第1話 追放されたので、荒野で理想の「シルバニアハウス」を建てます
遠ざかっていく馬車の車輪が、乾いた土を巻き上げる音だけが鼓膜に残っている。
私は咳き込みながら、砂煙の向こうに消えゆく実家の紋章――獅子の盾――をぼんやりと見送った。視界が滲んでいるのは、舞い上がった砂のせいだと思いたい。
足元には、革のトランクがひとつだけ。中身は着替え数枚と、なけなしの保存食、そして愛用の設計図面セット。十七年生きてきて、私の人生の総量はこれだけだったらしい。
「ここで野垂れ死んでも、恨まないでくださいよ」
去り際に御者が吐き捨てた言葉が、熱を持った毒のように耳の奥で疼く。
恨む? まさか。
私はトランクの取っ手を握りしめた。革の硬く冷たい感触が、震えそうな指先を現実に引き戻す。
恨む余裕なんてない。ただ、呆然としているだけだ。
ここは王都から馬車で三日。地図の端にすら「不毛」と記される、北の荒野。
地平線の果てまで、赤茶けた土と岩が続いている。木陰ひとつない。水場も見当たらない。夜になれば気温は氷点下近くまで下がり、魔獣こそ出ないらしいが、人間が生きていくには過酷すぎる環境だ。
「……さて」
独り言が、吸い込まれるように虚空へ消えた。
喉が渇いている。
父は言った。「地味で薄汚い土魔法しか使えない役立たずは、この家には不要だ」と。
姉は笑った。「泥遊びがお似合いよ」と。
確かに、私の魔法は地味だ。火の玉も飛ばせないし、水を湧かせることもできない。
ただ、土を捏ねて固めるだけ。
でも。
私はしゃがみ込み、足元の赤土を素手で掬い上げた。
ざらりとした感触。太陽の熱を吸って、じんわりと温かい。
指先で粒子をすり潰す。
……ん?
心臓が、トクンと小さく跳ねた。
もう一度、今度は指に微弱な魔力を通して、土の「声」を聞く。
粒子の細かさ。適度な湿り気。不純物の少なさ。鉄分を含んだこの赤み。
「……嘘」
声が裏返った。
私は慌てて数歩移動し、別の場所の土も掘り返す。同じだ。さらに十メートル先も、その先も。
背筋にゾクゾクとした震えが走る。恐怖ではない。これは、武者震いだ。
「これ……最高級の、赤レンガ用粘土じゃない!」
絶望は、一瞬で職人の歓喜に塗り潰された。
王都で買えば金貨数枚はする特級品が、視界の限り広がっている。これなら、焼成の手間すら最小限で済む。
泥遊び? とんでもない。ここは宝の山だ。
私は立ち上がり、パンパンとスカートの土を払った。
野垂れ死ぬ? 私が?
ふふ、と口元が緩むのを止められない。
誰に気兼ねすることもない。予算の心配もない。父の罵倒も、姉の嘲笑もない。
あるのは、最高の建材と、広大な土地だけ。
なら、建てるしかないじゃない。
ずっと夢見ていた、私だけの「理想の家」を。
私はトランクを開け、一番上にあった羊皮紙を取り出した。
幼い頃から描き溜めてきた、夢の設計図。
コンセプトは『森の雑貨屋さんが似合う、赤い屋根の可愛いお家』。通称、シルバニア風コテージ。
実家の屋敷は重厚で暗く、カビ臭い石造りだったけれど、私が住みたいのは違う。もっとこう、こぢんまりとしていて、でも温かみがあって、窓辺に花を飾りたくなるような家だ。
場所は、少し小高い丘の上にしよう。
私はトランクを引きずり、適地を見定めた。地盤は固い岩盤層が下にある。基礎を打つのに申し分ない。
「イメージ……構成……定着」
両手を前に突き出し、魔力を練り上げる。
丹田のあたりから、熱い奔流が腕を伝って指先へ駆け抜ける感覚。
頭の中で、設計図を立体に変換する。
基礎の深さ、柱の太さ、壁の厚み。断熱層の空気の層まで、ミリ単位で想像する。
この瞬間だけは、私は「役立たずの三女」ではない。世界を作る創造主になれる。
「――展開!」
地面が唸った。
私の意思に応えるように、赤土が生き物のように盛り上がる。
まずは基礎。コンクリートよりも硬く、花崗岩よりも強固に圧縮して定着させる。
続いて躯体。土中の成分を分離させ、石灰質と粘土質を融合。強度は鉄筋並み、見た目は温かみのあるクリーム色の漆喰壁に。
魔力がごっそりと持っていかれる感覚。血管の中を何かが削り取っていくような倦怠感が襲うが、構わない。
屋根には、あの最高級粘土を。
色は鮮やかなテラコッタ・レッド。一枚一枚の瓦が重なり合い、可愛らしい波打つ形状を描く。
窓枠は、土の中の鉱物成分を結晶化させて……いや、ここは木材風の質感を出したいから、炭素成分を調整して着色しよう。
ドドド、と低い地響きと共に、荒野に「それ」が立ち上がっていく。
二階建て。煙突つき。丸いアーチの玄関ポーチ。
最後の仕上げに、玄関ドアのノブを形成する。真鍮のような輝きを持たせた硬質化土壌だ。
光が収まると、そこには荒野に似つかわしくないほど愛らしい、一軒の家が鎮座していた。
「はぁ、はぁ……」
膝から力が抜け、その場にへたり込む。
額から汗がポタポタと落ち、乾いた地面に染みを作った。
激しい目眩。魔力欠乏の初期症状だ。胃袋が裏返るような猛烈な空腹感が襲ってくる。
私の土魔法は、精密な加工ができる代わりに燃費が悪い。特にこれだけの質量を一気に動かせば、数日分のカロリーを持っていかれる。
けれど、視界にあるのは「我が家」だ。
幻覚ではない。触れられる、住める、私の家。
「……できた」
這うようにして近づき、玄関ポーチの柱に触れる。
スベスベとした漆喰の感触。作りたての建材特有の、ほんのりとした熱。
冷たい風が吹き抜ける荒野で、そこだけが優しく私を受け止めてくれている。
涙が出そうになったのを、ぐっと堪えた。泣くのはまだ早い。内装は空っぽなのだから。
重い体を起こし、ドアを開ける。
中はがらんどうだ。家具もなければ、カーテンもない。
けれど、計算通りに配置した窓からは、傾きかけた西日がたっぷりと差し込み、床を黄金色に染めている。
気密性は完璧。外の風の音が、ここでは遠いBGMのようにしか聞こえない。
「とりあえず……今日は、ここが寝床」
私は最後の力を振り絞り、リビングの一角に暖炉を仕上げた。
トランクから保存食の干し肉と、水筒の水を取り出す。
鍋はないけれど、土魔法で即席の器を作ればいい。
外に出て枯れ草と手頃な岩を集め、暖炉にくべる。着火だけは魔法でできないから、火打石を使う。不便だけれど、その手間さえ今は愛おしい。
やがて、パチパチという音と共に、暖炉に火が灯った。
ゆらめく炎が、何もない部屋の壁に影を躍らせる。
水筒の水を器に入れ、干し肉をちぎって放り込み、暖炉の端で温める。
ただの湯戻しした肉のスープ。味付けも塩だけ。
けれど、一口飲んだ瞬間、体の芯まで解けるような味がした。
「おいしい……」
しみじみと呟くと、今度こそ視界が滲んだ。
父様、お姉様。
あなたたちは私を追い出しましたが、私は今、あなたたちの屋敷のどの部屋よりも快適な場所にいます。
隙間風も吹かないし、カビの臭いもしない。
何より、ここには私の好きなものしかない。
スープを飲み干すと、強烈な眠気が襲ってきた。
魔力切れと、緊張の糸が切れた反動だ。
まだベッドは作っていない。トランクに入っていた毛布を床に敷いただけの粗末な寝床だ。
それでも、床暖房のように余熱を持った床は温かい。
私は丸くなり、目を閉じた。
窓の外では、荒野の夜風がヒュウヒュウと鳴いている。
けれど、この壁の内側は絶対的な安全地帯だ。
明日は何を作ろう。
ふかふかのベッドがいい。窓辺にはベンチシートを作って、本を読めるようにしよう。
庭には柵を作って、いつか花を植えよう。
やりたいことがありすぎる。
「おやすみ……私の、お家」
誰にともなく呟いて、私は深い闇へと意識を委ねた。
追放された初日の夜。
もっと泣いて過ごすかと思っていたけれど、どうやら私は、自分が思うよりもずっと図太いらしい。
あるいは、この家が私を守ってくれているからかもしれない。
そんな予感を抱きながら、私は泥のように眠った。




