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白の騎士

 



 大きなため息が、空に浮かぶ透明な月をも曇らせてしまいそうだ。


 自分で吐いておきながら、何故かそう思った。

 それだけ今の状況が煮詰まっていて、手に負えないのかもしれない。

 そう、この状況が……




 そう心の中で独白気味に呟いた帽子屋の膝には、アリスがスヤスヤ眠っていた。

 数分前、夜風が出だしてリビングへと戻ったが、アリスと眠りネズミは相変わらず自分の許容量に反して、酒瓶を呷っていた。

 今日の嫌なことを忘れたかったのだろう。

 けれど、これはない。あり得ない。


 何故か2人して、日々の愚痴を言われる羽目になった。

 常に眉間に皺が寄っているだとか、口が悪い、行儀が悪い云々……

 散々言った挙句、俺に対する愚痴が尽きたのか。



「無駄に顔が良いし、家事が出来るのが腹立つ。帽子屋の癖に」との眠りネズミの言葉。


「は?」



 こっちだって酔いたいのに、結局酔っぱらいの介抱をしなければいけないと気を張ってるせいか、酔えない性分だ。

 それに加えて、なんだそれは。

 どう考えても褒め言葉なのに、褒められてねぇ。



「そうだよ。見た目いいのを自分はわかってなくて、思わせぶりとかすっごく腹立つ」


「は?」



 アリスが頬を紅潮させて、口を尖らせて、無意識の上目づかいで呟く。

 いつもなら、可愛くないから、と一蹴するところだが、可愛いかもしれない。

 そう頭の片隅に過らせた、自分にハッと驚いて考えをリセットした。



「わかったわかった。

 お前らが俺のことだ~いすきなのは、良く分かったから、寝ろ」



 冗談のつもりだった。

 眠りネズミはさておき、どんなものであれ、アリスが俺に好意を持っているとは思えない。

 俺には、本当はアリスの隣にいる権利すらないんだ。



「なぁんだよ、お前さん。わかってんなら、ツンデレのデレくらい見せろよな~」


「そーだよぉ!」



 そういって眠りネズミは、俺の座るソファーへと移動すると、俺の肩に頭を乗せて来た。

 すると、反対側からアリスもそれを真似するようにしてくる。



「や、めろって……」



 抵抗も空しく、何故かアリスがすぐに寝息を立て始め、その頭が肩からずれて、膝へコテン、と落ちた。

 その顔は、まるで赤子のようでスヤスヤ眠っている。



「おうおう、やっぱりママの母性愛を感じるのかね~」



 さっきまで羅列の回らなかった論調は、まるでシラフの時のように滑らかで、俺の肩から頭を上げた。


 今日は、コイツが演技か。

 腹の中で、煮えくりかえる怒りを必死に収めながら、納得する。







 そこで冒頭の大きなため息、といった具合だ。

 眠りネズミは新しい酒を取りに、一旦リビングを離れている。

 ため息が漏れ出た。でもそれは微笑みになって、自然と膝で眠るアリスを見ていた。


 バレないように起こさないように、慎重に彼女の艶やかな髪を撫でる。

 いつもはあんなに生意気で、俺を見ては嫌みか可愛くないことばっか言うけど、こうして黙ってれば……


 咄嗟に、心の呟きを制した。



「どーしたんだよ。アリス見つめながら百面相なんて、やらしいぞ」


「うるさい」



 ほらよ、と渡されたのは相変わらず彼の大好きなブランデー。

 いつ何が起こるかわからない状態で、この酒を飲むのは憚られるが、飲まないでいられるほど心情が安定もしていない。

 結局は少しだけ口に含んだ後、前のローテーブルへと一旦置いた。



「あ~、ほんとアリスちゃんって、可愛いよなぁ」



 眠りネズミは、もう一方のソファーを広々と使いながら、足を組む。



「オヤジくさい言い方するな」


「三月ウサギもそうだし、なんで皆そういうかなぁ。

 俺はただ本音で褒めてるだけなのによ~」


「その本音は心の中に留めて、自重しろっつってんだよ」


「はいはい、ママ」



 そう言ってブランデーを呷る眠りネズミ。



「おい、飲みすぎじゃ……」



 注意を促そうと彼を見ると、それを阻むように真っすぐな視線がかち合う。

 思わず言葉を止めてしまうほどの、何かを秘めた視線であった。

 俺が言葉を止めると、眠りネズミは一度かち合った視線を剥がして、組んでいた足を解くとゆったりと構えたまま、膝に肘を付き、両手を組んだ。


 再び、その長い瞳が俺を捕らえる。

 今もそうだが、時々こいつが何を考えているのか、見抜けなくなる時がある。

 ある意味、心をシャットダウンしてしまうことで、そうしているのだろうが、そんな時は大抵、真剣な話し合いで、自分の心や弱みを見せないためだ。


 思わず固唾をのみ込んで、その視線を真っ向から受けた。

 何も喋らない。

 眠りネズミを前にして緊張する自分など、今まで数えるほどしかない。

 今がその数回の一度と、なりうる瞬間であった。



「アリスのこと、どう思う?」



 あまりにも、長く感じさせられた沈黙を破った言葉が、それであった。

 正直拍子抜けする言葉であり、同時に答えるのには時間のかかる問い。



「どうって……」


「さっきのお前の表情、誰かに見られたら大変なことだな。

 管理人は、人の心を見透かすことに長けてる。

 お前の時間は動き出した。自分で選んだ道なんだろう?」



 管理人は、その人間の魂の色を見ることが出来る。

 その色は、人間の表面とは違って、あまりにも無垢で正直だ。

 そして、俺は前の彼に全てを見透かされていた。

 本来なら管理人同士は無理だが、今は可能だ。何故なら……



「ピアスと懐中時計。どうしたんだ?」


「捨てたよ」


「捨てた?」



 捨てたのに間違いはない。その言葉に、眠りネズミは諌めるように聞き返してきた。



「ピアスは捨てたよ。でも懐中時計は、銃で撃ち消した」


「なるほど……」



 漸く合点がいったという風に、前の彼は一度頷く。



「お前さんはもう、管理人でなくなったってわけか」


「残念ながら、な。

 弾が装鎮されることのない銃も、ただの玩具だ」



 腰のフォルダーに納められた、二丁の銃をチラリと見た。

 双方は対を成しているが、見た目もその能力も相反していた。

 漆黒の銃は粛正用、銀の銃は昇華用。



「そーか、じゃあ帽子屋でもなくなったわけだ」


「いや? 帽子屋はやらせてもらうぞ。管理人ではなくなったが、陛下から名前を取り消されたわけではないからな」


「あ~、そうだな」



 眠りネズミは何がおかしいのか、失笑しながらも酒を飲む手は休めない。



「お前は手先が器用なんだ。案外、良い帽子が作れるんじゃねーか?」


「そうだな。作ってみてもいいな。使ってない作業室もあるし」



 そう言えば、アリスが聞いてきたことがあったな。

 玄関のホールから左手の廊下に一つだけ開かない扉がある、と。

 あそこは一度も開けないだろうと思っていた、帽子製造の作業室として設けられた部屋だ。


 あの家を充てられてから、一度も開けていない。

 鍵をなくしていなければ、明日にでも入ってみよう。

 膝の上で熟睡しているアリスを見て、ふとそう思った。



「お前さんは、本当にアリスが大切なんだな」


「はぁ?」



 唐突に言われ、思わずそう返すが、そう言えばこの話題は「アリスのことどう思うんだ?」という始まりであったことを思い出した。

 眠りネズミもアリスも視界に入らない方向へと顔を向けて、観念していった。

 どうせ、管理人でなくなった俺は、コイツには敵わない。



「大切だよ。命をかけられるほどにな」


「随分と正直だな」



 はっきり言ってやると、反対に眠りネズミの狼狽えたような声色が、右耳に入って来る。



「嘘言っても、バレるんだから仕方ねーだろ?」


「お前さんのそういうこと好きだよ」


「気持ち悪い言い方するな」


「悪い悪い」



 妙に落ち着いた声で言われて、一瞬ドキリとしてしまったそんな心境も、コイツには丸見えなんだろう。

 ああ、落ちつかねぇ。


 心を見透かされてる、という点でも落ち着かないが、何かが心に引っかかってる感じだ。

 手に刺さったまま、棘がとれない時のようなもどかしさだ。


 沈黙が流れたリビングに、たまらずグラスを手に取るが、その動きは自分でも分かるくらい、不自然だった。

 それを知ってか知らずか、眠りネズミは欠伸を一つ、立ち上がるとアリスを差した。



「ちょいと、アリスを上に寝かしてこねぇか?」


「そーだな。今日が最後の晩餐かも知れねぇしな」



 冗談にもならない冗談を言って、俺はアリスを所謂、お姫様抱っこする。

 そんな 俺を見て、眠りネズミはそれを狙っていたかのように、ニヤニヤとした顔付きになった。



「白の騎士って、感じだねぇ」


「黙れ」



 ぴしゃり、と言いのけて、さっさと踵を返すと二階へと向かう。

 アリスを抱えた時、思ったより軽いことに驚いた。

 本当に眠っているのか疑っていたが、俺に抱えられて怒らないということは、本当に眠っているのだろう。

 綺麗な輪郭、それにかかる漆黒の髪は、透き通る雪のように白い肌の綺麗さを更に強調させている。

 骨が太いようだから、スタイルはとてもいい。

 手も足も綺麗に、まっすぐ伸びている。

 鎖骨も綺麗な一文字の形で、胸のふくらみは年相応なのだろう。


 ふと、そんなことを考えた自分の思考を慌ててかき消す。

 そんな頃にはアリスの部屋の前に到着していて、抱えたままそっと扉を開いた。





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