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人形劇  作者: あかさたな


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11/22

11. 揺らぎ

 



 翌朝、シルビアは鏡の前に立ったまま、しばらく動けずにいた。

 鏡の中には、完璧な令嬢が映っている。


 艶やかに整えられた金髪。

 一分の隙もない制服姿。

 わずかに視線を細めれば、気高く冷ややかなセリーヌの表情が完成する。


 いつも通り。

 何一つ変わらない。


 なのに、昨夜から胸の奥に引っかかった違和感だけが消えなかった。


 ――まるで、誰かを演じているみたいだ。


 レオンハルトの言葉が、何度も蘇る。


「……違う」


 小さく呟く。


 違わない。

 演じている。


 その事実を、自分が一番よく知っている。

 だからこそ、見抜かれたことが恐ろしかった。


「セリーヌ様、お時間です」


 侍女の声に、シルビアははっとする。

 そしていつものように、口元に完璧な微笑を浮かべた。


「ええ、今行くわ」


 鏡の中の少女もまた、同じように笑っていた。



 ***



 教室に入った瞬間、レオンハルトと目が合った。

 目が合うなり、彼は穏やかに微笑んだ。


「おはよう、セリーヌ嬢」


 教室中の視線が集まった。


「……ごきげんよう、殿下」


 完璧に礼を返す。

 挨拶だけだろうと、机に向かおうと足を進めたが、彼は言葉を続けた。


「もしよかったら、昼休みに少し付き合ってくれないかな」


 一瞬、教室が静まり返った。

 誰もが耳を疑ったのが分かる。

 シルビアの心臓が大きく跳ねた。


「……どういったご用件でしょう?」

「大したことじゃないよ」


 レオンハルトは優雅に笑う。


「昨日の続きを、少しね」


 その言葉に、シルビアの指先がぴくりと震えた。

 昨日の、続きを。

 断れるはずがなかった。

 ここで取り繕わなければならない。

 これ以上、疑念を抱かせるわけにはいかなかった。


「……承知いたしましたわ」


 答えた瞬間、周囲がざわめきに包まれた。

 ミレイユの顔がこわばるのが見える。

 何人もの令嬢が、信じられないものを見るような目を向けていた。

 シルビアは微笑みを崩さなかった。

 けれど、机の下で握った拳には、じっとりと汗が滲んでいた。



 ***



 昼休みに案内されたのは、本校舎の奥にある小さな温室だった。

 ガラス張りの天井から春の陽光が差し込み、色とりどりの花々が静かに佇んでいる。

 外界から切り離されたような、穏やかな空間。

 けれどシルビアには、逃げ場のない檻のように思えた。


「綺麗でしょう」


 先を歩いていたレオンハルトが振り返る。


「僕はここが好きなんだ。考え事をするのにちょうどいい」

「そうですの」


 当たり障りなく返す。

 するとレオンハルトは、ふいに問いかけた。


「君は、好きなものはある?」


 あまりにも唐突だった。

 シルビアは一瞬、言葉を失う。


 好きなもの。


 そんなこと、考えたこともなかった。

 孤児院にいた頃は、生きることに必死だった。

 公爵家に来てからは、セリーヌになることで精一杯だった。


 好きなものなんて……。


「……紅茶かしら」


 咄嗟に、無難な答えを返す。

 けれどレオンハルトはじっと彼女を見る。


「それ、本当に?」


 蒼い瞳が静かに射抜く。

 また、試されている気がした。


「嘘をつく理由がありまして?」


 冷ややかに返す。

 けれどその瞬間、温室の隅にある小さな鉢植えに咲く白い花が視界に入った。

 思わず、目が留まる。

 それは孤児院の庭に咲いていた花とよく似ていた。

 懐かしさが胸を掠める。


 ほんの一瞬。

 ほんのわずか。


 その表情の変化を、レオンハルトは見逃さなかった。


「……それか」


 はっとして視線を戻す。


「何のことですの?」


 レオンハルトは花へ視線を向けたまま、静かに笑った。


「今、初めて君の素顔を見た気がした」


 シルビアの呼吸が止まる。


「君と会ってからずっと思っていた。君の笑顔は綺麗だ。でも、どこか作り物みたいだった。けれど、今の顔は違った」


 逃げなければ。

 そう思うのに、足が動かない。

 蒼い瞳がまっすぐに見つめてくる。

 責めるでもなく、嘲るでもなく。

 ただ、真実を知ろうとする目だった。


「君は――」


 その時だった。

 温室の扉が勢いよく開いた。


「殿下!」


 鋭い声が響く。

 振り返ると、そこに立っていたのはミレイユだった。

 その背後には数人の令嬢たち。

 ミレイユはシルビアを見て、一瞬だけ表情を強張らせる。


「先生が探しておりましたわ」


 レオンハルトが小さく息をついた。


「……時間切れか」


 そしてシルビアへ視線を戻す。


「セリーヌ嬢、昼休みに付き合ってくれてありがとう」


 その微笑みはいつも通り穏やかだった。

 けれど別れ際、彼は小さな声で言った。


「君は、自分が思っているよりずっと分かりやすいよ」


 シルビアの胸が、大きく脈打つ。

 レオンハルトが去ったあとも、その言葉だけが耳に残り続けていた。



 ***



 温室に一人残されたシルビアは、震える指先をそっと握りしめた。

 分かりやすい。

 その言葉が、ひどく恐ろしい。


 完璧だったはずなのに。

 誰にも見抜かれないはずだったのに。


 仮面は、確かにひび割れ始めている。


 そしてその亀裂から、シルビアという存在が、少しずつ覗き始めていた。



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