2話:新天地
気付くと、まぶたの裏が明るくなっていた。
先ほどとは違う場所に転移したということだろう。
聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「もう目を開けてもいいぞ」
素直に目を開けた先には、先ほどより少し大柄になった黒猫がいた。
先ほどとは違い、長い尻尾は二股に分かれ二本生えている。
気取った羽根つき帽子を目深にかぶり、チョッキにブーツ、手にもグラブを付けている。
背には、上背とほぼ同じ丈の、かなり幅が広い直刀を背負っている様だ。
周囲は何もない、真っ白な空間。
目につくモノは黒猫しかいない。
ゆらゆらと揺れる、二本の尻尾を目で追っていると、黒猫から話しかけてくる。
「猫又ではないからな。 獣人の古代種のひとつ。 エルダーキャットピープルだ。 この世界ではクロードと名乗っている。 よろしく」
「よろしく、クロード。 クロで良いよね。 オレの名前は……あれ? 思い出せない」
自分の名前を思い出せないというのは、なかなかに焦る状況だ。
そんなオレを前に、クロは落ち着き払っている。 さも、当然の様に。
「クロか……。少し複雑な気分だがまぁいいだろう。 それより、ひとまず深呼吸して落ち着くんだ。 名前を思い出せないのは不自然なことじゃない。 世界の調整力が働いているだけだ。 何にしても、向こうに行く前に簡単な説明を始めるぞ。」
「世界の調整力?」
「そうだ。 お前は本来、あの世界には居ないはずだったんだ。 だから、居なかった者の名前は無くなる。 ショックかもしれないが、他の人からも記憶や記録から徐々に消えて行くだろう。 その証拠に、もう、自分の顔ですら思い出せないはずだ」
そう言われてみて、自分の姿を思い出してみる。
思い……出せない。
大学の部活で撮った集合写真を思い出してみても、自分の顔だけは思い出せない。
「確かに思い出せない……。 だけど、家族や友人の名前や顔は思い出せるし、職場のことも、向こうの世界のことも思い出せるよ」
「それは、そこにあるべきモノだからだよ」
「なるほど。 じゃあ、これが正常なんだね……。 不思議な気持ちだよ、自分のことだけを思い出せないなんて……。 だけど、これで良かったのかもしれない。 これなら、オレが向こうに居た事実自体が無くなるのなら、母さん達は悲しまずに済むわけだしね」
そこに寂しさがないといえば噓になる。 だけど、納得するチャンスさえなかった、残してきた面々の寂しさを想えば、どうということは無いと思えた。
ただ、調整力とやらに関して、今の内に確認しておいた方が良いことがある。
「そうなると、こちらの世界に対してのオレって存在は、どうなるの」
「さすがにこちらに居たことにはならないが、様々なことに調整力が働く。 例をあげると、こちらの言語や文字に頭脳が準拠するようになる、容姿がこちらで生まれていた場合に寄せられる、能力も少しずつこちらに馴染んでいくだろう」
「なるほど」
よくよく気にしてみると、服装や所持品もこちらの物らしきモノに変わっている。
ビジネスバックは荷袋になっているし、服装も旅人の服風だ。 そして、新たな所持品として、赤い色をした和弓を左手に持ち、右手には赤い弓懸を付けていた。
「早めに様々なことの経験を積むことをお勧めするよ。 少なくとも数年は、こっちに居たはずの十数年を埋めるように習得速度に調整力が働く。 お前がこの世界で育ったら、何を真っ先に身につけたか、そんなことを考えながら何を習得するか決めれば良い。 そして俺は、その数年をサポートするためにしばらく同行するのが役割だ。 遠慮は不要だからな。」
「そっか。 数年の間にクロを活用して、こっちで自立出来る様になれば良い訳だね」
……にしても十数年? ああ、これが神様が言っていた少し若くして送るって意味か。
「それにしても、さすがにサポートが厚過ぎる気がするんだけど、何か理由でもあるの? ずっと異世界に憧れていたから、ファンタジー系の創作物はいろいろと読んだり見たりしたけど、……テンプレからすると何か理由がありそうなんだよね」
「うっ」
「あるんだね?」
「……。 仕方ない。 実はあるんだ。 向こうの世界には、お前の魂の受け皿になれる生命が人間しかいなかったから、人間としてお前は生まれたんだが……、こっちで生まれていたとしたら人間には生まれなかったはずなんだ」
「へぇ……。 ちなみに、何になるはずだったの?」
「鬼人族だな。 細かいことまでは訊いていないが、おそらくレッドオーガだ。 髪が赤くなりはじめている」
髪を数本抜いて確認してみると、周囲のキューティクルがパリパリと剥がれ落ちる様にして、中心部から赤い髪色が見て取れた。
額に触ってみる。 一応、頭頂部や後頭部までひとなで、ふたなで。角は無い様だ。
人差し指を口に入れてみる。 何となく記憶しているより、八重歯である牙が、すこし鋭くなっているような気がした。 髪以外にも、人間を逸脱しない範囲で鬼化をしている、ということだろうか。
「オレは、鬼人族にこれからなるの?」
おそるおそる訊いてみる。
「いや、ならない。 ……はずだ。と聞いている。 が、正直どう転ぶか分からない」
「なるほど。 いろんなことが未知数だから、罪滅ぼしも兼ねて特別扱いって感じなのか」
「すまない」
「いや、大丈夫、構わないよ。 さすがに人間として生きてきたのに、急にオーガになるのはちょっと抵抗があったんだ。 教えてくれてありがとう。 念のため、可能性のことだけは心にとめておくよ。 ところで……名前どうしよっか」
そう言って苦笑してしまうのだった。
◇◆◇
しばらく悩んだ後、名前はコウガと名乗ることにした。
紅牙と書いてコウガ。 赤の意味を含めるのと、伸びてきた牙、そして音をオーガに似せてみたのだ。
厨二病くさいって? 良いんだよ。 ファンタジー好きなめんな。
そういえば、だいぶ精神年齢が若くなった気がする。 体が若返ったことで、調整力による補正がかかっているのだろうか。 それとも、居るべきではない世界から出たことで心境の変化があったのだろうか。
「さて、そろそろチュートリアルは終わりにしよう。 ここは狭間の世界に作り出した異空間なんだ。 俺たちがいるべき世界に扉を開くよ」
比較的情勢が安定している地域に再転移するとクロード。
「じゃあ3秒だけ目を閉じて。 ワン、ツー、スリー!」
◇◆◇
転移したのは、森の中にぽっかりと空いた、丘の様な場所だった。 周囲に人影は無い。
わざわざそういう場所をクロが選んだんだろう。
深呼吸をする。
先ほどの様に、何も感じない様な空間ではない。
草と土と、かすかな花の香り。
薄暗い世界に光が満ち始める。
朝日だ。
なんて美しい。
青い空は奥の方まで透き通っていて、当然の様に高いビルなども存在しない。
空気を胸いっぱいに吸い込んで、これほどすがすがしい気持ちになったのはどれくらいぶりだろうか。
もしかしたら、初めてかもしれない。
しばらくの間オレは、新鮮な自然の空気と、美しい日の光を、全身で味わったのだった。
◇◆◇
クロに案内されながら、最寄りの街道に出ることになった。
森の中を通り抜けるとはいえ、まだ森の浅い箇所であるらしく、木漏れ日は十分にあってとても明るい。 とてものどかだった。
だけど、街道が近づくに連れて雲行きが怪しくなった。
まだ見えぬ、街道があるという方向から鳥が一斉に飛び立ったのだ。
同じ方向から喧噪も聞こえる。
人の声や、武器を打ち合わせる音。
こんな場所ではトラブルしか考えられない。
クロは、シッと人差し指を立てると、聞き耳を立てている様だ。
聞こえてくる内容を吟味した後、クロは言う。
「おそらく、商人か貴族が、積み荷を巡って、盗賊の襲撃を受けている。
盗賊もバカじゃない。 襲ったということは、勝てる見込みが高いからだ。
さぁコウガ、どうする? 思っていたよりもずっと早かったけど、お前の最初の選択を聞かせてくれ。オレはお前の意思を尊重する」
さぁどうする?と黄金の瞳が尋ねかけてくる。
その瞳は、これ以上の情報は与えないと言っているかのようだ。
そう、ここは生命の危険がほとんどなかった日本とは違う。
そのことがジワジワと、実感として胸に落ちてきた。
オレの最初の第一歩。
意識して力強く踏み出してみる。
ベロベロの靴が、森の腐葉土に少し深く沈み込む。
日本に居たときとはちがう。
自分が思い切り力を出しても、及ばないかもしれない世界。
だけど、
だからこそ、
久しぶりに自分の衝動に従って動いてみる。
ボールを追って来た少女を助けた時とは違う。
あの時はなりゆきだった。
今度は違う。
意識して選択する。
能動的に動いてみよう!
「クロ! 助ける! 手伝って!」
そう力強く伝えると、一気に2歩目を踏み切った。
ほとんど裸足と変わらない状態で、落ち葉や腐葉土を巻き上げて疾駆する。
「承知」
短く応える声は後方。
だが次の瞬間には、自分と並行するように揺らぐ藪が視界の端に見えた。
明るい光。
街道に出る!
オレはいま、細かいことは考えちゃいない。
衝動そのままに己の力を開放する。
目の前には荷馬車を囲む多数の人影。
商人に違いない、背後には子供をかばっている。
見捨てなくて良かった!
冒険者らしき4人が商人をかばうように戦い、商人もショートボウを構えている。
対して、盗賊は10名近く。
なるほど、まともにつぶし合うことになれば数は倍。勝ち目は少ない。
「助太刀する!」
「頼む!」 商人と思われる男が即答する。
盗賊たちの半数が、一斉にオレの方を向いた。
複数の殺気。
背筋がぞくぞくする。
だけど、不思議だ。
荒事が目の前にあると言うのに、それほど大きな恐怖は感じない。
いける!
弓に矢を……。
矢が、無いじゃあないか!
そもそも、弦も張っていない。
そこで思い出す。 この弓は強靭なのだ。
突貫!
物理で殴る!!
あと数歩で盗賊の先頭と接触というところで、盗賊たちの背後側の藪から黒い影。
クロだ。
背後に背負った幅広の大剣を、剣の腹をぶつけるように一閃。
どがぁあぁん!
三人が体をくの字に折って吹っ飛んだ。
いくら大剣の重量があるとはいえ、体躯の大きさと、不釣り合いなすさまじい威力。
急に背後で起こった撃音に、オレに向かっていた盗賊たちが一斉に振り返る。
一部始終を確認していたオレには視えていた。
クロは3人を吹き飛ばすと、身をいっそう低くして近くの盗賊の足元をすり抜けると、荷馬車の下に滑り込んだ。
死角を突く動きに、誰一人としてついて行けていない。
そしてオレは、オレに向かって背を向けた盗賊の後頭部を、全体重を乗せた弓で降り抜いた。
ドゴス!
にぶい音を響かせて、顔面から地面に崩れ落ちた。
2人目はすぐにオレに目を向けると、曲刀を振り上げる。
振りが大きすぎる、いける!
振りぬいた弓にさらに体重をのせ、もう一回転、狙うは曲刀を握った腕のひじ。
みしり。
肘があり得ない方向に曲がるのが見えた。
「ぎゃああああああ」
その叫びで、この戦闘は終了した。
人数は拮抗し、背後から強襲して来た何者かの存在も見失っている。
そんな状態で、盗賊が戦闘を続けるはずが無かった。
そそくさと動けない者を回収すると、森の中に撤退して行った。
追っても良かったが、矢がない現状では追い打ちはしづらい。
それになにより、盗賊の討伐がオレたちの目標ではなかったのだ。




