ぼくの妄想
甲斐凛学園はわりかし都心部の方に属していて、放課後などはちらほらと寄り道する生徒を見かける。と言っても、皆寄り道する場所は本屋や文具屋などだ。ゲームセンターなどに寄る生徒はあまり見かけない。先生方の指導が行き届いている成果なのだろう。だからゲームセンターにいる甲斐凛学園の生徒は不良というレッテルを貼られてしまうかもしれない。
まあ、現在進行形でゲームセンターに寄り道しているぼく達はそう呼ばれても仕方ないかもしれないよね。
「ああ、このくまさんのランキングは最下位のようです。可哀想に。私が必ず幸せにしてあげますからねっ!」
硬貨が投入され、アームが再び動き出す。件のランキング最下位であるくまさんは、うつ伏せになっていて、無様にも臀部を我々に向けている状況である。
「頑張れっ!雛子ちゃんっ!」
両手を握り、応援する吉川さん。まるで自分がしているかの様に楽しそうな声を上げている。
「えっと……。早く用事を済まそうよ……」
そう声をかけるぼく。しかし、店内の騒音にかき消され、二人の耳には届かなかったようだ。
「はあ……」
自然とため息が漏れる。ここに来るまでに一つの変化があった。それは、吉川さんが草加さんのことを雛子ちゃんと呼ぶようになったこと。そうなった原因を二人を見つめながらぼくは思い返す。
学校を出たあと、ぼく達は寄り道などせず目標の場所へ行く。つもりだった。
吉川さんと草加さんはぼくの後ろで仲良く話し合っている。正確には吉川さんが一方的に話しかけているようだけど。そして時折耳に入る二人の会話をぼくは楽しんでいた。
ここも正確に言うならば、吉川さんが奏でるような、澄んでいて清い声をうっとりと聞き惚れていた。
「ねえねえ草加さん。草加さんは好きな季節って何?」
「……冬です」
「へぇー。じゃあ好きなウィンタースポーツとかある?」
「……それはないです」
「運動はいいよ。心も体も元気になれるの」
「……私、インドア派ですので」
「そっかー。いつかアウトドア派の冬の楽しみ方を教えてあげたいなあー」
「……インドア派も冬は楽しいです」
「へえー。何するの?」
「……ゲーム」
尋ねられては、答える。それが何回も続いた。気付けば彼女たちはぼくより歩調が速くなっていて、いつの間にか、ぼくが二人を追いかけていた。そしてたどり着いた場所こそ、ゲームセンターであった。
一言で言えば寄り道、である。吉川さんがそんな事をするのは意外だと感じた。
彼女たちは足早に店内に入り、事前に話していたのか、UFOキャッチャーの所へ移動する。
そして、現在に至る。
「やりましたっ!手に入れました!」
「わーっ、やったね雛子ちゃん!」
感極まった声が近くで聞こえ、視線を走らせると、吉川さんと草加さんが二人仲良くハイタッチを交わしていた。……いいなあ、草加さん。
そんなことを考えながら、草加さんを眺めていると、目が合ってしまった。視線に気づいた彼女は嬉しそうにスキップのような足取りでぼくに近づく。
「見てくださいっ!取ってきましたよ!」
そう言って、件のランキング最下位くまさんを掲げる草加さん。なるほど、確かに幸の薄そうな顔つきをしているくまだ。
「あー、おめでとー」
棒読みで祝福するぼく。
野暮な事を彼女の前で言ったらどんな反抗されるか知ったもんじゃない。ここは素直に祝福してあげるべきだろう。下手したら吉川さんが好きなことを本人にバラされてしまうかもしれない。
「はいっ!どうぞ!」
すごく自然な、屈託のない笑顔で手渡された。吉川さんにも劣らないほどの笑顔だった。まあ、吉川さんの方が断然可愛いけどな!
ぬいぐるみを手に取ると、ふわふわとした毛糸の柔らかい感触が伝わってくる。こいつ、幸の薄い顔つきの癖に、良くできたぬいぐるみだ。
「えっと、くれるの?」
満面の笑みをする彼女におずおずと尋ねる。
すると彼女は首を傾げ、言った。
「ダメですか?」
「いや……、なんでくれるのかなって思って……」
目を合わせず、聞き返す。今ぼくの視線は吉川さんの方へ移しており、吉川さんは先ほどの余韻に浸っているようだった。
聞き返された草加さんは、自然な口調で教えてくれた。
「このぬいぐるみ、とても不幸そうな顔してるじゃないですか?」
「うん。確かにしてるね。かなり絶望してる顔だよ」
「それで川島さんに渡したら、このくまも少しは幸せになれるんじゃないのかなって思いまして」
「ないない。思わない」
手を振り、否定する。
草加さんは意外そうな顔をし、ぼくの顔を覗き込んで、手を口元に当てる。
「まさか……川島さんともあろうお方が、フォーチュン・ハザードをご存知でないとは……」
「いや、誰も知らないでしょそれ」
そう言って、冷静に受け流したつもりだったのだが、彼女は遠慮なく説明をしてくれた。
「フォーチュン・ハザード、それは江戸時代からある現象を元に名付けられました。あるところに一人の貧しい百姓、田吾作がいました。田吾作は毎日毎日辛いことがあっても、ポジティブに、前向きな姿勢で生きていました。すると、いつしか周りの人は、田吾作と一緒にいると、明るく楽しい人生を送れるようになっていたのです。しかしそんな田吾作も病には勝てず、明るく元気な人達に囲まれて、この世を去ってゆきました」
演技上手に語ってくれた草加さん。ツッコミどころ満載だったが、そこを看過しておけば、信じてもいいレベルのいい話だった。つか田吾作さんかっけえ。
確かに、笑う門には福来るとか笑いは人の薬っていう言葉があるくらいだし、笑うってのはいいことなんだろうな。ぼくも田吾作さんを見習おう。うわぁ、田吾作さんなんで死んだんだよ。
「という訳で、このくま作はお願いしますね」
「わかった!必ず幸せにするよ!」
田吾作さんのせいで、ぼくは洗脳されてました。時すでに遅し。気付いたときには、くま作を片手に一人佇んでいる自分がいましたとさ。
草加さんはすたこらさっさとぼくの元を離れ、吉川さんの方に向かっていた。
ま、このくまさんは部屋の机にでも立っていてもらおう。
「さて、そろそろ行きますかー」
草加さんに促され、目的を果たそうとする意思をやっと見せてくれた吉川さん。
草加さんも吉川さんと普通に話せるようになっている。さすが吉川さん、すぐに仲良くなれてるよ。
「ぐぬぬっ……、重いっ!」
ダンボール二個を抱え、情けない声をあげてしまう。計四十キロくらいはある重さだ。本当にユニフォームしか入っていないのだろうか。
運動部じゃないから結構こたえる。両腕が悲鳴を上げている。
「よいしょっと……。雛子ちゃん、大丈夫?」
「問題ないです~っと」
横目では、吉川さんと草加さんが喜びの混じった声で楽しそうに会話しており、二人はひとつのダンボールを協力して抱えている。
「お、重い……」
両手はダンボールを抱えているため、熱くなってきた額を拭うこともできず、ただただ呟く。
それが吉川さんの耳に届いていたようで、顎を少し高くしてハキハキとした口調で喋る。
「男の子でしょっ、頑張って!」
「は、はっい!」
つい意識せずに大声で返す。
頑張るか、そう独りごちて、指先に力を込める。まあ、吉川さんの前で失態を演じるわけにもいかないし。
葵も来て手伝えよ、そう恨めしい事を言いたくなるが、あいつならのらりくらりとかわしそうだ。彼奴は部活があるらしいので手伝えないけど。いいねえ、ぼくも部活はしたくないけど何かしたいなあ。
「川島くん」
せっせと運んでいると、右側から吉川さんに呼ばれ、はい!、と返すと自然に背筋が伸びる。
「葵くんとはどれくらいの付き合いなの?」
葵のことか、ちょっとがっかりした。確かに吉川さんとの共通した話題といえば、葵のことしかないし、仕方がないか。きっと、沈黙に耐えられなかったのだろう、彼女の性格を考えればそれが妥当だ。
彼女はいつもの、叙情的な口調でそれをぼくに尋ねた。
「葵……、ええと十年、かな?」
「十年⁉」
大きくのけぞる吉川さん。危うくダンボールを離そうとするが、草加さんがすかさずフォローする。
吉川さんはいつもより大きく驚いた様子を見せてから、
「そ、それは羨ま……じゃなくて、……長い付き合いなんだね」
「別に羨ましくはないよ。あいつといると色々大変なこともあるんだって」
聞こえてた……、そう呟きながら頬を染める(とても可愛い)吉川さんを横目に、ぼくは葵との思い出話をいくつか披露した。
小学生の頃、二人で隣町まで行って、夕方に二人して親に怒られたこと。
中学生の頃、修学旅行でぼくと葵だけ迷子になってしまったこと。
そんな他愛もないことをぼくは語っていた。
そんなどうでもいいことを、二人は時々あいづちを打ちながら聞いてくれた。
それが、無性に嬉しくて、つい笑みがこぼれそうになった。
語り終え、周りを見回すと、いつの間にかぼく達は学園に近い場所いた。あと五分もあれば学校に戻れるだろう。
「えっと、荷物は部室に置いたらいいと思うから、それまで頑張ってね」
さっきの頑張ってとは少しニュアンスの違う頑張ってを言って、学校の方に顎を向ける吉川さん。
気を引き締め、脱力しそうになるのを堪える。あともう少し、そう自分に言い聞かせて、指先に力を込める。
数分後、力を振り絞り、学園内に入り、サッカー部の部室まで到着。グラウンドではサッカー部が雄叫びのようなものあげながら走り回っていた。あの中に葵も混じっているのだろう。葵も頑張ってるなあ……。そう独りごちながら、部室に入る。
「うっ……臭い……」
部屋中に立ち込める汗と努力、そして柑橘系が融合した匂い。聞こえはいいが、とても臭い。
そしてそれがサッカー部の部室に入ったぼくの第一声だった。ぼくはしまったと思った。これは失言だ。例えば草加さんのように口には出さず、顔をしかめるように努力するべきだったのだ。こんな事言ったら吉川さんに酷い。
しかし表現の仕方は違えど、感想は同じだったぼく達に吉川さんは苦笑いをしながら応える。
「まあ男どもしか使ってないしね。慣れって怖いよー」
おどける様子をした吉川さんに先ほど彼女が作った笑みで応じながら、ダンボール箱を部室の隅っこまで運ぶ。
「よい……しょっと」
どさっと低い音が出て、肩の力が抜ける。ダンボールを床におろし、両肩を軽く動かすと、一息ついて落ち着くことが出来た。肉体労働は苦手です。帰宅部ですので。
「お疲れ~。ありがとーっ」
後ろからそう声をかけられ、振り向くと、吉川さんは同じように草加さんと息を合わせて、ダンボールを床におろしていた。しかし疲れた様子も見せずに、ねぎらいの言葉をかけてくれた。
「いや。疲れたけどなかなかいい運動だったよ」
「ん~~~?」
「え、なに?」
吉川さんの言葉を否定し、とりあえず強がってみると、そんな強がりを聞いてなかったのか、彼女はぼくの体をじろじろと眺め始めた。
「ん~~~。川島くんってさあ……」
「は、はい」
なおもじろじろとぼくを見る吉川さん。……そうかわかったぞ。これが視姦ってやつなんだなっ!
「いや~、華奢な体してるなーって思ったんだけど」
「そ、そう?」
制服着てるのに見ただけで分かるのか。すごいな。まあ確かに細いですけど。いやいやぼくよりも吉川さんの方がスタイルいいですって。
「うん。やっぱり体に負担が大きすぎたかなー」
腕組みをしながら首をひねる吉川さんは何か考え事をしているようだった。そして小さい唸り声を数秒間あげた後、
「よしっ!」
と大きな声でなにか決意をしたようだった。
「ねえ川島くん」
「は、はいっ」
呼ばれると反射的に表情が硬くなる。意識しても、しなくてもそれは結局同じことなのだろうが。
「脱いで」
「は?」
…………ええと、今なんて言った?
ぼくが呆気にとられていると、彼女はいつもの口調より少しやさしく同じことを繰り返した。
「だから、服を脱いで」
………………えええええええええっ⁉マジかっ!さっきの「よしっ」ってそーゆー意味だったんですかっ!やっべ、録音しとけば良かったよ!もう彼女公認じゃないですかっ!いや、でも草加さんが見てるよっ⁉大丈夫なの?いやダメだっ!まだぼく達は高校生。清く健全な関係を結んでいかなければ。いや、しかしそれはそれで……。
吉川さんはぐだぐだうじうじと悩んでいるぼくを見て、
「ま、いっか。脱がなくてもできるし」
「できないよっ⁉」
「へ?できるよ~?いいからいいから。私に任せて、後ろ向いて」
色んな意味で抵抗はしたかったが、期待に胸を膨らませて、彼女の言う事を聞くことにする。精一杯後ろめたい気持ちを彼女から隠し、ゆっくりと後ろを向く。
「はい。座って」
後ろで音が聞こえ、少しだけ頭を横に動かすと、吉川さんが椅子を運んでくれていた。
言われた通り、座る。
「それじゃーはじめよっか」
小さい笑い声が後ろから聞こえ、それに呼応し、心臓の跳ねる音が聞こえた。官能的な意味合いではなく、ただの、好きな女子が近づいたからという、ごく普通な理由だ。要するに、緊張。
心音を聞いてすぐ、ぼくは目をぎゅっと力強くつぶった。その三秒間、なんとか鼓動を落ち着かせようとし、外に聞こえない程度にまで落ち着かせた。
そして三秒後、勢いよくまぶたを開き、前を凝視する。ふと、草加さんと目があった気がした。しかしぼくがそう考察し終えた時には、件の彼女はぼくなんか眼中にもいれず、部室内をきょろきょろと見回していた。
首を傾げそうになったが、そんな余裕はなかったとすぐ悟る。
背後に感じる雰囲気。それがぼくの思考を遮る。その雰囲気は徳でもありそうだ。これが背徳感ってやつか。
多分今後ろでは吉川さんが脱いでるってことだろう。衣擦れの音とかは聞こえないけど、そこは脳内で補正を加える。
胸が高鳴って鳴り止まない。この加速する鼓動をどうやったら止めれるのだろう。きっと手段はひとつ、賢者になることだ。
そしてぼくの緊張が最大限に達した時、
むぎゅっ。
「痛っ!」
肩に感じた激痛。つい声をあげてしまう。正確に言うなら肩の筋肉を指でつままれた。しかし声をあげたあと、つままれる感覚はなくなった。
後ろからされたということは、吉川さんしかいない訳で、後ろを振り向くと、彼女は手を胸の下あたりで固定して、手のひらをぼくに見せて、言った。
「ごめん、痛かった?やっぱりもう少しやさしくするね」
あいつら筋肉は一人前だから、そうおどけながらぼくの肩をつかみ、やさしく、適度な強さでもみ始める。
……肩、もんでくれてるんだよな?……うっわー恥ずかし!誤解しちゃったじゃんか!まあいっか!仕方ないよね!高校生だもん!そのくらいの妄想は許されるよね!
「あ~気持ちいい」
自然と声は漏れていた。さっきまで重かった両肩がどんどん軽くなっている気がする。リズミカルに、強弱をつけて肩が癒されてゆく。
「ま、伊達に一年間マネージャーしてないって」
さらに背後からリラクゼーション効果のある声が聞こえる。肩だけじゃなく、心も洗われている気分だ。とても嬉しい瞬間、ずっと続けばいいのに。
そう幸せを噛み締めて、今更ながら彼女が言った言葉に思考が働いた。
「え、一年間もやってたの?」
「うん。ほぼ入学してからかな。楽しそうだったし」
「ふーん」
あの時くらいからか。あいづちを打ちながら、心の中でそう付け足した。
なおも続いているマッサージに身を委ねながら、視界に少しだけ吉川さんが映るくらいに首を動かす。
「吉川さんはなんでサッカー部のマネージャーになったの?」
尋ねると、視界の隅に見えていた吉川さんは何故だか急に頬を紅潮させた。なにか恥ずかしい思い出でもあったのだろうか、思い出してしまったのだろう。しまったなあ。南無三。
声をかける間もなく、ハッと小さく漏らして、まばたきを繰り返していた。
そしてそれをずっと見ていたぼくはそんな黒く澄んだ目と合ってしまった。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
昼休みのぼくと草加さんの沈黙を彷彿させる沈黙だった。吉川さんと目があったのはいいが、その彼女は冷や汗のようなものを垂らして、とても気まずそうな顔をしていたからだ。口をもにゅもにゅと動かし、まばたきを繰り返す彼女。
「えっとー……」
何をどう言ってこの沈黙を破るか、思案をめぐらせていると、切り出したのはぼくではなく吉川さんの方だった。
「え、えっと、マネージャーが楽しそうだったからなの!」
少しして、自分がそんな質問をしたことを思い出した。
振り絞ったような声をだして、その質問に答えてくれた吉川さん。先ほど紅潮した頬はまだ染まっており、まるでぼくが彼女を泣かせたようだった。
「へ、へぇ~」
なぜか湧いて出てきた罪悪感のせいで妥当なあいづちしかできない。
「う、うん!」
過剰に首を縦に何度も振りながらそう言うと、頬の紅潮を外へ追い出すように手に力を込めて、再びぼくの肩をマッサージし始める。さっきより力がこもっており、それはそれで気持ちいいが、痛気持ちいという表現をした方がいいだろうか。
……Mじゃないよ?




