4・わが子の成長を喜ぶ二人
お爺さんとお婆さんが桃を食べて若返ってどれほど経ったでしょう。当時は里山にはお爺さんとお婆さんしかいませんでしたが、今では炭焼きギルドができ、周辺に多くの炭焼き達が窯を構えています。
お爺さんが炭焼きを教えてギルドを立ち上げたころは青年だった炭焼きも今ではお爺さんです。そして、炭焼きによって質の良い炭ができた事で農具を作るために鍛冶師に声をかけ、今では街道沿いに鍛冶屋町が出来るほどに大きくなりました。
鍛冶屋町が出来たことでこれまで以上に町が大きくなり、街道の宿場町だったものが今では大きな街へと生まれ変わっています。
若かった鍛冶師もお爺さんになり、炭を卸していた店は既に代替わりしてしまいました。
周りが大きく変わって、お爺さんとお婆さんは自分たちがあまり変わらないことに驚きましたが、やはり一番心配したのは、自分たちに子供が居ないことでした。
街が栄えてようやく一息付けた時、ようやくお爺さんとお婆さんは子宝に恵まれたのでした。
「いやぁ、これでこの街は大丈夫じゃろう。缶詰も出来た。魚も獣の肉も缶詰に出来た。汁の缶詰は思ったより具が溶けてしまったが食べやすいから良いじゃろう」
「そうですね。缶詰は一年は持ちますから干物や漬物よりたくさん蓄えておけますね。これで飢饉が来ても持ちこたえられます」
お爺さんとお婆さんは缶詰を手に喜んでいました。
「これで桃太郎には苦労を掛けずに済みそうじゃな」
お爺さんはお婆さんの隣で寝ている赤ん坊を見ながら言いました。
桃を食べて若返ったことで授かったことから名前を桃太郎と名付けたのでした。
桃太郎はすくすくと育っていきました。
「桃太郎は元気にそだっておるのお」
「はい、もう六つですよ、お爺さん」
桃太郎は病気をすることなく本当にすくすく育っていました。
「もう学校へ行く年じゃなぁ」
お爺さんとお婆さんは知恵の実を食べて様々なものが頭に浮かんできていました。炭焼きの事、農業の事、鍛冶の事。そんな中に学校というものもありました。
ただ、学校を作っても学びに来る子供はまばらでした。それは仕方がありません。お百姓や鍛冶師たちにとって子供は重要な働き手です。農業や鍛冶の事は親が教えることが出来るので学校へ行く必要はありません。
しかし、それでは子供は自分の親の仕事の事しかわからないのです。すでに街にはほかの仕事もたくさんあります。親の仕事を継げない子供たちも多くいるのですから、子供は他の仕事の事も知っておくことも重要になってきていました。
そこで、お爺さんとお婆さんは考えたのでした。
「婆さんや、子供を学校に行かせるにはやはり、機械化というのが必要かの?」
「そうですね、お爺さん。子供が働かなくても仕事が回るためには、機械が必要ですね」
そうしてお爺さんとお婆さんは色々な知恵を出し合いました。
まず、お百姓さんが仕事をしやすいように鍬ではなくて、牛や馬に引かせる犂を作ったり、唐箕や足踏み式脱穀機を作ったり、水車で臼を引いて米搗きが出来る様にしました。
鍛冶屋でもまずは水車で金鎚をふれる様に機械を作りました。
「機械を動かすには水車よりもやはり蒸気かのう」
「そうですね、鍛冶に使う石炭も見つかりましたから、蒸気機関を作ってもらうのもよいかも知れません」
こうして鍛冶師たちに知恵を伝えあれこれ苦労しながら蒸気機関を作り出したのでした。
その蒸気機関から、缶詰の機械も生まれ、圧力鍋も出来たのです。
そしてとうとう、桃太郎も学校へ通う年となったのです。
桃太郎はものすごく憶えの良い子供でした。様々な事を素早く学び一緒に学ぶ子供たちを束ねる様になっていったのです。
「本当に桃太郎は凄いの、ワシらが教えることを瞬く間に身に着けてしまう」
「本当にすごいですね。今では学校で生徒会長までやっていますから」
二人にとって、桃太郎が逞しく、賢く成長していく姿は二人にとって何よりの喜びでした。
めでたしめでたし。