1話:未知との遭遇
皆さんは異世界に何を求めますか。 私は、多くの人が居場所を求めるのだと思います。
いつも生きづらさを感じていた。
今いるこの場所が、自分の居場所だとは思えない、そんな場違い感を抱えて生きてきた。
ここから逃げ出したい、そんな想いがどこかにあったのだ。
思い返せば、いろいろなものから逃げてきた。
勝負事からも、何かの選択からも。
そんなオレへの周囲の評価は、マイペース、優柔不断、いい人。
そして、
そう言われながらも、ニコニコと笑って見せている、それがオレだ。
勝ちたい人に勝たせてあげた方が、良いに決まっているのだ。
オレは別に、ここで勝てずとも良いと思っているのだから。
ここがオレの居場所だと、思えていないのだから。
そんな日々を過ごしていたある秋の夕暮れ、
人通りの少ない小道の真ん中で、
沈みつつある夕日を背にしてたたずむ黒猫が、毛づくろいをしながら声をかけてきたのだ。
「やぁ、初めまして。 俺はお前を、迎えに来たんだ」
オレはそんな異常な光景を目の前にしながら、
人生で初とも言える、自主的な選択を、自然におこなっていた。
「どこでも良い。連れて行ってくれ」
初めて自主的におこなった選択が、
“逃げであった”ということは、皮肉としか言いようが無いのだけど。
◇◆◇
簡単な自己紹介をしようと思う。
勝負事は苦手だった。
負けたくはないけど、別に勝ちたいわけでもない。
だから、可能な限り勝負事は逃げの一手だ。
何かを決断することも、勝負事に似ている。
だから、決断することも苦手だ。
可能な限りは逃げの一手を打ち、不可避な場合は“無難”な選択をおこなってきた。
漠然としてしまったから、具体例をあげよう。
高校は弓道部でそれなりに真剣に過ごし、大学では合気道部に所属した。
分かるだろうか、どちらも人と競い合うスポーツではない。
弓道は言わずもがな、自分との戦いだ。
合気道をよく知らない人は違和感があるかもしれないが、基本的には殴り合う様なモノではない。
オリンピックに名前が上がらないと断言できる。 勝敗を付けるモノではないからだ。
大学は機械系の学部を選択し、そのままの流れでメカエンジニアとして就職。
メカを選んだのは、無難な選択として、食いっぱぐれない選択をしたためだ。
本当は自然や生物が好きだったりする。
そう。
消去法みたいな無難な選択をして来たのがオレだ。
そんな消極的な生き方をしていて楽しいだろうか。
そんな訳はない。
だけど、大きな不満があるわけでもない。
ただ、漠然とした生きづらさは感じていた。
ここはオレの居場所では無いのではないか。
そんな漠然とした場違い感を抱えてきたのがオレという人間だ。
◇◆◇
大きな高揚も不満も無く、いつも通りに勤務を終えた、そんなある秋の日。
定時退社できてまだ明るい帰り道を、夕飯に何を食べようか、などと考え事をしながら帰宅していた。
途中、車の通行量が多い交差点に差し掛かった。
今日も、荷物をめいっぱい積載したトラックを、視界の右端にとらえることができた。
近所で宅地開発が進んでいるらしく、最近では珍しいことではない。
信号は横断歩道側が赤。
つまり、トラックの通過が優先。スピードを落とさないのは一般的。
ただ、どうやら運転手はスマホを見ながら運転しているようだ。
危ないなぁと思いながら、いつも以上に車道とは距離を取る。
他にも信号待ちをしている人たちと共に、青信号になるのを待っていた。
と……。
正面向かいにある公園からボールが転がり出してきて、
さらには、ボールを追って少女が飛び出してくるのが見えた。
トラックの運転手は転がり出してきたボールに気付いていない。
完全に少女をはねてしまうタイミングだった。
「危ない!」
そう叫ぶのと同時、思わずオレは車道に飛び出していた。
ドガンッ!!!
普通のサラリーマンが、どうしたところで少女もろとも跳ね飛ばされる。
そんな悲劇が発生する、はずだった。
そんな光景を想像した、他の信号待ちの人たちは目を疑うことになっただろう。
オレは少女を左脇に抱えた状態で適度に腰を落としながら、
右手の五指を鉤状にトラックに突き立てて、堪え切って見せたのだから。
トラックのフロントはひしゃげ、運転席はエアバックが開いていた。
オレの足元には、アスファルトと擦れて削れ切ってしまったビジネスシューズ。
誰もひと声も発せずにいる夕焼けの中、トラックが発するプァーーというクラクションの音が、宅地開発が進行中の住宅街に響き渡っていた。
やってしまった。
オレはほとんど裸足と変わらない状態で、向かいの公園に少女を下ろした。
少女は、何が起こったのか分からないのであろう、まだ呆然としている。
公園の奥から、血相を変えた母親と、井戸端会議をしていたのであろう他の奥様方が走ってくるのが見えた。
オレは、だんだん騒然とし始める周囲から逃げる様に、人通りが少ない小道を選んで逃げ出した。
ほどなくして少し遠くから、母親と思われる声と、少女が泣き出す声が響いてくるのだった。
◇◆◇
自分が異常である、ということを自覚したのはいつからだっただろうか。
小学6年ごろ、妹をいじめた同級生を殴り飛ばした時かもしれない。
左頬にフック気味にねじ込んだ右こぶしは、上下で計3本の奥歯を割り砕いた。 頭を砲丸の様にしながら吹き飛んだソイツは、そのまま3メートルほど校庭を転がり、沈黙した。
それからオレは、自分自身を最も恐れた。
もともと勝負事が嫌いな平和主義だったオレは、怒ることが滅多に無かったのだ。
そんな中、初めて怒りを爆発させた結果は、自分が異常であることを意識させるものだった。
それがトドメとなって、勝負事から逃げるクセが決定的になったのだ。
高校で弓道を選んだのも、弓を使う限りは異常が顕在化することが無いだろうと思ったからだ。 大学で合気道を選んだのは、よく言われる“相手の力を利用する”を逆利用するためだった。 自分の力を顕在化させずに済むし、さらにはコントロールする助けになるのではないかと考えたからだ。
進路を決める際に、好きなことを選ばなかった理由も関係してくる。 好きなことを否定されたらどうだろうか。 怒るのでは無いか。 趣味なら隠しておけば良いが、仕事は隠せない。 同じ理由で、家族とも少し距離を空けた。 彼女を作ることにも抵抗があった。 何かに固執した時、オレはまたいつか、異常を表出させてしまうであろうから。
そこまでして気を付けていたのに、やってしまった。
不可抗力とはいえ、また同じ場面になったら同じことをするだろうとはいえ、
結局のところ、やってしまった。
とにかく、人通りの少ない方へ逃げながら、どうしようも無かった5分前を回想する。
「はぁ。 まいったなぁ。」
改めて、夕食何にしよう、などと現実逃避しながら、もうどこにいるのか分からない小道をとぼとぼと歩いていた。 靴がベロベロだ。 買い換えなきゃいけないな。 などとさらに現実逃避を加速させた。
そんなことをしていると、
夕日が沈み始め、薄暗くなりはじめた小道の真ん中に、黒猫がたたずんでいることに気付いた。 一瞬、その黄金の瞳と目が合ったかと思うと、黒猫は視線をそらして毛づくろいを始めた。 猫とはいえ、さすがに小道の真ん中に滞在されると通り抜けにくい。
半ば焼けっぱち気味に、左手に持っていたビジネスバックを肩に引っ掛けると、黒猫を正面にして停止した。
するとその黒猫は、オレが立ち止まるのを待っていたかの様に声を発したのだ。
もうすぐ日が沈みそうなたそがれ時、夕日を背にしながら、黒猫が話しかけてきたのだ。
「やぁ、初めまして。 俺はお前を、迎えに来たんだ」
黒猫の姿には不似合いな、とても男らしい声だった。
目の前で異常事態が発生していることは分かっていた。
それでもオレは、間髪入れずに、即答する。
「どこでも良い。連れて行ってくれ」
そこでやっと興味を持ったかのように、その黄色い瞳を向けてきた黒猫は、
「話が早くて助かる。だけど、何も聞かなくて、良いのか?」
と問いかけてきた。
「今のこの状況が、白昼夢であることの方がよほどこわいんだ。 迎えに来てくれるモノがいるのなら、それが何であれ、オレは連れて行ってもらいたい。 ここはたぶん、オレの居場所じゃあないから。 それに、君がしたい説明は、あとでしてくれるんだろう?」
少しおどけた様にオレが返すと、黒猫は納得したようだった。
「わかった。じゃあ目を閉じて。俺が良いと言うまで、目を開けるんじゃないぜ」
オレは黒猫から視線を外すことに一抹の不安を感じながらも、すぐに目を閉じた。
今起こっている異常事態が、現実であることを切に願いながら、
まぶたの裏に、夕日の紅さを感じながら、オレは何かが訪れるのを待った。
そして、目を閉じてから数瞬を待つことも無く、
まぶたの裏の明るさは一瞬で暗くなり、同時に、周囲を静寂が支配した。
秋を彩る虫の音も、
季節感の無い、遠く聞こえていた車の走行音も、
すべてを置き去りにして、周囲を静寂が支配した。
気にしてみれば、頬や腕を撫ぜていた肌寒い風すら感じられない。
そんな隔絶されたどこかにオレはひとり、立っていた。
静かな闇の中、少しだけ冷静になって、実家にいる家族のことを考えた。
突然の失踪をどう思われるだろうか。
父は、憮然としながら、冷静を装うだろう。
母は、泣いてしまうかもしれない。ごめん。
妹はどうだろうか。
最近できた彼氏と、前を向いて行ってくれれば、言うことは無い。
何かあったらその男を殴らねばならない、という決意を、完遂できないことが心残りか。
そう。
その程度だ。
冷静になってみても、決意は変わらない。
冷血漢め。
そう自嘲しているもう一人の自分を意識しながらも、
決意が変わらないことにホッとしている自分も、そこにはいた。
ほどなくして、声が聞こえてきた。
先ほどの黒猫とは異なる声だ。
その声は、性別も年齢も判然としない声だった。
ついさっき、黒猫がしゃべるところを目の当たりにしたばかりでは、
どんな存在が声を発しているのか、気にならないと言えば嘘になる。
だけど、目は開かない。
黒猫が良いというまで、オレは目を開かない。
何がきっかけで、この状況が夢と終わるか分かったものではないからだ。
「良い心がけです。 そのまま閉じていなさい。 ありきたりな様ですが、私は神と呼ばれる存在です。 本来貴方は、ここではない世界に生まれるはずでした。 今までは貴方を探す手立てがなく、ここまで遅くなってしまいました。 つい先ほど、貴方が行使した力はこちらの世界ではイレギュラーなモノです。 そのため、結果的に貴方という存在を感知することができました」
…ということは、もっと早く使っていれば、もっと早く迎えが来たということか。
それは、少しどころではなく、とても損をしてしまった。
「なるほど。わかりました。 それでは転移時には少し若くなるよう計らいましょう。」
心の声を読める存在…。
さすがは自称神…。 おっと、これも読まれるか。
「まぁ良いでしょう。 勝手に心を読んだ私にも非があります。 声に出して話して構いません。 私に聞かせたいことだけ声にしなさい」
「お心遣いありがとうございます。わかりました」
「これから、本来あなたが生まれるはずだった世界に送り出します。 剣と魔法が世界を支配する、貴方がたが中世と呼ぶ文明とレベルが近い世界です。 魔物も存在し、この世界とは比べ物にならないほど危険です。 そんな世界に、貴方は常識を知らず、魔法の使い方も知らないままに送り出されることになります。 せめてもの罪滅ぼしに、何かひとつ、特別な武器を授けましょう。 希望はありますか?」
「でしたら、損傷することが無い、強靭な弓を下さい。和弓を希望します。」
「良いでしょう、分かりました。 ですが、“損傷することが無い”という条件は許可できません。 代わりに“貴方の血を媒体に修復が可能な、強靭な和弓”でいかがですか」
「そうですか、残念です。 でしたら代わりに、弓懸もいただけませんか?和弓と合うモノが現地にあるか不安です」
弓懸とは、左手の弓と対となる、右手に付ける、弓を引く時に使うプロテクターのようなものだ。
「いいでしょう」
「わがまま言ってすみません。有難うございます」
そうしてオレは、異世界への転生をすることになったのだった。