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ぼくの告白

「遂にこの時が来ましたよっ」

「おおお、なんか緊張してきた!」


 教室からは死角の場所にぼくと草加さんは二人して身を隠していた。2─Aからは向かい側の教室である。


「こんな時に何言ってるんですか。……いや、まあ、それが当たり前ですけど」

「告白ねぇ……。このぼくが」

「そーですよっ!頑張ってください」

「でも、本当に緊張するなぁ……」


 ゆっくりと胸に手を当てると、心臓の音がどくどくと聞こえ、倒れてしまいそうなほど体は火照っている。


「とにかく私は彼女の監視をしておきますので、川島さんは早く落ち着いてください」


 そう言いながら彼女は吉川さんから目を離さない。

 ぼくたちの作戦はこうだ。


 吉川さんの機嫌がいい時に、告白する。

 とても簡潔で分かりやすい作戦である。その分リスクがあると思うのだが、草加さん曰く逆に考えることが大事らしい。

 草加さんは吉川さんのランキングが一番いい時に、ぼくに告白させるらしい。


「わ、わかった。……じゃあ一つ頼んでいい?」

「はい、なんですか」


 視線を離さず、じっと吉川さんを凝視する草加さん。


「……トイレ行きたい」

「あーなるほど、わかり──って何言ってるんですかこういう状況で!」

「こ、こういう状況だからだって!本当に緊張してるんだって!」


 吉川さんの前で漏らせって言うのかっ⁉なんてプレイだよ!


「……はあ。わかりました。でも、急いでくださいね。綾瀬さんに待たせる訳にもいきませんし」


 呆れる口調で言いながら、ため息をつき、なんとかぼくの尿意を理解してくれたようだ。

 確かに待たされて幸せな人はいないしね。そう思い、


「わかった!」


 と勢いよく教室を飛び出した。トイレは吉川さんのいる教室、2─Aに近いのでバレないように行動しなければ。


「おわっ」


 出た瞬間、人にぶつかりそうになった。慌てて前に出てきた人影をかわす。なんだか出鼻をくじかれ、それを告白に重ねてしまいそうになり、頭を振るようにして振り返る。


「あ、葵」

「ん?ああ、ユーじゃねえか」


 ぶつかりそうになった人影は、葵だった。なんという偶然。それにしてもこいつにだけは、色んな意味で告白のことを悟られたらいけないな。


「どうしたんだよ、こんな放課後に。お前帰宅部だろ」


 焦った様子で言う葵に、


「ま、葵こそどうしたの?部活は?」


 とぼくもそれにつられてか、焦るようにして応える。


「んー、あー、小便だ」


 ばつが悪そうに言う葵。


「あ、ぼくも。どうだい、一緒に」

「嫌だね。連れションかよ」

「そうかい、じゃ、お先に」


 そう言って、ぼくはトイレに向かう。用を足したあと、草加さんのいる教室に戻るまでも、葵とはすれ違わなかったことを、連れションが嫌いだから別の階で用を足すつもりなんだろう、とか考えながら、教室に戻ったぼくは草加さんに礼を言った。


 すると、草加さんは息を弾ませながら喋った。


「今です!校内ランキング2位!早く告白しに行ってください!」

「は、え、どゆこと?」


 突然のことで戸惑うぼく。


「ですから、今、綾瀬さんは川島さんの次にこの学校で幸せなんです!ほら、早くっ」

「あ、え、うん」


 背中をぐいぐいと押して、物理的に急げと促す草加さんに、ぼくの告白する勇気とかその他の感情は同じように抑えられ、ただ告白するという目的だけが、頭の中で居座っていた。

 目的に操られるようにして声が元気よく出た。


「わかった!行ってくるね!」


 長距離走でも走るかのように、ぼくは立ったままの姿勢で吉川さんのところへ向かおうとしていた。


「川島さん」


 スタートを切ろうとするぼくの背後で、ぼくを呼ぶ声が聞こえた。

 ふわりと黒い髪が揺れ、唇が軽い弧を描いた。背景が白色と等しいくらい無価値なものに見えて、彼女の微笑にだけ視線がいってしまう。


 見たことのない微笑に、ぼくは戸惑い、それからその戸惑いがぼくの心の中にすっと入って、儚く消え去った。


「何も考えずに告白すればいいんです」


 澄んだ声だった。彼女はこんな声だっけと疑心が生じ、確認しようとして、いざいつも通りの彼女の声を思い出そうとしても思い出せなかった。


 彼女の微笑にぼくはただただ佇み、どこかで聞いたことのあるその台詞に呆れ、言った。


「知ってるよ」


 最近流行っているのだろうか、その言葉は。

 そう心の中で冗談めかしてみたけど、今の状況でそんなことは全く似合わなくて、だからこそなのかもしれなかったけど、ぼくは良い知らせを運んでくるような、彼女の微笑を心中で刻みつけたのだった。



 ガラガラッと大げさな音を立てながら扉は開いた。

 中にいて、ぼくの机に寄りかかるようにして窓を眺めていた彼女は、ハッと顔の向きを変えて、


「また雛子ちゃんじゃないや……」


 と残念そうに呟く。ぼくはその反応に目ざとくも反応してしまった。


「また?」

「あ、ううん。こっちの話」


 と言いながら姿勢を正し、ぼくと向かい合う。

 見蕩れるようなその綺麗な黒髪は、いつも見てる時より数段に美しくぼくの目に映った。そして、現在彼女の瞳には幸せと感情が一番こもっているようにも見えた。


 彼女に、福音を運んだのは誰だったのだろうか。

 幸福と外見、何か関係しているのかもしれない。

 最初の疑問を後の疑問でかき消しながら、ぼくは伝えた。


「あ、そう?……えっとさ、草加さんなら来ないよ?」

「え、そうなの?」

「うん……、だからぼくが、代わりに伝言を頼まれたというか……」

「そっか、ありがと」


 そう言って彼女が礼を言ったあと、彼女は何も言わずぼくの言葉を待っているようだった。

 ぼくとしては、まだ彼女に、その……想いを伝える気分とかじゃなくて、まるでお互いが譲り合うような沈黙が続いた。

 その沈黙を破り、逃げるために利用したのはぼくだった。


「とっ、ところで吉川さん」

「ん?」

「部活紹介っ、お疲れ様っ」


 ところどころ緊張で舌がうまく回らず、吃音症のようになってしまった。

 そんなぼくの発音を気づいてないかのように、彼女は気にせず喋る。


「うん、お疲れ。川島くんもでしょ?」

「そ、そうだけど。頑張ったのは、ほぼ吉川さんだし……」


 息継ぎの回数が増えている事は気づいていたけれど、改善はできない。これが普通に、いつも通りになっているときは、きっとハッピーエンドの後だ。

 そして口にしたことは、嘘偽りのない真実だった。ぼくはただ、プリントに誤字脱字がないか調べたり、プリントの枚数を数えたりしただけだ。


「そう?川島くんも頑張ったよ?」

「いやいや、吉川さんの方が頑張ったよ?」

「いいえとんでもない。川島くんの方が」

「まさか。絶対吉川さんの方だって」

「そのまさかなんだよ」

「…………」

「…………」


 一瞬で、何かと何かが統合し、


「「あはははっ!ははははははっ!」」


 お互いの笑い声が重なった。その中に、簡潔な気持ちも混じっていたし、複雑な気持ちも、どちらかに混じっていた気がした。

 ぼくたちの笑い声は、誰かさんの『ぬふふ』とか奇天烈なものではなくて、単純に、シンプルにハ行の四段活用系の一つだった。


 そして、彼女と笑い合えていることに、ぼくは彼女を外見だけで好きになったんじゃないんだと思った。ぼくの体の何処かが、『ぬふふ』と笑った気もした。

 しばらくして、笑いがどちらともなく収まり、「あーおかしい」と言いながら、彼女は目頭をやさしく擦った。

 教室が沈黙と臆病に毒される前に、ぼくは、


「あ、そうだ。伝言」


 とまるで今思い出したように、わざとらしく喋りだした。


「あ、うん」


 吉川さんは軽く相槌を打ち、ぼくが続けることを待ってくれている。


「…………ぁの、…………あの、さ」


 最初に出した音は掠れて声にならなかった。


「えっと、……なんていうか、……話を一年前に遡らせるのも変だし、簡潔に伝えようと思うんだけど……」

「う、うん」


 その彼女の言葉には戸惑いが多く含まれていて、ぼくをさらに緊張させるには十分だった。

 ぼくは伝えた。


「まあ……、その……、やっぱり……、うん。……ぼくさ、高校一年生の時によく笑う人を見たんだ。最初はふざけてるって思ってたんだけど、段々何で笑ってるんだろうって思って、その時辺りからその人を観察っていうか、……目で追い始めっちゃったんだよね。

 高校二年生になって、その人と同じクラスになれてね、もうさ、歓喜したよ。ははっ。それでも自分の伝えたいことは、全然まとまってなくて、何で伝えるんだろうって思った。だけど、そんな些事も誰かに支えられて、支えられて、支えられて。

 そんな人に頼っているばかりのぼくだから、今、その一言を言えるんだと思う」


 簡潔に伝えようと思っても、起承転結すら整わなくて、ただただ彼女について考えついたことを口にしているだけだった。

 能書きみたいなことはスラスラと出てきたのに、次のその一言は、喉に絡まっていて、舌を突き出すように無理やり吐き出した。


「ぼくを、あなたのために頑張らせてください」


 頬に入っていた力がすっと消え去り、自然と口角は少し上昇し、目は上下の視界が少し狭まった。


 それは、ぼくが初めて彼女に見せた、先ほどの笑顔みたいなものでもない、もっと色んなものががんじがらめにされた、一つの微笑だった。

 そう言ったあと、思い出すように、付け足すように口を開く。


「好きです。付き合ってください」


 言ったあと、彼女を眺めた。

 窓から差し込む夕日は、青春真っ只中の少女を比喩するには十分過ぎるほど輝いていて、その光を浴びる彼女は、皮肉を受けても気付かない無邪気な子どものように、その光をはね返すこともなく受け入れていた。


 ただただ見蕩れて、まばたきをすることを忘れそうになり、一度だけ素早く目を閉じ、すぐに開ける。


「えっと、これって、告白?」


 訝しげな視線を送る吉川さんにぼくは頭で考えずに答えた。


「えと……、多分。ああいやいや違う。絶対に、告白です」

「そ、そっか。そうだよね……、あははは……」


 珍しく叙情的な素振りを見せず、彼女は淡々と事実だけを口にした。


「えっとね、川島くん。話を聞いて、私も少し考えてみたんだけど……」


 俯きがちにする吉川さん。ちらと見えた紅潮する頬は美しく、またちょっとばかり艶やかだった。数秒間、間があいて息を吸う音が聞こえた。


「ごめんなさい」


 静寂の中、どんなに耳を塞ごうとしても、聞くのが怖いと喚いても、この教室の静けさならどんなことをしていても、その声と結果だけは聞こえていただろう。

 そして、一回くらい深呼吸が出来る間が空いて、


「私を、誰かのために頑張らせてください」


 何かに対する怒りがこみ上げてくる前に、漠然とした気持ちがそれを先に追い抜いた。

 体のどこかが欠けた気がして、もぬけの殻になって客観的に自分を恥ずかしく思った。


 告白して失敗してる。バカじゃねーの。


「好きな人が、いる」


 無理に吐き出すような、逆に緻密に計算されているような感情を掴めない口調で、彼女は言った。


「あぁ……、ぅん……」


 それに対して、感情的になることもできず言葉を忘れるように、ぼくは呻くだけだった。

 吉川さんのことも考えられず、ぼくは気の利いた台詞の一つも言えなかった。


「えっと、……断って、しまったけど。私自身今何を言えばいいか分からないんだけどね……」


 吉川さんはそう前置きして、ゆっくりと上げた顔でぼくの顔を見つめた。


「学校ではいつも通りでいて欲しいの。でもこれが本当に正しいのかはわからないんだけどね」


 告白なんてされたの、初めてだから。と付け足しながら彼女は苦笑した。


「うん……。分かった……」


 ぼくに否定の言葉は出せなかった。僕自身その気持ちの取捨選択が終わってなどいない。


「その……、ありがと。嬉しかった」


 肯定の言葉を口にした後、ただただ沈黙するぼくに、気持ちの整理をする時間でも与えてくれようと気をつかってくれたのか、吉川さんは優しい声で礼を言いながら、大げさな音を出す扉を最小限になだめながら、教室から出て行った。

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