22. 食卓の審判
アルヴェール公爵家の晩餐は、いつだって静かだった。
磨き上げられた長い食卓。
揺れる燭台の灯り。
銀の食器がかすかに触れ合い、乾いた音だけが広間に響く。
その静寂が、シルビアは苦手だった。
言葉がない分、視線や仕草ひとつが際立つ。
どんな些細な綻びも、見逃されない。
今夜はなおさらだった。
公爵が不在のため、席についているのは三人だけ。
上座には、公爵夫人。
その右にアシュレイ。
そして遥か遠くの下座にシルビア。
席に案内された時、公爵夫人は今日の出来事を知っているのだと確信した。
どこから情報を手に入れているのか、分からないのが恐ろしかった。
淡いワイン色のドレスに身を包んだ公爵夫人は、食前酒のグラスを優雅に傾けながら、穏やかに微笑んでいた。
その笑みが、恐ろしい。
「今日は随分と遅かったのね」
やわらかな声音。
だが、それだけで背筋が強張る。
シルビアはナイフとフォークを皿に置いた。
「少々、学園で騒ぎがありましたの」
「まあ。どんな?」
逃げられない。
シルビアは呼吸を整えた。
「ブランシュ侯爵令嬢と少し言葉を交わしまして。感情的になられたようですわ」
数秒の沈黙。
やがて、公爵夫人がくすりと笑った。
「そう」
その声音に、安堵しかけた。
だが次の瞬間。
「それで?……殿下は、どう反応なさったのかしら」
青い瞳が細められる。
心臓が強く跳ねた。
アシュレイがナイフを動かす手を、わずかに止める。
シルビアは表情を崩さなかった。
「お会いしたとき、頬を気遣ってくださいました」
「それだけ?」
問い詰めるでもなく、ただ静かに。
その静けさがかえって恐ろしい。
「保健室で冷やしてくださいましたわ」
公爵夫人の手が止まった。
グラスの縁に添えられていた指先が、ぴたりと静止する。
広間の空気が、凍りついた。
「……保健室で?」
優しい声だった。
それなのに、シルビアの喉がひゅっと鳴る。
「ええ」
短く答える。
その瞬間、公爵夫人の唇から笑みが消えた。
「あなた、何をしたの」
シルビアの指先が震える。
「何もしておりませんわ」
「なら、なぜ殿下がそこまでなさるの?」
止まらぬ追及に、必死に言葉を探す。
だが、答えなど持っていない。
どうしてレオンハルトがあんな目を向けるのか。
なぜ距離を詰めてくるのか。
知りたいのは、むしろ自分の方だった。
やがて、公爵夫人がゆっくりと立ち上がった。
ヒールの音が、大理石の床に冷たく響く。
そしてシルビアのすぐ傍まで歩み寄る。
白い指先が、そっとシルビアの頬に触れた。
打たれた場所だった。
びくり、と身体が強張る。
「腫れているわね」
甘い声。
その指先が、わずかに力を込める。
鈍い痛みが走った。
「っ……」
声を漏らしかけ、シルビアは唇を噛む。
公爵夫人はその様子をじっと見つめていた。
まるで値踏みするように。
そして、耳元で小さく囁いた。
「失敗は許さないと言ったはずよ。殿下に愛されてはならない、そう伝えたわよね」
ぞくり、と全身が粟立った。
「嫌悪されなさい。拒絶されなさい。それがあなたの役目」
痛む頬にさらに爪が食い込む。
涙が滲みそうになるのを、必死で堪えた。
「……はい、お母様」
絞り出すように答える。
ようやく指が離れた。
公爵夫人は満足したように微笑み、席へ戻る。
「あまり、殿下の手を煩わせるものではないわ。養女のあなたが公爵家の名を汚すようなことは、あってはならないの」
それは表向きの繕った言い方だった。
それに合わせて謝罪する。
「申し訳ありませんでした。気をつけますわ」
それからは、何事もなかったように食事が進む、かのように見えた。
広間の空気がゆっくりと動き出す瞬間、アシュレイの低い声が響いた。
「母上」
公爵夫人が視線を向ける。
「なんでしょう」
アシュレイは無表情のまま、ナイフとフォークを置く。
「食事中くらい、説教はやめたらどうです」
空気が止まる。
シルビアは目を丸くした。
公爵夫人も、ほんのわずかに意外そうに瞬く。
だが次の瞬間には、優雅な笑みを取り戻していた。
「あら。あなたにしては珍しいことを言うのね」
「耳障りだっただけです」
淡々と返す。
そこに庇うような響きはない。
ただ、本当に鬱陶しいから口を挟んだ、それだけのように。
「そう」
公爵夫人はそれ以上追及しなかった。
再び食事が始まる。
けれどシルビアの胸は、妙にざわついていた。
なぜ?
どうして今、口を挟んだのだろう。
アシュレイの方を見る。
彼は何事もなかったように食事を続けていた。
黒髪が伏せられ、灰色の瞳が何を考えているのかは分からなかった。




