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正統たる世継ぎ

 従弟の娘であるストリアータは王太子の婚約者だった。王太子ロベルトは兄の唯一の子でヴァンにとっては甥に当たる。

 ヴァンと兄の仲は悪くない。だがロベルトは王族でありながら騎士となり戦場へ赴くヴァンを野蛮な輩だと毛嫌いしていた。

 ただその一方でヴァンはストリアータと仲が良かった。公爵である父に連れられて彼女はよく城に訪れており、何かと関わる事が多かった。

 ストリアータはロベルトと同じく大人しい性格であったがヴァンに非常に懐いた。そんな彼女をヴァンもまた実の娘のように可愛がっていた。


 ヴァンには妻子がいなかった。王弟である彼に結婚を打診してくるものは少なくなかったが、だからこそ彼は独身を貫いている。

 ロベルトが生まれてすぐ兄は病で子が望めない体になってしまった。今の王家にはロベルト一人しか世継ぎが居ないのだ。

 そんな状況に直系である自分が男児を作れば国を荒らす原因になりかねない。故に彼はそれを望まず、王家を護る剣である事を選んだ。

 幼いストリアータに『王になる気は無いのか』と尋ねられた時も否定と共に彼はそう語った。それに彼女は微笑んで告げた。


「ならば私は盾になります」


 ストリアータの宣言は叶うものだった。彼女が次期の王妃に選ばれたのはまさしく彼女が王家の盾となる存在だったからだ。

 彼女の生家である公爵家はこの国で強大な勢力を持っていた上、母は隣国から嫁いできた王族の血を継いでいる。

 故にストリアータが王家に入れば、国内外共に安定させる事ができるのだ。それは方法は違えど、ヴァンと同じく国を守る事に繋がる。


 よって彼女が王家に嫁ぐのは決定事項だったと言って良い。だが貴族の常とは言え、生まれた時から相手を決められていた彼女をヴァンは心配していた。

 だが聞くにストリアータは王妃となる事を望んでいる、愛する者の傍に居られると喜んでいた。王太子も満更ではないようだった。

 いずれにせよ結ばれるとはいっても互いの合意があるにこした事は無い。ヴァンは二人の婚姻の日が来るのを心待ちにしていた。



 ストリアータは子供の頃より次期王妃として厳しく育てられ、成人が近づく頃にはその期待に応えた娘となっていた。

 年を重ねる程にヴァンは彼女に距離を置かれ、ここ数年は遠目で見るばかりで一言も交わしていない。それでも噂が彼女の全てをヴァンに知らせていた。

 幼少のみぎりから可愛らしい娘だったが、その美貌は増しに増して女神もかくやと騒がれる程。夜会で彼女の話題があがらぬ日は無かった。

 美貌に、地位に、果ては様々な才に恵まれていたストリアータ。全てを得ながら驕るどころか努力を怠らず今も尚高みを目指す彼女を誰もが慕った。

 そんな彼女が王妃となる事は当然の結果で、揺らぐ事の無い事実である。

 あとはストリアータの成人を待つばかり。だがそんな彼女をあざ笑うかのように王太子は愚行を繰り返していた。


「トリー」


 ヴァンが口にしたのは呼びなれたそれではなく、長くかけていなかった愛称だった。王弟の登場に彼女の取り巻き達が密かに散っていく。

 先程までいた取り巻きの少女達は揃って、唇を強く噛みしめて拳を握り込んでいた。手袋が無ければ、爪が肉にめり込んでいた頃だろう。

 彼女達はストリアータの為に激昂していた。それほどまでに慕われる彼女を見て、ヴァンはいっそう陰鬱な気持ちになった。


「おじさま」


 本来ならばその娘は壁の花になどならない立場である。今も多くの者が彼女へのエスコートを望んでいたが、事情が事情が為に誰もが手を伸ばせずにいた。

 おそらく今この場で彼女を相手できるのは自分ぐらいだろう。避けられている事はわかっていながらもヴァンは話しかけずにはいられなかった。

 久しく口にしていなかった愛称に娘の小さな肩が震える、振り向いた氷色の瞳が写すのは驚愕だった。逃げられなかった事に安堵する。

 彼女はいつもと同じ笑みを浮かべていたが、あれは作り笑いだったのだろう。現に自分が話しかけた今それが揺らいでいた。


「ご無沙汰しております」

「……ああ」


 いったいアイツは何を考えているのだ。愚痴っぽく吐き捨てそうになった言葉をぐっと飲み込む。わかっていても並々ならぬ嫌悪を腹にため込むのは気分が悪い。

 けれどストリアータが婚約者を愛している事を知っているからこそ口に出すわけにはいかなかった。その心境を知ってか知らずか、ストリアータは緩く微笑む。

 その視線は会場の中央部に向けられていた。ちょうどそこには楽しげにステップを踏む男女が居る。男は彼女の婚約者である王太子だった。

 ヴァンはストリアータの諦めと羨望が含まれた眼差しを見て、苛立たせる二人の方を睨め付ける。そこにいるべき娘は、お前が愛を語るべき者は。


 王太子の女遊びが始まったのは三年前。彼は毎日のように夜会を歩き回り、数多の女達と関係を交わしている。

 最初はここまで酷くなく、次第に落ち着くだろうと周囲は黙認していた。ただヴァンだけは当初から幾度も諫めてきていた。

 だが彼の努力も空しく年々悪化する一方、皆が危機感を持ち始めた頃にはもう遅かった。彼の悪癖は広まりきってしまっている。

 どうしてロベルトは、この刺々しい視線に、いたる場所からあがる嘲笑に気付かないのか。今宵の処遇で更に良からぬ方向へと進む事だろう。


 こんなにも彼女を蔑ろにしておきながらロベルトはストリアータとの婚姻を望んでいる。ヴァンには理解できなかった。

 愛しているというならば何故他の女に入れ込むのか。そう考えているのはヴァンだけでは無い。今や二人の婚姻を疑問視する声の方が大きい。

 ロベルトの行いは目に余る。それでも二人の婚姻が解けないのは他でもないストリアータが彼の行いを許しているからだ。

 もしストリアータが一筋でも涙を流せば、たちまちこの婚姻は即座に破棄された事だろう。だが彼女はストリアータは何でもないように呟いた。


「仕方のない事です、私が殿下のお心をつなぎ止められなかったのですから」


 その言葉は慰めようとしたヴァンを遮る。ここまで蔑ろにされても尚、決して王太子を責めない彼女に黙り込むしか無かった。



「申し訳ありません、私が至らないあまり……」

「私の方こそすまない、何の力にもなれなかった」


 夜会の一件から王太子に対する反感が更に強まっていく。だが王の子供はロベルトしかいない。しかも王の病が悪化し長くないと判断された為、早々にストリアータとの婚姻を行なう必要がある。

 着々と準備が進められていき、結婚間近となったその時、今までは次々と女を入れ替えていたロベルトが一人の娘に入れ込んだ。

 これにはさすがにストリアータも見逃せなかったのだろう。ついに彼女がロベルトに諌言した。けれど彼は聞き入れなかったという。

 その件を耳にしたヴァンもまたロベルトを戒めたが、ストリアータですら従わなかったのだ。当然ながら彼の意見は完全に無視されてしまった。


 それから後日、城内を歩いていたところ、ストリアータからヴァンは声をかけられ、そして最初の謝罪に繋がった。

 お互い自分が悪いと譲らず、何度も謝り合う内におかしくなってきたのだろう。気付けば二人は笑い合っていた。

 昔のようだと懐かしんだヴァンは目を細める。気付けば幼い少女を扱うかのよう、自然とその頭に手を伸ばしていた。


 そこで彼は気付いてしまった。ただ撫でられる事を喜んでいた少女はもういないのだと、彼女の瞳が語ってくる。

 透き通った湖のような色のそこには戸惑いが浮かぶ。胸元で何かを耐えるように彼女は拳を握っていた。それは拒絶だったのか。

 ヴァンとて淑女に行なう動作では無い事をわかっていた。彼女はロベルトの婚約者、未来の王妃ストリアータ。対して自分は一介の騎士。

 だから本当は触れる事すら許されない。だというのにヴァンはその手を離せなかった。その感情が収まらぬまま彼は尋ねてしまっていた。


「君はここまでの仕打ちにあってもまだ王妃になりたいのか?」

「……愛するお方の傍にいる為にはそれしか方法が無いのです」


 わかりきった答えだった。ロベルトへの愛が全てを許容させ、そして今のストリアータが作りだした事など。理解はしたがヴァンは納得できなかった。

 その理由をヴァン自身もわからずにいる。だがおそらくはロベルトの度重なる愚行のせいだと彼は無理矢理片付けた。これ以上、追い求めてはいけない。

 彼は知りつつあった、密やかに己の中で育ち始めた感情を。だからこそ彼は理性でそれを奥底へと閉じ込めて、ストリアータから手を離した。


「……君がどんなに尽くしても顧みられる事は無い」

「わかっております。私が身勝手にも心を寄せてるだけです、報われずとも構いません……ただお傍に居る事だけが、その為ならば私は」


 瞬間、初めてヴァンはストリアータの瞳の奥に囂々と燃え上がる熱情を見た。恋などという言葉では収めきれない、おぞましい欲の塊を。

 思わず目を疑う。これほどのものが今まで笑みだけで隠されていたなどヴァンは到底信じられなかった。今まで見てきた彼女の全てが覆る。

 なのに狂気じみたそれはどこまでもひたむきで美しい。恐怖では無い何かにぞくりと背が震える。


「どうなってもかまわない、この想いが報われずとも」


 その消え入りそうな呟きが彼女の本心だったのだろう。あれほどの激情を彼女は何があろうと押さえ込むつもりなのだ。その証拠にたった一つの笑みで彼女は奥底へと隠してしまった。

 そうやってこれからも彼女は一人で戦うのだろうか。ささやかな望みだけを頼りに愛を貫くのか。わかりきっていたのに気付けばヴァンは尋ねていた。


「……何があろうとお慕いしております」


 再び彼女の蒼眼に昏いものが宿る。ヴァンはこの感情を一心にぶつけられる想い人を思わず羨み恨まずにはいられなかった。



 この国では寵姫が歓迎されない。かつての王が正妃以外の女にうつつを抜かした結果、二度も大きく国が傾いた歴史があるからだ。

 どうにか次の王達が名君だったおかげで立て直したが、それらはたまたま幸運だっただけ。そんな毎回都合良く行くはずが無い。

 そしてもう一つ、かの名君達は一途だった。そういった経緯からこの国の王は実質一夫一妻制となっている、これは王侯貴族の間では暗黙の了解だった。

 だからロベルトは蔑まれる。かつての暗君達と同じ道を進もうとする彼を見限っていない者などもはや存在していなかった。


 そして過ちの代償がとうとう訪れた。ロベルトの入れ込んでいた娘が懐妊したのだ。平民、もしくは自国の王侯貴族ならば対処もできただろう。

 だがその娘はお忍びで尋ねてきていた南の国の王女、しかも王が溺愛していた深窓の姫君だった。戦になるかと思われたその時、事態は思わぬ方向へ転んだ。

 ロベルトを婿として寄越すならば不問にする、それどころか和平を結んでも構わないと先方から申し出があったのだ。娘はそれほどにロベルトへ惚れ込んでいた。

 だから父親にロベルトが悪くならないよう持ちかけたらしい。その申し出はこの国にとってかつてない好機だったといい。


 南の国とは古くに不可侵と定められて今日まで国交が結べなかったのだ。南の国は貴重な鉱物の産地である、友好関係を結んで得はあっても損は無い。

 それに今回の一件は全てこちらに非がある。本来ならば即座に戦争となっても可笑しくない外交問題が穏便に片付くのだ。

 もう一つ付け加えるならロベルトを引き取られるのも好ましかった。ロベルトの評判は地へ落ちている、前述の通り王も完全に見限っていたのだ。


 問題となるとすればストリアータと新たな世継ぎだろう。だがそれは大した問題にはならないと王は判断していた。

 ロベルトを王女と結婚させるというのは言わば一方的な婚約破棄だ。普通なら公爵家との亀裂は免れない。けれど彼らは王族に娘を嫁がせたいだけ。

 ならば代わりを用意すれば良い。王の子供はロベルトしかいなかった。だが正統なる世継ぎは彼だけでは無い。王として育てられた者はもう一人。

 王たる者と共に学び、平和を望んだ故に王座を己に譲り、王の剣として傍で支え続けた、王の血統を継ぐ男がいる。王は新たな王の為、冠を下ろした。



「お、じさま……?」


 その日、ヴァンは公爵家を訪ねていた。父に呼ばれていたストリアータは思わぬ来客に酷く狼狽していた。ヴァンの存在もあるだろう。

 だがそれ以上に彼女が動揺した理由はヴァンの服装にあった。その日の彼はいつもの騎士団の制服を纏わず、剣も携えていなかった。

 そこでようやくストリアータは伏せられていた全てを知らされたのだ。ロベルトの結婚、嫡廃、新たな王の即位、そして。


「ヴァン・ライル・アントネラの名において命ず」


 淡々と告げられる、残酷な決定事項にストリアータは青ざめる。どうして、そのか細い声を聞かぬようにしてヴァンは伏せていた目を彼女に合わせた。

 自嘲からヴァンの口端がつり上がる。自分は彼女に幸せになって欲しいと願ってた。それを今から自らの手でたたき壊すのだ。やるせなかった。

 けれど奥底に埋めた昏い想いが再び浮き上がっているのもまた事実。かたかたと少女の華奢な体が震えている、けれど彼の唇が止まる事は無かった。


「新たな王妃となれ……ストリアータ・ダルガ・ラヴィーニア」


 これは王命だ。その一言にストリアータはその場に泣き崩れた。




 その後、王妃となった彼女はヴァンとの間に三人の王子を設ける。そして病により二十八才の若さでこの世を去った。

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