雨花の謎
「来週、雨だそうですね」
私は顔を上げてカウンターの向こうの日暈さんを見上げる。
注文した商品に関係する話を日暈さんの方からしてくれることはあって、そこから雑談に移行することもあるけど、日暈さん方からそういうなんでもない話をされたのは初めてかもしれない。
これが常連になるということだろうか。
まあ他にお客さんもいないし、警察官さんと一緒にいろいろ話をしたりもしたし、今更店員と客の微妙な空気感ももはやないみたいなところがあるから、自然と雑談の話題が口に出ただけかもしれない。
私はカップを置く。
「そういえば梅雨入りみたいな話テレビでしてましたね」
「雨お好きですか?」
「嫌いじゃないですね。特に休みの日は」
そう言ったら日暈さんは笑顔をこぼす。
「ああ、わかります。じめじめした中で濡れるのは嫌ですしね。それがないなら」
「そうですね」
「知り合いにキャンドルナイトに誘われたんですが、あれもじめじめした夏に大量のキャンドルかぁと思ってしまって」
「……確かに」
「だからクリスマスのイルミネーションは人気なんですかね」
「その発想はなかったです」
「その発想する人間は寂しい人間なのかもしれない」
「……あっ」
会話の流れでそんな反応はするが、こんなお洒落なカフェのかっこいい店員さんでもそんな感じなんだ。
でも確かに雰囲気が彼女絶対いそうな陽キャのイケメンって感じではないな。
渋谷で可愛い女の子とデートしてるより、雨の中傘差してお寺の紫陽花見てる姿の方が想像しやすいイケメンな気がする。
「夏至のイベントにキャンドルナイトというのはわからなくもないですけどね」
「でも夏至って梅雨とぶつかりがちですよね」
「雨天決行らしいですよ」
「え、そうなんだ。一歩離れて見るなら雨のキャンドルナイト綺麗な感じありますね」
「そうですね、一歩離れて、見れば」
冷静に考えると雨の屋外イベント絶対大変なんだけど。
「せっかく今年は季節感を味わってるから、キャンドル買って家でやろうかな」
「店でやりますか?」
日暈さんを見上げる。
「お店でイベントですか?」
「いえ、店を閉めた後に」
「……?」
「せっかく紫陽花をテーマに準備していたのに、どこかの警察官に禁止されてしまったので」
少しムッとした、幼さを感じる顔で言う日暈さんに私は笑う。
「客じゃなくて、“知人”で」
「ええ、お客さんではなく、“知人”を招待して振る舞おうかと」
「すごいグレーな抜け穴突いてる感じある」
別にただお茶を飲むだけのことなのに。
日暈さんに見られる。
「若菜さん騙されそうですね。気を付けてください」
「この場合騙してるの日暈さんですけどね⁉」
「柊も呼びましょうか」
「……雑な警察官の使い方」
確かに警察官いれば安心だ。
どうせなら雨の日にしようということで、来週の店を閉めた後の時間に、雨が降っていなければ延期ということでその連絡をするためにLINEを交換した。
***
無事に、と言っていいのか雨が降って、私は店の前で傘を閉じて[CLOSE]の札がかかったドアを開けて中に入る。
「こんばんは。どうぞ」
今日は、いらっしゃいませとは言われず、しかし笑顔でいつものカウンター席を手で示されるので、私も笑顔で「こんばんは」と初めての挨拶をして座る。
傘を立てかけて、今日は他のお客さんが来ることも絶対ないので、構わず隣の席に鞄を置いた。
「キャンドルナイトの話をしたら、サークルでキャンドル作らせてくれたんですよ」
私はちょっと自分で上手くできた自信があるキャンドルを笑顔でカウンターに出す。
「紫陽花ですね」
まじまじと見て、一通り褒めてくれた後、しかしこれは何サークル?と日暈さんは首を傾げた。
「漢方サークルです」
「……漢方?」
「試験の過去問とかが欲しいからとりあえず何かに所属したい薬学部生に大人気の超緩い薬学部生御用達サークル」
「……あ、なるほど、超緩いから内容もなんでもあり」
「一応よもぎ使ってます」
「一応」
「一応ですね」
日暈さんが火を点けてくれて、日暈さんが用意していたたくさんのキャンドルにも日を点けてから店内のライトを消すと、暗くなりすぎることもなく、そしていい感じに綺麗だった。
「初回はセンブリ茶を生薬から煮出して飲むという伝統があって、みんなで苦しむっていう」
「ハハっ生薬から作るのすごい濃くてやばそう」
「やばいですよ。千度振り出しても苦いなんて言われるやつの一度目ですからね」
「確かに。でもちょっと飲んでみたい」
「わかります。だって全員ちょっとわくわくして飲みましたもん」
「いいですね」
すごい楽しそうに笑われる。
なんだか一品物っぽいお洒落なグラスで、ドリンクが置かれる。
「甘茶です。アジサイ科のアマチャで作った甘茶ですね」
「話には聞いたことありますが、アマチャで作った甘茶」
「ええ、アマチャで作った甘茶」
一口頂く。
「甘い、不思議、こういうのたいてい苦いのに」
「それは漢方に毒されてる」
「……そうかも」
「厚生労働省推奨基準で作ってるのに、警察官に怒られました」
「濃すぎると駄目なんでしたっけ」
「昔花祭りで集団食中毒があったんですよ」
「あーなるほど」
「子どもが」
それで私は苦笑をこぼす。
「なるほど。濃すぎるのを子どもが飲んで。適度で、大人が飲んで、そうなることはまずないでしょうね」
そもそも厚生労働省基準は子どもが飲んでもいい基準だろう。
「アマチャとかよりセイヨウオトギリソウとかの方が気を遣いますけどね」
「あ、有名な!」
「今話題の人気俳優くらいのテンションで反応が頂けて嬉しいですよ。あまり好んで乗っていただける話題ではないので」
「ゼリーもどうぞ」と、この前食べたのとはちょっと違う紫陽花モチーフのゼリーを出してもらったのでありがたく頂く。
雨音が聞こえる夜のお洒落なカフェで、キャンドルの光に照らされる青と紫のゼリーがすごく綺麗だった。
「先輩がセイヨウオトギリソウとグレープフルーツジュースはこの先うんざりするくらい見るって言ってました」
まだそんなでもない二年の私から見て、すごく試験勉強で疲れた顔をしていた先輩が問題集を見せてくれながら言っていた。
「そんなに見るんですか? 世間一般では全然見ないのに」
「ですよね。オレンジジュースならまだしも」
「セイヨウオトギリソウは昔流行ってたみたいですけどね」
「へー、そうなんですね。だからですかね。私薬学部入るまで知らなかったです」
「別名でセントジョーンズワートとかも言いますけど、どちらにしろですよね」
「どちらにしろですね」
「まああれもガブ飲みでもしなければ副作用とかもそこまで気にするようなものでもないみたいですけどね」
「そうなんでしょうね、飲み合わせの方ばかり問題に出てるみたいですし」
「飲み合わせはよく聞きますね」
「ところで、ガブガブ派はガブ飲みと表現合わせられるのでちょっと負けた感ありますね」
日暈さんにきょとんという顔で見られる。
「ゴクゴク派から移ってきますか?」
「しかし抗う」
「そこにそんなにこだわりあったんですか」
笑われる。
「そういえば日暈さんあのポスト見ましたか! 紫陽花の!」
これはお店で店員と客ではなく知人とのお茶会みたいなものなので日暈さんもスプーンを持ったところで、ゼリーをすくわず首を傾げられる。
「新種の? 綺麗でしたね」
「……そっちは知らないです。紫陽花寺です」
「ああ、謎の暗号ってやつですか」
紫陽花寺という愛称で呼ばれるお寺自体はたくさんあると思うけど、日暈さんにはそれで通じた。
「探偵の意見としては」
「探偵ではないんですが……」
そうは言いつつ日暈さんはメモ用紙とペンを二本出す。
「場所が雨引観音っていうのが気になりますね。やっぱり雨を引くのかな」
ペンを一本借りて、紙に暗号を書いていく。
「左右逆に書かれた【紫陽花】と【SNOW】ですか」
「そうです。それでその間に【↔】が書かれてて。あ、【紫陽花】はお皿に紙が貼られてて、【SNOW】は地面に書かれてたみたいです」
「ああ、お皿があったから話題になったんですね。地面に落書きされてただけならたいして気にされませんよね」
「ですね」
「そのお皿は何か特別だったとか」
「……さあ? 紫陽花って漢字で書くとちょっと複雑だし、左右逆で書くと難しいから紙に書いて裏側からなぞれば簡単に書ける、それををお皿に貼った説とかもありましたね。ほらSNOWは簡単だから、地面に書いてもちゃんと伝わりますけど」
「……まあ、わからなくもない意見ではありますかね。この時期に外の地面に紙を置くのも微妙ですしね。ただそれ理由ならSNOWも固定してあげてほしいですけどね。雨降ったりしたら簡単に消えますよ」
「確かに」
左右逆の暗号をさらに上下逆で考えるのも難しいので、カウンターに横向きに置いて、二人で身を乗り出して正面から暗号を見る。
「雨冠を引くならSNOWの方を漢字にしててほしいですけどね」
「ですよね。紫陽花には雨入ってないですし」
「この矢印がお互い交換みたいな意味なら、Hydrangeaと雪で考えてみるという可能性もありますかね」
日暈さんは私が書いた暗号の下に左右逆で【Hydrangea】と【雪】を書く。
「雪から雨冠引くとヨになりますけど、左右逆だとEになりますね」
「ですね」
「暗号が左右逆に書かれてた意味は出てきますね」
「最初からHydrangeaと雪って書いてなかったのもわかりますね。雪にストレートに文字が入りすぎててちょっと捻りたくなる」
「あーなるほど、確かに」
「まあEが正解の場合ですけど。どちらにしろこの続きの謎解きがないならEだけ出しても意味は不明ですね。Hydrangeaの方を解けば単語になったりするんでしょうか」
「でも左右逆にしてどの文字を抜いたりしてもよくわからないですけどね」
身を乗り出していたのを戻って、ゼリーを一口食べる。
日暈さんも一口食べた。
「個人的な感覚なんですが、【SNOW】から雨を引くなら、【紫陽花】からも引いてほしいんですけどね」
「ちょっとわかるかも」
「でも【Hydrangea】から【Rain】は引けないですしね」
「ですねー」
ゼリーを完食して甘茶を一口飲んだところで、日暈さんもペンを置いてスプーンに持ち替えた。
「日暈さんもしかして解けたんですか?」
そう聞いたら苦笑をこぼされる。
「素人作な気がします」
「まあ、そう、ですかね?」
逆にこういう場合のプロってなんだろう。
「雨引観音の地面に書かれていた【SNOW】から雨を引くなら、お皿の上に書かれていた【紫陽花】からはお皿を引けってことじゃないですか?」
「お皿……を引くもあんまり意味わからないですけど。漢字の紫陽花にはお皿入ってないし、英語のHydrangeaにもPlatetとかDish入ってませんし」
「Hydrangeaはギリシャ語で水の器という意味なんですよ。水を意味するhydroと器を意味するangeionの組み合わせ」
「へー! でもhydroが左右逆になってもよくわからないですが」
そう言うと日暈さんは笑みをこぼす。
「若菜さんはきっとこう書けばわかりますよ」
【hydro】
「ヒドロキシ基!」
有機化学で何度見たことか。
そうか、あれも水由来か。
「ええ、つまり【紫陽花】から器を取って残るのはヒドロキシ基の【OH】ということです」
「いやhydroと hydroxyは違くない⁉」
と思わず言ったところで、素人作ですねと言った日暈さんの言葉の意味がわかった。
「【OH】と【ヨ】それぞれ逆にしてくっつけると【HOE】、単語にはなりますね」
「Hoe?」
「土を掘る農具ですね」
「掘れってことですか?」
「埋蔵金でも出てくるんですかね」
日暈さんは笑って言う。
「雨引観音さんにちょっと掘ってみてほしいですね。暗号が書かれてあった場所の下とか」
「カプセルとかに【当たり】って入ってるだけでちょっと面白いですけどね」
「イベントとしては面白いですね」
「ちょうど紫陽花シーズンですし」
「確かに。お客さん増えますかね」
「どうでしょうねぇ……」
ゆっくりお茶をして、雨が強くなった音がしてきて、そろそろ帰ろうかという空気になる。
「車でお送りしますよ」
「えっ悪いですよ」
「そんなたいした距離ではないですから。大学のすぐ近くって前におっしゃってましたし、大学までお送りしますよ。家まで送るのはね、ちょっとあれでしょうし」
配慮がすごい。
警察の知り合いだし、何なら私も警察官と知り合って連絡先も知っているのを日暈さんも知ってるわけで、そんな相手わざわざ狙う人いないだろうと思うので、別に家を知られるの怖いとかもないけれど。
どうせ自分も帰るついでだからと言われ、私は結局日暈さんの車の助手席に乗る。
不思議だ。
店員さんの助手席に乗っている。
「雨引で暗号作るならアメダスも入れたくなりますけどね」
「え、面白い!」
雨を引くのと、雨を足すのか。
「dedって文字と気象庁のアメダスのページのURLでも貼ってその暗号のSNSの記事か何かにリプでも送りますか」
「ded、rain?」
「drainedですね」
「……高度。私rainbowとかrefrainとか考えてましたよ。どういう意味ですか?」
「ひどく疲れた、という意味ですが、排水することで空になるみたいな意味もあるので、雨引暗号に対してのリプにはいいかなって」
「いいですね」
「dedはdeadのスラング、死ぬほど面白いみたいな意味があるので、話題になっている面白い暗号にSNSで送るにはピッタリの言葉でしょう」
「でも雨を足すとひどく疲れたになるわけですね。あんまり誉めてなさそうな感想に変わりますね」
日暈さんは素人作だと実際に言っていたが。
「謎解きに文字だけで疲れたは嫌味でしょうね。笑顔で疲れたーって言ってればボリューム多い面白い謎解きだったんだなって思いますけど」
「確かに。よし私の見る用で何も動いてないアカウントで送っておきましょう」
本に黒い竹の絵を描いた紙を挟んだときのような、それだけのつもりで送った。
ちょっとしたイタズラくらいの気持ちで。
***
「やってくれたな、名探偵ども」
呼び出されてカフェに言ったら、柊さんに仁王立ちでそう迎えられる。
困惑していたら、日暈さんにはいつもの笑顔でカウンター席を「どうぞ」とされるので、私は柊さんに会釈をしてとりあえず席に座る。
「……あの、どうかしたんですか?」
小声で日暈さんに尋ねる。
「雨引観音の暗号があった場所を掘ったら出てきたらしいですよ」
「え、お宝?」
「遺体」
「…………」
「とんでもない名探偵になってしまいましたねぇ」
他人事の言い方で日暈さんはグラスに口を付ける。
氷がカランと涼しげな音を立てた。
何も注文していないが、私にも冷たい緑茶を出してくれたので、私もありがたく頂く。
「……で、dedと送ったのは本当にただの洒落で、遺体があると思っていたわけではないんだな?」
柊さんがドサッと席に座って、疲れたように言う。
「だから何度もそう言っているだろ」
「え、これもしかしてまた容疑者ですか⁉ 犯人しか知り得ないことを知ってたみたいな⁉」
しかし柊さんは苦笑をこぼす。
「いや、今回はそういうわけではないです。犯人はもう捕まってますし。夜にでもニュースになると思いますよ。殺人事件、亡くなっているだろうとは思っていましたが行方不明事件ですね、それ自体はいたってスムーズに捜査が進んでいたんですが、その最中にあの暗号事件が起こりまして、警察は混乱に陥ったわけですが、犯人が犯行は認めたのに暗号はまったく心当たりがない、むしろあんなことが起こって怖かったと言うものですから、事件に気付いた誰かが警察に通報することもなくふざけて残したのだと推測……していたところに」
「あれね」
「あれねじゃないんだよ!」
「ただの謎解き遊びをしていただけなのにそんなことを言われても。ねえ?」
日暈さんに笑って同意を求められる。
「……まさか殺人事件と関係してるとは思いませんよね」
「……日暈以外に警察より早く事件を解決してあんな暗号残すようなやつがいると思いたくないんだが」
「オレはそんなことしたことないだろ」
「できるだろ」
「……できるかどうかは関係ないだろ。じゃあ警察の内部犯を疑えよ。よっぽどあり得る」
「心当たりはないのか。頭いいやつ同士の交流」
「……知らないよそんなの」
「そうだ若菜さん、ニュースが出る前にあの返信は」
「あ、はい、もうアカウントごと消しておきます」
「それがいいでしょうね」
私の反応になんだかホッとした様子で、柊さんは帰っていった。
確かにバズりそうなリプだし、置いておきたがる人はいるのかも。
「雨引観音に行ったこともない、行方不明事件も知らなかった人間にあんなこと言われても困りますよね」
「すごい偶然でしたね」
日暈さんはすぐに話題を変えたので、私もそれ以上触れずに終わる。
予想通り事件がニュースになるとSNSではあのリプが話題にされていたけど、私はスルーした。
不思議な謎解きは面白いことだけど、それが殺人事件に関わるものなら、それ以降はもう話が変わってくる。
探偵ごっこは内緒話くらいでするのがちょうどいいと言っていた日暈さんを思い出す。




