最終話:運命は書き換わる
「――遅かったな」
シャルルと待ち合わせしていた書庫へたどり着く。
そこには誰もおらず、シャルルは魔法を解いて女性の姿で本棚を漁っているようだった。
「構わないが、時間が惜しくはあるな。来て早々に申し訳ないが、そちらの書架にある本を確認してもらえるか」
「…………」
「……婚約者殿?」
何も答えない私を、シャルルが不審そうに覗き込もうとする。けれど、今の顔を見られたくなかった私は慌てて背けた。
その瞬間、シャルルは端正な顔を歪める。
「何があった」
女性らしく柔くなってはいるものの、ぞくっとする固い声だった。私は、少し前――続編のヒロインと対話していた時のことを思い返す。
*****
「シャルルは今、女性の姿になっているわね?」
「……!」
私とシャルル本人しか知らないはずのことを、彼女は言う。
(と、言うことは……)
「あなたが、シャルルに魔法をかけたの……?」
「そうよ」
彼女はあっさりと答えた。
「本当はあなたにかけようとしたの。シャルルの婚約者が男性になれば、婚約は破談になると思ってね」
「……!」
「命を狙わなかっただけ、優しいと思ってちょうだい。……私、元の世界にいた頃からシャルルが大好きだったんだから!」
少女が声を張り上げる。誰もいない廊下に、彼女の声はぐわんと響いた。
「『魔法使いと飴玉の世界』の無印の頃だから大好きだったわ。でも、シャルルは非攻略対象で……毎日のようにメーカーに問い合わせたものよ。『シャルルを攻略対象に格上げして!』ってね」
まるでステージに立つ演者のように、少女はその場を円を描くように歩きながら告げる。
「努力の甲斐あって、シャルルが攻略対象になった続編が発表された時は夢かと思った。……そして、実際にゲームをプレイして本当に彼のことが好きになった」
「!」
(実際にゲームを……?)
私の記憶は続編が発表されたところまで。もしかしたら、彼女は私よりも少し先の未来から転生してきたのかもしれない。
「シャルルとの初デートも、舞踏会で一緒に踊った思い出も、彼らしく真摯にプロポーズされたことも――私の彼への思いをさらに強めた」
少女は私へ一歩、また一歩と近づいてくる。後ずさろうとするけれど、後ろはすぐ壁だった。
「私、あなたの百倍彼を好きな自信がある。……シャルルを私に譲って頂戴」
「そ、れは……」
私だって、シャルルが好きだ。
でも――彼女の思いの強さに勝てるんだろうか?
(私は……シャルルのために、毎日問い合わせなんてしなかったな)
気持ちで負けているのであれば、彼女に婚約者の座を譲るべきなんじゃないか……?
(あれ、でも……)
「シャルルは女性の姿のままです。あなたが婚約しようとしても、うまくいかないんじゃ……」
「私になら魔法が解ける」
「……!」
彼女ははっきりと答えた。
「それじゃあ、今すぐ戻してあげてください! 今、無理やり男性の姿に戻ってるから大変そうで……」
「いいわよ。ただし――あなたがシャルルとの婚約を破棄したらね。そうじゃないかぎり、絶対に魔法は解かない」
「……!」
「あれは私にしか解けないものだから、あなたの決断が遅れれば遅れるほど、彼は苦しむでしょうね」
「…………」
『身を挺して婚約者殿を守ったんだ。謝罪よりも笑顔の礼を聞きたいものだね』
『人生を共にするんだ。これまではよく知らなかったけれど、長い時間をかけて君の長所を見出していこう』
『怖かったな』
(……転生して、直接話せただけでも、私にとっては運がよかったんだ)
シャルルは私に優しくしてくれた。
だったらせめて、彼にもらった優しさの分だけでも恩を返したい――
*****
「……魔法を解く方法を探す必要はないみたいです」
「どういうことだ」
「魔力が高くて、どんな魔法でも解けるっていう人が現れたんです。その人に任せれば、全部問題ないそうですよ」
「…………」
シャルルは訝しむように私を見た。
(……早く、言わなくちゃ)
心が拒もうとするけれど、私は必死に震える唇を開いて――
「その人は、シャルル様のことをとても愛しているそうで。……私なんかよりも、よほど」
「何を……」
「だから――役立たずの私との婚約は破棄して、その方と幸せになってください」
「――――」
シャルルは、信じられないものをみるような目で私を見た。
(言って、しまった……)
手続きなどはあるだろうけれど、これでもう、私とシャルルは婚約者ではなくなるのだ。
(たった二日だけだったけど……私にとっては、奇跡みたいだった)
「……その方、明日から転入してくるそうです。そこで魔法を解いてもらってください」
(奇跡みたいに、幸せだった……)
「――さようなら、シャルル様」
身体を翻し、一歩踏み出そうとする。
「待て」
けれど、シャルルはそんな私の腕を力強く掴み――
「……っ、シャルル……?」
「そんな話だけで納得いくはずがないだろう。もっと詳しく話すべきだ」
「……明日、その方と話していただければわかるはずですから」
「そうじゃない」
シャルルは私の身体を振り向かせると、少女とは思えない凛とした表情でこちらを見つめる。
「私は、君の口から聞きたいと言っている」
「…………」
(でも、余計なことは何も話すなって……)
もし不要な情報を話して彼女の機嫌を損ねたとして。シャルルの魔法を一生解いてもらえなかったら?
彼女はシャルルとの婚約を求めているから、それはないとは思うけれど……。可能性がゼロではない限り、余計なことは言いたくなかった。
「何らかのリスクを恐れているのか? 構わないから話せ」
「でも……っ」
「――いい。大丈夫、だから」
「……!」
まるであやすように、シャルルの手のひらが私の頭を撫でる。
シャルルの表情があんまり優しくて、それを見た瞬間、私の思いはどうしようもなく膨らんで――
「――好きです」
「――――」
「シャルルのことが、好き……。元の世界にいた頃もそうだったけど、この世界に来て、直接話したらもっと好きになって……。結婚してずっと一緒にいられたら、どれだけ幸せだろうって……」
涙がぼろぼろ零れて、それと同時に、支離滅裂に言葉も零れていく。
そんな私を目の当たりにしたシャルルは、顔を赤らめておろおろと戸惑い始める。
「……あ、愛の告白か? あんまり突然だと照れるんだが……」
「でも、私は好きな人とは結ばれない運命だから。今までだって、他の人を好きになってもずっと……」
「……他の人? 君、私のほかに誰か――」
「だから、続編ヒロインに取られるんだあ……!!」
「…………頼むから落ち着いて話してくれ……」
シャルルは呆れたようにするけれど、根気強く私が話す内容を聞き続けてくれた。
そうして、私がシャルルの思いや転生のこと、続編ヒロインと魔法についてなど、なんだかんだですべて吐き出した頃――
「……君の話はわかった。いや、明確に言えば『転生』や『乙女ゲーム』のことはよくわからないが」
シャルルは小さく息をついてから私を見る。
「つまるところ、私にこの魔法をかけたという少女に脅されたんだな。婚約破棄すれば、私にかかっている性別転換の魔法を解いてやると――」
「…………はい」
「…………」
(なんだかんだで全部話しちゃった……)
転生のところはさらっと流されてしまい拍子抜けするけれど、長考している様子の彼がなんというのかとどきどきしていると……。
「君は知らないかもしれないが、私にも結ばれる相手を選ぶ権利があるんだ」
「……? はい」
「嫌に決まっているだろう。婚約者に訳のわからない呪いをかけようとして、あげくの果てに脅してくるような女性は」
そう言って、シャルルは私にデコピンする。
「いっ……!」
「お断りだ。よって、君との婚約も破棄しない」
「……! でも、それじゃあシャルル様にかかった魔法は……」
「まあ、かけた本人にしか解けないというのはセオリーではあるが。他の手がないと決まったわけでもない、何しろ調べ始めたばかりだしな」
「……そうかもしれませんけど、調べた結果ゼロっていう可能性も……」
「あるだろう。だが、それならそれでいい」
シャルルは私の顔をじっと見つめて、可憐な顔を微笑みに染めた。
「その時は、女性でも公爵家当主となれる方法を探そう。……女性同士でも、婚姻できる方法を探せばいい」
「……!」
「その場合、もちろん辛いことも大変なこともあるだろうが……。私は案外やっていける気がしているよ」
「ど、どうしてですか……?」
シャルルは、胸がぎゅっとするような優しい笑顔を浮かべた。
「魔力切れを起こした私を君が抱いてくれた時……意外と力強くて頼もしく思ったんだ。きっと、何があっても君となら乗り越えていけるだろうと、そう思ったんだよ」
「そんなことで……」
「そんなものだろう、夫婦なんて。……きっとね」
シャルルは、私を胸へとかき抱く。
「……っ」
「君は、自分は好きな人と結ばれないと言った。……あまり考えたくはないが、これまでそういう経験があったということなのだろう」
彼が私を抱きしめる力が、より強まる。
「けれど、今までうまくいかなかった理由について、私はひとつ思い当たるよ」
「! な、なんですか? 口下手で行動力がないからとか……」
「私との恋が、君にとっての運命だから」
「――――」
飴色の髪が、きらりと光る。
「実を言うと、君との婚約破棄の話はこれまでに何度か出ていたんだ」
「え……!」
衝撃の事実に目を丸くする。シャルルは浅く頷いてから話を続けた。
「元々、うちとアッシュフォード家の婚約は、商売人としても活躍する君の父上がもちかけたものだった。彼は自身の商会で得た巨万の富を享受することを条件に、より高貴な血筋を欲したというわけだ」
だが、とシャルルはかぶりを振る。
「今、君のご両親は旅行……もとい、昨今の流行り病が原因で傾きかけた商売をどうにか立て直そうとしているだろう。だが、うちの父はもう以前の状態には戻らないだろうと考えている。その場合、アッシュフォード家との婚約に意味はあるのかと。より良い条件の婚約が他にあるのではないかと考え始めたわけだ」
「……!」
『物語開始時点で、彼と侯爵家令嬢の婚約は破談になっているはずなのに!』
(それで、続編だとふたりは婚約破棄をした……?)
――でも、だとしたら。
「どうして、破談にならなかったんですか……?」
「…………」
シャルルがサラを強く愛していた、というふうにも思えないのだけど。
彼はなぜだか頬を赤らめると、なんとなく気まずそうに視線を彷徨わせた。
「……何となくだが、しないほうがいいと思ったんだ。本当に何となく、いつか君を好きになるような気がしたから、破談にすれば後悔するような気がして――」
「……!」
「……だが、そんな曖昧な勘もそう誤りではなかったようだ」
柔らかく微笑むと、シャルルは書庫の扉の向こうへ視線を向ける。
「――聞いていたな。そういうわけで、私は彼女との婚約を破棄するつもりはない」
「え……」
書庫の扉が開く。
何とも悔しそうな表情で入ってきたのは、続編のヒロインだった。
「な、なんでここに……!」
「私たちを待ち構えていたんだろう。ずっと気配を感じてはいたが……」
彼女は目を怒らせると、髪を振り乱して叫ぶ。
「――いや! だったら本当に魔法を解かないわよ……!?」
「構わない。……というのも本心ではあるが――」
シャルルはにやりと笑う。
「君、公爵家の次期当主に怪しげな魔法をかけて、無事でいられるとでも?」
「え……」
「はいはーい。シャルルの使い魔から信号を受けて、学院の衛兵たちを連れてきたよ~」
「あっ、アーサー様……!?」
現れたのはアーサーと、学院の衛兵たちだった。
「……彼女の気配を感じ取った時、使い魔を飛ばして近くにいたアーサーに頼んだんだ」
「こんなのまったく僕の仕事じゃないんだけど。なーんか面白そうなものを見られそうだったから、協力してあげちゃった。小説のネタになりそうだしね」
アーサーは何とも緩い調子で笑う。
「ちょっ、離して! ヒロインの私にこんな強引な真似……!」
「ヒロイン、ではなく襲撃犯だろう。私の家で詳しく話を聞いた後、裁判にかけさせてもらう」
「さ、裁判……!?」
彼女は顔を青ざめさせる。けれど、必死にシャルルをにらみつけた。
「そんなことされても、魔法を解いてあげたりしないわよ……! 絶対に!」
「へえ? でもたぶん、これから死んだほうがマシって目に遭うと思うよ。……君、ウォーレル公爵家の別名って知ってる?」
それを聞いた瞬間、彼女はますます顔を青ざめさせる。まるで、その『別名』とやらを知っているかのように。
(もしかして、続編では出てる情報だったりするのかな……?)
「その、別名って?」
アーサーはいたずら好きの子供のようににやりと笑う。
「『血に塗れた狂気の統率者』、ってね」
「いやああ……!!」
ずるずると彼女は衛兵たちに引きずられていった。
(シャルルの続編のシナリオって……)
そうっとシャルルを振り返ると、彼、もとい彼女は彫像のように美しい笑みを浮かべるのだった。
「婚約破棄はしないぞ?」
「……は、はい」
(もしかして、続編で路線変更してたりしないよね……!?)
一瞬少し怖くなるものの、結局、彼のことが好きなので離れる気にはなれないのだ。
「魔法のことやらなにやら、まだいろいろと問題は残っているが――」
上書きの魔法を使ったのだろう。
男性の姿に戻ったシャルルは、私の手を取って甲へとそっと口づけた。
「これから、少しずつでもいいからいい夫婦になっていこう」
「……はい」
こうして、神様に嫌われている私の運命は書き換わる。
好きな人と、永遠に幸せに暮らす運命へと――きっと。




