ぼくの席
ぼくはダッシュで彼女のもとを去り、教室に戻った。きまずい雰囲気になったあの空間に長時間いられる強者などこの世界にいるものだろうか。いや、いない。
女の子一人を誰もいないところに残して逃げる、というのも多少罪悪感は感じるものの、後悔はしていないのだ。だって、ねえ?女子と二人きりとか恥ずかし過ぎるって。
教室に到着し、辺りを見回す。やっぱり。ぼくが視線を送ると、彼も気付いたようだ。
「おせーぞ。何やってたんだー」
「悪い。ちょっと野暮用が」
「あっそー」
言いながら、ぼくのことは興味がなさそうに、ひたすら弁当をがつがつと食べている。そんな投げやりな言葉もいつものことだ。ぼくは弁当をがつがつとほおばる親友を見下ろしながら尋ねる。
「で、葵はなんでぼくの席で弁当を食べてんの?」
葵は手に持っていた弁当を机に置き、一息ついた。
「さっき教室に入ってもお前いないしさー。待ってるのも退屈だし、お前の席で食べてる。あ、先に食べちゃダメだったか?」
「いや、そんなことはないんだけどさ……。葵、一つ聞いていい?」
「ん、どーぞ」
「僕はどこで食べればいいのでしょうか……」
「隣の席で食べればいーじゃん」
何事でもないように葵が言った。ニヤリと、親友とは思えない不敵な面構えを見せる。気恥かしさを抑えながら、葵を睨む。葵は白い歯を見せながら、笑っていた。人の好きな女子の席に座らせるって……、案外大胆な奴なんだな。
「…………う、うん。座らせていただきます……」
「どーぞどーぞ」
葵が口をすぼめる。彼が笑いをこらえる時の癖である。ふざけているのがバレバレである。
葵は吉川さんの席とわかっていて、ぼくに座らせようとしている。うっわ、恥ずかしっ。めちゃくちゃ恥ずかしっ!何この羞恥プレイっ⁉
葵がニヤニヤと笑いながら引いてくれた椅子にゆっくりと、細心の注意を払いながら座る。
何に注意を払うかだって?色々さ!
(↓以下読み流していい)
ぼくが彼女の席に座ったときのことだ。ありのままに体験したことを伝えよう。この体験は末裔まで受け継がせなければ。まず座った瞬間、宇宙が見えた。自然の神秘、科学の発展、生と死の狭間、その森羅万象を。何かが爆発した音がし、ありとあらゆる知識がぼくに襲いかかる。まるで、神になった気分だった。しかしそれはたった一瞬のことで、すぐに思考は現実世界に引き戻された。そして、正面を向いたままの僕に見えたもの。それは黒板だった。横長く緑色をした長方形、それはいつも近くで似たような光景を見たはずなのに、全くと言っていいほど別物だった。そうそれは黄金席とでも言うべきか、この席でしかみれない絶景だった。そしてそれは──
「さっさ飯食え」
「モルスァッ⁉」
ドンッという鈍い音が左側の首元で聞こえた。左側に視線を移すと、葵が右手を鋭く、まるで剣のように閉じていた。
「な、なにすんだよぅっ!」
「いやー、最初は面白いなーって思ったけど、途中でキモくなったから首元をチョップしただけだ」
「ありがとう!おかげで自分がキモいこと考えていたって分かったよっ!」
「ははは、どういたしまして」
「……まったく葵は……」
自分の弁当を吉川さんの机の上に置きながら、しげしげと葵の顔を見る。
しかし田村葵、憎めないヤツである。こいつは冗談の限度というものを知っている。この人はこの辺の冗談でやめておこう、と自分で歯止めを掛けることが出来る男なのだ。もちろんそれはぼくに対しても同じ。
だからこそ、憧れる。人に不快感を与えず、なんでもないように人と仲良くなれる。誰とでも仲良くなれるって、本当に羨ましい。
「なんだよ、ジロジロと俺を見つめて」
「ああ、いや、なんでも──」
なんでもないよ、という言葉はかき消されてしまった。突如現れた彼女によって。
「あっ、葵くんっ!」
僕の机に両手を付きながら挨拶をする彼女。黒色のロングヘアーが揺れ、心なしか、口元はいつもより綻んでいる様に見える。
「おー、吉川」
「うん。おは……じゃなくてこんにちはっ」
なんだろう。いつもより落ち着きがないような。
そんな吉川さんを横目に弁当を広げる。なんか話始めているし、邪魔しない方がいいよね。お、タコさんウィンナーだ。
もぐもぐと一人惨めにタコさんウィンナーを食べながら、となりに耳を澄ます。
「へー、葵くんは今日も朝練だったんだ」
「ああ、そーなんだよ。マジ疲れた」
「ふふ、頑張ったんだね」
「まーな」
「あの……さ」
「ん?なんだよ」
「いや、やっぱりいいっ」
「ふーん、そうか」
「…………うん」
そんな二人を横目にぼくは思った。
ぼくより仲良くないですか⁉
え、なんで?なんで葵の方がなんか良い雰囲気なんだよ!あとなんか葵のこと下の名前で呼んでいるし!羨ましいんだよ畜生ッ!はっ、なるほど。さては吉川さん、ぼくに照れてるんだ~。なんだよーそれならそうと言えよー。
そんなことを考えていると吉川さんはぼくの顔をしっかりと凝視していた。やっべ、目があった。
「ナ、ナンデショウ……?」
片言だが会話をしようと頑張るぼく。
「ふーん、そっかー、なるほどー」
だが反対に吉川さんは独りごちている。……さみしいです。
「どーした吉川。ユーをじろじろ見て」
お茶をずずずと吸いながら、横目の葵。
「じっ、ジロジロ見てないよっ⁉」
顔を赤らめながら、手をぶんぶんと振る吉川さん。うーむ、照れる吉川さん。可愛い。
もうちょっと照れる吉川さんを楽しんでいたかったのだが、彼女はすぐにいつもの素顔に戻ってしまった。ちょっと残念。
「川島くんはいっつも葵くんとお昼ご飯を食べてるの?」
「いや、それは、その……えーと……」
彼女に急に尋ねられたぼくはしどろもどろになってしまった。そんなぼくに葵は助け舟を出した。
「そうそう。クラスが変わったからどーなるか分かんないけどなー」
「そーだね。これから葵はどうすんの?」
葵のクラスは2─B、クラスが違うためこれからは一緒に昼食を食べる時間を確保できるかはわからない。葵は少し考えるようすをして、答えた。
「んー、どうすっかなー。これからは今日みたいにどっちか遅かったら、先に食べるってことにしようぜ」
「ん?今日みたいに?」
吉川さんがそのワードに食いついてきて、疑念のこもった顔つきを見せる。
「いやっ、今日はねっ、そのっ」
「ああ、ユーは用事があったらしいんだ」
「へー」
頷き、納得した様子を見せる吉川さん。
なんだか草加さんの話題になりそうになると、なんか回避しようとするよな、ぼくは。やっぱりあれか、女性と話している時に他の女性の話をしてはいけないと反射的に行動してるんだろうか。いやー、ぼくってデキル男。
そんなことを考えていると、また二人は会話していた。ちょっと嫉妬。いや、激しく嫉妬。
「まー、何するって言ってもそんな大したことはしてねーんだけどな」
「えー気になる」
「他愛もない話ばっかりだよ。たまに勉強を教えてもらうくらい」
「へーそうなんだ」
「ああ。それでやっぱりユーと食う飯が一番ウマイんだよなー」
流石葵。小っ恥ずかしい台詞を淡々と言える。そこに憧れますわー。
「だってー川島くん?」
やべっ、話振られたっ!ぼくに彼女と視線を合わして話すとかは無理なので、体の向きを葵の方へ回転する。
「えっと、その……ありがとう、田村くん」
「「ぷっ」」
吉川さんと葵が同じタイミングで吹き出した。それに少し遅れて気付いた吉川さんは気恥かしそうに頬を染めていた。葵は、気付いてなかったみたいだけど。
「ははは、どーいたしましてー川島くーんっ」
笑いながらぼくの背中をバンバンと叩く葵。痛いって……。
背中を叩く葵からふと目をそらすと教室に入ってくる草加さんと目があった。気がする。
彼女はなんだか不満そうな顔をしていたが、その理由は分からなかったので、草加さんを視界から外して、急いで昼休みが終わる前に弁当を食べ終えることに専念することにした。
その日の放課後、なんと吉川さんと会話した。
五時間限目と六時限目の授業では昼休みの草加さんとの話を念頭に置いて、真剣に授業を受けつつ身構えていたのだが、一回も話しかけられなかった。まったく、骨折り損のくたびれ儲けとはこのことだぜ。
六時限目の授業が終わったあと、七山先生が教室に入ってくる。SHR、ショートホームルームの時間である。
「えっとぉ、先生からは特に連絡はありませーん!何か言いたいこととかないですかー?俺と結婚してくれーってのを期待してまーす!」
教室がまるで昨日と同じように凍りついた。この人、学級崩壊させる気か。
「あっ、やっぱり先生から連絡ありまーす!」
全員が安堵した表情になり、
「私、独身です!」
全員が絶望した表情になった。
「まあ、冗談は置いといて……」
先生は親愛なる生徒達の顔を見ると、そう一言いって、すぐに切り替えた。大人ってすげえ、切り替え早い。大人って怖い。
「SHRが終わったら、学級委員長は残ってくださーい。えーっと、川島くんと吉川さんだね」
「はい」
吉川さんが小さく頷き、それに倣い、隣のぼくも声は出さず、小さく頷く。
しかし残れって……、なんだろう何か褒められることしたっけ。
「じゃあ二人は残っててねー。はーい、みんなお疲れー」
先生がそう言って締めくくると、教室は急にざわざわと騒がしくなる。みんな、放課後を満喫するつもりらしい。そして二三分すると、瞬く間に教室の人口密度は約十分の一に減っていた。
七山先生、ぼく、吉川さん、そして草加さん。
「……なんで草加さんがいるの?」
後ろを振り向き、尋ねる。すると草加さんは真面目っぽい、いつも通りの顔つきできっぱりと言い放った。
「他意はないです」
「いや、絶対あるでしょ、他意」
「はーい。川島くんちゃんと聞いてー」
「ああ、すいません。先生」
自分の事は棚に上げやがってッ!
謝りつつ、体の向きを元に戻し、尋ねた。
「それで何か用があるんでしょうか?」
「うん。それでね?二人におつかいに行って欲しいのー?」
「「おつかい?」」
吉川さんと声が重なり、目が合う。彼女はすぐ視線を先生に戻したので、ぼくの顔色が太陽のように赤かったのは悟られていないようだ。
「残るように言ったのはその要件ですか?先生」
吉川さんが尋ねる。すると先生は首肯して、答えた。
「うん。来週の十五日に部活紹介ってあるじゃない?」
「はい」
頷くぼく。今朝はそのプリントを整理するために朝早く登校したわけだし。
「それでね、サッカー部が実演するんだけどね?あ、ここからは吉川さんに説明してもらったほうが早いかも」
「は?」
なに職務怠慢してんだこの教師。話すことすら吉川さんに任せる気かよ。許せんっ。
「そうですね。マネージャーとして話すほうがわかり易いかもしれませんし」
「は?」
二度も気のない声を発するぼく。待ってくれ。状況が全然分からない。困惑していると、吉川さんはそれを察したようで、説明してくれた。
「私ね、サッカー部のマネージャーなの」
「あ、え、そう、なの?」
吃りながらもちゃんと返事をするぼく。
吉川さん、サッカー部のマネージャーだったのか。始めて知った。だから葵とも仲が良かったのかな。でも、学級委員長だけでも結構忙しいと思うんだけどなあ。案外アクティブな人なんだなー。
吉川さんは頷き、話を先生が言おうとしていた事を続ける。
「うん。それでサッカー部は学校のユニフォームを着ている状態で実演するって話なの。最初は体操服でするつもりだったんだけどね」
あはは、と笑いながら言う吉川さん。その笑顔は懐かしそうで、楽しそうだ。
「まあその実演の一つとして、一年生にもユニフォームを着せて体験させようってなっちゃったわけなの」
「な、なるほど」
と相づちを打つぼく。まあ実際は吉川さんに見とれていて、話は全く聞いてなかったけどね!まあそのことに関しては、ここにいる草加さんにあとで要約して教えてもらおう。
「うん。それでユニフォームの量が多いから一緒に取りに行ってくれないかってことなの」
「あ、うん」
「え、本当にいいの?」
吉川さんが尋ねる。えっと、何の話?ま、吉川さんの言うことだから悪い話じゃないだろう。ここは男らしくいくべきだろう。
「うん。大丈夫!任せて!」
「本当!ありがとっ」
ぎゅっと手に圧迫感が加わり、人肌の熱がぼくの手に伝わる。それに伴って心地良い花のような香りが鼻腔をくすぐる。瞬間、体温が上昇するのがわかる。
「あ、あ……」
「助かるよー川島くん」
ぎゅぎゅっと彼女の手を握る力は強くなる。痛いわけじゃない、いや、痛くてもいい。これって夢ですか。誰か教えて。
プスプスと何かが焦げるような音がする。
「あばばばばばばっ!」
体は電流が流れるような感覚に襲われて、脳の回路がショートを起こす。離して吉川さん!手を離して!いややっぱり離さないで!
そんなジレンマに襲われて、脳がぶっ壊れ続けていると、やっと吉川さんは手を離してくれた。
うわぁ、なんか若干変な目で見られてるよ。どうやらさっきのは聞こえていたらしい。穴があったら入りたい。
「ぷっ……、くっ……ぬふふ……」
声の主に視線を走らせると、声の主、草加雛子氏は手を口に当て、奇怪な声を発していた。
なるほど。草加さんは笑いを堪える時はぬふふってなるのか。いつかこれを使ってぼくも恥をかかせてやろう。
そんな事を考えているとは、本人の前ではおくびにも出さず、今は吉川さんにくらった精神攻撃の回復と、さっきの感触を永久的に保存する事に回す。
「それじゃあ草加さん、川島くん」
吉川さんがぼくと草加さんを呼び、同時に黒い髪が揺れる。
「行こっか」
どこまででもついて行きますよ、綾瀬様。




