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憂う幼き魂の残り香(後)

 新たな槍を背負い、店を閉める市の人々を横目にルーツィエ達が待っている路地裏を目指して歩く。ふと周りを見ると、一人の女性が幼い子供と共に大量の食材が入った籠を抱えて市を後にしようとするのが目についた。


「お母さん、今日はこれで足りるの?」


 母親と思しき女性は、娘らしき子供からの問いかけに笑顔で答える。


「そうよ。魔物を生み出す元凶を倒しに行く人たちが、この街から旅立った後だからこれで良いの。宿の人達のためにも早く帰って料理を作らないと」


 どうやらこの親子は宿を営む家族のようだ。


「すみません、オレ達宿を探してるんですけど……」


「危ない!」


 二人に声をかけた瞬間、ユーリが突然オレの腕を後ろに引っ張った。驚いて彼の顔を見た直後、後ろから少女の悲鳴が聞こえた。


「お母さん!後ろ!」


 振り返ると何本も触手のような腕の生えた巨大な魔物が出現していた。逃げようとした母親が石畳に躓いて食材が散らばる。


「アニ!逃げて!」


「お母さん!」


 オレは二人の前に飛び出して魔物の攻撃を槍で受け流した。ユーリも剣を抜いて戦闘に加わる。


「二人は逃げろ!オレ達が時間を稼ぐ!」


 二人で親子を庇いながら戦う。だが様子がおかしい。母親の方が足をくじいたのか動けずにいる。そして娘の方も母親に寄り添ったまま動こうとしない。オレ達も続く戦闘で二人に声をかける余裕がない。しかも大きいばかりではない。腕の数が多いせいで相手の手数が多く、それぞれの力も強く硬すぎる。


「ユーリ、ここはオレに任せろ。……硬い奴を力任せにぶち抜くのはオレの役目だ!」


「ならば、俺は触手を相手にする」


 力の限り槍を振るい、その身体を貫く。ユーリはそれぞれの触手を斬り落としにかかる。だが、残った触手の一部が親子めがけて振るわれていた。気づいたユーリが駆け出すが間に合わず、親子は魔物の触手に捕らわれる。その瞬間、ユーリがオレに向けて叫んだ。


「ニック、後は頼む!」


「時間制御・自己加速!」


 だがユーリの体力はもう限界なのだろう。後は頼む、その言葉の意味は二人を助けるからこの魔物を一人で葬ってくれということだ。周囲の危機を無視してただこの化け物に集中すれば今のオレならこいつを倒すことができるだろう。オレは襲い来る化け物の触手を薙ぎ払い、胴体に向けて力任せに突きを繰り出す。どうか彼の時間制御が二人を助けてこの場から離脱するまで持ちますようにと祈りながら、周囲には目もくれずにただ魔物と戦う修羅と化す。


 ようやく魔物が黒い霧と化す。何か生温かいものに気が付いてオレは自身の身体を見る。オレの身体は血塗れになっていた。一体何故か、と思い周囲を見渡す。先程の母親が着ていた服の残骸。そしてすぐ傍に、アニと呼ばれていた少女を庇うように抱きかかえながら倒れているユーリ。彼の背中には刺し傷があった。手早く傷の深さを確認し止血を行う。幸いにも傷は深くないようだった。だがその間、少女はずっと血に濡れた母親の服に縋りついて泣いていた。


「お母さん……お母さぁぁん!」


 少女の声が昔の記憶を呼び覚ます。魔物の襲撃。オレを庇って目の前で命を落とした母さん。同じような光景を、目の前で体験したこのアニという名の少女。


「ごめんな、君のお母さんを守れなくて」


 オレは少女に謝る。それでも、謝った所で彼女の母親が戻ってくるわけではないというのは痛いほどに理解できる。またあの時の自分のように、目の前で大切な人を失った人間が、一人増えた。


 気がつけばオレの目からも涙が流れ落ちていた。その時、不意に後ろから声をかけられた。少女が顔を上げて声の主の方へ向かう。驚いて振り向くと後ろに涙を浮かべた男が立っていた。


「君達がアニを助けてくれたんだね?……妻は助からなかったみたいだが」


「お父さん……お母さんが……!」


泣きじゃくる娘を優しく抱き上げると、男は改めてこちらに向き直りありがとうございます、と言ってきた。


「こちらこそ……守れなくて、ごめんなさい」


「仕方ない事だ。兵士達は先程のイェレミース軍の攻撃のせいで一度会議の為に城に戻って手薄になっていたのだと思うよ。それより、君のご友人の傷は大丈夫かい」


 男は倒れているユーリの方を見て言った。オレは男に問う。


「宿の方なんですよね。こんな時にという気はしますが、オレ達は旅をしていて宿を探していたんです。治療魔法を持つ仲間がいるので、一晩泊めていただけませんか」


「分かりました。この街の宿はいずれも場所が分かり辛いと言われますから、手負いの仲間と共に他の宿を探せというのは酷なもの。何より、あなた方はこの子の命の恩人ですから構いませんよ」


 宿の主人、ロイ・リットナーは母子が持っていた荷物を可能な限り集めて抱えると、ユーリを背負ったオレを宿に案内してくれた。途中でこちらの異変に気がついて出てきたのだろうか、路地裏から広場に向けて歩いてきていたルーツィエ達と合流してから宿の部屋に入った。


 ユーリをベッドに寝かせると、すぐにミカエラが治療魔法をかけ始めた。だが消耗が激しいせいかなかなか目を覚ます気配もない。その間、オレは三人に先程のイェレミースの騎士や謎の少年、そして魔物の襲撃について説明した。ルーツィエは宿屋の母子が襲われた時の話を聞いて料理の手伝いをしに行くと言って厨房に向かった。マティアスは部屋の隅で何かを考えているのか、無言でこちらを見ているだけだった。暫くの間沈黙が続く。


「ねえ、お兄さんは目が覚めたの?」


 突然扉の方から子供の声が聞こえた。振り返るとアニが扉の隙間からこちらを覗き込んでいた。オレがまだだ、と答えると、アニは部屋に入ってきて心配そうにユーリの様子を見つめる。その瞳には涙が浮かんでいた。


「どうしたんだい?」


「優しい人は早く死んじゃうって、おじいちゃんから聞いたことがあるの。だから、お母さんも、お兄さんも……!」


 少女は大きな声を上げて泣き始めた。ユーリを休ませるためにもアニを外に連れ出そうとすると、ベッドから伸ばされた細い腕が彼女の頭を優しく撫でた。


「俺はこんなところで死ねない。心配はいらないよ」


ユーリが目を覚まし、小さな声で語り掛けていた。


「まだ体の消耗が激しいわ。寝ていて」


 だがミカエラの制止を無視してユーリは体を起こし、飛びついてくるアニの身体を優しく受け止めた。


「君のお母さんを助ける事ができなくて、本当にすまない」


 オレにはユーリが起きているのさえ辛そうに見えた。だがそれにも構わずそのまま泣き続ける彼女の身体を支え、その背を優しく撫でていた。アニがようやく泣き止んだ頃、ロイさんが彼女を探して部屋にやってきた。


「アニ、勝手にお客様の部屋に入ってはいけないと言ったでしょう!」


「だって心配だったんだもん!私が産まれる前に、おじいちゃんがイェレミースに住んでた頃の話。だからお兄さんが死んじゃうと思って心配だったの!」


 気のせいだろうか、その言葉に一瞬ユーリが動揺したように見えた。オレはそっとアニにどんなことがあったのか、と尋ねてみた。


「お父さんとおじいちゃんね、昔はイェレミースで暮らしてたけど、王様が税金としてお金を全部持って行っちゃっていたんだって。それで、もうこんなところはいやだ!って、クレヴィングまで逃げようとしたの。でも、逃げるのに必要なお金が無くて。でも二人の男の子達に助けられたの。パンと金貨を貰ったんだって。でも出発の前にそのうち一人が死んじゃったって。おじいちゃんね、優しい人は早く死んでしまうのだなぁって、いつも寂しそうに言ってたの」


 ロイさんもその言葉を聞いて頷いていた。


「心優しい高貴なお方と、彼を支える赤毛の従者。懐かしいものです」


 高貴な幼子と赤毛の従者。もしや、と思っているとずっと黙っていたマティアスが口を開いた。


「もしかすると私を助けてくれた子供達も同じ人かもしれませんね。私もイェレミースの出身なのですが、それは十年程前の王都イェクレでの話でしょうか」


 宿屋の主人は彼と同郷であるという事実に驚いたようでしばし呆然としていたが、少し間をおいて話し始めた。


「ほぼ間違いないでしょう。実はその方が亡くなったかどうかも本当の事は分からないのですが、彼らの行動が見られなくなった頃と同時期に亡くなったイェレミースの第二王子だと言われていました」


「そうだったのですね。あの国は心優しい王子や王女が後に酷く不幸な目に遭うという話が昔からありますが、その例に漏れず、という事ですか」


 マティアス曰く、現在のイェレミース国王もかつては非常に聡明で民の為に尽くす王子であったと伝えられているらしい。だが、とある戦争と事件を境に王となった後には魔法の研究に全ての力を注ぎ、国中に重税を課したという。


「それ故に母は飢えによる病で命を落としました。いくら国の為と言えど、これ以上家族を失う訳にはいかないと思い脱出したのです」


 イェレミース王国。聖王イェレミーの築いた王国では今、一体何が起きているのだろうか。平和なマルシャルクでは想像を絶するような事が次々と起きているのだろう。だが少し陰鬱な話が続いて居心地が悪い。


「何としても、その王様がやってる事が魔物の原因っていうんなら、その人を止めるためにもさっさとクラウスさんと合流しないとな!」


 何とか明るい雰囲気に持っていこうと適当に放ったオレの言葉にユーリがそうだな、と答える。だが彼の膝の上に乗っていたアニが不安そうな瞳でオレ達を見ていた。


「アニ。俺たちが優しいかどうかは知らないが、どうも悪運は強いみたいだ。そう簡単には死なないよ。心配しなくていい」


 ユーリの言葉にアニはこくり、と頷いた。直後、ユーリが何か閃いたようだ。


「ミカエラ、宿の料理を手伝ってあげてくれないか」


「でも、貴方の体調は大丈夫なの?」


「問題ない。……ただ今の話を聞いて、君の料理の味付けの事をふと思い出した。できるなら俺も手伝いに行きたいところだが……」


「無茶はダメ!」


 オレとミカエラが同時に叫ぶ。その様子を見てアニが笑っていた。ユーリは静かに分かったと答えて微笑みを浮かべると、流石に重かったのだろうか、膝に乗っているアニに降りるよう促した。ロイさんがアニと料理を手伝いに行くミカエラを連れて外に出ると、ユーリは再び身体をベッドに横たえた。


「やっぱり、辛かったのか?」


「ああ……これ程消耗するのも、珍しいな」


 ユーリは自身を嘲笑するように呟いた。


「聞きたいことは沢山あるけど、今日はゆっくり休んだ方が良いと思うぜ。何なら食事持ってきてやるから」


 だがオレがそう言い終わらないうちに、ユーリは眠ってしまったようだった。


 すっかり寝入ってしまったユーリを部屋に残したまま食堂に集まり、他の宿泊客と共に宿の女将であったアニの母親の冥福を祈った後に夕食を食べる。ロイさんとアニがミカエラの作った料理に口をつけた瞬間、驚いたことに二人揃って涙を流し始めた。


「これは驚いた……この料理、妻の作る料理の味とよく似ている……」


「うん……お母さんがいつか教えてあげる、って約束してくれた料理の味そっくり……」


「私の、料理が?」


 驚き困惑するミカエラに対して宿屋の主人が頭を下げた。


「ええ、昔からのイェレミース王都イェクレの料理の味に限りなく近い。……妻は無筆で口で伝えられたレシピに従って作っていた。もし貴女が文字を書けるのであればこの子の為に作り方を書き残してはくれませんか」


「私はずっとマルシャルクの王都マレクで暮らし、先祖が旅先で食べたものを再現しようとしたレシピに従って料理を作っていただけなのですが……」


「妻もクレヴィングに越してから試行錯誤していたようですから、大きな違いはないでしょう。どうかこの通り、お願いします」


 ミカエラは分かりました、と言って数枚の紙とペンを受け取るとさらさらとレシピを書き始めた。その様子をオレとルーツィエ、マティアスはただ茫然と眺めるほかになかった。


「驚いたわね、まさかイェレミースの料理だったなんて」


「私は故郷の味すら覚えていなかった、という事になりますか。恥ずかしい」


「職業柄、質素な生活をしていたんだろ?だったら無理もないだろ」


 オレがそう声をかけた瞬間、マティアスが突然眉を顰めた。


「ならば、何故ユリウスさんは……」


 彼は一言そう呟いて黙り込んだ。確かに、彼はどうしてミカエラに料理の手伝いを促したのだろう。どうして彼女の料理と、ユーリが本気で作った料理の味が似ていたのだろう。何より、なぜクロルの戦いで初めて会ったはずのイェレミースの騎士、ベンヤミンの名を知っていたのだろう。


 ミカエラがレシピを書き終えたのを合図に皆が食事を再開する。その後片づけまで終えてそのまま食堂で会話をしているとロイさんが声をかけてきた。


「皆さんはクラウスの対魔連合軍の方だったのですよね?」

そうですと答えると、宿屋の主人は少し間をおいて話し始めた。


「一つだけお願いがあります。王都イェクレの近くの小さな丘、聖王イェレミーの丘と名付けられた丘に先程話した王子様のお墓…といっても追悼の機会を与えられなかった民衆が勝手に彼の為に祈る場所として作ったものなのですが、私達の代わりに祈りを捧げて頂けますか」


 聖王イェレミーの丘。物語の中に何度も出てきた、王都を見下ろす丘の名前だ。任せて下さいと言うとロイさんは隣の部屋に向かい白い造花を持ってきた。


「イェレミースに住んでいた頃に妻が内職で作っていたものの残り……正確に言うと、引っ越しの直前に妻があの方にお礼をしようと余り布を用いて作ったものなんです。私は花の名には疎いのですが、妻曰くその方がお好きだった花を模したのだと」


 六枚の細い花弁を持つその花は、先程ユーリと市で見た花によく似ていた。確か百合の花、と言っていただろうか。ロイさんはマティアスに花を託そうと、こちらに向けて差し出した。


「これを渡す前にあの方がお亡くなりになってしまい、私達も引っ越しの途中に寄る事はできずそのままになっていたのです。妻の為にも、どうかこれをあの方の墓前に捧げてきて下さい」


 だが彼はそれをそっとロイさんの手に返す。


「奥様の棺に入れる方が良いのでは。同じ神様の御許に行くのですから」


 ロイさんはそうですねと言って笑うとアニと共に寝る支度を始めた。オレ達も部屋に戻り、各自思い思いに過ごし始めた。


 もしユーリの言葉が本当で、全てを知ったら悪魔になってしまうというのなら。


 神様のいる優しい世界、天国にはもう行けない。きっとそこにいるであろう父さんや母さんにも会えない。ティアムの人達とも、死んだ後はもう会えない。それでも、ずっと一緒に戦ってきた親友と共に在ることができるなら。


「ごめん。オレは地獄を選ぶ。それでも守りたい親友なんだ」


気がつけば、オレは天国の父さんと母さんに話しかけていた。


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 ……何があっても貴方をお護りするって……!

 ……行かないで下さい……お願いです……!

 ……嫌です……僕は……!

 ……うわあぁぁ……!


 自分の叫び声で目を覚ます。ここはイェレミースの王城の医務室。ユリウス・ハルトマイヤーに切断された右腕は魔法による治療で完全に元に戻っていたようだ。ならば今のはただの悪夢か。若君が、また自分は死んでしまうのか、と言って陛下のお部屋に向かったあの日。全てを諦めた瞳で去っていく若君を、意味も分からずに必死に引き留めようとした時の事。私は今日無事にイェレミースに帰還できたことに対する感謝を伝えるために静かにオプタルの神に祈りを捧げる。全て終えて、若君への想いを馳せる。


 何故あの時行ってしまわれたのか?私には、貴方への忠誠以外に道など無いというのに。いけない、年上である私は導く側であるべきだったのに。未だにこの有様とは天国で会わせる顔がない。


「お休みなさい」


 気持ちを静めるためにも、もう届かないと分かりながらも神様の下にいらっしゃる若君に挨拶をして眠りについた。

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