛び出した。


山頂を離れ、風に流される。


向かう先には、雨の降らない村があった。


「まだ夕方ではない!」


雲菓子職人が叫んだ。


「お昼だよ」


「時間の話ではない!」


わたあめは村の上空へ近づいていく。


水を吸った底は、ますます灰色になっていた。


リリィがかじった雨の種から、青い蜜が流れ続けている。


一滴。


雲の底から落ちた。


乾いた畑へ届く。


土の上に、小さな丸い跡ができた。


村人が空を見上げる。


二滴。


三滴。


雨粒が増えた。


「雨だ!」


村のあちこちから声が上がった。


人々が家から飛び出す。


桶を持つ者。


壺を持つ者。


口を開けたまま空を見上げる子ども。


けれど、雲菓子職人は首を振った。


「まだ足りない」


わたあめは大きいままだった。


雨の種は半分残っている。


このままでは、少し降っただけで村を通り過ぎてしまう。


職人はリリィを見た。


「その種を返しなさい」


リリィは青い粒を見た。


「まだ半分あるよ」


「だから返すんだ!」


リリィは一口かじった。


「食べるな!」


かりっ。


冷たい蜜があふれた。


リリィは最後まで口へ入れた。


雲菓子職人の髭が逆立った。


「おいしー!」


金色の粉が、わたあめの中心いっぱいに広がった。


金色の光が、白い糸を駆け抜ける。


雲の底が一気に黒くなった。


ごろごろ。


遠くで雷が鳴る。


わたあめが大きく膨らんだ。


そして、村の真上で崩れた。


ざあああああっ。


雨が降った。


乾いた屋根を叩く。


道の埃を洗う。


井戸へ流れ込む。


ひび割れた畑へ染みていく。


首を垂れていた花が、少しずつ起き上がった。


村人たちは雨の中で笑った。


子どもたちは裸足で水たまりを踏んだ。


降ってくる雨粒には、ほんの少しだけ砂糖の甘さがあった。


空では、わたあめがどんどん小さくなっていた。


足元が消える。


雲菓子職人は銀の棒へしがみついた。


リリィの羽には、濡れた砂糖の糸が絡みついている。


「飛べない」


「種を食べるからだ!」


職人はリリィの腕をつかもうとした。


リリィは濡れた雲の上を走る。


右へ。


左へ。


足元の雲が溶けていく。


「代金を払いなさい!」


「ないよ!」


「雨の種は高いんだぞ!」


「もうないよ!」


「おまえが食べたからだ!」


最後の雲が消えた。


リリィと雲菓子職人は、空中へ放り出された。


職人は銀の棒を開く。


棒の先から白い布が広がり、大きな傘になった。


ゆっくり降りていく。


リリィは落ちながら羽を動かした。


濡れた砂糖の糸が、雨に洗われる。


一枚。


二枚。


羽が開いた。


リリィは空中でくるりと回り、村の外へ飛んだ。


「ごちそうさま!」


「待ちなさい!」


雲菓子職人の声が、雨音に消えた。


夕方。


山を登ってきたタルムは、雨の中でリリィを見つけた。


リリィは甲羅の上の小さな家へ飛び込んだ。


髪も服も、びしょ濡れだった。


「雲はおいしかったかい」


タルムが聞いた。


「途中から水だったよ」


「雲だからねえ」


それから、雨の少ない年になると、村人たちは山の上で大きなわたあめを作った。


雲菓子職人は必ず、雨の種を二つ用意した。


一つは、わたあめの中心へ。


もう一つは、山頂の小さな皿へ。


皿の種は、いつも夕方までになくなった。


けれど、その年の雨は、必ず村へ降った。


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